話 2
中山初穂 POV:
「どうせ, あいつはまた俺にすがりついてくる. いつものことだ」
翔悟は, 私のことをそう思っていたに違いない.
雨が降りしきる中, 私は傘も差さずに歩いていた.
私の頭の中には, いつも同じ夢が繰り返し流れていた.
夢の中の私は, 翔悟の裏切りに絶望し, 自ら命を絶とうとしていた.
だが, 結局は死にきれず, 深い闇の中に落ちていく.
夢の中の翔悟は, 新しい伴侶の金谷佳実の隣で, 私の死を冷たく見送っていた.
そして, その夢の中で, 私は養父母から捨てられ, 実の両親の元へ送り返された.
実の両親は私を金づるとしか見ていなかった.
私の人生はどん底に落ち, 異国の地で孤独に死んでいく.
私の遺骨を拾ってくれたのは, 翔悟のルームメイトだったはずの, 杉山春.
夢の中の春は, 私の骨壺を抱きしめ, 誰とも関わることなく, ただ一人で生きていた.
そして, 翔悟はといえば, 夢の中の彼は, 佳実と幸せな結婚生活を送っていた.
私の死など, 彼の心には何の波紋も起こさなかった.
夢の中の出来事は, 一つ, また一つと, 現実のものになっていった.
翔悟の裏切り.
そして, 彼の告白.
私は, この夢のおかげで, 過去の悲劇を繰り返さずに済んだ.
私は, 生まれ変わった.
この手で, 運命を変えることができる.
私は, 震える手でスマホを取り出し, ある番号に電話をかけた.
何度もコール音が鳴り, ようやく相手が出た.
「はる…」
私の口から, 彼の名前が漏れた.
電話の向こうから聞こえてきたのは, 低く, 少し疲れた声だった.
「どうした? 」
彼の声は, いつも通り, 感情の起伏が少ない.
「お願い…私のこと, 迎えに来て…」
私の声は, 雨に濡れたせいか, か細く震えていた.
電話の向こうが, 一瞬, 静まり返った.
その短い沈黙が, 私には永遠のように感じられた.
夢の中の春が, 私の遺骨を抱きしめていた光景が, 脳裏に焼き付いている.
彼は, 私の骨壺を肌身離さず持ち歩き, 孤独な人生を送っていた.
私は, 込み上げてくる感情を抑えきれず, 嗚咽を漏らした.
「なぜ泣く? 」
彼の声は, 相変わらず淡々としていた.
「行く」
彼は, 静かにそう告げた.
「十五分で着く」
有無を言わさない口調だった.
「ありがとう…待ってる…」
私は, 彼の言葉に安堵し, 電話を切った.
十五分後.
私は, 通りかかった見知らぬ人に傘を差し出し, 雨の中に立ち尽くしていた.
彼の車が, 私の目の前で止まった時, 私の体はすでにびしょ濡れになっていた.
彼は車から降りると, 冷たい表情で私の方へと歩いてくる.
「時間通りね…」
私は, 笑顔で彼を迎えた.
「馬鹿者」
彼は, 私の頭を軽く叩き, 無言で私の腕を掴んだ.
そして, 私を無理やり車の中に押し込んだ.
彼は, 私に毛布を投げ渡した.
「体を拭け. 車を汚すな」
彼の声は, 普段よりも少しだけ荒々しかった.
彼は, 私を一瞥することもなく, 車を発進させた.
話 3
中山初穂 POV:
私は, 言われた通りに毛布を体に巻き付け, 運転する春の横顔をじっと見ていた.
彼の無表情な顔は, いつも冷たく, 近づきがたい印象を与える.
大学では, 彼を慕う女子生徒は多かったが, 誰も彼に告白する勇気など持てなかった.
彼は, あの翔悟のルームメイトだ.
以前, 私が翔悟の部屋を訪れるたびに, 春はいつも露骨に不機嫌な顔をしていた.
今, 私を迎えに来てくれた春の態度も, やはり冷たい.
本当に, 夢の中の彼は私を愛していたのだろうか?
私の手首には, 彼が掴んだ時の跡が, じんわりと残っていた.
私は, ゆっくりと瞳を伏せ, 考える.
夢の中の出来事が, 現実の世界で次々と起こっている.
私の行動が, 春の感情を変えたのだろうか?
彼の反応が, 私の心をざわつかせた.
私が, 彼に負担をかけているのではないか?
ふと, 春が口を開いた.
「寮に戻るのか? 」
私の心臓が, ドクンと音を立てた.
「あなたの部屋に行く」
私は, そう返していた.
「翔悟は今夜, 部屋には戻らないだろう」
春の声には, 嘲笑が混じっていた.
「知ってる. 別に, 翔悟に会いたいわけじゃない」
私は, きっぱりと答えた.
その瞬間, 春は急ブレーキを踏み, 車を路肩に止めた.
彼は私の方を向くと, その瞳は氷のように冷たかった.
「お前たちの茶番に, 俺を巻き込むな」
彼の言葉は, 私に突き刺さる.
私が何かを言おうとするのを遮り, 彼はスマホを取り出した.
「タクシーを呼んでやる」
彼の冷徹な態度に, 私は唇を噛み締めた.
私は, 彼のスマホを奪い取っていた.
彼の目には, 怒りも嫌悪もなかった.
ただ, 深い, 深い感情が渦巻いているように見えた.
私は, わけもなく悲しみが込み上げてきて, 涙が止まらなかった.
「寮にも帰りたくない…家にも帰りたくない…」
私は, 泣きながらそう訴えた.
「お願い…今夜だけ…あなたの部屋に泊めて…」
「もし…私が嫌いなら…諦めるから…」
私の頬を, 涙が静かに伝い落ちる.
春は, 何も言わなかった.
ただ, 静かに車を再始動させた.
車は, 大学の方向へ向かっていた.
そして, 彼の寮の前に着いた.
私は, 彼の後ろをついて, 部屋に入った.
彼は, 私に清潔なジャージを差し出し, シャワールームを指差した.
「これに着替えろ」
彼のジャージは, 私には大きすぎて, まるでワンピースのようだった.
シャワーを浴びて部屋に戻ると, 彼は私を一瞥し, すぐに視線を逸らした.
私は, 彼のベッドの端に腰掛けた.
濡れた髪から, ベッドシーツに水滴が落ちる.
彼のシャンプーとボディソープの香りが, 私を包み込む.
春は, 煙草の箱を手に取り, 軽く咳払いをした.
「ベランダで煙草を吸ってくる」
彼は, そう言って部屋を出て行った.
私は, 彼の残された匂いに包まれながら, 彼のベッドや机の上を好奇心旺盛に見ていた.
その時, 私のスマホが鳴った.
画面には「翔悟」の名前が表示されていた.