話 2
重厚なマホガニーの扉が呻くように開き、真空に足を踏み入れたかのような緊張感に満ちた空間が現れた。社長室の空気はただ静かなだけでなく、息が詰まりそうだった。
翔一は広々としたデスクの向こうに座り、目の前の書類に視線を落としていた。顔を上げようともしない。
2年ぶりだった。彼は痩せていた。顔立ちはより鋭くなり、氷と怨恨で彫刻されたかのようだった。それでも、その横顔――力強い顎のライン、眉のカーブ――は、私の記憶に刻み込まれた彼そのものだった。
だが、かつて私を見るたびにその瞳に溢れていた温もりは? 消えていた。跡形もなく。
「用件を言え」
彼の声は刃物だった――冷たく、正確で、感情がない。私の体は反射的に強張った。
「書類を……届けに来ました」
恐る恐る一歩踏み出した時、視界の隅で何かが動いた。彼の隣の革張りのソファに優雅に腰掛けていた冴子が体勢を変えたのだ。勝利の悪意に満ちた冷笑が、彼女の唇に浮かんでいた。
「あら美咲? まだいたの?」彼女は軽く、小馬鹿にしたように笑った。「さっき投げ与えてあげたお金じゃ、懐の穴は埋まらなかったのかしら?」
翔一の手が止まった。
ゆっくりと、苦痛を伴うように顔を上げる。ようやく彼の目が私と合った時、そこには再会の喜びなどなく、ただ深く、焼け付くような軽蔑だけがあった。
「金のために戻ってきたのか?」彼の声はオクターブ低くなり、危険な響きを帯びた。「お前は少しも変わっていないな」
「いいえ、違います。私はただ――」
「言い訳は聞きたくない」
彼は私の言葉を遮り、まるで私が壁の染みででもあるかのように書類に意識を戻した。ここには私の居場所はない。それは分かっていた。この部屋の空気は私にとって毒だった。
ただ書類を置いて。ただ立ち去ればいい。
デスクに手を伸ばそうとした、その時だった。
「きゃっ!」
短く鋭い悲鳴が静寂を切り裂いた。計算された不器用さで、冴子の手がテーブルの上のクリスタルグラスを弾き飛ばしたのだ。
水が彼女のスカートにかかる。グラスがカーペットに鈍い音を立てて落ちた。
「熱い! 何するのよ!?」
冴子は弾かれたように立ち上がり、私の胸を指差して非難した。その演技は完璧だった――オスカー賞ものだ。震える唇、目に滲む涙。まるで私が水をかけたかのようだった。
「冴子!」
翔一は一瞬で椅子から立ち上がり、彼女の元へ駆け寄った。「怪我はないか?」
「い、いいえ……大丈夫よ」彼女は言葉を詰まらせ、彼の腕にしがみつき、その肩に顔を埋めた。「でも美咲が……急に……」
彼の肩越しに、彼女の涙ぐんだ目が私を捉えた。口角が微かに吊り上がる。デザイナーズブランドを纏った悪魔。
「貴様……」
翔一が振り返り、私を睨みつけた。その顔は怒りで歪んでいた。
「誤解です、私は何も――」
バシッ!
翔一はデスクの上の分厚いファイルを掴み、私に投げつけた。白とベージュの塊が視界をかすめ、硬い角が頬骨を直撃した。
鋭く刺すような痛みが走り、すぐに温かいものが肌を伝う感覚があった。血だ。
だが、頬の痛みなど、心が引き裂かれる感覚に比べれば何でもなかった。
「出て行け!」翔一の怒号が部屋を揺らした。
「2年前と同じだ。俺が失明した時、お前は自分のことしか考えなかった。逃げ出したんだ」
「翔一、お願い、聞いて……」
「俺の名を呼ぶな!」
彼は冴子を引き寄せ、彼女を庇い、私を完全に拒絶した。「俺が地獄にいた時、そばにいてくれたのは冴子だ。お前とは違う」
彼の言葉は最後の一撃となり、私に残された希望の欠片を打ち砕いた。
2年前。事故が彼の光を奪った日。
その同じ日に、私もまた死刑宣告を受けていたのだ。
肉体の死ではない、心の死を。記憶がゆっくりと、残酷に消去されていくという診断。私は彼を忘れ、自分自身さえ忘れる運命にあった。
重荷になりたくなかった。暗闇の中で足掻く彼に、私が消えていく様を見せたくなかった。だから私は姿を消した。彼が自由になれるように、私を憎ませたのだ。それが私の愛だった。
そして今、その愛が私を殺している。
「痛い……翔一、怖いの」冴子は泣き言を言い、演技を続けた。
翔一は彼女の背中を撫で、何年も聞いていなかった優しい囁き声を出した。「大丈夫だ。俺がいる。俺が守るから」
それは私の過去から盗まれた光景だった。
かつて彼が私にしてくれたことだ。膝を擦りむいた時、両親が死んだ時……彼は私の光だった。私のヒーローだった。
今、彼は私の処刑人だ。
「冴子には二度と近づくな」冷たい瞳で私を貫きながら、彼は言った。「次はないぞ」
震える手を上げ、頬の血を拭った。自分を守る力はもう残っていなかった。彼は彼女を信じた。彼女を選んだのだ。
私が守りたかった笑顔……それはもう私のものではなかった。
ゆっくりと、私は頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした」
その言葉は、棺にかけられる土のように唇からこぼれ落ちた――私たちの愛の墓標に捧げる、最後の言葉として。
話 3
社長室の空気は重く淀み、息苦しいほどの緊張感に満ちていた。
私は部屋の中央に立たされ、判決を待つ罪人のように二人を見上げさせられていた。
翔一は革のソファに深く腰掛け、その隣には新しいグラスを手にした冴子がぴったりと寄り添っている。
力関係は明白だった。
彼らは支配者であり、私はただの侵入者。汚点に過ぎない。
「謝れ」
翔一の声は低く、絶対的な命令として響いた。
「土下座しろ。床に額を擦り付けて、誠心誠意、冴子に許しを請え」
私は自分の耳を疑った。
土下座?
何のために?
私はただ書類を持ってきただけで、水をこぼしたのは彼女自身なのに。
「……私は、何もしていません」蚊の鳴くような声で囁いた。
「まだ嘘をつくの?」冴子は冷たく、乾いた音を立てて笑った。「翔一、見て? 彼女、全然反省してないわ」
「聞こえなかったのか、美咲?」翔一が私を睨みつける。
「お前がやったかどうかはどうでもいい。冴子が不快な思いをした。それが全てだ」
真実は無関係だった。
彼にとって価値があるのは、冴子の機嫌を損ねないことだけ。あるいは、かつての恋人を踏みにじることに歪んだ優越感を見出しているのかもしれない。
「謝らないなら、今すぐ荷物をまとめて会社を出て行け。退職金など一銭も期待するなよ」
それは死刑宣告だった。
貯金はない。新しい仕事を探す気力もない。保険もなく、給料もなければ、医療費の支払いに押しつぶされる。私はただ野垂れ死ぬだけだ。
鉄の味がするほど唇を噛み締めた。
プライド?
死にゆく者にプライドなどという贅沢は許されない。それは生き残るための障害でしかない。
私は膝を折った。
冷たい床の感触が服を通して肌に伝わり、身震いする。あの事故で両親が死んだ日、親戚に頭を下げて助けを求めた日のことを思い出した。
全く同じだ。
世界はいつだって弱者に残酷だ。
「……申し訳ありませんでした」額を床に押し付け、震える声で言った。
「聞こえないわ」冴子がクスクスと笑う。「もっと大きな声で言えないの? 心を込めて」
鋭く息を吸い込んだ。肺が痛み、喉が塞がったように感じる。
「冴子様! 不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
叫んだ瞬間、頭上から冷たいものが降り注いだ。
バシャッ!
水だ。
冴子がグラスの中身を私の頭にぶちまけたのだ。
氷のような滴が髪を伝い、顔を濡らし、床に滴り落ちる。
「あら、ごめんなさい。手が滑っちゃった」
謝罪の色など微塵もない声だった。
顔を上げることができない。私は濡れて、惨めで、哀れだった。
翔一はどうしているだろう?
恐怖に駆られ、ゆっくりと視線を上げた。彼はただ私を見下ろしていた。表情は凍りついたままだ。
彼は止めなかった。
怒りもしなかった。
道端の小石に向けるような無関心さで私を見ていた。そしてその目は、何よりも私を傷つけた。
彼はこれを容認しているのだ。
この屈辱を。この暴力を。
「翔一、行きましょう。服が汚れちゃうわ」冴子が甘ったるい声で言った。
翔一は頷いた。「ああ。行こう」
二人は立ち上がり、床に蹲る私を残してドアへと向かった。
翔一の背中が遠ざかっていく。
かつて、その広い背中は私を守る盾だった。
今、それは拒絶の壁でしかなかった。
「……片付けておけ」
去り際に投げ捨てられた言葉が、私の心に止めを刺した。
ドアが閉まる音が銃声のように響く。
部屋に静寂が戻った。私は一人、濡れた服で震えながら残された。
涙は出なかった。
心が痛みを処理する機能を停止してしまったのかもしれない。
機械的に立ち上がり、ハンカチで床を拭き始めた。
これが私の現実。
これが私の選んだ道。
彼を愛した代償がこれなら、受け入れるしかない。
だが、一つだけ確かなことがあった。
そこに立っている女はただの抜け殻だ。
私の魂は、冷たい床に滴り落ちる水と共に洗い流されてしまったのだ。