話 1
癒し手から、ついに妊娠したと告げられた。
二年にも及ぶ絶望の末、私は黒石一族の跡継ぎをその身に宿したのだ。
この子は、私たちの未来を繋ぐ鍵となるはずだった。
アルファのルナとしての私の地位を、確固たるものにするはずだった。
だが、歓喜に浸る間もなく、親友からの念話が私の世界を粉々に砕いた。
そこには、私の運命の相手である涼真が、他の女を壁に押し付け、その唇を貪るように塞いでいる映像が映し出されていた。
問い詰めると、彼は「ストレス発散だ」と一蹴した。
跡継ぎを求めるプレッシャーのせいだと、そう言った。
だが、本当の致命的な一撃は、彼の母親と愛人、聖奈の会話を盗み聞きしてしまったことだった。
彼女は妊娠六ヶ月で、彼らが言うところの「真の黒石の血を引く者」を宿していると。
運命の相手である私は、ただの「空っぽの器」でしかなかった。
十五年間の愛と忠誠は、すべて無に帰した。
私が一族のために築き上げたビジネス帝国も、ただの道具。
私が慈しんでいた奇跡の子も、彼らにとっては無価値。
私はただ、脆弱な血筋を持つ政略的な駒で、いつでも取り替えられる存在だったのだ。
その夜、満月の祝祭で、私は妊娠を公表し、彼らの許しを請うはずだった。
代わりに、私はステージに上がった。
涼真の目をまっすぐに見つめた。
そして、古の離別の言葉を紡いだ。
それから、私はすべてを焼き尽くすための協力者、ただ一人の男に、プライベートチャンネルを開いた。
「戒」私は念話を送った。「あなたの計画に乗るわ」
第1章
凛 POV:
癒し手の部屋は、乾燥した薬草と消毒液の匂いに満ちていた。
いつもなら心を落ち着かせてくれるその香りが、今日に限っては、狂ったように鳴り響く私の心臓の鼓動を少しも和らげてはくれなかった。
「月の女神がお前を祝福された、凛よ」
老いた志乃は、乾いた木の葉が擦れるような優しい声で言った。
彼女は古びた羊皮紙の巻物を巻き上げると、その皺だらけの指は驚くほど安定していた。
「だが…これは尋常ではない。お前の血筋は…古く、そして強力だ。今は眠っているがな。この子が、お前の内なる何かを深く揺り動かした」
彼女は言葉を切り、その瞳が曇った。
「気をつけなさい。大いなる力は、大いなる災いを引き寄せる」
そして、彼女の表情が和らいだ。
「おめでとう。子を宿している」
その言葉は、物理的な衝撃となって私を襲った。
純粋で、混じり気のない歓喜の波が、私の膝を震わせた。
子供。私たちの子供。涼真と、私の。
一族の長老たちからの囁きや、私自身の静かな恐怖に二年もの間苛まれてきたけれど、ついに、その時が来たのだ。
お腹の奥から温かいものが広がり、内に宿る新しい命との原始的な繋がりを感じた。
これで全てがうまくいく。
これで私たちの絆は固まり、疑いの声を黙らせ、黒石一族のアルファとルナとしての未来が確固たるものになる。
私は診断書の巻物を胸に抱きしめ、心はすでに間近に迫った満月の祝祭へと飛んでいた。
あそこで、一族全員の前で発表するのだ。
そうなれば、もう誰も私たちの結びつきを疑うことはできない。
突然、こめかみに鋭い痛みが走った。
私自身の痛みではない。
それは、狂おしく、望まない念話だった。
念話は、一族のメンバー全員が共有する繋がりであり、思考や感情を静かに伝え合う手段だ。
それは本来、団結の源であり、私たち全員を繋ぐ網のはずだった。
だが時として、それは呪いとなる。
『凛、大丈夫?』
親友の千佳だった。
彼女の精神的な声には、パニックが滲んでいた。
私が返事をする前に、映像が心になだれ込んできた。
望んでもいない、残酷な映像が。
それは薄暗いバーの光景だった。
私たち一族が商談でよく使う店だ。
そしてそこに、私の運命の相手であり、一族のベータである涼真がいた。
彼は女を壁に押し付け、その黒髪に手を絡ませ、唇を貪るように塞いでいた。
その女は…私を安っぽく、派手にしたような見た目だった。
息が詰まった。
さっきまでの喜びが、冷たく重い石となって胃の中に沈んでいく。
『千佳、どこでそれを見てるの?』
私は、短く鋭い思考で返した。
『ここにいるの。「ハウリング・ハウンド」よ。凛、これを見るべきよ。彼は…』
『それ、私よ』
私は嘘をついた。
その言葉は、心の中で灰のような味がした。
嘘は自動的に口をついて出た。
涼真の評判を守り、一族の安定を自分の感情よりも優先させることで、長年磨き上げられた反射神経だった。
『ただのゲームよ、千佳。心配しないで』
彼女が返事をする前に、私はリンクを切った。
頭の中の静寂が、突然耳をつんざくようだった。
ゲーム。
なんて哀れな言い訳だろう。
私の心は過去へと遡り、痛みを伴う記憶のコラージュが浮かび上がった。
十代の頃の涼真と私。
筋肉が悲鳴を上げ、足が泥だらけになるまで一緒に訓練した。
人間社会の服を着て、役員会議室で、黒石一族のビジネス帝国を拡大するために死に物狂いで戦った。
十五年間の共有された歴史。
汗と血と、月の下で囁き合った夢。
すべては、このためだったというのか?
私は車で家に帰った。
助手席に置かれた巻物が、私を嘲笑っているように感じた。
私が家に着くと、彼はすでにリビングを歩き回っていた。
白檀と私のラベンダーの香りが混じる我が家の匂いは、私が知らない安っぽく甘ったるい香水で汚されていた。
「どこにいたんだ?」
彼は張り詰めた声で尋ねた。
「あなたこそ、どこにいたの、涼真?」
彼は髪をかき上げた。
「バーにいた。白川一族の連中が、うちのクライアントを引き抜こうとしてたんだ。それで、少し熱くなってな」
「熱くなった?」
私は、危険なほど静かな声で尋ねた。
彼は気まずそうに目を逸らした。
「なあ、長老たちが何ヶ月も俺の背中を突ついてるんだ。俺たちのこと、跡継ぎがいないことについて。そのプレッシャーで…アルファの本能が時々暴走することがあるんだ。ただのストレス発散だった」
アルファの本能。
彼はまだアルファですらなく、ただのベータだ。
未来の地位を、現在の不貞の言い訳に使っている。
痛みは物理的なもので、胸を押し潰す重圧だった。
しかし、その時、子宮にかすかな、羽ばたくような温かさを感じた。
この子のために。
この子のために、強くならなければ。
私は深呼吸をして、彼とあの女の映像を心から追い出した。
「プレッシャーは理解してるわ、涼真」
彼の顔に安堵の色が浮かんだ。
彼は自分が許されたと思ったのだ。
「来週は満月の祝祭よ」
私は落ち着いた声で言った。
「発表したいことがあるの。全ての問題を解決する、大切なことを」
彼は微笑んだ。
かつて私の胸をときめかせた、輝かしく魅力的な笑顔。
今、それは私を冷たくさせるだけだった。
その夜、窓辺に立って月が昇るのを見ていると、一羽の黒いカラスが窓枠に止まった。
その静けさは不自然で、瞳は黒曜石のかけらのようだった。
足には、小さく丸められた羊皮紙が結びつけられていた。
私は震える手でそれを解いた。
紙には、我々の最大のライバルである紅月一族の紋章が刻印されていた。
その下には、優雅で嘲るような筆跡で、一行だけ書かれていた。
「お前の未来の伴侶は、俺の女と寝ている。出てこい。話がある」
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話 2
凛 POV:
メモに書かれた住所は、看板さえない超高級レストランだった。
私の最初の車より高価な料理の皿の上で、何十億もの取引が交わされるような場所だ。
私が中に入ると、支配人はただ頷き、静まり返ったダイニングルームを抜け、重いベルベットのカーテンで仕切られた奥のプライベートブースへと私を案内した。
そこに座って、琥珀色の液体が入ったグラスを揺らしていたのは、戒だった。
紅月一族の跡継ぎ。
一族の噂話では、彼は笑いものだった。
快楽主義的な生活と、一族の事柄への完全な無関心で悪名高い、24歳のプレイボーイ。
彼らは彼を「役立たずの跡継ぎ」と呼び、その強力な血筋の恥だと蔑んでいた。
しかし、目の前の男は役立たずには見えなかった。
退屈そうで、危険で、そしてあまりにも知的すぎた。
私が向かいの席に滑り込むと、ある香りが私を襲い、思わず身をすくめた。
今まで嗅いだことのない香りだった。
それは吹雪の後の澄み切った空気、雪を纏った松の木の深く土臭い香り、そして古の石が持つ冷たく揺るぎない力強さ。
それは力と荒野を物語る香りで、私が固く抑えつけている内なる狼を揺り動かし、頭をもたげさせた。
私の心臓は肋骨に打ち付けられ始め、突然の激しい血流が耳の中で轟音を立てた。
「話があるそうね」
私は、内に渦巻く混沌を無視し、声を平坦に保つよう努めて言った。
彼はゆっくりと飲み物を一口飲み、その薄暮色の瞳で私の顔を眺めた。
「お前の伴侶は、お前を裏切っている」
「一度きりのことよ」
私は言ったが、その嘘は自分の耳にさえ薄っぺらく聞こえた。
「制御できなかった、ただの戯れよ」
ゆっくりとした、嘲るような笑みが彼の唇に広がった。
それは美しい笑みで、だからこそ余計に腹が立った。
「忠誠心か。黒石一族の最も賞賛すべき、そして最も利用しやすい美徳だな。教えてくれ、それは忠誠心なのか、それともただの馬鹿なのか?」
彼は声を荒らげなかったが、低い力の響きが彼から発せられた。
彼は近くのウェイターに目をやった。
「席を外せ」
それは要求ではなかった。
命令だった。
ウェイターの目は一瞬虚ろになり、頭を下げ、そして静かに、効率的にレストランから他の客を全員退去させ始めた。
あれがアルファ・コマンド。
アルファの声に宿る、下位の狼が逆らえない生来の力。
戒はまだアルファですらなく、ただの跡継ぎだが、すでにその力を何気ない傲慢さで操っていた。
彼への敬意と、そして恐怖が、一段階上がった。
「ただの戯れ?」
彼は私に注意を戻し、そう呟いた。
彼は小さく洗練されたタブレットをテーブルの向こうから滑らせてきた。
「これが戯れに見えるか?」
彼は再生ボタンを押した。
画面がビデオで明るくなった。
涼真だった。
そして、バーにいた女、聖奈。
彼らはホテルの部屋にいて、背景のタオルには黒石一族の企業ロゴが見えた。
映像は非常に鮮明で、音声もはっきりしていた。
「彼女はただの政治的な駒だ、聖奈」
涼真は、彼女の髪を撫でながら、滑らかで甘い声で言っていた。
「凛のビジネス手腕は役に立つ。だが、彼女の血筋は脆弱だ。俺がアルファになり、地位が安定したら、拒絶の儀式を行う。そうすれば、お前が俺のルナだ」
世界が傾いた。
肺から空気が吸い出された。
心臓の鼓動の一つ一つが、肋骨に痛々しく響いた。
私が二十八年間身につけてきた鎧であるプライドは、ただひび割れただけではなかった。
粉々に砕け散った。
私が青ざめたのだろう、戒の笑みが広がった。
私は鋭く、乱れた息を吸い込み、無理やり彼の視線に合わせた。
私は壊れない。
彼の前では絶対に。
「何が望みなの、戒?」
私は、かすれた囁き声で尋ねた。
「同盟だ」
彼は簡単に言った。
「お前が彼から離れるのを手伝ってやる。その見返りに、俺のために一つやってもらう」
「何を?」
「黒石一族のエネルギー技術部門だ。お前が築き上げたものだ。お前が去る時、それを持って行け。紅月一族の風力発電部門と合併させる。そうすれば、我々はグリーンエネルギー市場で他のどの一族も叩き潰せる」
それは見事で、冷酷なビジネス戦略だった。
「彼がそれを許すはずがないわ」
私は言った。
「彼に選択の余地はない」
戒は身を乗り出して言った。
彼は声を低め、松と冬の嵐の香りが強まり、私の頭をくらくらさせた。
「なぜなら、お前は必要な切り札をすべて手に入れることになるからだ」
彼はタブレットを戻し、新しい画面にスワイプした。
それは一連の財務記録だった。
オフショア口座。
不動産証書。
「彼は一年間、一族の資産を横領している」
戒は、柔らかく、しかし致命的な声で言った。
「そして、彼はすでに聖奈に中立地帯の不動産を八つも買っている。お前が稼ぐのを手伝った金でな」
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話 3
凛 POV:
翌朝、涼真は黒石グループ本社の私のオフィスに、私のかつてのアパートの近くにあった小さな店のお気に入りの粥を持って現れた。
彼は献身的な伴侶の役を演じており、その顔は後悔と愛情の完璧な仮面で覆われていた。
「俺は馬鹿だった、凛」
彼は私の机に食べ物を置きながら言った。
「すまなかった。二度としない」
私は彼を見た。
少女の頃から愛してきた男を。
そして、冷たく、空虚な痛みしか感じなかった。
戒が見せたビデオが、頭の中で繰り返し再生される。
「彼女はただの政治的な駒だ」
「誠意の証として」
彼は、私の中で荒れ狂う嵐に気づかず、続けた。
「聖奈をうちの再生可能エネルギーラインの新しい顔にしようと思うんだ。彼女は…新鮮なルックスをしている。ブランドにとって良いことかもしれない」
私は彼を見つめた。
血の気が引いていく。
彼は一族の金を使って、自分の愛人を有名にしようとしている。
「嫌よ」
私は、平坦な声で言った。
「凛、意地を張るな。ただのビジネスだ」
「私が意地を張っていると思うの?」
言葉は、意図したよりも鋭く出てしまった。
彼はため息をつき、苛立ちの表情が顔をよぎった。
「正直に言うと?そうだ。現実的に考えよう。君の世間的な魅力は落ち目だ。若い顔は、ブランドイメージにとって戦略的な資産なんだ」
私の魅力は落ち目。
彼はそれを、株価について話すかのように、何気なく言った。
私は立ち上がった。
「技術チームと四半期の予測について話す必要があるわ。あなたはここに残って、白川一族の提案書を見直すべきよ」
私は外に出て、彼の視界から消えるやいなや、キーカードを使って役員用エレベーターをロックダウンし、彼のフロアへのアクセスを遮断した。
彼は閉じ込められた。
そして私はIT部門に直行した。
「ベータ涼真のプライベートデータ端末にアクセスする必要があるわ」
私は、技術部長であり、涼真ではなく私に忠誠を誓う狼である誠に言った。
「個人的に調査しなければならないセキュリティ侵害があるの」
冷たく鋭い怒りの衝動が私を貫き、一瞬、部屋の空気がパチパチと音を立てたように感じられた。
誠は思わず一歩後ずさり、目を見開いた。
彼は私に質問しなかった。
数分後、私たちは涼真の隠しファイルの中身を睨みつけていた。
すべてそこにあった。
戒が言った通り。
ペーパーカンパニーの網、秘密の送金、そして一年以上前から続く一族の資金洗浄。
彼は何百万もの金を盗んでいた。
私たちの一族の金を。
海外のゴシップブログへのリンクをクリックすると、私の指が震えた。
見出しにはこう書かれていた。
「謎の億万長者、新人女優に豪華な邸宅をプレゼント」
そして、彼女がいた。
聖奈。
地中海を見下ろすヴィラのバルコニーで、勝ち誇った笑みを浮かべてポーズをとっている。
私が半年かけて交渉した取引の利益で買われた家。
十五年間。
友情、愛情、共に乗り越えた苦難――そのすべてが、その一つの、焼き付くような瞬間に蒸発し、後には裏切りの苦い味だけが残った。
低く、悲しげな声が喉から漏れそうになった。
内なる狼の嘆きの声。
私は強く手の甲を噛みしめた。
鋭い痛みは歓迎すべき気晴らしとなり、自分の血の味が私を現実に引き戻した。
「すべてコピーして」
私は、張り詰めた囁き声で誠に命じた。
「そして、監視の呪文を仕掛けて。彼の一挙手一投足を見たいの」
誠が作業を終えたちょうどその時、私のオフィスのドアが勢いよく開いた。
涼真だった。
息を切らし、スーツはしわくちゃになっていた。
「エレベーターが止まってたんだ!」
彼は心配そうなふりをして、息を切らしながら言った。
「心配になって。階段を駆け上がってきたんだ。22階全部を」
彼は私の襟を直しながら、オフィスにいる他の一族のメンバーの前で、私を気遣った。
「大丈夫か、愛しい人?」
そのあまりの馬鹿馬鹿しさに、私は笑いそうになった。
彼はもはや意味のない観客のためにショーを演じている。
私がすでに結末を書き換えた劇の。
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