2

いったいどれぐらいの間そこに居たのだろうか。我に返ったレイチェルが、治癒魔法をかけようとした時には、もう彼女は血を流し過ぎていたらしく、すでに手遅れの状態であった。

 徐々に冷たくなっていく彼女の手を握りながら、レイチェルは治癒魔法をかけ続けたが、それは無駄になってしまった。

 人の自殺を見るのも、その死を間近で見届けるのも、二回目の出来事だ。

 立ち去ることも出来ずに呆然としていると、ようやく誰かが駆けつける声がした。

「ステラ! レイチェル!」

 コーディだ。良かった。彼ならきっとステラを助けてくれる。この状態をどうにかしてくれる。

 そう考えて笑顔を向ける。だが、彼は悲鳴を上げて、レイチェルを凝視した。

 その顔には、恐怖がありありと浮かんでいる。

 どうしてそんな顔をするのか。彼に嫌な顔はされても、怖がられたのは初めてだった。混乱して手を伸ばすと、コーディは半歩後退る。

「……君が殺したのか?」

「は?」

 そこで、レイチェルは自分の手が真っ赤に染まっていることに気付いた。手だけじゃない。服も顔も全部全部血まみれだ。

 今の状況にようやっと気がついて、顔色を変える。

 しまった。これは、この状態では、言い訳が出来ない。

「待ってくださいコーディさま!」

 それでも分かってほしくて、レイチェルはふらりと立ち上がると、コーディに近づこうとした。

「違うんです、これは、この女が勝手に」

「黙れ!」

 だが、はね除けられる。

 暴力を振るわれたわけではない。だが、彼に拒否されたのがショックで、へなへなと崩れ落ちた。地面に突っ伏してしまうレイチェルを、コーディは怪物でも見るかのような顔で拒絶する。

「俺は、君のことを何度も何度も信用しようとした。だがその度に騙してくれたな。あげくの果てにはステラを……!」

 頭を抱えると、コーディは死刑宣告のような重々しい声で、レイチェルに決別の宣言をした。

「もう、君にはうんざりだ」

 彼が指先を振ると、レイチェルの手首に、氷の手錠がかけられる。

「元婚約者の俺が自ら逮捕する」

 待ってくれ。そう言おうと身動ぎして、彼の冷たい目に圧される。

「さようなら。レイチェル・オーウェント」

 彼が兵士等の手続きをする間、レイチェルはなにも出来ずにその場に座っていた。

*

 あれから何日経っただろう。レイチェルは地下牢に閉じ込められていた。

 裁判の時、レイチェルは当然何もしていないと主張した。だが、コーディの証言や、状況から考えても、犯人は彼女しかいないと結論を出されたのだ。

 人殺しは、この国では処刑にされる。相手が聖女だったこともあり、その方向で進んでいた。

 だが、レイチェルが治癒魔法をかけていたこと、貴族であること、そして育った家庭環境から、母と同じ精神疾患だと判断され、終身刑となった。

 妄想に取り憑かれ、ステラを殺したが、それを覚えておらず、治癒魔法をかけたのだそうだ。とんだ狂人にされてしまった。

 今までは、コーディの家から援助を受けて母を養っていた。だが、今回のことで母子共に見限られてしまい、母は今、親戚の家が面倒を見てくれている。だが、あまり歓迎されていないのが、心配だ。

 心の支えだったコーディは来ない。友人もいない。そんなレイチェルに、当然面会人はいない。

 食事を運んでくる看守がいるが、話すわけがないし、レイチェルは冷たい牢屋でずっと一人だった。

 一人でいると今までのことを嫌でも思い出す。

 いったいなにが悪かったのだろう。聖女をいじめたこと? でも、コーディを取られたくなかった。レイチェルには、ああするしか思いつかなかったのだ。

(わたくしが悪いの……? いいえ、そんなはずないわ……)

 浮かんだ考えを、首を振って追い出す。

 ふいにカツッと音がして、顔を上げると看守が立っていた。

 まだ食事の時間じゃないはずだ。だとすると、誰かが面会に来たのだろうか。いったい誰が?

「…………」

 期待をしてないと言うと嘘になる。コーディが来てくれるのではないかと、そんなはずは無いのに、僅かに胸が高鳴った。

「レイチェル・オーウェント。面会だ」

 立ち上がると、鉄格子のところへ近寄っていく。

 そこには、黒いマントの人物が立っていた。フードを深く被っていて、その顔は見えない。

「お前がステラを殺したの?」

 落胆していると、その人物は不躾に問いかけた。声からして男だろうか。抑えているようだが声は震えていて、初対面でも彼が取り乱しているのが分かった。

 身を固くする。鉄格子があるから接触はしないだろうが、それでも怖い。

「……あなたは誰? まず名乗りなさいよ」

 腕を組むと、高圧的に返す。レイチェルの質問に、彼は首を振ると即答した。

「名前は言えない」

「呆れた。身分も証明出来ない人を中に入れたの?」

 もうほとんど落ちぶれているとはいえ、一応は貴族の牢だ。それに、罪人と会わせて刺激したり、脱獄を図ったりなどしないように、面会に来る人は厳しくチェックをされるはず。

 職務怠慢の理由はなにかと看守を見る。看守は素知らぬふりをしていたが、マントの男が懐から財布を取り出し、納得した。金を貰ったらしい。

「お前がステラを殺したの?」

 レイチェルがため息を吐くと、男は同じ質問を繰り返す。解放されるには、こいつと話すしか道はないようだ。

「……そういうことになっているわね」

 眉を寄せると、レイチェルは柔らかいソファに身を沈める。

 ここは牢屋だが、お金の有無でこういった物が持ち込める。これらの家具は、手切れ金代わりにほとんどコーディが揃えてくれた。

「けど違うわ。わたくしは人を殺したりしない。あの子が勝手に死んだの。自殺よ、自殺」

 しっしっと追い払うように手を動かす。

 彼の表情は分からない。だが、非常に分かりやすい質のようで、レイチェルの態度に怒っているように見えた。

「ステラはそんなことしない」

「……ステラ様の知り合い? わざわざこんなところまで来て、どうもご苦労様」

 頬杖をつくと、そっぽを向いてやった。

 そんなこと言われたって、事実以外は話せない。

 ステラを殺したのだと、認めて謝れば良いのかもしれないが、そんなこと絶対に嫌だった。やってもいないことで頭を下げたいとは思わない。

 それに、どうせなにを言ったって、病気扱いを受けるのだから、好きに振る舞ってやるのだ。

 男は拳を握ると、俯きがちだった顔を上げる。隙間から、紫色の瞳が見えた。

 その瞳が真っ直ぐレイチェルを射貫く。責めるような眼差しに、レイチェルは僅かにたじろいだ。

「どうせこの国はもうすぐ滅びる」

「は?」

 男がそう言ったと同時に、視界が激しく揺れた。ソファで寛いでいたレイチェルは、床に投げ出される。

「な、なに……!?」

 辺りを見回す。床も天井も、牢全体が揺れていた。どしん、どしんと、一定の間隔で揺れている。地上でなにかが起こっているのだろうか。

 看守が怯えた顔をして逃げ出した。制止する間もなく、揺れは続く。咄嗟に男の方を見ると、そこには誰もいなかった。

「その前に、ステラを殺したお前に復讐してやるんだ」

「――!」

 声が間近で聞こえて、視線を戻すと、男はレイチェルの傍にいた。背筋がひやりとする。男が移動してきたのは魔法であると瞬時に理解して、この男は貴族だったのだと覚った。

 魔法を使えるのは、この国では貴族だけだ。金払いも良かったし、そうなのだろう。

 男は、怯えるレイチェルを見て口角を上げると、床に倒れている彼女の胸ぐらを掴んで引き上げた。それから、ベッドに投げると、上に跨がってくる。

「なにすんのよ!」

 威勢良く叫んだが、体勢に肌が粟立つ。レイチェルは背筋を震わせた。まさかとは思うが、女として最悪の事態を想像して、血の気が引く。

 レイチェルには、魔法が使えないように特別な手錠がかけられていた。魔法で対抗するのは無理だ。とにかくめちゃくちゃに暴れて抵抗するが、男の力には敵わなかった。手首を掴まれて、動きを封じられる。

「はは……こうしてると、魔女もただの女だね」

 なにかが叫んでいるような爆音がして、耳鳴りがする。瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちて、視界がぼやけた。

 レイチェルの抵抗と謎の揺れでフードが取れるが、彼の顔は見えない。かろうじて長い銀髪の髪が見えた。

 上に乗っている男が手を振り上げて、レイチェルは肩を震わせる。その手の先が光って、どんっと音がしたかと思うと、胸が冷たく感じた。

 次いで、どうしようもない痛みと熱さが襲ってくる。胸を刺されたのだ。そう理解して、痛みにのたうち回る。

「死ね」

 冷淡な声と共に、もう一度刺される。天井が崩れてきて、出口が塞がれた。

 意識が徐々に遠くなっていって、レイチェルは、終わりを悟った。

 諦めきれずに、のたうちまわるが、実際に体は全然動いていない。

 男は用は終わったとでも言いたげにレイチェルの上から退いて、体の重みが消えた。

 レイチェル・オーウェントは、とことん最悪の人生を步むらしい。

 父親は死に、借金まみれで、母親は精神を患っている。無実の罪で投獄され、名前も知らない狂人に刺されて死亡だなんて、こんな人生、誰が決めたのだろう。神様だろうか。それとも、レイチェル自身だろうか。

「あなたは悪役。何回死んでも一緒」

(そんなことあるもんですか……)

 不意に脳裏を掠めたステラの暴言に、歯ぎしりをする。拳を床に打ち付けた。

 そんなことあるものか。次はきっと、次があればきっと、レイチェルはヒロインになってみせるのだ。

「コーディ様……」

 それは彼の隣が良かった。彼のヒロインになりたかったのに、それはもう叶わない。

 目の前が暗くなって、レイチェルは、そこで気を失った。

3

次に目を覚ますと、レイチェルは馬車の中にいた。

 目の前にはコーディがいる。彼はむっつりと黙って、不機嫌そうに座っていた。

 辺りを見回すと、そこはコーディの家の馬車であることに気がついた。

 ああ。この後に及んで、自分はまだ夢を見ているらしい。

 浅黒い肌。無骨な手。短い茶髪。緑の瞳。ちゃんとコーディだ。懐かしい姿に、思わず涙ぐむ。夢の中とはいえ、もう一度会えると思っていなかった。

 ほうっと息を吐くと、椅子に身を沈める。傍らには、赤くてふわふわの、いつものクッションがあった。

 幼い頃彼が贈ってくれたのだ。レイチェルが気に入ってずっと使っているから、コーディの馬車に乗る時には、彼の執事がいつも乗せてくれる。

 あまりにいつも通りの光景に、レイチェルは痛む頭を押さえた。

 思えば、この頃はまだ幸せだった。彼には嫌われていたけれど、コーディの隣はまだレイチェルの場所だった。

「しかし、君にはほとほと呆れる]

 長い息を吐くと、コーディはレイチェルに顔を向けた。眉間を揉むと、疲れた様子のコーディは「いいな?」と前置いて、言い聞かせるように話し出す。

「あのメイドは俺の弟の世話をしているだけで、俺とはほとんど話さない。君も知っているはずだが?」

 責めるような口調にたじろぐ。だが、コーディの言っていることは、彼の言う通りちゃんと知っている。その原因はレイチェルなのだから。

 レイチェルが怒り出すからという理由で、コーディの世話をしているのはほとんど執事になっている。

 レイチェルの家計は、現在コーディの家に頼り切りで依存しているが、こんな風になる前は、逆にコーディの家を助けることもあった。

 コーディ自身も、昔レイチェルに助けてもらったことがあり――他にも理由はあったが、レイチェルは知らない――みんなレイチェルに逆らえないのである。

 そこまで思い出し、一年前に同じような会話をしたなと思い出す。入学式だったから覚えがある。

「あの子は俺に色目なんて使っていないし、クビになると行くところが無くなる。解雇するだなんて二度と言わないでほしい。みんな困るんだ」

 間違いない。これは一年前の会話だ。学園に行く馬車の途中で、コーディとこんな会話をした。

 レイチェルは、どうやら走馬灯でも見ているらしかった。

「……レイチェル? 聞いてるのか?」

 ぼうっとしていると、コーディが立ち上がろうとする。ちょうどそこで馬車が止まって、運転手が学園に着いたことを知らせてくれた。

 コーディの手を借り、馬車を降りる。そこには通い慣れた学園があって、レイチェルは、目眩のする頭を押さえた。もうこの光景は二度と戻ってこない。

「わっ!?」

 ぼんやりしていて、足元に段差があることに気がつかなかった。レイチェルは、つんのめって、転んでしまう。――痛い?

 違和感に、はたと止まる。驚いたコーディが手を差し伸べてくれたが、レイチェルは固まったまま地面に寝転がっていた。

 地面を叩くと、土の感触がする。レイチェルは起き上がると、胸元に手を当てた。傷はないし、血も着いていない。

 いや、走馬灯なのだから当たり前か? それにしては一場面が長くないだろうか。疑問に首を傾げる。

「胸が痛いのか?」

 コーディが、眉を寄せると片膝をついて、レイチェルの顔を覗き込んできた。その顔を掴むと、彼をぺたぺた触り出す。

 ちゃんと感触も体温も伝わってきて、レイチェルはますます混乱する。

「……転んで頭でも打ったか?」

「そんな風は見えませんでしたが……おそらく体調が良くないのでは?」

「そういえば、馬車の中でもぼうっとしていたな。引き返して病院に……いや、学園には保健室があるんだよな。連れて行こう」

「その方がよろしいかと」

 不審な行動を始めるレイチェルを前に、コーディは真剣な顔で執事と相談を始める。

「コーディ様。ちょっといいですか?」

「あ、ああ……」

 そんな彼の手を掴むと、レイチェルは、自分の胸を触らせた。

「!!?!?」

 コーディが目を剥いて飛び上がる。レイチェルはすくっと立ち上がると、驚く彼に詰め寄った。

「もっとちゃんと触ってください」

「公衆の面前で何を言ってんだ!?」

「ちゃんと、わたくしの心臓が動いてるか確認してください」

「???」

 動揺するコーディに舌打ちすると、レイチェルはもう一度彼の手を掴もうとして──彼女を見つけた。

 コーディを押し退けると、その背中に向かって一目散に走り出す。

「すいません、コーディ様!」

「レ、レイチェル!?」

 コーディの焦る声が聞こえたが、振り向かずに彼女に向かって声をかけた。

「ステラ様!」

 レイチェルの呼びかけに、彼女は、立ち止まって振り返る。長い黒髪がさらりと揺れ、金の瞳が見えて、レイチェルはその美しさに息を飲んだ。

 この瞬間。彼女と対峙するこの瞬間。レイチェルはいつも、一瞬だけ嫉妬もなにもかもを忘れて見入ってしまう。それから、こう思うのだ。星を見つけた、と。

 レイチェルは彼女に駆け寄ろうとしたが、しかし、何を思ったのか、ステラはダッシュでその場から逃げ出した。

 残されたレイチェルは、一瞬ぽかんとして、項垂れる。次いで、肩を震わせた。

「ふふ……」

「レイチェル。あのご令嬢がなにか――ひえっ」

 追いついてきたコーディが顔を覗き込んで、後退る。レイチェルは笑うと、遠くなっていく背中を凝視して、屈伸を始めた。

「……レイチェル。まさか追いかける気じゃないよな? 違うよな? 貴族が集まる学園の入学式で、よそのご令嬢を、走って追いかける気じゃないよな?」

「そんなことしませんわ」

 慌てふためくコーディに、ハッと笑ってみせる。否定が返ってきて安心したのか、胸をなで下ろす彼に、レイチェルは堂々と告げた。

「捕まえてふん縛るのよ」

 顔を青くして叫ぶコーディを置いて、準備運動を終えたレイチェルは、目標めがけてダッシュした。

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神様曰く、運命なので

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