話 1
太陽が向こうの山陰に姿を消そうとしていた時、時折、がたんと揺れる電車の中で一人の青年が、気難しそうな顔をして静かに座っていた。ゆらゆらと走る電車の中は仕事帰りの人の群れでそれなりに埋まっている。
しかし、この青年にとってはこれくらいの人混みはどうもない。小さく体を畳んで、他人の邪魔にならないようにしている。
電車がカーブに差し掛かり、少し揺れると、青年の方に中年小太りの少し頭の禿げた男がよろめく。
中年男が「おっと、すいません」と頭を下げた。青年も頭を下げる。
そうしていると、電車は速度を緩めながら、するする、がたんとホームに吸い込まれていく。電車が止まり、アナウンスが流れるとドアが開く、青年はそっと立つと、人の間を縫うようにするすると出ていった。
電車とホームの隙間を跨ぎ、ホームに降り立つ。青年はすこし歩くと立ち止まって一旦息を吐いてからゆっくりと、優しくそよぐ風を吸い込んだ。
この青年、実は故郷に帰ってきたのである。およそ3年、青年にとってはそこまで短い月日ではあるまいが、実家に全く頼らず生きてきた。もっと言えば、母からの心配の連絡も一切取らずであった。ある人から言わせれば、親心子知らずのバカ息子である、とは少し言いすぎな気もする。
では、そんなバカ息子がなぜ突然、しかも連絡もなしに帰ってくるのか。それは、仕事仲間のパートのおばさんに「たまには帰って顔でも見せんと、いつ居なくなるかも分かりませんよ」と窘められたからである。
青年の、帰れない、には理由があった。
青年の父は町工場を経営して生計を立てていた。それが災いしてしまうのも人間の不思議なところである。父は小さい頃からしつこく「跡を継ぐんだ」と言ってきた。そして、息子に出来るだけいい状態でバトンを渡せるように、それが実現するように、仕事に精を出して働き、規模は小さいなりに評判も業績もすこぶる良い状態にしていたのである。
しかし、青年はただ跡を継ぐのは潔しとせず、他の会社で武者修行をすることに決めたのである。父はこれに反対し、ついに折り合いつかず激しい口論となった。とうとう、青年は飛び出すように大都会の会社に出ていった次第である。
そんな青年の複雑な感情も、故郷の風は優しくほぐす。青年はホームに取り付けてある椅子にゆっくりと腰を下ろす。少し前かがみになって、少し開いた両膝の上に両肘を置き、じっと唇を締めて暫く地面を見つめていた。
時折、前を向くと、アナウンスが流れる。電車がホームに滑り込む。止まる。また人が降りてくる。乗っていく。電車ががたんと一息吐いて発車する。また下を向く。そんなことを繰り返し見て、すっかり夜になってから、とうとうゆっくりと立ち上がって、ホームの下へ、とぼとぼ歩いていった。
青年の実家は駅から20分程歩いた所にある。まっすぐ伸びた大通りを歩いて、カーブしているところで交差する道に入る。その住宅街に続く道を登ったり降りたりもしながら少し歩く。我々にとっては、何の変哲もない、住宅街の一画でも、坂の多い面倒な道路でも、青年にとっては子どもの頃よく遊んだ場所で、青春時代を過ごした場所である。青年は少し歩いては立ち止まり、立ち止まりしながらまた歩いていく。
そうこうしつつ、だんだんと実家に近づくと、青年の歩調もぎこちなくなる。綺麗にカットした短い髪の毛を気にするそぶりをしながら、どうやら足が重たいらしい。
それでも、歩けば目的地には着く。青年は実家の前に着いてしまった。こじんまりとした家だ。兄弟も居ないので、これくらいの家が丁度いいと、父は古くなったこの家を手放すこともなく、そのままにしていた。
そんなことを青年は思い返しながら、ドアの前で突っ立っていると、玄関に誰かがやって来て中から開き戸を滑らせた。
「まあ……あんた何やってんの」
口に手を当て、信じられない顔をする、白髪混じりの髪にパーマをかけ、小太りで、背の低い女性。そう、青年の母だ。
「いや……なんとなく……」
「ちょっと痩せたかい。ちゃんと食べてるのかい。そうだ、さっき夕飯の支度したんだから、ともかく入んな。」
最初、青年の顔をジロジロ見て心配そうな顔をしたが、一転、笑顔になって玄関に招き入れようと手招きする母。
青年はその仕草を見ると、少し強ばって、身じろぎした。しかし、それでも止めない手招きに足を緩める。
すると、奥の襖が開いて、とうとうしかめ面をした、前頭部の禿げ上がった痩せ男が姿を見せる。緩めた足は硬直する。男は青年を見るなり、顔をさらに強ばらせ、青年の母を見る。
「あら、お父さん」
「ちょっくら出かけてくる」
「そう、気をつけてね」
母と父の間で短く飛んだやり取りは青年の頭上を超えた。
目も合わせずに下を向いて、青年の父は青年の横をすり抜け、夜の薄明かりへと進んでいく。
「嬉しそうだったわね」
母は言うと、とっとと上がんなさいと言って台所に向かったようだ。
青年は居間で座布団に座りテレビを見ている。背の低い円卓の周りを座布団が3つ、囲んでいる。それにしても、夕飯の準備が終わっているはずなのに遅いと感じる。退屈そうにテレビを見ながらも、心は紐で締め付けられている。台所からの開き戸が開いて、料理が運ばれてくる。
「ちょっと待たせちゃったわね」
「いんや、ありがとう」
お盆に乗った、一人分の料理を見て、残してはいけないなと思った。
母は青年の右隣に座った。
「それにしても、手紙ぐらいよこしなさいよ。いくら忙しいとはいえ、心配してたのよ。お父さんもああしてるけど、心配で時々寝言でおまえの名前を呼んで、うるさいったらありゃしなかったわよ」
「へえ」
青年にとってその事実は意外だったらしく。物珍しそうに母を見る。母はニヤリと、そうよと言って笑った。肉じゃがに手をつける。温かく、舌にあたり、喉を通って、腹の奥底から熱が伝わるような味をしていた。そして、何だか、胸の奥がこそばゆくなる感触に見舞われて、青年は下を向いた。
仕事の話やら、近所の話やら、生活のことを事細かに次々と聞いたり話したりする母に、料理に話にてんやわんやしながら応える青年。
「それにしても、元気そうでよかったわ、食べ終わったら食器持ってきて、お風呂が沸いてるから入んなさい」
そう言って、台所へ向かう母。
一人居間でご飯を頬張る時に1滴の透明な液体が、白飯の中に染み込んでいった。
実家の久々の風呂に入って、さっぱりした青年が玄関に繋がる廊下に出た時、物音を立てないように静かに帰ってきた風の父と遭遇した。父が顔を上げた瞬間に、青年と目が合って、両者視線を下げる。
「と……都会はあまりいい所じゃないだろう」
「いや、そうでもないよ。悪いところばかりじゃない」
「そ……そうか」
それだけ交わして、父はそそくさと寝室に入っていった。
翌日、早朝に目が覚めて、仕方なく散歩に出る。故郷の匂いというものを感じながら、青年の心は解されていくように都会の緊張は蔭を潜めた。南には山が見える。山の稜線を眩く彩る、早朝の太陽光がまた、古い記憶を呼んだ。よく、父と朝の散歩をした。その時間は、確かに好きだったと青年は思う。
父に話したことや、父から聞いたことが様々な情景と共に思い返されているようで、下を向く青年の顔は緩んでいた。
「もう行っちゃうのかい?」
母は寂しそうに言う。うん、と青年が返した。
「たまには連絡よこすのよ、体に気をつけなさいよ。いい人も見つけなさいね」
これも、うん。
そして、黙りこくって下を向いた、少し母より下がったところの男は、意を決したように、前に進み出て、青年の目を見つめた。
「……しっかりな」
そう言って、後ろに隠していた、紙袋を渡した。
貰っていいのかわからない、と青年は躊躇したが、顎で促す父を見て、手に取った。
ありがとう、と父に礼をした。
帰路につく電車の中で、紙袋を開け中を見ると、立派な黒の箱に包まれた重たそうな時計と、手紙が入っていた。
恐る恐るの手つきで手紙を開けると、「あの時はすまんかった。達者で。またいつでも帰ってこい 父」と書いてあった。
持て余した感情にどう落とし前をつけるのか、腹の底からのうめき声と泣きじゃくる自分を抑えて、手紙でもと思うばかりだった。
話 2
男の子というものは、元来弱い生きものだと思う。
ある村に茜という女の子がいる。黒髪の二つあるお下げをした子だ。この子はやたら喧嘩が強い。茜に負けた男の子はとうとう母親に助けを求めてしまうが、話を聞き終わると「茜ちゃんは悪くない、あんたが悪い」と叱られてしまうのだった。そういった子達はみんな決まって「茜はずる賢い」というのだが、茜は喧嘩ごと以外は非常に礼儀正しく、両親の手伝いなんかもよくやっていたために、近所の婦人方からの評判がすこぶるよかった。
そして、喧嘩に勝ったとしても、喧嘩をしたことで茜自身がこっぴどく怒られる。決まって、父親からであった。
ある夕暮れ時、勤めの婦人が家に帰る際、たまたま茜の家の軒先を通りかかった。その時、ちらと見えたのが、家の玄関の横にある太い柱に、まるで座禅を組んでいるかのように静かに縄でくくりつけられている茜だった。その話は、家で話題になり、次の日には男達の酒の肴になり、以来、茜が柱にくくりつけられている時は決まって喧嘩があったのだなと近所でも分かってしまうのだった。それで、負けた子達の親も、納得しきってしまっているところもある。
「あんたも括りつけようか」
母親たちは決まって、最後にこう付け足すようになった。すると、大抵の男の子はこの言葉ですごすご引き下がった。
ただ、村で一番強い男の子は別だったようで、 「何でえ、柱なんか」そう言って茜に負けじと柱にくくりつけられる。そうして、特にボス男子と戦った日には、戦いの後の静かな夕暮れと珍妙な光景が見られると村で評判だった。
これは、茜にとってはいささか恥ずかしい話だったが、それでも茜が喧嘩をやめないのには理由があった。茜には6歳下に夕陽という弟がいる。この夕陽、何分、幼い頃から体が弱く、また非常に泣き虫だったためによくいじめられた。
しかし、茜は夕陽が実に可愛かった。弟よと母に見せられたその時から、母親の横に陣取って、夕陽を眺めたり、あやしたりしてずっと面倒を見てきたのだ。その可愛い夕陽が3歳をすぎた頃から、他の男の子にいじめられ始める。遊びに行って泣いて帰って来る度に、激昴を突き抜けて、火の玉となって飛んでいく。仕返しをする。という流れなのだった。
そして、茜曰く、「喧嘩したのはあたしも悪い。しかし、あいつらはもっと悪い」と。
茜が喧嘩して、父親も母親も大変であった。飲み屋に、大男2人が静かに入っていったが、片方の緊張感はあたりの空気も縛るほどのものであった。
「ほんに、すいません」
酒の席で、筋骨隆々の四角い顔の大男が深々頭を下げると、隣の男は酒を置き、急いでかぶりを振る。
「そんな。棟梁、頭をあげてください。子どもの喧嘩やし、それにこちらこそ、ほんに申し訳ない。うちの子がもともと悪いですから、茜ちゃんは親孝行ないい子やないですか」
丸顔の男も急に頭を下げた。茜の父は仰天してかぶりを振る。
「いや、顔をおあげください。しかし、そう仰られましても……かと言って、大事な他所の子をいつもいつも……。あの子のお転婆ぶりには……参った」
少し酒をあおり、また、頭を下げる。日本名物・しし脅しの完成である。
「しかし、茜ちゃんも、生まれた世が世なら天下統一でも目指しとったでしょうな。うちの家内も私も茜ちゃんは大いに好いとりますからな。いやぁ、惜しい……」
そう言って、最初に謝られた方の負けず劣らずの屈強そうな丸顔男は上機嫌で笑う。
茜の父は苦笑して、済まなそうに顔を少し上げた。
「優しい子なんですが……どうもなぁ」
飲み屋の台の上に肘を置いて手を組み、ため息をついた。
「うちの子も、茜ちゃんが柱に縛られとるのに、俺が縛られんかったら、それこそ負けやとか言って、縛られとりますよ。ほんに、茜ちゃん様様やなぁ。あの悪ガキには耐えられませんて今頃、便でも漏らしとりましょ。ほんにいい薬になります」
そう言って、こちらはそれ以上に頭を下げる。
「はぁ……」
棟梁と呼ばれた男の背中はまた、弓なりにしなっていった。
丸顔の男と別れ、茜の父は月の照らす道をほろ酔いでとぼとぼ帰り、家に着く。玄関にたどり着くと、まだ平気そうな顔をして、茜がくくりつけられていた。近づいていって、
「もう良かろ」
と、縄を外そうとすると、
「父ちゃん、ごめん」と、頭を下げる。
「うむ」
そう言って、茜は縄から解放されると少しずつ体を解しながらゆっくり立ち上がり、大きく背伸びをする。
父親はその姿を見て、また一段と深くため息をついた。
その日、茜と夕陽の寝静まった頃、父親はちゃぶ台で酒を飲みながら、母親を誘った。
「珍しいわね」と言いながら、子供を産んでから、いっそう丸々とした、丸顔の女性は、自分の分のお猪口を持ってやってくる。
「まあ、座ってくれ……。ふぅむ。あ、済まない、そら」
右手に徳利を持っているのを忘れていたらしく女性のお猪口に注いでやる。
女性はありがとうと言って、クイッと飲干すと、悪くない酒だね、酒屋さんの言う通りだと笑った。
話 3
「茜には困ったものだ」
台所で、息をひそめるようにしてポツンと茜の父は一滴の酒をこぼした。酒は音もなくちゃぶ台にぴろんと少し揺れて乗った。
茜の母はそれをじっと眺めていたようで、それから自らのおちょこで酒を少しあおっていた。実は、この母はかなり飲める。かつて、茜の父が男の威厳を見せようと飲ませたところ、逆に潰されてしまった過去があって、それが見事に脳裏に蘇ってきた。その時は、翌朝気づくと、前日開けた一升瓶はその日のうちに消えてしまって、次の日、からの一升瓶が二本、丁寧に台所の脇に置かれていた。
「あんまり、飲みすぎるなよ」
酒の酔いが少し引いて、顔に緊張が走った。茜の母はただ、にやりとした。
「大丈夫よ、今日はほどほどにするわ」
そう言って茜の母は残りの酒を飲み干すと、これじゃだめだと席を立って、枡と一升瓶を持ってきた。勝手にしてくれ、と視線を外して隅を見る。母に肩をパシッと叩かれて、視線を合わせる。茜の父はあきれ顔だったが、結局、満面の笑顔にほだされ、お互いににやりとした。
「茜が最近やたらと喧嘩しているよな。あいつのことが心配なんだよ。この先男の子は力をどんどんつけていく。茜はどうしたって女の子なんだから…」
酒をあおって、どうしたものか、とつぶやいた。そして、茜の母が、はい、と徳利から酒を注ぐと、もう一度あおって、
「それに。それに、あの子はどんな罰も効き目がない。かといって、これ以上の罰は与えたくない。大事な、大事な我が娘だぞ…」
次第に、声が大きくなっていったので、どうどう、と諌められ我に返って、すまない、という。
「相手の子も,
大事なお子さんだ。喧嘩両成敗とは言うもののな」
気づけば茜の母は枡の酒を飲みほして、二杯目を注ぐ最中だった。
「大丈夫よ、茜は。私の娘だから」
と、根拠もなくただそう言った。
「喧嘩の原因は知ってるわよね」
注ぎ終わって、視線をこちらに向けると茜の母は枡を口に持っていって話す。
「夕陽のことだな」
「そうよ。あの子が怒るのはいつも夕陽のことでよ」
「夕陽にはすまないことをしたなあ。俺も昔は体が弱かった。要らんところを似せてしまった」
「でも、あなたはとても頑健になったじゃない。あの子も大丈夫よ」
「確かにそうだがな」
と、いつの間にか注がれていた酒を、少しなめて、これはいかんと茜の父は思った。この女のペースに合わせていたら、たとえお猪口であっても危ないと咄嗟に判断し、手を緩めたのだった。
「夕陽を少し鍛えてみるか…」
お猪口に残る酒をなめるように飲み干すと、隣で二杯目の枡を上機嫌で飲み干す女性に苦い笑みを送った。
「そうね、あんまり無理させないでね」
この夫婦はこの時廊下から、かた、と物音が聞こえたのを知らない。
翌朝、寝床で差し込む光に眩しい思いで茜の父親が目覚めた時、庭から棒の打ちつける音とともにえいやという声が響くのが聞こえた。
何事かと思い、飛び起きて、着物を直しながら庭に出てみると、棒を持った茜に向かって夕陽が同じくらいの長さの棒を打ちこんでいるのを見つけた。
棒は茜にはちょうどいい長さだが、夕陽にはちょっと長すぎる。えいや、という声はまだあどけなく弱弱しく、茜は、
「腹から声を出すんだ」と息まきながら、時折、打ちこまれる棒をはじいては、握りが甘いだの、もっと強く打ちこめだのと言っている。
茜の父は、急に頭から血の気が引いたのを感じ、縁側によろめきつつ座りこんだ。
頭に手を当て、とにかくこの状況が何なのか整理したくて、
「茜」と鋭い声を飛ばす。
「はい!」と元気な声が聞こえ、茜が駆け寄ってくる。表情はとても凛々しく、清々しい。ともかく、何をしているのか問いたださねばと、
「何をしているのか」
と、静かに低く尋ねた。その声に動じず、茜は居住まいを正し、より真剣な表情になって応える。
「昨日、僭越ながら父上と母上のお話をお聞きし、夕陽を鍛えるのを私めがやらせていただこうと思ったのであります」
父親はその言葉に面喰って、まだ子どもと思っていたのに、何という言葉の回し方だろうかと思い、しかし、父の威厳も保たねばとも思って、
「それはお前が勝手に思ったことで私は聞いていない。おまえに頼んだ覚えもない。何でもかんでもこういうことは順序を守らねばならない。分かるか」と聞き返した。
茜は平身低頭して、「ごめんなさい」といった。
「では父上、お許しください」とも言った。
「夕陽はまだ年端もいかない。体も弱い。力もない。お前とは違うのだ。父の言葉が分かるか」
「夕陽に合わせろということですか」
「そうだ」
茜はムッとした。
「父上、鍛えるということは、相手に合わせることはできません。ちがいますか」
違う、と、厳として言う父に、茜がたじろぐ。茜が初めて困惑を浮かべた。
「鍛えるということは、けして無理を促すことではない。夕陽にあの棒は長すぎる。鍛えるということは、相手の少し先を行くことで、導くということだ」
そういうと、茜は至極納得した様子で、分かりました、と一礼した。
「そこまで言うならお前に任せる。けして無理はさせるなよ」と父が言うと、茜はすこぶる喜んで、夕陽の元へ戻っていった。
ため息の好きな男である。茜の父親はここでもまた一つ、ため息を吐いた。
それからというもの、茜はどこに行くにも夕陽を伴った。
今日はあの山へいった、川へ行った、剣術をした、相撲をしたと来る日も来る日も報告をした。茜が夕陽を伴っているせいでいじめっ子も手を出せないらしく、茜の喧嘩騒ぎもほとんどなくなっていた。
時々、父親も心配で共に行動するのだが、茜の行動力や剣術の技量に感嘆し、だんだんと夕陽も体力がついてきたことを実感した。
そんなある日、茜が体調を崩して高熱を出し、寝込んでしまった。村の医者は薬を持たせ、近頃の夕陽の訓練の気疲れなどからくるものなのだろうといった。
「大丈夫じゃ、茜ちゃんは体力もあるし、すぐに良くなるじゃろう」
そう言って、医者はかかか、と笑った。
しかし、帰る間際にそっと茜の父親を呼びつけて、
「だけれども、念のため、夕方もう一度様子を見に来るわ。大丈夫じゃろうがな。心配は移るでな。看病する側が元気なのが大事じゃわい」
そう、静かに、目を厳しくして言い残していった。
寝床で、濡れたタオルを額に当てられ、母に甲斐甲斐しく世話をされながら、寝言は「夕陽、夕陽、そうじゃない、こうだ」と言っている。
母は「よくもまあ、こんなになっても」と笑っている。
その夜更け、茜の様子を見に来た父は、枕元に夕陽が正座しているのにびっくりして、寝床のふすまを必要以上に開け、夕陽、と声をあげた。夕陽はゆっくりこちらを見て、おとう、と漏らす。
「ずっといたのか」
「うん、姉上が、夕陽、夕陽と言っていると、母上が。本当に言ってるよ」
「茜の具合はどうだ」
「もういいだろうって、お医者様が」
そう聞くと、茜の安定した寝息が聞こえてくるのが分かり、どこまでも、人騒がせなお姉さんだな、と父は安堵を漏らした。それを聞いて、夕陽がくすくすと笑った。
父は夕陽を連れ出して、縁側へ行くと、自ら腰掛けて、隣を促した。
縁側からは月が見えた。細く、薄くたなびく雲が月にかかったり、離れていったりしながら、揺れている。
「夕陽は姉ちゃんが好きか」
月を見ながら、父が尋ねた。
「うん。厳しいけど」
「そうか」とポツンと父が返す。
「夕陽、体の弱いの、ごめんな」
そう言いながら、父は月から目が離せなかった。
「姉ちゃんがずっと、男が泣くのは情けないって言ってた」と、夕陽は言う。
「夕陽は男が泣くのは情けないと思うか」
「うん……。でも」
「それでも泣いちゃうんだ」
「父ちゃんも……姉ちゃん、無事でよかったな」
「うん」