話 2
広山真知子 (Machiko Hiroyama) POV:
辻村美唄さんの冷たい声が, 私の胸に重くのしかかった. 彼女の視線は, 私が持っている風呂敷包みのお弁当と, 私の質素な身なりを交互に見ている.
「あ, あの, 広山社長に, お祝いの品を…」
私はとっさに言葉を探したが, うまく出てこない. サプライズにするつもりだったから, 辻村さんにも詳しい事情は話していなかった.
「お祝いの品? 広山社長はつい先ほど帰国されたばかりです. あなたは一体, どちら様ですか? 」
彼女の声はさらに鋭くなった. まるで, 私が何か悪いことを企んでいるとでも言いたげな口調だった.
「私は…広山真知子と申します. 亮佑さんとは, 幼馴染で…」
私は正直に答えた. 亮佑は, 公には私との関係を隠している. だから, 幼馴染という言葉を選んだ.
「幼馴染? ふざけないでください」
辻村さんの表情が, 一瞬にして凍りついた. 彼女の唇が歪み, 嘲笑めいた笑みが浮かんだ.
「広山社長の幼馴染を名乗る不審者が, アポイントもなく会社に乗り込んできて, お荷物ですか. はっきり言いますけれど, 広山社長は今, 非常に疲れていらっしゃいます. お会いする時間などありません」
彼女はそう言い放ち, 私をまるで害虫でも見るかのような目で睨みつけた.
私の胸が, ぎゅっと締め付けられた. この冷たい視線は, 亮佑の周りにいる人たちが私を見る時の, いつもの視線だった.
「で, でも, どうしても渡したいものが…」
「金目当てのストーカーですか? それとも, 広山社長の愛人を気取るつもりですか? あなたのような薄汚い貧乏人が, 社長に近づくなど, 身の程を知りなさい」
辻村さんの言葉が, 容赦なく私の心を抉った. まるで, 鋭い刃物で切り裂かれたかのようだった.
目がくらむほどの怒りが, 心の奥底から湧き上がってきた.
「そんな言い方, 酷すぎます! 私は…亮佑さんの妻です! 」
我慢できず, 思わずそう叫んでしまった. このサプライズを台無しにしたくはなかったけれど, これ以上侮辱されるのは耐えられなかった.
辻村さんの顔から, 血の気が引いた. 彼女の目は大きく見開かれ, 信じられないものを見るかのように私を凝視した.
しかし, その驚きはすぐに, 狂気じみた怒りに変わった.
「妻? ふざけるのも大概にしてください! 広山社長があなたのような女と結婚するはずがないでしょう! 」
彼女の声はヒステリックに響き渡った. 周りの社員たちが, 何事かとこちらを見始めた.
私は, まずい, と思った. 亮佑の立場を危うくするわけにはいかない.
「違うんです, 私は…とにかく, 亮佑さんに会わせてくれませんか? 」
私は必死に懇願した. お腹の赤ちゃんが, まるで私の緊張を感じ取ったかのように, 小さく震えた気がした.
「会わせるわけがないでしょう! あなたは広山社長を利用しようとしているだけ! 警備員! 」
辻村さんはそう叫び, セキュリティスタッフを呼んだ.
背後から, 二人の大柄な警備員が近づいてくるのが分かった. 彼らの足音が, 私の心臓の鼓動と重なって聞こえた.
「この女を速やかに排除しなさい! 彼女は広山社長のストーカーです! 」
辻村さんの声が, ロビー全体に響き渡った.
私の周りにいた社員たちの視線が, 一斉に私に突き刺さる. 彼らの目には, 好奇心と, 軽蔑と, わずかな嫌悪感が混じっていた.
「違う! 私はストーカーなんかじゃない! 」
私は必死に弁解しようとしたが, 辻村さんは私の言葉を遮った.
「社長がいない間にできた子供なんて, どうせ浮気相手の種だろう! 」
彼女の言葉が, 私の頭の中で雷鳴のように轟いた.
怒り, 悲しみ, そして恐怖が, 私の全身を駆け巡った.
お腹の子を侮辱されたことに, 私は理性では抑えきれないほどの激しい怒りを感じた.
「お腹に赤ちゃんがいるの! 」
私は叫んだ. 震える声で, その事実を突きつけた.
しかし, 辻村さんはそれを嘲笑った.
「笑わせないで. そんなもの, 広山社長の子であるはずがないでしょう! 不貞の証拠ね! 」
彼女の言葉は, 氷のように冷たかった. その瞳には, 一切の慈悲も宿っていなかった.
警備員が, 私の腕を掴もうと手を伸ばしてきた.
私は必死に抵抗した. お腹の赤ちゃんを守らなければならない.
「触らないで! お願いだから, 触らないで! 」
私は叫び, 体をよじった.
その瞬間, 辻村さんが一歩踏み出し, 私の腹部を思い切り蹴り上げた.
鈍い衝撃が, 私のお腹を襲った.
「ぐっ…! 」
息が詰まり, 体がくの字に曲がる. 激痛が, 私の下腹部から全身へと広がった.
お弁当箱が, 私の手から滑り落ち, 硬い大理石の床に激突した.
中身が飛び散り, 亮佑のために作った色とりどりの料理が, 無残にも散乱した.
私は膝から崩れ落ち, その場にうずくまった.
「や, やめて…! 」
震える声で懇願したが, 辻村さんの狂気は止まらなかった.
彼女はどこからか小さなハサミを取り出し, 私のワンピースのスカート部分を掴んだ.
「その薄汚い服も, 社長の会社のロビーに相応しくないわ! 」
ザクッ, ザクッ, と, ハサミが布を切り裂く音が響いた.
私の服は無残にも引き裂かれ, 肌が露出する.
警備員たちが私を押さえつけ, 私は抵抗できない.
社員たちの好奇の視線が, 嘲笑めいた視線が, 私に突き刺さる.
私は, 屈辱と激痛に耐えながら, ロビーの冷たい床に横たわった.
その時, 下腹部から, 温かい液体が流れ出る感触があった.
「あ…」
私は, 自分の下半身を見た.
真っ白なワンピースのスカートの裂け目から, 真っ赤な鮮血が, 止めどなく溢れ出しているのが見えた.
私の心臓が, 凍りついた.
赤ちゃん.
私たちの赤ちゃん.
私の視界が, ぐにゃりと歪んだ.
周りの声が, 遠く, 霞んで聞こえる.
「あ…赤ちゃん…」
私の声は, 誰にも届かなかった.
ロビーの冷たい床が, 私の血で, 濡れていく.
意識が, 遠のいていく中で, 私はただ, お腹の中の命が失われていくのを感じていた.
目の前が真っ暗になった.
私は, もう, 何も感じなかった.
ただ, この絶望だけが, 私の心を支配していた.
話 3
広山真知子 (Machiko Hiroyama) POV:
意識が朦朧とする中で, 私は自分がまだ生きていることを皮肉に感じた. 目の前は真っ暗だが, 体中の激痛が, 私が地獄にいることを教えているようだった.
「ふん, これで広山社長の邪魔者はいなくなったわね」
辻村美唄さんの声が, 頭上で響いた. その声には, 一切の悔恨も, 罪悪感も感じられなかった.
むしろ, 達成感に満ちた, 嫌悪感を催す響きだった.
「この女を早く処理して. こんな汚い血で, ロビーを汚さないでほしいわ」
彼女の言葉は, 私の心を再び切り裂いた. 私は人間として扱われていない. まるで, ゴミのように.
「社長に言いつけてやる…」
私は, かすれた声で呟いた. 復讐の念が, 私の意識をなんとか繋ぎ止めているようだった.
「社長に? 笑わせないでくれる? 社長はあなたのことなんて, 金輪際忘れるわ. この会社に, あなたの居場所なんてないのよ」
辻村さんは, 私の頭を足で軽く蹴った. その行為に, 周囲の社員たちは誰一人として眉一つ動かさない.
彼らの目には, 好奇心や軽蔑だけでなく, 辻村さんへの畏怖の念が宿っていた.
私は, なんとか体を起こそうとした. 亮佑に連絡しなければ. 彼なら, この状況を, この不条理を, 必ず正してくれる.
「スマホ…」
私は震える手で, ポケットを探った.
しかし, その動きを, 辻村さんは見逃さなかった.
「何を探しているの? 誰かに助けを求めようとでも? 無駄よ」
彼女は私の手からスマホをひったくると, 何の躊躇もなく, それを床に叩きつけた.
パキッ, という鈍い音がして, 画面がバキバキに砕け散った.
「こんな安物のスマホで, 広山社長に連絡できるとでも思った? あなたの持っているもの全てが, 社長には相応しくないのよ」
彼女はそう言って, 私のスマホをゴミのように投げ捨てた.
私の心は, 完全に絶望に打ちひしがれた.
助けを呼ぶこともできない. 亮佑に連絡することもできない.
私はただ, この場所で, 彼らが私に何をしようとも, 抵抗することもできずに横たわっているだけだった.
「このストーカー女, 本当に社長の奥さんだとか言ってたな」
「ありえないだろ. 社長があんな地味な女と結婚するわけない」
「それに, お腹に子供がいるって? 社長が二ヶ月も海外出張してたのに? 浮気相手の子供を社長に押し付けようとしたんじゃないか? 」
周囲の社員たちの囁き声が, 私の耳に届いた. 彼らの言葉は, まるで毒の矢のように, 私の心を貫いた.
彼らは, 辻村さんの言葉を鵜呑みにし, 私を一方的に悪者だと決めつけていた.
「どうせ, 金目当てに決まってる. 社長の財力に目がくらんで, 手段を選ばない女だ」
彼らの視線が, 私をますます深く, 深い闇へと突き落としていった.
私は, 必死に頭を振った.
「違う…違うの…」
しかし, 私の声は, 誰にも届かない.
辻村さんは, 満足げに笑みを浮かべ, 再び私の前にかがみ込んだ.
その手には, 先ほどのハサミが握られていた.
「あなたのような女が, 広山社長の妻を名乗るなんて, 鳥肌が立つわ. その穢れた体から, 社長の影を消してあげる」
彼女の目は, 完全に狂気に染まっていた.
ハサミの冷たい刃先が, 私の頬に触れる.
「ひっ…! 」
私は, 恐怖で体が硬直した.
「やめて…何を…」
「何をって? そうね, まずはその汚らしい髪を切って, その顔も少し整えてあげましょうか」
彼女の言葉の裏には, さらなる暴力の予感があった.
私は必死に体をねじったが, 警備員たちが私を強く押さえつけ, 身動きが取れない.
「ねえ, あなたたちも手伝って. この女のせいで, 社長のイメージが損なわれるのは困るでしょう? 」
辻村さんは, 周囲の社員たちに呼びかけた.
彼らは一瞬, 躊躇したように見えたが, 辻村さんの冷たい視線に, すぐに顔を強張らせた.
「あの, 辻村秘書. これ以上は…」
一人の男性社員が, おずおずと口を開いた.
しかし, 辻村さんは彼を睨みつけた.
「何か文句でもあるの? 社長のために, この問題を解決するのは, 我々の務めでしょう? それとも, あなたはこのストーカー女の味方をするつもり? 」
彼女の言葉に, 男性社員は口を噤んだ.
そして, 他の何人かの社員が, 私の周りに集まってきた.
彼らの目には, 恐怖と, 保身が複雑に絡み合っていた.
「さあ, みんなでこの女を『清めて』あげましょう」
辻村さんの歪んだ声が, ロビーに響き渡った.
私の体は, 血でべとつき, 衣服は破れ, 痛みで感覚が麻痺し始めていた.
しかし, この屈辱だけは, 決して消えることはなかった.
彼らの顔が, 私の視界を覆っていく.
私は, もう, 何も見たくなかった.
「亮佑…」
心の中で, 愛する夫の名前を呼んだ.
その名前だけが, 私をこの地獄から救い出してくれる唯一の希望だった.
しかし, その希望も, 今, 目の前で, 彼らの冷たい視線と, 辻村さんの狂気に満ちた笑みによって, 踏みにじられようとしていた.
私は, もう, 終わりだと, そう思った.