Logo
こころのけしき
こころのけしき

こころのけしき

75 エピソード
完結
現代を舞台に、移ろいゆく感情の機微を鮮明に描き出す『こころのけしき』。日常に潜む葛藤や再発見をテーマにした本作は、読者の心に深く訴えかける珠玉のヒューマンドラマ短編集です。多様な人生の断片を切り取ったこのmodern作品は、良質なfiction booksを求める方に最適。揺れ動く心の模様が織りなす物語の数々を、web novelでぜひお楽しみください。
『こころのけしき』第1話

太陽が向こうの山陰に姿を消そうとしていた時、時折、がたんと揺れる電車の中で一人の青年が、気難しそうな顔をして静かに座っていた。ゆらゆらと走る電車の中は仕事帰りの人の群れでそれなりに埋まっている。

しかし、この青年にとってはこれくらいの人混みはどうもない。小さく体を畳んで、他人の邪魔にならないようにしている。

電車がカーブに差し掛かり、少し揺れると、青年の方に中年小太りの少し頭の禿げた男がよろめく。

中年男が「おっと、すいません」と頭を下げた。青年も頭を下げる。

そうしていると、電車は速度を緩めながら、するする、がたんとホームに吸い込まれていく。電車が止まり、アナウンスが流れるとドアが開く、青年はそっと立つと、人の間を縫うようにするすると出ていった。

電車とホームの隙間を跨ぎ、ホームに降り立つ。青年はすこし歩くと立ち止まって一旦息を吐いてからゆっくりと、優しくそよぐ風を吸い込んだ。

この青年、実は故郷に帰ってきたのである。およそ3年、青年にとってはそこまで短い月日ではあるまいが、実家に全く頼らず生きてきた。もっと言えば、母からの心配の連絡も一切取らずであった。ある人から言わせれば、親心子知らずのバカ息子である、とは少し言いすぎな気もする。

では、そんなバカ息子がなぜ突然、しかも連絡もなしに帰ってくるのか。それは、仕事仲間のパートのおばさんに「たまには帰って顔でも見せんと、いつ居なくなるかも分かりませんよ」と窘められたからである。

青年の、帰れない、には理由があった。

青年の父は町工場を経営して生計を立てていた。それが災いしてしまうのも人間の不思議なところである。父は小さい頃からしつこく「跡を継ぐんだ」と言ってきた。そして、息子に出来るだけいい状態でバトンを渡せるように、それが実現するように、仕事に精を出して働き、規模は小さいなりに評判も業績もすこぶる良い状態にしていたのである。

しかし、青年はただ跡を継ぐのは潔しとせず、他の会社で武者修行をすることに決めたのである。父はこれに反対し、ついに折り合いつかず激しい口論となった。とうとう、青年は飛び出すように大都会の会社に出ていった次第である。

そんな青年の複雑な感情も、故郷の風は優しくほぐす。青年はホームに取り付けてある椅子にゆっくりと腰を下ろす。少し前かがみになって、少し開いた両膝の上に両肘を置き、じっと唇を締めて暫く地面を見つめていた。

時折、前を向くと、アナウンスが流れる。電車がホームに滑り込む。止まる。また人が降りてくる。乗っていく。電車ががたんと一息吐いて発車する。また下を向く。そんなことを繰り返し見て、すっかり夜になってから、とうとうゆっくりと立ち上がって、ホームの下へ、とぼとぼ歩いていった。

青年の実家は駅から20分程歩いた所にある。まっすぐ伸びた大通りを歩いて、カーブしているところで交差する道に入る。その住宅街に続く道を登ったり降りたりもしながら少し歩く。我々にとっては、何の変哲もない、住宅街の一画でも、坂の多い面倒な道路でも、青年にとっては子どもの頃よく遊んだ場所で、青春時代を過ごした場所である。青年は少し歩いては立ち止まり、立ち止まりしながらまた歩いていく。

そうこうしつつ、だんだんと実家に近づくと、青年の歩調もぎこちなくなる。綺麗にカットした短い髪の毛を気にするそぶりをしながら、どうやら足が重たいらしい。

それでも、歩けば目的地には着く。青年は実家の前に着いてしまった。こじんまりとした家だ。兄弟も居ないので、これくらいの家が丁度いいと、父は古くなったこの家を手放すこともなく、そのままにしていた。

そんなことを青年は思い返しながら、ドアの前で突っ立っていると、玄関に誰かがやって来て中から開き戸を滑らせた。

「まあ……あんた何やってんの」

口に手を当て、信じられない顔をする、白髪混じりの髪にパーマをかけ、小太りで、背の低い女性。そう、青年の母だ。

「いや……なんとなく……」

「ちょっと痩せたかい。ちゃんと食べてるのかい。そうだ、さっき夕飯の支度したんだから、ともかく入んな。」

最初、青年の顔をジロジロ見て心配そうな顔をしたが、一転、笑顔になって玄関に招き入れようと手招きする母。

青年はその仕草を見ると、少し強ばって、身じろぎした。しかし、それでも止めない手招きに足を緩める。

すると、奥の襖が開いて、とうとうしかめ面をした、前頭部の禿げ上がった痩せ男が姿を見せる。緩めた足は硬直する。男は青年を見るなり、顔をさらに強ばらせ、青年の母を見る。

「あら、お父さん」

「ちょっくら出かけてくる」

「そう、気をつけてね」

母と父の間で短く飛んだやり取りは青年の頭上を超えた。

目も合わせずに下を向いて、青年の父は青年の横をすり抜け、夜の薄明かりへと進んでいく。

「嬉しそうだったわね」

母は言うと、とっとと上がんなさいと言って台所に向かったようだ。

青年は居間で座布団に座りテレビを見ている。背の低い円卓の周りを座布団が3つ、囲んでいる。それにしても、夕飯の準備が終わっているはずなのに遅いと感じる。退屈そうにテレビを見ながらも、心は紐で締め付けられている。台所からの開き戸が開いて、料理が運ばれてくる。

「ちょっと待たせちゃったわね」

「いんや、ありがとう」

お盆に乗った、一人分の料理を見て、残してはいけないなと思った。

母は青年の右隣に座った。

「それにしても、手紙ぐらいよこしなさいよ。いくら忙しいとはいえ、心配してたのよ。お父さんもああしてるけど、心配で時々寝言でおまえの名前を呼んで、うるさいったらありゃしなかったわよ」

「へえ」

青年にとってその事実は意外だったらしく。物珍しそうに母を見る。母はニヤリと、そうよと言って笑った。肉じゃがに手をつける。温かく、舌にあたり、喉を通って、腹の奥底から熱が伝わるような味をしていた。そして、何だか、胸の奥がこそばゆくなる感触に見舞われて、青年は下を向いた。

仕事の話やら、近所の話やら、生活のことを事細かに次々と聞いたり話したりする母に、料理に話にてんやわんやしながら応える青年。

「それにしても、元気そうでよかったわ、食べ終わったら食器持ってきて、お風呂が沸いてるから入んなさい」

そう言って、台所へ向かう母。

一人居間でご飯を頬張る時に1滴の透明な液体が、白飯の中に染み込んでいった。

実家の久々の風呂に入って、さっぱりした青年が玄関に繋がる廊下に出た時、物音を立てないように静かに帰ってきた風の父と遭遇した。父が顔を上げた瞬間に、青年と目が合って、両者視線を下げる。

「と……都会はあまりいい所じゃないだろう」

「いや、そうでもないよ。悪いところばかりじゃない」

「そ……そうか」

それだけ交わして、父はそそくさと寝室に入っていった。

翌日、早朝に目が覚めて、仕方なく散歩に出る。故郷の匂いというものを感じながら、青年の心は解されていくように都会の緊張は蔭を潜めた。南には山が見える。山の稜線を眩く彩る、早朝の太陽光がまた、古い記憶を呼んだ。よく、父と朝の散歩をした。その時間は、確かに好きだったと青年は思う。

父に話したことや、父から聞いたことが様々な情景と共に思い返されているようで、下を向く青年の顔は緩んでいた。

「もう行っちゃうのかい?」

母は寂しそうに言う。うん、と青年が返した。

「たまには連絡よこすのよ、体に気をつけなさいよ。いい人も見つけなさいね」

これも、うん。

そして、黙りこくって下を向いた、少し母より下がったところの男は、意を決したように、前に進み出て、青年の目を見つめた。

「……しっかりな」

そう言って、後ろに隠していた、紙袋を渡した。

貰っていいのかわからない、と青年は躊躇したが、顎で促す父を見て、手に取った。

ありがとう、と父に礼をした。

帰路につく電車の中で、紙袋を開け中を見ると、立派な黒の箱に包まれた重たそうな時計と、手紙が入っていた。

恐る恐るの手つきで手紙を開けると、「あの時はすまんかった。達者で。またいつでも帰ってこい 父」と書いてあった。

持て余した感情にどう落とし前をつけるのか、腹の底からのうめき声と泣きじゃくる自分を抑えて、手紙でもと思うばかりだった。

続きを読む
話数を選択
CH. 1CH. 2CH. 3
CH. 4
CH. 5
CH. 6
CH. 7
全て
小说の全編を読むならこちら
moboreader
今なら無料で読める!

こちらもおすすめ

家政婦と呼ばれた妻の復讐劇
家政婦と呼ばれた妻の復讐劇
結婚記念日に夫から「家政婦代わり」と冷遇された桃。妹の代理母として利用される衝撃の計画と、過去の誘拐事件の真実を知り復讐を誓う。世界的ホテル王の養母の助けを得て、傲慢な夫を破滅へと追い込む逆転の物語。人気ジャンルのbillionaire(億万長者)と現代ドラマが交錯するromance novel(ロマンス小説)として、裏切りへの報いと再生を描く。
兄の悔恨、炎に消えた妹
兄の悔恨、炎に消えた妹
実の兄、橘蒼甫に放火魔の濡れ衣を着せられ見捨てられた美桜。炎の中で絶命した彼女は、無念を抱えた魂となり兄の行く末を見届け始める。本作は『兄の悔恨、炎に消えた妹』というタイトルのもと、家族の裏切りと凄惨な死の真相に迫る復讐と絶望のmysteryです。冷酷な言葉を最後に遺した兄への憎悪と、過去の火傷に隠された真実が交錯するhorror要素の強いfiction books。孤独な死を遂げた妹の視点で描かれる、現代を舞台にした重厚なmystery storyを今すぐお楽しみください。
離婚したら、元夫が知らなかった私が目を覚ました
離婚したら、元夫が知らなかった私が目を覚ました
「離婚したら、元夫が知らなかった私が目を覚ました」は、冷遇された政略結婚を終えた榛名文祢が、真の姿を現す現代のromance novel。元夫の冷たい言葉で家を出た彼女は、業界を震撼させるカリスマとして華やかな舞台へ返り咲きます。変貌した元妻の輝きに戸惑い、執着を始める前夫。しかし、彼女の隣にはすでに別の男がいた――。新たな道を選んだ女性の逆転劇を描く、今注目のwebnovelです。
今更愛していると言われても、もう手遅れです
今更愛していると言われても、もう手遅れです
結婚5周年、愛人を連れて帰宅した夫は妻を家政婦扱いした。献身を踏みにじられた主人公は、復讐として離婚協議書を巧妙に忍ばせ、傲慢な夫から多額の慰謝料と資産を奪い取る計画を実行する。本作は、都合のいい妻を演じた女性が自由を掴むまでの逆転劇を描く現代のromance novelです。夫の裏切りに対する鮮やかな報復と、自立への道を歩む姿が魅力のweb novel。偽りの結婚生活を終わらせ、新しい人生を切り拓く痛快なストーリーをお楽しみください。
実家を追い出されたら、大物社長と電撃婚しました~兄たちの土下座はもう遅い~
実家を追い出されたら、大物社長と電撃婚しました~兄たちの土下座はもう遅い~
実家で虐げられた葉月綾歌は、偽物の令嬢を優先する家族と縁を切り『実家を追い出されたら、大物社長と電撃婚しました~兄たちの土下座はもう遅い~』の物語が動き出す。家を出た彼女を待っていたのは、大物社長との電撃結婚。才能を隠し持つ彼女の正体が次々と明かされる中、後悔する家族が土下座で懇願しても、もう決して許さない。人気の大富豪が登場する現代のromance novelとして、一途な溺愛と爽快な復讐劇を描く。新たな人生を歩む彼女の運命は、billionaire romance booksの魅力が詰まった一冊。webnovelで最高の逆転劇が幕を開ける。
さようなら、私を家政婦としか見ない旦那様
さようなら、私を家政婦としか見ない旦那様
結婚から6年、家政婦のように扱われてきた妻は、夫から告げられた非情な追放宣言を機に離婚を決意します。『さようなら、私を家政婦としか見ない旦那様』は、自分を取り戻すために家を出た女性の再生を描くmodernなromance novelです。自由を手にした彼女が別の男性の傍で微笑む姿を見た元夫は、執着と嫉妬に狂い始めます。過去を捨てて新たな人生を歩む彼女の選択と、後悔に苛まれる男の運命が交錯する人気のweb novelをお楽しみください。

新作ウェブ小説

MiniShortで大人気

億万長者の叔父から溺愛されました
億万長者の叔父から溺愛されました
彼女は幼い頃に誘拐され、成長してからは浮気男に裏切られた。絶望のどん底にいたその時、突然現れたのは超大金持ちのおじさんたち!「君は大富豪一族の跡取りだ」と告げられ、数百億円の財産が待っている!?
22 世紀から来た才人!
22 世紀から来た才人!
彼女は未来から小説の中に捨てられた後宮の女官になり、子供と一緒に減量し、時空スーパーで陰謀を打ち破り国家を守り、皇帝を拒否して独りで美しく生き、皇帝は位を譲って彼女を追いかける。
先生、僕と結婚してください
先生、僕と結婚してください
ヒロインは夫のDV、アル中、浮気に耐えた末に離婚。高校教師を辞め、無名タレントのマネージャーに転身する。元夫は彼女を貶め続け、過酷な仕事が彼女を追い詰める。 これだけでも人生が狂っているのに、担当するトップスターのルーカスは連日彼女を翻弄し、嘲笑い、苦しめるためだけに無理難題を押し付けてくる。なぜここまで人生は暗転したのか—— しかし、驚愕の事実が!ルーカスは彼女の元教え子だった?!
双子の母親をお嫁さんにしました
双子の母親をお嫁さんにしました
5年前に双子を亡くした早川彩夏は、世界一の富豪・富永翼であることを知った富永拓海との結婚を余儀なくされる。富の前妻真央が家族を取り戻そうとしたとき、富の正体が明らかになり、早川彩夏は彼と離婚する。その後、彩夏が富永翼の子供の母親であることが発覚し、真央の陰謀が暴かれる。結局、二人は幸せに暮らす。
忘れ草~運命の糸を辿って~
忘れ草~運命の糸を辿って~
魚を売って二人の息子を養う母は、腕の傷跡から伝染病だと誤解され、辛い日々を送っていた。幼い頃からアレルギー持ちで母からよりたくさんの愛情を注がれた弟に、兄は嫉妬心を抱く。そんなある日、兄弟喧嘩の最中に、兄はうっかり弟を山から突き落とし、弟はそのまま姿を消す。母は弟が生きていると信じ、何年も行方を追う。18年後、奇跡的に発見された弟は、大企業を率いる社長に成長していた。ところが古家の取り壊しにより再会のチャンスを逃してしまう。一方、兄は幸せな家庭を手にするために、母を捨ててしまう。息子を探す途中で様々な苦しみが待ち受けるが、果たして無事息子と再会出来るのか?
もう奉仕しない
もう奉仕しない
軍医が生まれ変わり、冷淡な結婚生活に陥る。新郎は他人を寵愛し、彼女は戯れに飽き、この迷惑な事から手を引く決心をする!