話 1
『蓮、ごめんなさい…もう、あなたとは一緒に居られない』
何度も見る夢、醒めるのはいつも同じ場面だ。もうあれから何年も経つのに、未だに俺の心はあの日に囚われたまま動けないでいる。艶やかな長い髪が風になびいて、サラサラと揺れ動く姿、別れたあの日、どんな表情でいたのか、もう思い出せない。それなのに、心は動かない…。
「蓮、さっき先方から連絡があったわ。先日のお話、お断りしますって」
朝起きぬけの働かない頭のままでリビングに入れば、母親が仁王立ちで待っていた。今やこれもよくある日常だったが、俺は何の話をしているのか、すぐには結びつかない。
「んー…あー、なんだっけ?」
「お見合いよ!この前行ったお見合いの話!お相手の方、他に好きな方がおられたそうよ。もう、それなら最初からお見合いしなきゃいいのに…まったく…」
母親の口から「お見合い」という単語が聞こえて、ようやく合点がいく。母親は相手の事情を知って、納得がいかないのか、ぶちぶちと文句を言いながらキッチンへ歩いて行った。その後ろ姿をぼうっと眺めながら、俺は安堵していた。
今回もうまくいった。特に今回はお見合い相手に彼氏がいたから、説得は簡単だった。両親に反対されていて、断れないお見合いだったと言っていたけど、お見合いした彼女にとっても、俺にとっても、これが最善の道だ。これで暫くは、母親も大人しくしてくれると良いのだが…。
世の中はそんなに甘くないのが現実だ。俺の淡い期待は、夕方帰宅した玄関で儚く消えていった。
「母さん!何で玄関に見合い写真があるんだよ!今日の今日で何考えてんだよ」
仕事から帰宅して早々、玄関で見覚えのある物に迎えられる現実は、俺の期待を砕いた。その場で靴をぬぐことなく、俺は打ちひしがれた。疲労感が増す中で、何とか自分を奮い立たせてリビングへ入ると、母親は朝と同じ場所で、今度は上機嫌で俺を待っていた。
「今日は今日でしょ。それにそれは今度の週末のお見合い話よ!そんなことより、今度のお見合い相手は好物件なのよ!父さんの取引先の社長さんからの紹介なんだけどね」
「好物件って、言い方失礼だろ。大体何、その…父さんの取引先の社長さんとか、どういうこと?あんたら両親は息子について何って話してるの?俺の人権は?プライバシーとか個人情報とか、どうなってんのよ?」
「いいの?家から職場、近いんでしょう?三食ついて自転車で通えて、家事も洗濯もしなくていい。最高の物件よねぇ」
「うぐっ…」
母親から痛い所を突かれて、俺はそれ以上何も言えなくなった。以前は社宅に住んでいたが、基本的に独身であることが住む条件だった為、結婚を機に住人が減っていき、社宅は最終的に取り壊しが決まった。居場所がなくなった俺はやむを得ず実家へ身を寄せたが、それはそれは最適な住宅環境だった。職場にも実家から通っている社員がいて、実家は一度戻ったら出られない…と話していた気持ちがよく解る。しかし両親は、息子が一時的に帰ってきただけだと思ったのか、初めでこそ何も言わなかったが、春先頃からやたらと構うようになった。話を聞けば結婚を機に、地元に帰ってきた俺の同級生たちや、仲良くしている近所のおばちゃんたちから孫の話が出るようになったのが原因だった。そうなると当然、矛先は俺に向くわけで…。しかし息子に結婚の話どころか、彼女の話すらない。心配なのか単に孫の顔が見たいのか、他所の家庭がとにかく羨ましいだけなのか、母親は執拗に聞いてくるようになった。そしてある日、実家に住む条件として見合いを提示してきた…というわけだ。
最初は何の冗談かと思えば、俺の荷物をまとめて玄関で仁王立ちした母親が、仕事帰りの俺に選択を迫ってきた。
『孫か実家、選びなさい』
『いや、そこは見合いか実家だろ。何だ、孫って!』
『蓮は、お母さんたちが生きている間に孫の顔を見せてくれない非情な息子に、いつ育ったの⁉ お母さんはそんなに不相応な望みを、連にお願いしたことある?ささやかな幸せを叶えてくれたっていいじゃない!蓮がお見合い受けてくれるなら、このまま実家に住んでもいいって言うだけじゃない!』
欲望駄々洩れの母親と会話をしていくにつれ、感情が昂ったのか、玄関先で号泣する母親の姿に戸惑っていると、仕事帰りの父親に出くわし、事の経緯を聞いた父親はあろうことか母親の味方となった。俺は死ぬまでに孫の顔を見たいという両親の希望で、実家に住むことを条件に、泣く泣く見合いをするという二人の条件を受け入れることになった。しかし俺の事情もある。両親には悪いが、俺は今回も見合いを破談に向けるべく、当日までに計画を練った。
お見合い当日、珍しく父親もついてきた。取引先の社長さんから紹介してもらったと話していたせいだろう。いつもと違う面子に多少の緊張はあったが、俺の計画はばっちりだ。しかし約束の時間になってもお見合い相手が現れない。それから遅れること10分後、お見合い相手の叔母だという女性が慌てて現れた。どうやら出かけに仕事でトラブルがあって遅れたらしい。しかし肝心のお見合い相手が来ない。これには叔母だという女性も顔面蒼白になりながら、何度も俺たちに謝罪を入れ、その場を離れてどこかへ電話をしていた。俺の両親は心配そうに女性を何度も見送った。
女性が席を外している間、入口付近から悲鳴があがった。何事かと思い、悲鳴があがった方へ視線を向けると、ホテルの入口付近に人だかりが出来ていた。両親も騒ぎに気づき、視線を入口へ向ける。俺は様子を見てくると二人に告げ、人だかりの出来ている方へ足を向ける。近づいていくにつれ、フロント係の女性が慌てた様子でどこかへ電話をしている。その横で何人ものホテルマンが、人だかりの中にいる人物の進行を妨げるようにして立っていた。どうやら彼らが揉めている相手は、ホテルに入ってきた客らしい。お見合い相手とは無縁そうだと思いながら来た道を戻ろうとすると、叔母だという女性が俺を追い越して、人だかりの中心人物へ大声をあげた。
「な、な…なんて格好してるの、櫻子さん‼」
女性の大声に、人だかりが波のように去っていく。中から現れた人物に目をやると、そこには顔や洋服に真っ赤な血がついた少女が立っていた。右手には切断された鶏の頭、そこから滴る血がぽたぽたと床に血だまりをつくっていた。それが俺と俺のお見合い相手、伏見櫻子との出会いだった…。
話 2
その目は、まるで何モノも映していないかのように虚ろに見えた。少女が着ている真っ白なワンピースと床に映える、真っ赤な血。帽子から覗く艶やかな黒髪は、日本人形のように長かった。叔母だという女性は興奮しているのか、何度も金切り声をあげて少女を問い詰めている。しかし少女は一言も言葉を発さない。ただ虚ろな瞳で、ここではないどこか遠くのものを見つめているように見えた。
すぐに帰らない息子に業を煮やしたのか、騒ぎが気になってなのか、両親がいつの間にか背後に控えていたようで、言葉にならない声で短く叫んだ母親の声でようやく後ろを振り返ると、顔面蒼白の母親を支えるようにして父親も茫然と立ち尽くしていた。二人とも何と声をかけていいのか解らないのか、いや、現実に起きている非現実のような出来事に、二人は言葉を失っているのだろう。
叔母だという女性が、すぐ後ろにお見合い相手とその両親が居ることに気づいたのは、少女の視線がこちらを向いていたからだ。本当にこちらを見ているのかさえも怪しいが、虚ろに見える瞳の中で一瞬、確かに視線が合った気がした。叔母だという女性は、慌てて少女の左腕を掴むと、低姿勢で謝りながら去っていく。「お詫びは日を改めて…」とか何とか言いながら去っていく後ろ姿を見送りながら、両親は非現実的な時間を終えることとなった。
帰宅後、母は過去最高にぶちぶちと悪態をついていた。
「伏見といえば、一代財閥ではあるけど、由緒正しき家柄だって聞いていたのにっ…ああっもう! 思い出しただけでも鳥肌が立つ光景だったわ。あの叔母だっていう女性も本当に叔母だかどうか、怪しいところだけれど…それ以上にあの子のあの…ああ、思い出したくもないわね。とにかく! お見合いには結局ならなかったけど、今日は本当に最悪なお見合いだったわ。お見合いにならなくて良かったわね。お父さんも、取引先の社長さんの紹介だから仕方ないけど、これからはお相手がどんな方なのか、事前にもっと調べておく必要があるわね。とにかく蓮、今日のことは忘れましょ。あなたには似合いの相手を何としても! 見つけてあげるから。今日のはなしよ、なし!」
言いたいことだけ言って去っていく母親の背中を見送りながら、俺は今日のことを思い出していた。正確にいえば、少女のことをだ…。なぜ、彼女はあんなことをしたのか。ただお見合いを断るためだけなら、すっぽかせばいいだけの話だ。わざわざ血だらけの服で、切断された鶏の頭を持つという衝撃的な姿でお見合い会場に現れるなんて、彼女にとってもリスキーだ。由緒正しき家柄の娘なら尚更、そんなリスクの高いことをする理由が…
「あ…」
一つだけあった。確かなことではないが、思い当たることではある。しかしどちらにしても、彼女にとって、それはハイリスクノーリターンでしかない気がした。でも…それでももし、彼女が俺と同じつもりでこの見合いに臨んでいるのだとしたら、理由は一つ。
「相手に断らせるため…?」
口に出してみたものの、確信はもてなかった。それに気になることがもう一つある。なぜ彼女は一言も話そうとしなかったのか…だ。それに加えてあの瞳…まるで何も映していないかのような虚ろな眼差しも気になった。
「…蓮、今日はすまなかった」
物思いにふけっていると、いつの間にかリビングの入り口に父親が立っていた。取引先の社長さんからの紹介とはいえ、母親の様子に自分の責任を感じているのか、少し落ち込んで見えた。
「いや、気にしてない。父さんのせいじゃないんだから、気にしなくていいよ」
「彼女は…いや、櫻子さんは可哀想な人だ。ご両親を目の前で亡くしたトラウマで、今も心を閉ざしているそうだ。声を出せないのも、そのせいだと聞いている。今日はあんなことになってしまったが、本当は心根の優しい、気立てのいいお嬢さんだと、父さんは春日部社長から聞いていたんだ…」
少しだけ躊躇いながら話す父親の言葉に、俺は驚くのと同時に親近感を覚えていた。親近感というと少し語弊があるのかもしれないが、トラウマを抱えながら生きているという共通項が、そうさせた。
「そう…。母さんはいつものことだし、さっきも言ったけど俺は気にしてない。今日はあんなことになったけど、父さんが信頼してる社長さんが話したのなら、俺…もう一度会ってくるよ。あ、勿論母さんには内緒で…だけど」
母親に内緒だという俺に、父親は「解った」と短く頷いた。
俺とは違う、計り知れない心の傷を負って、それでもトラウマを抱えて生きていくという決心をした彼女。何も映さないあの瞳が、心を閉ざし声を失った結果なのだとしたら、そしてあの衝撃的な出会いが、見合いを断るために計画されたものだとしたら、同じ立場の人間として、俺は彼女に興味を抱かずにはいられなかった。
翌朝、少しだけ早起きした俺は、彼女が住んでいるという家の場所が書かれた紙を、父親からこっそりと受け取って、適当に理由をつけて出かけた。俺の住む場所からは、電車を乗り継いで1時間弱かかった。駅からバスに乗り換えて、高級住宅街の中を通り抜けた先にある高台のバス停で降りて、小高い丘を登っていくと、1軒の白い家が見えた。門をくぐり家の前に立つと、歩いている時に見えた家とは比べ物にならないくらい、でかかった。
緊張のあまり、チャイムを鳴らす手を止める。ひとつ、大きく息を吐いて新鮮な空気を吸うと、甘い香りが鼻腔を通り抜けていく。緊張で気づかなかったけれど、家の周りのあちこちに、色とりどりのたくさんの花が植えられていた。その中に見覚えのある花が映り込む。思いがけず甘い香りの正体を知り、俺のしまい込んだはずの記憶が呼び起こされる。頭を掠める女性が手にした花に、胸が酷く疼く。もう忘れたいのに、忘れてしまいたいのに…まだ俺の心は囚われているのか。もうあれから二十余年も経っているのに、まだ俺は彼女を待っているというのか。まだ会いたいと思っているのか…先に別れを告げて居なくなったのは彼女なのに。裏切られたと憎んだはずの心は、まだ彼女を愛しているとでもいうのか…。
「大丈夫ですか…?」
甘い香りを漂わせる花に心を奪われ、疼きが止まらない胸を掴んだまま動けないでいる俺に、背後から凛と響く高く澄んだ声がかけられる。ハッと現実に呼び戻された俺は、声がした方を振り返る。そこにはあの日と同じ、白いワンピース姿の少女が居た…。
話 3
あの日と同じ少女がそこに居たと思った。でも同じはずなのに、今俺が目にしている少女はまったくの別人のように感じられた。あの日はどこか虚ろで遠くを見ているような眼差しをしていたのに、目の前の少女は凛とした姿で立っている。そしてその目は、まっすぐ俺に向けられていた。
俺は自分の胸が疼き苦しんでいたこともさっぱり忘れて、彼女の姿に目を奪われていた。声をかけられたのに、それに対して答えを返すことも出来ず、ただぼうっと立ち尽くしてしまった。彼女は何も声を発さない俺を不思議に思って二、三歩足を進めたが、すぐに何かに気づいたようで足を止めた。そして何か言葉を発するかのように口を開こうとして、途中で噤んでしまった。俺は一連の彼女の動作を見つめながら、ふとした違和感に気づく。
父親は彼女について何と言ったか…そうだ。彼女は確か心を閉ざしたまま、声を出せないでいると話していた。だけど俺の聞き間違いでなければ、彼女は俺に大丈夫かと声をかけたはずだ。
自分が実際に目にした彼女と父親から聞いていた彼女の姿が、今目の前にいる姿とあまりに違い過ぎて、頭の中でどうしても結びつかない。本当に彼女は「あの日の少女」と同一人物なんだろうか…。
「あの…俺、」
勢いで口を開いてみたものの、何と声をかければいいのか解らない。頭の中は既に混乱気味で、正常に思考が働いてはくれないのだ。結局口を開いたはいいが、次の言葉を言い淀んでいる内に目の前の彼女がくるりと背を向ける。このまま行ってしまう…と焦りに支配されそうになった時、彼女は白い家の扉を開いて中に入ると、後ろを振り返ってこちらに右手を差し出した。声には出さなかったが、まるで「どうぞ」と招かれているようだったので、俺は何も言わずに彼女に従った。
彼女が開けてくれた扉に手をかけ足を踏み入れると、すぐ近くに立っていた彼女が首を垂れる。外から入ってくるふわりとした風に、艶やかな黒髪が俺に向かってサラサラと落ちてくる。予想外の近さにどきりと胸が音を立てたように、鼓動を速く打つ。視線をどこに向ければいいのか解らなくて俯くと、彼女の髪からか彼女自身からか、甘い香りが漂ってきた。さっき俺を苦しめた花の香りとは違う、甘いだけじゃなく、それは柑橘系の爽やかな香りだった。
パタンと音が背後で聞こえた直後、香りもすぐに去っていったことに気づき顔を上げると、彼女の姿はもう近くになかった。緊張で手に汗握る体験が終わったことに安堵の溜息をついていると、視線の少し先に彼女の姿を捉えた。背後に視線を向ければ、先程まで開いていた扉が閉まっていた。彼女のあの行動は、扉を閉めたかっただけなのだと知る。あんなにドキドキしていた自分を気恥ずかしく思いながら、なぜそこまで焦って閉める必要があったのだろうか、という疑問も沸き起こった。
「どうぞ、入ってください」
彼女について考えていると、今度ははっきりと高く澄んだ声が聞こえる。声がした方に視線を向けると、少し先で待つ彼女が俺を見ていた。やはり外で聞いた声は、間違いなく彼女のものだった。
外観は真っ白で大きな家だったが、入ってみると中は普通だった。母親から財閥と聞かされていたせいで、テレビでよく見るような金持ちの家を想像していたところがあったけど、特別煌びやかな調度品がおいているわけでも、高価な絵が壁にかかっているわけでもないし、廊下にも通された部屋にもシャンデリアが煌々と光り輝いているわけでもなかった。俺が住んでいる家と、どこも変わらないように見える。
「珍しい物でもありましたか」
明らかにキョロキョロと見回していた俺に、彼女の凛とした声がかかる。人様の家を不躾に見回しすぎてしまった行為を恥じながら、謝罪しようと彼女に向き直ると、彼女は哀しそうに微笑んでいた。いや、正確にはそう見えた…だ。どこか泣きそうなのを我慢しているような笑みに、俺は自分の恥じた行為を謝罪するのも一瞬忘れて、彼女を見つめてしまっていた。
通された部屋には、三人掛けで十分なくらいの机があった。窓にはレースのカーテンがかかっていて、そこからは庭が見渡せるようになっていた。彼女は俺に椅子へ座るように促し、部屋の奥へ消えていく。しばらくして透明な茶器を手にした彼女が現れて、座った俺の前で透き通った色のお茶を入れてくれる。真っ白なワンピースの袖から覗く、彼女の白くて細い腕と流れるような所作に魅入っていると、彼女は俺と対面する位置の椅子に腰かけた。
「橘 蓮さんですね。今日はどのようなご用件でいらしたのですか?」
対面した彼女が俺をまっすぐに見つめて口を開く。その瞳は何の迷いもないように、こちらを見据えている。俺は彼女の口から自分の名前が出たことで、俺があの日の見合い相手だということを、彼女は認識しているのだと確信した。そして同時に先程の疑問が再び浮上した。俺は思い切って聞くことにした。
「あの、不躾に訪ねてきてごめ…あ、いや、すみません。今日の件をお話する前に、その…確認をひとつだけ。声を出せないと聞いていました。それにさっき外で君が俺に声をかけた時、君は俺が見合い相手と気づいて言葉を発するのをやめたくらいなのに、何で俺をこの家に招き入れてくれたのかも解らないし、俺よりもずっと年下に見えるのに、俺よりずっと落ち着いている君が、あんな風に足早に扉を閉めたり、見知らぬ男を家に招き入れて、平然と言葉を発している…考えても解らないことばかりなんだ。不躾に家を眺めたのも君にとって口調が悪いと感じるかもしれないけど、多めにみてやってほしい。それくらいに俺は今、混乱してるんだ」
思い切って口を開いたら、頭の中をぐるぐるしていた言葉が溢れて止まらなくなった。彼女は一度も口を挟まずに、ただじっとこちらを見つめるだけだったから、途中余計に焦りもあって、自分でも何を話しているのかよく解らなくなったし、自分が今混乱していると正直に告げてしまった。彼女は俺が言葉を全て言い終えると、ゆっくりと口を開いた。
「…私は伏見櫻子です。正直、私も驚いています。庭先で声をかけたのがあなただったことにも、声をかけてしまったことにも悔やんでいるし、この状況をどうすればいいのか…あなたの言葉を借りるなら、私も混乱しているのでしょう。でもはっきりと言えるのは、私が話せることを他に知られるわけにはいかないんです。特に叔母には知られたくない。あなたを家に招き入れたのも、ここで私があなたに正確な説明することで、他言しないように釘を刺すためです。どんなきっかけであれ、偶然の出来事であれ、あなたは私の秘密を知ってしまった。だから私は、あなたに私の秘密をお話しします。あなたは確認したいという名目を果たせる代わりに、その秘密を今日ここで、他言しないと誓ってください。いいですね」
彼女は俺から一度も目を逸らすことなく、はっきりと自分の目的を告げた。その口調はひとつひとつの言葉がしっかりと聞き取れるくらいゆっくりで穏やかなのに、有無を言わせない強い圧があった。混乱しているという割に淡々と語る彼女に、そして迷いなくこちらを見据える彼女の眼差しに、俺はただ頷くことしか出来なかった…。