2

松本莉泉 POV:

勇夫の声に, 私は一瞬眉をひそめた.

どこまで聞かれたのか.

だが, もうどうでもいい.

この決断を下した以上, 彼に隠す必要などない.

むしろ, きちんと話すべきだ.

私は表情を整え, 口を開こうとした.

しかし, その瞬間, 勇夫のスマートフォンがけたたましく鳴り響いた.

それは, 彼がいかに私を気にかけていないかの象徴だった.

「すまない, 優からだ」

勇夫はそう言って, 私に背を向け, リビングへと戻っていった.

私の言葉は, 宙に浮いたまま消えた.

もう, 何も言う必要はない.

これでいい.

勇夫は電話を終えると, 何か急用ができたのか, 慌ただしく家を出ていった.

私は静かに, スマートフォンで新幹線と飛行機のチケットを手配した.

真実には, 結婚すること, そしてここを離れることを簡潔に伝えた.

彼女は驚きながらも, 私の決断を支持してくれた.

翌日, 真実が突然アパートにやってきた.

玄関を開けると, 大きなトランクを抱えた彼女が立っていた.

「莉泉, 本当に大丈夫なの? 」

真実は私を抱きしめた.

その腕の中に, 久しぶりに温かい感情が宿る.

「急すぎるわよ, 結婚だなんて. しかも菊池樹以さんって, あの菊池デザインファームの社長でしょ? 勇夫は何も言ってなかったけど…」

真実は心配そうに尋ねた.

私は, 真実がどれだけ私を心配しているかを知っていた.

彼女だけが, 勇夫の本性を見抜き, 私に忠告し続けてくれた唯一の存在だ.

勇夫と私が付き合い始めた頃, 真実は当初, 私の幸せを願ってくれた.

だが, 彼は変わってしまった.

いや, 元々そういう人間だったのかもしれない.

私は微笑みを浮かべた.

「勇夫じゃないわ. 別の人と結婚するの」

真実の顔が, 驚愕に染まる.

「え? 別の人って…」

「疲れたの. 彼といると, 心がすり減るだけだったから. 環境を変えたかったの」

私は正直に打ち明けた.

嘘偽りのない, 私の本心だった.

真実は私の言葉を聞くと, それ以上は何も聞かず, 黙って私の荷物をまとめ始めた.

「とりあえず, 私の家に来なさい. こんなところにいたら, また変な奴らが来るわ」

真実はそう言って, 私を自分の家に誘ってくれた.

私は頷いた.

もう, このアパートに留まる理由はない.

私は真実に連れられ, アパートを出た.

エレベーターに乗り込むと, ちょうど下から上がってきたエレベーターが止まった.

ドアが開くと, そこにいたのは, 勇夫と優だった.

優は, 勇夫の腕にぴったりと寄り添い, 甘えた声を出している.

「勇夫さん, 私, ちょっと気分が悪いから, 今日は早く帰って休みたいわ」

優は, 私を見るなり, わざとらしく勇夫に寄りかかった.

勇夫は, 優の頭を優しく撫でた.

「分かったよ. 無理するな」

その優しい声は, かつて私に向けられていたものだ.

私が体調を崩した時, 勇夫はいつもそうやって私を気遣ってくれた.

私が夜遅くまでデザイン案を練っている時, 彼は温かい飲み物を持ってきてくれた.

私が胃を壊して苦しんでいた時, 彼は私の背中をさすってくれた.

だが, 今, 彼の目は優しか見ていない.

彼にとって, 私はもう過去の存在だ.

彼の優しさは, すべて優に向けられている.

私は顔を伏せ, 二人の視線から逃れようとした.

「莉泉? 」

勇夫の声が, 私を呼び止めた.

私は振り返りたくなかった.

だが, 真実が私を押し出すように, 勇夫の前に立ちはだかった.

「お前, なぜここにいるんだ? 優が体調悪いんだ. 邪魔だ, さっさとどこかに行け」

勇夫は, 私を睨みつけ, 優を指差しながら言った.

私は頷きかけた.

これで, 完全に彼と縁を切れる.

そう思った瞬間, 真実が私の手を握り, 勇夫の言葉を遮った.

「邪魔なのはそっちだろ? 莉泉は今日から私の家に住むんだ. お前には関係ない! 」

真実の声は, 怒りに震えていた.

勇夫は, 真実の出現に驚いたようで, 一瞬たじろいだ.

「ま, 真実さん? いえ, これは誤解で…」

勇夫は狼狽し, しどろもどろになっている.

真実は冷たい目で勇夫を見つめた.

「誤解? 何が誤解だって言うんだい. 私はあんたが莉泉にしたこと, 全部知ってるんだからね」

真実は勇夫と優を押しのけ, 私をエレベーターに乗せた.

勇夫は何か言いたげだったが, 真実の剣幕に押され, 何も言えずにいた.

エレベーターのドアがゆっくりと閉まり, 二人の姿は視界から消えた.

真実の家に到着すると, 私は全身の力が抜けるのを感じた.

真実は何も言わず, 温かいお茶を淹れてくれた.

そして, 夕食の準備を始めた.

その温かさに, 私の凍てついた心が少しずつ溶けていくのが分かった.

久しぶりに, 安堵感に包まれた.

その夜, 私は真実の隣で, 久々にぐっすりと眠ることができた.

だが, 深夜, スマートフォンの通知音が鳴り響いた.

それは, 優からのメッセージだった.

「莉泉さん, 勇夫さんと私, とっても幸せよ」

メッセージには, 優が私の服を着て, 勇夫と親密そうにしている写真が添付されていた.

それは, 私が勇夫のためにデザインした, 世界に一つだけのパジャマだった.

「勇夫さん, あなたのことなんて, とっくに忘れちゃったみたい」

優の言葉は, 以前なら私の心を深く傷つけたはずだ.

だが, 今の私には, まるで他人事のように感じられた.

ただ, 下らない.

それだけだ.

私はメッセージを読み終えると, 淡々と返信した.

「そう. どうぞご自由に」

そして, スマートフォンをサイレントモードに設定し, 枕元に置いた.

もう, 何も私を傷つけることはできない.

私の心は, 完全に空っぽになっていた.

3

松本莉泉 POV:

翌日, 私は事務所に出社し, 辞職届を提出した.

午前中は, 淡々と引き継ぎ作業をこなした.

私の手から, これまで心血を注いできたプロジェクトが離れていく.

だが, もう何の感情も湧き上がらない.

休憩時間, 給湯室でコーヒーを淹れていると, ふと近くのデスクから聞こえてくる会話が耳に入った.

それは, 同僚たちのチャットルームの通知音だった.

画面を覗き込むつもりはなかったが, 目に飛び込んできた文字に, 私は思わず息を飲んだ.

「篠原さんと高塚さん, やっぱりお似合いだよね」

「莉泉さん, 可哀想だけど, 高塚さんには敵わないよ」

「うんうん, なんか莉泉さんって, ずっと篠原さんのこと追いかけてた感じだったし」

「結局, 篠原さんにとって, 莉泉さんはただの便利な人だったってことだよね」

「高塚さんみたいなお金持ちのお嬢様と結婚できるなんて, 篠原さんも運がいいわ」

熱湯がカップから溢れ, 私の指に落ちた.

熱い.

だが, その痛みよりも, 心に広がる冷たさの方が, ずっと強かった.

私は勇夫と十五年もの間, 共に歩んできた.

無名の事務所を, 業界の注目株にまで押し上げた.

寝食を忘れ, 彼の夢のために尽くした.

だが, 周りの人間には, そんな私の努力も, 愛情も, 見えていなかった.

彼らは私を, ただ「篠原さんにすがりつく, 気の毒な女」としか見ていなかったのだ.

勇夫はいつも, 「俺たちの関係は, 仕事に影響が出ないように, 公にはしないでおこう」と言っていた.

私はそれを, 彼の優しさだと信じていた.

だが, 高塚優が現れてから, 彼は手のひらを返したように, 優との関係を公にした.

優がSNSに投稿する私たち二人の写真にも, 勇夫は笑顔で写っていた.

公での振る舞いは, 以前とは比べ物にならないほど堂々としていた.

ああ, そうか.

勇夫は, 一度たりとも私を愛してなどいなかったのだ.

私がどれだけ尽くしても, どれだけ努力しても, 彼の心は動かなかった.

私はただ, 彼の成功のための道具でしかなかった.

その事実に, 私は今更ながら気づいた.

私はスマートフォンを開いた.

優のSNSアカウント.

そこに投稿されているのは, まばゆいばかりのエンゲージリングの写真と, 勇夫と優が抱き合っている写真だった.

「勇夫さんからのサプライズプロポーズ! 最高の誕生日プレゼントだわ! 」

優の文章は, 幸せをこれでもかとばかりにアピールしていた.

私は, そのエンゲージリングのデザインに目を奪われた.

それは, 私が勇夫の誕生日プレゼントとして, 数ヶ月かけてデザインし, 制作した指輪だった.

限定版の香水と, この指輪.

勇夫は, 私からのプレゼントを, そのまま優に横流ししたのだ.

自分の才能が, こんな形で利用されるとは.

私は, ただただ呆然とした.

勇夫は, 優の投稿をリツイートし, 「最高のパートナーと巡り会えた」というコメントを添えていた.

その投稿には, すでに何百件もの「おめでとう」のコメントが寄せられている.

私は, 無感情な指で, その投稿に「いいね」を押した.

その瞬間のことだった.

私のスマートフォンが, けたたましく鳴り響いた.

勇夫からの電話だった.

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元カレが跪く時私は笑う

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