1

7年間, すべてを捧げてきた恋人との99回目の結婚記念日. 今日こそはと純白のワンピースで区役所に向かった私を待っていたのは, 彼の腕に絡みつくアシスタントの女だった.

「ごめん, 完全に忘れてた. 麻耶が実家から結婚を迫られてて, 偽装結婚だからすぐ離婚する. だから, お前は少し待っていてくれ」

信じられない言葉を平然と口にする彼. さらに彼の父親は, 古希祝いの席で「お前なんか慎和の妻にふさわしくない」と私を突き飛ばし, 熱いお茶を顔に浴びせた. それでも彼は, ただ傍観しているだけだった.

99回の裏切り. 彼の家族からの屈辱. そして, 私を助けようともしない彼の冷たい視線.

私の7年間は, 一体何だったのだろう.

すべてを捨てて京都の実家へ帰った私を, 彼は執拗に追いかけてきた. そして, あろうことか私を倉庫に監禁したのだ. 「君がいないと生きていけない」と涙を流す彼に, 私は静かに警察へ通報した.

第1章

塚本美優 POV:

「お嬢さん, また来ましたね」

受付の女性が私を見て微笑んだ. その声には, 親しみと, どこか諦めが混じっているように聞こえた.

私は顔を赤らめた.

彼女の言葉は, 私の心を直接えぐった.

今日で99回目だ.

榊原慎和と私が, 区役所に婚姻届を提出しに来るのは.

「今回は, うまくいくといいですね」

そう言ったのは, 隣の窓口にいた男性職員だった.

彼は新聞を広げながら, 私たち夫婦の" ドラマ" を毎週楽しみにしているようだった.

「ほら, 見てみろよ, 部長! 」

「また塚本さんだぜ」

他の職員たちもざわめき始めた.

私は, 彼らの視線から逃れるように, 俯いた.

私たちの結婚は, 彼らにとって, もはや見世物なのだ.

「部長, 賭けましょうか」

「今回は, うまくいくか, いかないか」

彼らの声が, 私の耳に届く.

「いや, 今回はどうだろうな」

「彼女, いつもより気合が入ってるみたいだし」

「でも, 相手の榊原社長は, なかなか手ごわいぞ」

彼らの言葉が, 私の心を締め付ける.

私は, 慎和を信じていた.

今日こそは, と.

誓っていたから.

その時だった.

見慣れた高級車が, 区役所の駐車場に滑り込んできた.

私の心臓が, 高鳴る.

慎和だ.

慎和が, 来てくれた.

私は, 弾かれたように車に駆け寄った.

車から降りてきたのは, 慎和と, そして--

もう一人, 女性がいた.

甲斐麻耶.

慎和のアシスタントだった.

麻耶は, 慎和の腕に, そっと手を絡めている.

二人は, 私の方には目もくれず, 区役所の入り口へと向かっていた.

私の足が, 地面に縫い付けられたように動かない.

「慎和! 」

私は, か細い声で, 彼の名前を呼んだ.

彼は, 振り返った.

その顔には, いつもの優しい笑顔はなかった.

「あれ? 」

「美優, どうしてここに? 」

彼は, 心底驚いたような顔をしている.

その隣で, 麻耶が, 不安そうな顔で慎和を見上げている.

「どうしてって…」

「今日, 結婚記念日よ」

「99回目の」

私の声が震える.

慎和は, ハッとしたように目を見開いた.

「ああ, そうだったな」

「ごめん, 完全に忘れていた」

彼の言葉が, 私の胸を深く突き刺した.

「でも, 大丈夫だ」

「麻耶が, 実家から結婚を迫られていて」

「偽装結婚だから, すぐに離婚する」

「だから, お前は少し待っていてくれ」

彼は, そう言って, 麻耶の手を引いて区役所の入り口へと向かおうとする.

「待って! 」

私は, 彼の腕を掴んだ.

「どうして…」

「どうして, こんなことするの? 」

私の目から, 涙が溢れ落ちる.

「美優, 君はいつもそうだな」

「少しは, 僕の気持ちも考えてくれ」

「麻耶は, 本当に困っているんだ」

慎和は, 苛立たしげに私の手を振り払った.

その瞬間, 麻耶が, 慎和の腕にさらに強くしがみついた.

「社長…」

「私なんかのために, 美優さんを困らせて…」

麻耶は, そう言って, 涙を浮かべている.

その演技に, 私は吐き気がした.

「大丈夫だ, 麻耶」

「僕が, 君を守る」

慎和は, 麻耶の頭を優しく撫でた.

その光景が, 私の心を切り裂いた.

「慎和…」

私は, もう一度, 彼の名前を呼んだ.

しかし, 彼は, もう私の方を見ていなかった.

彼は, 麻耶の手を引いて, 区役所の奥へと消えていく.

私は, その場に立ち尽くしていた.

彼の背中が, 遠ざかるにつれて, 私の心は, 急速に冷え切っていく.

彼は, 今日のために, いつもよりも念入りに髪をセットしていた.

新しいスーツも, おろしたてだった.

私との結婚式のために, 気合を入れたのだと, 信じていたのに.

もしかしたら, 彼は, 最初から, 私と結婚するつもりなどなかったのかもしれない.

私に, 彼の嘘を見抜く力がなかっただけなのだ.

私は, ゆっくりと, 区役所の入り口へと向かう.

中では, 慎和と麻耶が, 婚姻届を提出しているところだった.

彼らの姿が, まるで夢のように, 私にはぼんやりと見えた.

私は, タクシーを拾い, 自宅へと向かった.

部屋に戻ると, 私は, 今日のために準備していた純白のワンピースを脱ぎ捨てた.

ハサミを取り出し, ビリビリと切り裂く.

白い布が, 雪のように舞い散る.

7年間.

私は, 彼のために, 全てを捧げてきた.

しかし, 99回目の裏切りで, 私の心は, 完全に折れてしまった.

もう, 彼を信じることはできない.

私の7年間は, 今日で終わったのだ.

2

塚本美優 POV:

深い眠りから覚めると, 部屋はまだ薄暗かった. 体は鉛のように重く, 心は空っぽだった. 昨日からの出来事が, 夢だったかのように現実感がなかった. しかし, 胸の奥に残る痛みだけが, それが現実であったことを物語っていた.

携帯電話が震え, 枕元で光っていた. 母からの電話だ.

私は深呼吸をして, 震える声で出た.

「もしもし, お母さん」

「美優?  どうしたの, 声が疲れているじゃない」

母の声は, いつも通り優しかった. その優しさが, 私の胸を締め付けた.

「ううん, 何でもないよ」

私は努めて明るい声を出そうとしたが, うまくいかなかった.

「今日, 慎和さんと籍を入れる日だったでしょう?  これから手続き? 」

母の言葉が, 私の心に冷たい水をかけた.

「ううん, もう籍は入れない」

私の声は, ひどく掠れていた.

「え? 」

母が, 驚いた声を上げた.

「お母さん…私, 帰りたい…」

涙が, 止まらなかった.

私は, この7年間, 東京で一人, 慎和の事業を支えてきた. 有名老舗和菓子屋「塚本屋」の跡取り娘という出自を隠し, 彼の隣で, 彼の夢を追いかけてきた. 私の人生は, 彼のためにあった.

母は, 京都で「塚本屋」の女将を務めている. かつては, 私に和菓子職人としての才能を伸ばさせ, 将来は「塚本屋」を継がせたいと願っていた. しかし, 私が慎和を選んだ時, 母は何も言わず, 私の決断を静かに見守ってくれた.

「分かったわ」

母の声は, 穏やかだった.

「すぐに, 飛行機のチケットを手配するから」

「いつでも, 帰ってきていいのよ」

母の言葉が, 私の心を温かく包み込んだ.

電話を切ると, 私はゆっくりと立ち上がった. 部屋は, まるで私の心のように, 空っぽで寂しかった.

キッチンに向かい, 冷蔵庫を開けるが, 食欲は湧かない. 無理やり何かを食べようとしたが, 喉を通らなかった.

リビングに戻り, ソファに座ってテレビをつけた. バラエティ番組が, 騒がしい音を立てている. しかし, その音が, 私の耳には届かない.

ぼんやりと画面を眺めていると, ニュース速報が流れてきた.

「速報です. ITベンチャー企業『ネクサスラボ』の榊原慎和社長が, 本日未明, 秘書の甲斐麻耶さんとご結婚されました」

画面には, 慎和と麻耶が, 区役所の前で笑顔で手を取り合っている映像が流れていた. 麻耶は, 慎和の腕に嬉しそうに抱きつき, カメラに向かって手を振っている.

その隣で, 慎和が, 照れくさそうに微笑んでいる.

私の心臓が, 再び激しく痛んだ.

画面の隅には, 麻耶が自身のSNSに投稿した結婚報告の動画の切り抜きが表示されている.

「まさか, 私が榊原社長と結婚できるなんて…」

彼女の声が, 画面から聞こえてくる.

そのコメント欄には, 祝福の言葉が溢れていた.

「麻耶ちゃん, おめでとう! 」

「素敵な旦那様ですね! 」

「羨ましい! 」

その中には, 麻耶からの返信もあった.

「ありがとう! 」

「私, 本当に幸せ! 」

私は, テレビのリモコンを握りしめ, 画面を真っ暗にした.

食欲は, 完全に失せてしまった. 私は, テーブルの上のデリバリーのピザを, ゴミ箱に放り込んだ.

翌朝, 私は会社に出社した.

私のデスクには, まだ, 慎和との思い出が残っている.

私は, それらを一つ一つ, 丁寧に片付けていく.

その様子を, 後輩の福島沙織莉が, 心配そうに見つめている.

沙織莉は, 私が慎和の会社に就職した当初から, 私の直属の後輩だった. 彼女は, いつも私のことを慕ってくれていた.

「美優先輩…」

「本当に, 辞めちゃうんですか? 」

沙織莉の声が, 震えている.

私は, 彼女に微笑みかけた.

「うん, もう決めたから」

「沙織莉, あとはお願いね」

その時, エレベーターの扉が開いた.

慎和が, そこに立っていた.

彼の顔には, いつもの自信に満ちた笑顔が浮かんでいる.

しかし, その首元には, 見慣れないスカーフが巻かれている.

そして, 彼から漂ってくるのは, 柑橘系の香り.

麻耶が, いつもつけている香水だった.

私の心臓が, 冷たくなる.

彼は, 私がいることに気づいていないようだった.

3

塚本美優 POV:

「美優先輩, 行っちゃうんですか? 」

沙織莉の声が, エレベーターホールに響いた.

慎和が, その声に気づき, 私の方を振り向いた.

彼の顔から, 笑顔が消える.

「美優, どうしてここに? 」

彼は, 眉をひそめて私を見た.

私は, 手に持っていた辞職願を, 彼に差し出した.

「お渡しするものが, あります」

彼は, 辞職願を無言で受け取った.

その表情は, 険しい.

「これは…どういう意味だ? 」

彼の声が, 低く響く.

「そのままの意味です」

「私, 辞めます」

私の言葉に, 彼は顔色を変えた.

「何を言っているんだ? 」

「君が辞めるなんて, 冗談だろう? 」

彼は, 辞職願を乱暴にデスクに叩きつけた.

「冗談じゃありません」

「もう, 疲れました」

私は, 彼の目を真っ直ぐに見つめた.

彼の顔に, 困惑の色が浮かぶ.

「疲れた? 」

「籍を入れる日だったから, こんなことを言っているのか? 」

「少し休めば, 元に戻るだろう」

彼は, そう言って, 私の肩に手を置こうとした.

私は, その手を避けた.

「そういう問題じゃない」

「あなたが, 私を裏切ったからじゃない」

彼の顔が, 青ざめる.

「美優…」

「君は, そんなことを言う子じゃなかっただろう」

「どうしたんだ? 」

彼の言葉に, 私は怒りが込み上げてきた.

「私は, ずっと我慢してきた」

「あなたの裏切りも, 嘘も, 全て」

「でも, もう限界なの」

私の声が, 震える.

彼は, 何も言えずに, ただ私を見つめている.

その時, 麻耶が, 笑顔で慎和のオフィスから出てきた.

「社長, お疲れ様です」

麻耶は, そう言って, 慎和の腕に抱きついた.

慎和は, 咄嗟に麻耶を突き放した.

麻耶は, 驚いた顔で慎和を見上げている.

「社長…? 」

「ごめん, 麻耶」

「ちょっと, 美優と話があるんだ」

慎和は, そう言って, 麻耶をオフィスへと押し戻そうとした.

麻耶は, 慎和の腕を掴んだまま, 私の方を見た.

その目には, 挑戦的な光が宿っている.

「美優さん, ごめんなさい」

「社長, 私のこと, 奥さんって呼んでくれるんです」

彼女は, そう言って, 慎和の腕にさらに強く抱きついた.

慎和は, 顔を赤くして, 麻耶を突き放した.

「麻耶, 何を言っているんだ! 」

「美優, 違うんだ」

彼は, 私に弁解しようとする.

しかし, 私の心は, もう冷え切っていた.

私は, 左手の薬指にはめていた指輪を抜き取った.

慎和が, ハッとしたように目を見開く.

私は, その指輪を麻耶に差し出した.

「これ, あげるわ」

「あなたたちには, お似合いよ」

麻耶は, 指輪を受け取ると, 冷たい笑みを浮かべた.

「ありがとうございます, 美優さん」

「でも, 私には, もっと素敵な指輪があるんです」

彼女は, そう言って, 慎和からもらったばかりの婚約指輪を見せびらかした.

慎和は, 顔を真っ赤にして, 麻耶を叱りつけた.

「麻耶, いい加減にしろ! 」

彼は, 私の方を向くと, 必死な顔で言った.

「美優, 信じてくれ」

「これは, 偽装結婚なんだ」

「僕は, 君と結婚したいんだ」

彼の言葉が, 私の耳には届かない.

私は, 何も言わずに, 彼に背を向けて歩き出した.

「美優! 」

彼の呼び声が, 私の背中に突き刺さる.

しかし, 私は, 振り返らなかった.

エレベーターの扉が開き, 私は中に乗り込んだ.

扉が閉まる直前, 私は, 彼が, 私が差し出した指輪をゴミ箱に投げ捨てたのを見た.

そして, 麻耶が, その隣で, 満面の笑みを浮かべている.

私の心は, 砕け散った.

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99回の裏切りと私の選択

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