2

- 坂東雅穂 POV:

リュウノスケは最近, 異常なほど忙しかった.

朝は早くから出かけ, 夜は私が眠りにつく頃に帰ってくる.

彼の生活は, 私とは完全に別々のものになっていた.

私の誕生日のことも, 彼は忘れていた.

以前の私なら, きっと悲しみに暮れただろう.

でも, 今の私には, もうどうでもいいことだった.

心が, すっかり麻痺してしまっていた.

その代わりに, 彼は珍しい限定品のワインを私に差し出した.

「ほら, これ. お詫びだよ. 」彼はそう言って, 気まずそうに笑った.

その笑顔は, まるで義務を果たしたかのように見えた.

私は, ただ無言でそれを受け取った.

「来週, 旅行に行こう. 君がずっと行きたがっていた温泉旅館を予約したんだ. 」彼は, どこか得意げに言った.

私は, 少し迷ってから, 彼からの誘いを受け入れた.

もしかしたら, まだ間に合うかもしれない.

そんな淡い期待が, 心の片隅に宿っていた.

だが, 旅行当日の朝, リュウノスケは現れなかった.

いくら待っても, 彼の姿は見えない.

私の手元には, 旅行会社のバウチャーだけが残された.

私の心は, 期待から絶望へと突き落とされた.

スマホを開くと, ユイハのSNSが目に飛び込んできた.

「坂口先輩と温泉旅行! サプライズで予約してくれたみたい! 素敵な露天風呂付きのお部屋(´▽`)」

写真には, リュウノスケの車が写っていた.

彼の腕には, 私に贈られたはずの, あの限定ワイン.

私の息が止まった.

ユイハの言葉が耳元でこだまする.

「まほさんは, もうおばさんだからね. 坂口先輩も, 若い女の子の方がいいに決まってる. 」

「それに, まほさんは, もうリュウノスケ先輩を必要としてないんでしょう? 」

私の愚かさに, 吐き気がした.

雨が降り出した.

外は土砂降り.

私は, ぼんやりと雨を見つめていた.

かつて, リュウノスケが私を庇って雨に濡れたことがあった.

あの時, 彼は私のために, 自分の身を挺してくれた.

彼の優しさに, 私は何度も救われた.

彼の温かさに, 私は何度でも恋をした.

でも, もう違う.

今, 彼の腕の中にいるのは, 私ではない.

私を庇う彼の腕は, もう, 私の方には向いていない.

私は, 彼の背中を見送った.

私の心は, 冷たい雨に打たれているようだった.

体中の血液が, 凍りついていくのを感じた.

その時, 母からメッセージが届いた.

「まほ, 来月の上旬に結婚式の日取りが決まったわよ. 」

私は, ただ, 「分かった」と短く返信した.

外は, 大雨で交通機関が完全に麻痺していた.

都市は, まるで混沌の中に沈んでいるかのようだった.

リュウノスケから電話がかかってきた.

「まほ, 今どこにいるんだ? 大丈夫か? 」

彼の声には, 僅かな焦りが含まれていた.

「駅よ. 」私は, 平静を装って答えた.

「電車が止まって身動きが取れないわ. 」

「分かった. すぐ迎えに行く. 」彼はそう言って, 電話を切った.

私は, 心の奥底で冷笑した.

彼は, 決して来ない.

またユイハのSNS更新通知.

「坂口先輩が作ってくれた, あったかい生姜焼き定食! 疲れた体に染み渡る~(´▽`)」

写真には, リュウノスケが作ったであろう, 湯気の立つ生姜焼き定食が写っていた.

私は, 無言でスマホの画面を閉じた.

結局, リュウノスケは迎えに来なかった.

私は, ずぶ濡れになって家に帰り着いた.

熱が出ていた.

体中が, 鉛のように重かった.

リュウノスケに風邪をうつさないように, 私は客間に移動した.

一人, 冷たいベッドの中で, 私は震えていた.

翌日, 珍しくリュウノスケが仕事を休んで, 私の看病をしてくれた.

彼は, 私のお粥を作ってくれた.

額に冷たいタオルを置いてくれた.

彼の優しさは, かつての彼のそれと同じように見えた.

けれど, 私の心は, もう何も感じなかった.

彼のそばにいることが, むしろ苦痛だった.

「もう大丈夫よ. 仕事に行って. 」私は, 彼にそう言った.

私の声は, ひどくかすれていた.

「でも, まだ熱があるだろう? 」リュウノスケは, 困惑した顔で私を見た.

「無理しなくていいんだぞ. 」

私は, 薄く笑った.

「もう, 大人だからね. 大丈夫よ. 」

私の心は, もう彼の言葉に動かされることはなかった.

「分かった. 何かあったら, すぐに連絡してくれ. 」彼は, 心配そうな顔で私を見つめた.

私の顔に, 無理やり笑顔を貼り付けた.

「ええ, もちろん. 」

私は, 早く彼に出て行って欲しかった.

リュウノスケは, 何か異常を感じているようだったが, その理由を理解できないようだった.

彼は深くため息をつきながら, 部屋を出て行った.

「無理するなよ. 」彼の声が, 背後から聞こえた.

私は, ようやく一人になれたことに安堵し, 深い眠りに落ちた.

翌朝, 目が覚めると, 熱はすっかり引いていた.

スマホには, 母からのメッセージが届いていた.

「まほ, ウェディングドレスのカタログを送ったわよ. 気に入ったのがあったら教えてね. 」

私は, 送られてきたドレスの写真を一枚一枚, ゆっくりと眺めた.

純白のドレスは, どれも美しかった.

私の心は, 少しだけ揺れた.

新しい人生が, 本当に始まるのだ.

その時, 部屋のドアが, ノックもなしに勢いよく開いた.

リュウノスケが, 血相を変えて部屋に飛び込んできた.

「まほ, 何を隠しているんだ! ? 」彼はそう叫び, 私の手からスマホを奪い取った.

彼の目は, ドレスの写真に釘付けになった.

「これは, 一体どういうことだ! ? 」彼の声が, 部屋に響き渡る.

私の心臓が, ドクンと大きく跳ねた.

私は, 彼に真実を告げるべきか, 一瞬迷った.

しかし, 彼の顔を見た瞬間, その迷いは消え去った.

「まさか, 君, 僕に結婚を迫っているのか! ? 」リュウノスケは, 顔を真っ赤にして私を睨みつけた.

「そんなことをして, 恥ずかしいと思わないのか! ? 」

彼の言葉は, 私の心を深く傷つけた.

3

- 坂東雅穂 POV:

「違うわ, リュウノスケ. 誤解よ. 」私は, か細い声で説明しようとした.

しかし, 彼は私の言葉を遮った.

「誤解? 見るからにそうじゃないか! 僕には他にも大事なことがあるんだ! これ以上, 僕の気持ちを無駄にするな! 」

彼の顔は怒りで歪んでいた.

彼はそう言い放つと, 乱暴にドアを閉めて出て行った.

ドアが閉まる大きな音が, 静まり返った部屋に響き渡った.

私は一人, その場に取り残された.

部屋の中は, 深海の底のように静まり返っていた.

ふと, 自嘲気味に笑みがこぼれた.

彼は, 本当に私の気持ちを少しでも考えてくれたことがあったのだろうか.

彼は本当に, 私を愛していたのだろうか.

いや, もう, そんなことを考える意味もない.

私は, もう感情の整理に慣れてしまっていた.

私は, 再びスマホを手に取り, 結婚式の準備に関するメッセージを確認した.

その時, リュウノスケのSNSに, 珍しく更新があったことに気づいた.

彼のページには, ユイハと彼の名前が並んだ, 結婚式の招待状がアップされていた.

私の手から, スマホが滑り落ちそうになった.

けれど, 次の瞬間, その投稿はすぐに削除された.

私が息を飲む間もなく, ユイハが同じ内容の投稿を再アップした.

「坂口先輩と私, 結婚します! 皆さま, 温かいご声援をよろしくお願いします(´▽`)」

私の心臓は, 何も感じなかった.

その直後, リュウノスケから電話がかかってきた.

私は, 着信画面をただ見つめていた.

もう, 彼と話すことはない.

私は, そのまま着信を無視した.

私の心は, 本当に平静だった.

むしろ, こんなに冷静でいられる自分に, 驚きすら感じた.

私の感情は, どこに行ってしまったのだろう.

彼の投稿を見て, 私は悟った.

私たちの結婚式の日取りが, 全く同じだったことに.

その夜, リュウノスケが帰ってきた.

私は, もう寝室で休んでいた.

彼が静かに部屋に入ってくる気配がした.

リュウノスケは, 私の額に手を伸ばした.

私は, 彼の手を避けた.

彼の体から, 甘い香水の匂いがした.

ユイハの香りだった.

リュウノスケは, 困惑した顔で私を見つめた.

「まほ, 何か見たのか? 」

私は顔を覆い, かすれた声で答えた.

「疲れているの. 寝かせて. 」

彼の顔に, またしても困惑の色が浮かんだ.

翌朝, 体調はすっかり良くなっていた.

私は, 自分の荷物を整理し始めた.

彼のものとペアだった, 古びたマグカップ.

七年前, 二人で選んだものだった.

あの頃は, どんなにささやかなものでも, 二人で選んだものなら宝物だった.

でも, もう, それは埃をかぶっていた.

私は, それをゴミ箱に捨てた.

不要なものだった.

私は, 私たちの思い出の品が入った箱を開けた.

古い写真, ポストカード, 電車の切符, そして, 彼からの手紙.

これらは, 確かに私たちの共有の記憶だった.

けれど, ユイハが現れて以来, 新しい思い出は一つも増えていない.

その時, 玄関のドアが再び開いた.

リュウノスケが帰ってきた.

私は, 思い出の品が入った箱を, 暖炉の火の中に投げ入れた.

炎が, 一瞬にしてそれらを飲み込んだ.

「まほ, 何をしているんだ! ? 」リュウノスケが, 血相を変えて暖炉に駆け寄った.

彼は, 燃え盛る箱から, 半焼けになったアルバムを引っ張り出した.

その際, 彼の指が炎に触れ, ジュッと音を立てた.

「熱い! まほ, 君は一体, 何を考えてるんだ! ? 」彼は, 怒りに満ちた目で私を睨みつけた.

「これは, 僕たちの思い出だぞ! どうしてこんなことをするんだ! 」

彼の怒りは, 本物だった.

私は, 冷めた目で彼を見つめた.

「どうして, って? もう必要ないものだから. 」

「データは全部保存してあるわ. また作り直せばいいじゃない. 」私の声は, ひどく冷たかった.

彼の怒りは, 徐々に鎮まっていった.

彼は, 焼けた指に薬を塗っている.

「まほ, 君, 最近元気がないな. 」彼は, 私の顔をじっと見つめながら言った.

「気分転換に, 旅行に行かないか? 気分が晴れるかもしれない. 」

彼の提案は, どこか空虚に響いた.

今すぐ全編を読む
作者の『Moboreader』を応援して、素晴らしい物語の続きを楽しみましょう!
全話ロック解除

七年間の愛、裏切りの果て

第2話
エピソード
カスタマイズ
次の章