話 1
財閥総帥の夫と極秘結婚して七年, 不妊治療の末にようやく授かった奇跡の命.
夫の海外出張からの帰国日, 私はサプライズで妊娠を告げるため, 手作り弁当を抱えて本社ビルへ向かった.
しかし, そこで待っていたのは感動の再会ではなく, 夫の秘書・辻村美唄による地獄のような凌辱だった.
「社長のストーカーが, 妊娠をでっち上げている」
そう嘲笑われ, 警備員に押さえつけられた私の服はハサミで切り裂かれた.
「その汚い腹も目障りね」
辻村の鋭い靴先が, 膨らみ始めたばかりの私のお腹を何度も蹴り上げる.
ロビーの大理石が鮮血で赤く染まり, 薄れゆく意識の中で, 七年間待ち望んだ我が子の命が消えていくのを確かに感じた.
遅れて到着した夫は, 血の海に沈むのが最愛の妻だと知るや否や, 鬼と化した.
秘書の顔面を原型がなくなるまで殴り続け, 傍観していた社員たちには自らの指を切り落とさせ償わせた.
だが, 私の空っぽになった子宮と凍りついた心には, もう何の感情も残されていなかった.
第1章
広山真知子 (Machiko Hiroyama) POV:
七年間, ただひたすらに待ち望んだ奇跡が, 私の体の中で息づき始めた. この小さな命が, 私たち夫婦の未来を, そして私の全てを変えるはずだった.
「妊娠しています」
医師の言葉が, 私の耳の奥で何度も反響した. 信じられない, というよりは, あまりにも現実離れした幸福感に, 体が震えた.
七年間.
亮佑と極秘結婚してからの日々は, 不妊治療の苦しみと, それでもいつかくるかもしれない奇跡への淡い期待で満たされていた.
その奇跡が今, 確かに私の体の中で息づいている.
亮佑は二ヶ月の海外出張中だった. 彼がいない間に授かったこの命.
まるで, 私たちの二人の間に, 神様がこっそりプレゼントを置いていってくれたみたいだ.
私はすぐにでも亮佑に伝えたかった. この喜びを, この奇跡を, 彼と分かち合いたかった.
でも, それは彼の帰国を待って, サプライズにしたかった.
彼の驚く顔を想像すると, 胸の奥が温かい光で満たされた.
きっと, 亮佑も喜んでくれるだろう.
彼がどれほど子供を望んでいたか, 私は知っていた.
いつも冷静で, 感情を表に出さない彼が, 子供の話になると, どこか寂しそうな, それでいて深い愛情を秘めた眼差しをすることがあったから.
彼の帰国日は, もうすぐそこだった.
私は冷蔵庫を開け, 色とりどりの食材を取り出した. 亮佑の好物を詰め込んだ特製弁当を作ろう.
彼が一番好きな卵焼きは, 少し甘めに.
唐揚げは, 彼の出張中に一番食べたかったと言っていたから, 多めに.
彩り豊かな野菜を添えて, 愛情を込めて詰め込んでいく.
一つ一つの作業が, 私にとっては何よりも尊い時間だった.
まるで, 生まれてくる赤ちゃんへの初めての贈り物を作るかのように, 慎重に, そして心を込めて.
亮佑の会社の人間は, 私たちが結婚していることを知らない.
広山財閥の若き総帥である彼が, 私のようなごく普通の人間と結婚しているなど, 彼らの辞書には存在しないことだろう.
だから, 私はいつも「影」として彼を支えてきた.
それが, 私の役目だと思っていた.
でも, このお弁当は, そんな影の私から, 彼への特別なメッセージ.
「亮佑, お帰りなさい. そして, 私, ママになるの」
そう伝える瞬間を想像するだけで, 頬が緩み, 涙が滲んだ.
お弁当箱の蓋を閉め, 風呂敷で丁寧に包む.
その手触りが, 私の心臓の鼓動とシンクロしているようだった.
今日は, 亮佑の帰国日.
待ちに待った, その日が来た.
私は普段着の中で一番きれいなワンピースを選んだ. 派手すぎず, でも清潔感のあるもの.
亮佑の会社に行くのだから, あまりカジュアルすぎるのは良くないだろう.
鏡に映る自分を見る. 少しだけ膨らみ始めたお腹を, そっと撫でた.
「もう少しで, パパに会えるわよ」
小さな声で語りかけると, お腹の中の命が確かに応えているような気がした.
広山財閥の本社ビルは, 都心にそびえ立つ巨大な要塞のようだった.
眩しく輝くガラス張りの外壁は, 私の心に, 少しの畏縮と, それ以上の高揚感をもたらした.
私のような人間が, こんな場所に足を踏み入れていいのだろうか.
そんな弱気な考えが一瞬よぎるが, すぐに打ち消した.
今日は, 私が「広山真知子」として, 彼に会いに行く日ではない.
彼の妻として, そして彼の子供の母親として, この奇跡を伝えに行く日なのだ.
重厚なエントランスをくぐると, ひんやりとした空気が肌を包んだ.
大理石の床は, 私の足音を吸い込むように静かだった.
受付の女性に, 亮佑の秘書である辻村美唄さんの名前を伝えた.
事前に亮佑には連絡せず, 秘書の方に内緒で彼の帰国時間を教えてもらったのだ.
辻村さんは, いつも冷静で仕事ができると亮佑が褒めていた人だ. きっと, 私のサプライズにも協力してくれるだろう.
「広山亮佑社長にお届け物です」
私は少し緊張しながらも, 受付の女性に告げた.
エレベーターが最上階へと上がっていく.
心臓が, まるでこのビル全体を揺らすかのように, ドクドクと大きく鳴り響いた.
扉が開く.
そこには, 廊下の向こうから, すらりと伸びた足でこちらに向かってくる一人の女性の姿があった.
辻村美唄さんだ.
彼女の顔は, なぜか険しく, 私を見るその瞳には, 深い警戒の色が宿っていた.
「あなたが... 広山社長に何かご用ですか? 」
彼女の冷たい声が, 私の耳に刺さった.
その声は, 私の期待に満ちた心を, 一瞬にして凍らせるのに十分だった.
話 2
広山真知子 (Machiko Hiroyama) POV:
辻村美唄さんの冷たい声が, 私の胸に重くのしかかった. 彼女の視線は, 私が持っている風呂敷包みのお弁当と, 私の質素な身なりを交互に見ている.
「あ, あの, 広山社長に, お祝いの品を…」
私はとっさに言葉を探したが, うまく出てこない. サプライズにするつもりだったから, 辻村さんにも詳しい事情は話していなかった.
「お祝いの品? 広山社長はつい先ほど帰国されたばかりです. あなたは一体, どちら様ですか? 」
彼女の声はさらに鋭くなった. まるで, 私が何か悪いことを企んでいるとでも言いたげな口調だった.
「私は…広山真知子と申します. 亮佑さんとは, 幼馴染で…」
私は正直に答えた. 亮佑は, 公には私との関係を隠している. だから, 幼馴染という言葉を選んだ.
「幼馴染? ふざけないでください」
辻村さんの表情が, 一瞬にして凍りついた. 彼女の唇が歪み, 嘲笑めいた笑みが浮かんだ.
「広山社長の幼馴染を名乗る不審者が, アポイントもなく会社に乗り込んできて, お荷物ですか. はっきり言いますけれど, 広山社長は今, 非常に疲れていらっしゃいます. お会いする時間などありません」
彼女はそう言い放ち, 私をまるで害虫でも見るかのような目で睨みつけた.
私の胸が, ぎゅっと締め付けられた. この冷たい視線は, 亮佑の周りにいる人たちが私を見る時の, いつもの視線だった.
「で, でも, どうしても渡したいものが…」
「金目当てのストーカーですか? それとも, 広山社長の愛人を気取るつもりですか? あなたのような薄汚い貧乏人が, 社長に近づくなど, 身の程を知りなさい」
辻村さんの言葉が, 容赦なく私の心を抉った. まるで, 鋭い刃物で切り裂かれたかのようだった.
目がくらむほどの怒りが, 心の奥底から湧き上がってきた.
「そんな言い方, 酷すぎます! 私は…亮佑さんの妻です! 」
我慢できず, 思わずそう叫んでしまった. このサプライズを台無しにしたくはなかったけれど, これ以上侮辱されるのは耐えられなかった.
辻村さんの顔から, 血の気が引いた. 彼女の目は大きく見開かれ, 信じられないものを見るかのように私を凝視した.
しかし, その驚きはすぐに, 狂気じみた怒りに変わった.
「妻? ふざけるのも大概にしてください! 広山社長があなたのような女と結婚するはずがないでしょう! 」
彼女の声はヒステリックに響き渡った. 周りの社員たちが, 何事かとこちらを見始めた.
私は, まずい, と思った. 亮佑の立場を危うくするわけにはいかない.
「違うんです, 私は…とにかく, 亮佑さんに会わせてくれませんか? 」
私は必死に懇願した. お腹の赤ちゃんが, まるで私の緊張を感じ取ったかのように, 小さく震えた気がした.
「会わせるわけがないでしょう! あなたは広山社長を利用しようとしているだけ! 警備員! 」
辻村さんはそう叫び, セキュリティスタッフを呼んだ.
背後から, 二人の大柄な警備員が近づいてくるのが分かった. 彼らの足音が, 私の心臓の鼓動と重なって聞こえた.
「この女を速やかに排除しなさい! 彼女は広山社長のストーカーです! 」
辻村さんの声が, ロビー全体に響き渡った.
私の周りにいた社員たちの視線が, 一斉に私に突き刺さる. 彼らの目には, 好奇心と, 軽蔑と, わずかな嫌悪感が混じっていた.
「違う! 私はストーカーなんかじゃない! 」
私は必死に弁解しようとしたが, 辻村さんは私の言葉を遮った.
「社長がいない間にできた子供なんて, どうせ浮気相手の種だろう! 」
彼女の言葉が, 私の頭の中で雷鳴のように轟いた.
怒り, 悲しみ, そして恐怖が, 私の全身を駆け巡った.
お腹の子を侮辱されたことに, 私は理性では抑えきれないほどの激しい怒りを感じた.
「お腹に赤ちゃんがいるの! 」
私は叫んだ. 震える声で, その事実を突きつけた.
しかし, 辻村さんはそれを嘲笑った.
「笑わせないで. そんなもの, 広山社長の子であるはずがないでしょう! 不貞の証拠ね! 」
彼女の言葉は, 氷のように冷たかった. その瞳には, 一切の慈悲も宿っていなかった.
警備員が, 私の腕を掴もうと手を伸ばしてきた.
私は必死に抵抗した. お腹の赤ちゃんを守らなければならない.
「触らないで! お願いだから, 触らないで! 」
私は叫び, 体をよじった.
その瞬間, 辻村さんが一歩踏み出し, 私の腹部を思い切り蹴り上げた.
鈍い衝撃が, 私のお腹を襲った.
「ぐっ…! 」
息が詰まり, 体がくの字に曲がる. 激痛が, 私の下腹部から全身へと広がった.
お弁当箱が, 私の手から滑り落ち, 硬い大理石の床に激突した.
中身が飛び散り, 亮佑のために作った色とりどりの料理が, 無残にも散乱した.
私は膝から崩れ落ち, その場にうずくまった.
「や, やめて…! 」
震える声で懇願したが, 辻村さんの狂気は止まらなかった.
彼女はどこからか小さなハサミを取り出し, 私のワンピースのスカート部分を掴んだ.
「その薄汚い服も, 社長の会社のロビーに相応しくないわ! 」
ザクッ, ザクッ, と, ハサミが布を切り裂く音が響いた.
私の服は無残にも引き裂かれ, 肌が露出する.
警備員たちが私を押さえつけ, 私は抵抗できない.
社員たちの好奇の視線が, 嘲笑めいた視線が, 私に突き刺さる.
私は, 屈辱と激痛に耐えながら, ロビーの冷たい床に横たわった.
その時, 下腹部から, 温かい液体が流れ出る感触があった.
「あ…」
私は, 自分の下半身を見た.
真っ白なワンピースのスカートの裂け目から, 真っ赤な鮮血が, 止めどなく溢れ出しているのが見えた.
私の心臓が, 凍りついた.
赤ちゃん.
私たちの赤ちゃん.
私の視界が, ぐにゃりと歪んだ.
周りの声が, 遠く, 霞んで聞こえる.
「あ…赤ちゃん…」
私の声は, 誰にも届かなかった.
ロビーの冷たい床が, 私の血で, 濡れていく.
意識が, 遠のいていく中で, 私はただ, お腹の中の命が失われていくのを感じていた.
目の前が真っ暗になった.
私は, もう, 何も感じなかった.
ただ, この絶望だけが, 私の心を支配していた.
話 3
広山真知子 (Machiko Hiroyama) POV:
意識が朦朧とする中で, 私は自分がまだ生きていることを皮肉に感じた. 目の前は真っ暗だが, 体中の激痛が, 私が地獄にいることを教えているようだった.
「ふん, これで広山社長の邪魔者はいなくなったわね」
辻村美唄さんの声が, 頭上で響いた. その声には, 一切の悔恨も, 罪悪感も感じられなかった.
むしろ, 達成感に満ちた, 嫌悪感を催す響きだった.
「この女を早く処理して. こんな汚い血で, ロビーを汚さないでほしいわ」
彼女の言葉は, 私の心を再び切り裂いた. 私は人間として扱われていない. まるで, ゴミのように.
「社長に言いつけてやる…」
私は, かすれた声で呟いた. 復讐の念が, 私の意識をなんとか繋ぎ止めているようだった.
「社長に? 笑わせないでくれる? 社長はあなたのことなんて, 金輪際忘れるわ. この会社に, あなたの居場所なんてないのよ」
辻村さんは, 私の頭を足で軽く蹴った. その行為に, 周囲の社員たちは誰一人として眉一つ動かさない.
彼らの目には, 好奇心や軽蔑だけでなく, 辻村さんへの畏怖の念が宿っていた.
私は, なんとか体を起こそうとした. 亮佑に連絡しなければ. 彼なら, この状況を, この不条理を, 必ず正してくれる.
「スマホ…」
私は震える手で, ポケットを探った.
しかし, その動きを, 辻村さんは見逃さなかった.
「何を探しているの? 誰かに助けを求めようとでも? 無駄よ」
彼女は私の手からスマホをひったくると, 何の躊躇もなく, それを床に叩きつけた.
パキッ, という鈍い音がして, 画面がバキバキに砕け散った.
「こんな安物のスマホで, 広山社長に連絡できるとでも思った? あなたの持っているもの全てが, 社長には相応しくないのよ」
彼女はそう言って, 私のスマホをゴミのように投げ捨てた.
私の心は, 完全に絶望に打ちひしがれた.
助けを呼ぶこともできない. 亮佑に連絡することもできない.
私はただ, この場所で, 彼らが私に何をしようとも, 抵抗することもできずに横たわっているだけだった.
「このストーカー女, 本当に社長の奥さんだとか言ってたな」
「ありえないだろ. 社長があんな地味な女と結婚するわけない」
「それに, お腹に子供がいるって? 社長が二ヶ月も海外出張してたのに? 浮気相手の子供を社長に押し付けようとしたんじゃないか? 」
周囲の社員たちの囁き声が, 私の耳に届いた. 彼らの言葉は, まるで毒の矢のように, 私の心を貫いた.
彼らは, 辻村さんの言葉を鵜呑みにし, 私を一方的に悪者だと決めつけていた.
「どうせ, 金目当てに決まってる. 社長の財力に目がくらんで, 手段を選ばない女だ」
彼らの視線が, 私をますます深く, 深い闇へと突き落としていった.
私は, 必死に頭を振った.
「違う…違うの…」
しかし, 私の声は, 誰にも届かない.
辻村さんは, 満足げに笑みを浮かべ, 再び私の前にかがみ込んだ.
その手には, 先ほどのハサミが握られていた.
「あなたのような女が, 広山社長の妻を名乗るなんて, 鳥肌が立つわ. その穢れた体から, 社長の影を消してあげる」
彼女の目は, 完全に狂気に染まっていた.
ハサミの冷たい刃先が, 私の頬に触れる.
「ひっ…! 」
私は, 恐怖で体が硬直した.
「やめて…何を…」
「何をって? そうね, まずはその汚らしい髪を切って, その顔も少し整えてあげましょうか」
彼女の言葉の裏には, さらなる暴力の予感があった.
私は必死に体をねじったが, 警備員たちが私を強く押さえつけ, 身動きが取れない.
「ねえ, あなたたちも手伝って. この女のせいで, 社長のイメージが損なわれるのは困るでしょう? 」
辻村さんは, 周囲の社員たちに呼びかけた.
彼らは一瞬, 躊躇したように見えたが, 辻村さんの冷たい視線に, すぐに顔を強張らせた.
「あの, 辻村秘書. これ以上は…」
一人の男性社員が, おずおずと口を開いた.
しかし, 辻村さんは彼を睨みつけた.
「何か文句でもあるの? 社長のために, この問題を解決するのは, 我々の務めでしょう? それとも, あなたはこのストーカー女の味方をするつもり? 」
彼女の言葉に, 男性社員は口を噤んだ.
そして, 他の何人かの社員が, 私の周りに集まってきた.
彼らの目には, 恐怖と, 保身が複雑に絡み合っていた.
「さあ, みんなでこの女を『清めて』あげましょう」
辻村さんの歪んだ声が, ロビーに響き渡った.
私の体は, 血でべとつき, 衣服は破れ, 痛みで感覚が麻痺し始めていた.
しかし, この屈辱だけは, 決して消えることはなかった.
彼らの顔が, 私の視界を覆っていく.
私は, もう, 何も見たくなかった.
「亮佑…」
心の中で, 愛する夫の名前を呼んだ.
その名前だけが, 私をこの地獄から救い出してくれる唯一の希望だった.
しかし, その希望も, 今, 目の前で, 彼らの冷たい視線と, 辻村さんの狂気に満ちた笑みによって, 踏みにじられようとしていた.
私は, もう, 終わりだと, そう思った.