話 1
夜遅く、街灯も少ない町の中、急ブレーキの甲高い音が響いた。
その音を聞いて駆けつける人もいなければ、何事だろうと窓を開ける人すらいない。
あまり大きな音ではなかったからと言うよりも、それに気づく人がいないくらい遅い時間だったのだ。
住宅街の一角に、一台のトラックが止まっていた。
五十代半ばの運転手は、顔をしかめていた。
最初はコンビニの袋か何かだと思っていたのだ。だが近づいてみて、取り返しのつかない距離に入って、初めてそれがゴミではなく生きた猫であることに気づいた。
運転手は猫が得物を狩る時にどれほどの瞬発力と正確性を持つかを、動画サイトで見て知っていた。
だが、突然車道に飛び込んできた猫は、じっとこちらを見つめて動かなかった。蛇に睨まれたカエルのように。
そして、ぐしゃりと、毛が逆立つような揺れを感じた。
トラックを降りて、確認するまでもなかった。
彼は深くため息をついた。
確かに、健康状態はお世辞にもいいとは言えない状況ではあった。
思い返せばほぼ二十四時間運転し続けている。食事もまともなものは食べていない。
車を運転するには最悪の条件だろうし、これが猫ではなく人間であった可能性は十分あった。
だが、だからこそ、彼は少しほっとしていた。
轢いたのが、人間ではなく猫でよかった、と。
道ばたで人間が死んでいれば事件だが、猫が死んでいるだけで警察が動くことはないだろう。
そもそも、そんなことで通報する奴もいない。
大変です。道で猫が死んでいるんです。事件です。早く来て、こんなことをした犯人を捕まえてください。
相手にされるわけがない。
せいぜい、出しゃばりがSNSに写真をあげて、ある程度有名になるくらいだろう。
彼は運転を再開することにした。
そうでなくても、猫に憐れみを持っている余裕などなかったのだ。早く積み荷を目的地に運ばなければならない。時間通りに到着しなければ、上司に何とどやされるかわかった物ではない。評価も下がる。
運転手の頭の中で、『猫踏んじゃった』の音とリズムがぐるぐると回った。
ねこ ふんじゃった
ねこ ふんじゃった
ねこ ふんずけちゃったら ひっかいた
子供の頃、ピアノを弾くのが好きだった彼は、ふとピアニストを目指してみるのもそれなりにいい道だったかもしれない、と思った。
だがもちろん、今となってはありえない妄想にすぎない。
苦笑して、アクセルを踏む。
まるでくだらない物を振り切るかのように、トラックは走り去った。
後には、無残に踏みつぶされた猫の死骸だけが、どうにもならない物を象徴するように、置き去りにされていた。
話 2
スライム。
青白いジェル状の単細胞生物。
戦闘能力は低く、多くの魔物の餌になっているが、それよりも大量に繁殖するため絶滅することはない。
と、知識だけはある。
だが、知っているだけでは意味がない場面も多い。
今の状況がまさにそれだ、とラーニエは思った。
活用してこそ知識だ、とは校長の言葉だが、まあその通りだ。
「くっ」
剣を振り下ろす。
だが、剣先にかすることすらない。
剣術の先生が見たら、大ざっぱに剣を振るな、と殴られるだろう。
だが、そんなことを言っても彼女の非力すぎる腕は、鋼の塊を精巧に扱えるようにはできていない。剣術の成績最下位は見せかけではないのだ。
少しでも差を埋めようと必死に知識を詰め込んではみたものの、結果が全てを物語っていた。
スライムが飛びかかってくる。
のろのろとした動きとはいえ、超至近距離からの体当たり。
おまけに、彼女は剣を地面に突き刺している状態だ。
「うっ」
攻撃をもろにもらってしまう。
尻餅をつき、冷たさと気持ち悪さに耐える。
少しずつ、服の中に体液が浸食していくのを感じる。
胸に誇り高く輝く、男性の横顔の刺繍も、スライムの体液で湿ってしまった。
まるで、理不尽な罰ゲームを受けているかのようだ。
いや、こんなことで泣き言を言ってはいけない。それだからいつまでたっても神学校の落ちこぼれなのだ。
そう言い聞かせても、吐きそうなほどの惨めさには勝てない。
基本的に死骸や生ゴミを食べて生きるスライムだが、ごくまれに弱った生き物も食べることがある、という嫌な知識を思い出して、ラーニエは顔をしかめる。
このまま、自分もその一人になるのかもしれない。
だが衝撃で剣を手放してしまい、取り戻すために手を伸ばす気力もわかない。
スライム一匹すら狩れない自分が、火噴き大蛇を狩るなんてできるわけがない。
ましてや、魔王なんて。
いや、こんな風にあっさり諦めてしまうから、勇者にはなれないのだ。いつまでたっても弱いままなのだ。
自分のどうしようもなさに、むしろ笑えてくる。
本当に、このままスライムに食べられた方がマシなのかもしれない。
生ゴミと同程度。実に素晴らしい。私に見合った死に方だ。
その時だった。
突如世界が崩壊した。
一瞬そう思ったほどの轟音と地響きだった。
あまりの事に彼女は顔をしかめ、目を瞑ることしかできなかった。
後頭部を思い切り殴られたときのように、ぐらぐらと世界が揺れる。
しかしそれはほんの少しの間のことで、すぐに全ては収まった。
気がつけば、スライムがいなくなっている。
「な、なに……?」
生き延びた、ということ以上に、酷く混乱していた。
音がした方を見ると、煙が上がっている。
よくわからないが、何かが起きたのは間違いなさそうだった。
無意識のうちに、ラーニエは剣を手に取る。
何が起きたにせよ、確かめなければならない、と思った。
この爆発の犯人は、火噴き大蛇かもしれない、と。
大蛇というからには、教会くらい巨大な蛇がとぐろを巻いて待ち構えているものだ、とラーニエは勝手に想像していた。
実際、事前に集めておいた資料によればそれくらいの大きさはあるらしかった。
だが実際に爆心地にいたのは、爆死している三羽の青い鳥と、それを呆然と見つめる猫だった。
常に三、四羽ほどで行動し、氷の魔法を駆使して得物を狩る大型の鳥。
それを持つせいで人間に殺されることもある美しい羽は、大方抜け落ちているか焼けてしまっている。
個体数が少なく珍しい鳥だが、猫の方はもっと稀少だ。
というか、こんな所にいるという話は聞いたことがない。
ケット・シー。
非常に知能が高く、多くの魔法を使い分けることができる魔物だ。
熟練の戦士ならともかく、戦い慣れていない人が勝負を挑んでも、まず勝てない。
幸い人間を食べるケット・シーはいないので、よほど機嫌を損ねなければ殺されることはない。
そんなケット・シーのなかでも、彼はより珍しいものだった。
普通は真っ白か真っ黒かそうでなければ真っ茶色なのだが、このケット・シーはその全ての色を有していた。
三毛のケット・シー。
あまりの珍しさから、見かけた者には幸運が訪れるとまで言われている。
幸運。今一番欲しいもののうちの一つだ。
声をかけるかどうかで悩んで、結局、
「あ、あの」
と口を開いた。カエルがつぶれたような声が出た。
「に゛ゃっ」
カエルがつぶれてる度は猫の方も負けていない。
飛び上がりながらこちらを振り返り、目を丸くしている。
にゃ、にゃ、にゃ、と声を震わせていたケット・シーはやがて、
「なんにゃ……ただの人間か……でもなんか錆びた匂いがするにゃ……」
対面早々臭いと言われ、言葉に詰まる。
確かにスライムは少し錆びたような匂いがする。その体液でぐちょぐちょになっているのだから、そういう匂いもするだろう。
……が、それほどではないと思う。
ケット・シーは少し距離を取って、
「どうせ通じないと思うけど……何の用にゃ?」
妙なことを言うケット・シーだ。
「え、えっと……この爆発、あ、あなたがやったの?」
たずねると、ケット・シーはまた、にゃっ、と目を丸くした。
「お、オレの言葉がわかるにゃ? 人間とかいう劣等種のくせに?」
「ええ……」
頭で考えるより先に、声が漏れてしまった。
なんだこの、生意気なケット・シー。
テレパシーを使われれば、わかりたくなくてもわかるというもの。
というかそれがケット・シーの特徴のひとつなのではなかったか。
よくわからないが、彼にとってはそれがかなりのショックだったらしい。どうして人間なんかが、としばらくもごもごとつぶやいていた。
「ま、まあいいにゃ。おい、人間。ここはどこなのか教えるにゃ」
きっ、とこちらの目を睨みながら、そんなことをたずねてくる。
「聖都ルージャルグ……の近くの草原だけど」
「せーとぉ……? うーん、わからんにゃ……」
もごもごとつぶやいて、最終的にはうなり始める。
だが突然尻尾を振ると、
「ま、劣等種の考えた名前をこのオレが知ってるわけないにゃ」
「……」
なんだか不思議なケット・シーである。
というか、さっきから匂うだの、劣等種だの、煽られてばかりいるような気がする。
猫は自分が神だと思っていると聞いたことがある。ケット・シーもそうなのだろうか。
そこまで考えたところで、思い出したことがあった。
「そういえば、この爆発、あなたがやったの?」
たずねると、ケット・シーは「んにゃ?」と辺りを見回した。
「ああ、そうみたいだにゃ」
「そうみたいって……」
随分あっさりと肯定してくれる。
「爆発の魔法よ? 魔法使いだってなかなか使えない爆発の魔法よ? しかも爆発範囲よ? なんでケット・シーなんかが?」
いや、もちろんケット・シーは様々な魔法を使える魔物だ。
でもそれは低級の魔法の範囲を出ないはず。
少なくとも爆発の魔法を扱えるケット・シーなんて聞いたことがない。
などと思っていたら、だいぶ斜め上の反応が返ってきた。
「まほー? けっとしー? 何言ってるにゃ、劣等種? いよいよ頭がおかしくなったにゃ?」
「は?」
何を言っている、はこちらの台詞だ。
「オレは誇り高き野良猫にゃ。人間ごときに変な名前を付けられるつもりはないにゃ」
「野良猫が魔法を使えるわけないでしょ」
苦笑すると、途端にケット・シーが苛立たしそうに尻尾を激しく振った。
「猫を馬鹿にするにゃ? コオロギよりも頭が悪い生き物の分際で?」
「してないよ」
よくわからないが、どうやら本当に自分をただの野良猫だと思い込んでいるらしい。
それを訂正してくれる仲間も、人もいなかった、と。
そんなことがあり得るのだろうか。
「あなた、一体どこから来たの?」
思わずつぶやく。
そもそも、生息地でもないこの草原にケット・シーがいること自体おかしいのだ。
これを最初にたずねるべきだった、とラーニエは思った。
「よくぞたずねてくれたにゃ!」
と、ケット・シーは尻尾を揺らすのを止める。
「オレは元々静か町の――」
「シズカマチ?」
聞いたことがない場所だ。
そう思った瞬間だった。
草が揺れるほどの獣の声。
本能的に耳をふさぎ、身をかがめる。
「な、なになに、なに?」
ラーニエが悲鳴を上げると、まるで狙ったかのように声はやんだ。
ケット・シーの方を見る。
「なんか来たにゃ」
背中を丸め、一点を見つめている。
微動だにしないケット・シーの視線の先を見て、ラーニエもまた、固まった。
「あ、あ、あれは……」
「なんにゃ? 強いのか?」
そんなのんきなことを言っている場合じゃない。
「強いなんてもんじゃないよ! この草原最強の魔物だよ!」
話 3
そこにいたのは、ゾウのように巨大な犬だった。
瞳に怒りの炎をありありと浮かべ、牙を剥いている。
全身の毛を逆立て、話や文献に出てきたそれよりも大きく思えた。
「このへんはアイツの縄張りにゃ?」
そう言ったケット・シーは、尻尾を体に巻き付けていた。
無意識かもしれないが、腰も引け気味だ。
シャア、と威勢のいい声は出しているが、どちらが本当のところだろうか。
「な、な、縄張り?」
考えたこともなかった。確かに、魔物の中には広い縄張りを持つものもいる。
でもあの犬にそういうものがあるのだろうか。
「縄張りを荒らすなって言ってるにゃ!」
それを聞いた瞬間、思わず声を張り上げてしまった。
「私何もやってないよ?」
「うるさいにゃ、無能!」
「はあ?」
意味がわからない。どうしてこの状況で罵倒されなければならないのだ。
などと言っていると、犬が大きな叫び声をあげながら襲いかかってきた。
心なしか、その目はケット・シーではなくラーニエを捉えているように思える。
そして、どうやらその嫌な予感は間違っていないようだった。
ぐわりと開いた大きな口からはケット・シーの尻尾ほどもある牙が太陽の光に照らされ、さながら死に神の鎌のように見える。
その鎌からは、血の代わりによだれが飛び散っていた。
いや、そんなことはたいした違いではない。
もうすぐその牙は血塗れになるのだから。
そこまで考えて、いよいよ背筋が凍り付いた。
だがそれも一瞬のことだった。
「それじゃ、オレは逃げるにゃ」
頑張るにゃ。そう言ったケット・シーに背筋の氷が溶ける。
「え? はぁ?」
言った言葉に嘘はつかないと言わんばかりに踵を返したケット・シーの尻尾を、とっさに掴んでしまった。
「にゃっ!」
掴んでから、そこはケット・シーが最も嫌がる部位であったことを思い出す。
だがもちろん、もう遅い。
「なにするにゃ!」
「いっ!」
手を思い切りかみつかれた。
痛い。
泣きそうになりながら顔を上げると、今まさに、犬が得物に噛みつかんとしているところだった。
何とかしなければ。
そう思ったが、体と本能は正直だ。
体をのけぞらせ、顔を伏せる。
目を閉じて、何も見なかったことにする。
現実逃避の中で、なんとか腕だけは伸ばす。
何とかしなければ。
その思いが体を駆け、手のひらに集まる。
次の瞬間、ぐおお、と犬の呻き声が聞こえた。
そして待ち受けていた痛みと絶望はいつまでたってもやって来ず、不思議に思って目を開くと、犬は目をつぶってのたうち回っていた。
そしてなぜか、ケット・シーもだ。
「そういうのやるなら……先に言えにゃ無能……」
そういうの?
「え、何……? 私、なんかした? なんか、なんか、できた?」
ラーニエが目を輝かせる。
場違いだが、それだけの理由があった。生まれてこの方、魔法も剣術もろくに使えたことがない。
それなのに、この草原最強の犬がのたうち回っているのだ。
期待くらい、してもいいだろう。
「な、なんか……ぴかっと……。まぶしいにゃ……」
うっすら目を開いた猫が、不機嫌そうに尻尾を揺らした。
「え、それだけ?」
それだけなら、たいした魔法ではない。
その通り、という答えは返ってこなかったが、同じく目を開いた犬がいよいよ怒りに震えていた。
ぐおおお、と遠吠えをする。
草原最強の魔物。
種族名を、雷撃の野犬、という。
遠吠えで呼ぶのは仲間ではなく、雷雲。
自在に雷を操る魔法で、必中必殺の稲妻を浴びせる。
そして、私は神学校の落ちこぼれだ。
生き延びるためには、賭けるしかなかった。
「け、ケット・シー」
犬から目を離せないまま、震える声で囁く。
ケット・シーはしばらく黙っていたが、
「おまえが持ってる肉。全部くれるなら助けてやってもいいにゃ?」
「に、肉?」
そんなもの持っていただろうか。
いや、今はどうでもいい。
「わ、わかった! あげる! あげるから、どうにか、してえええええええ!」
頭上の雷雲に稲光が走ったような気がして、思わず絶叫してしまう。
「ふん」
と、猫が一歩前に踏み出す。
「さっきのドカーンをもう一回すればいいんだにゃ?」
瞳を細め、犬を睨む。
その表情は、得物を狩る狩人のそれだ。
「しょうがないにゃぁ」
立てた尻尾に光が集まる。まるで、太陽のように明るく、丸い。
あっという間にケット・シーよりも大きく育った光の玉が、犬の方へ飛んでいく。
「いけにゃあああああああああ!」
犬を包み込んだそれが、二回りほど不自然に縮む。
瞬間、魔力があふれ、爆発した。
「……っ!」
目を刺すような、強烈な光に目を瞑る。
肌を焼くような熱。
地を揺るがす轟音。
猛烈な風に、踏ん張りきれず尻餅をついてしまう。
巻き上がった土が口の中に入り、気持ちが悪い。
それら全てが通り過ぎ、どさりという音に改めて目を開くと。
爆発で土が剥き出しになった地面の上、横に倒れた雷撃の野犬がびくびくと痙攣していた。
「ま、ざっとこんなもんにゃ」
胸を張るケット・シーを尻目に、腰に付けた袋から薬草を準備する。
どうしてこいつが爆発の魔法という超上級の魔法を扱えるのかはわからない。
一発使えば経験豊富な魔法使いもひっくり返ると言われるそれを放っても、息切れ一つしない無尽蔵の魔力も謎だ。
ただ一つ言えることは、犬がだいぶ哀れだ、ということ。
なんなんだ、この化け物は。
「じゃ、約束の物よこせにゃ」
そう言ったケット・シーを無視して薬草を犬に食べさせる。
一時的に対象の再生能力を高めて傷を治すという効果を持つ、ヨモギのような葉っぱ。
もちろんただの草ではなく魔力を持っており、草と名が付いているが実際には魔物に近い。
人間が丹精込めなければ育たないが、一度育ってしまえば持ち前の再生能力でそう簡単には枯れないため、よく農家が育てている。
だいぶ深い傷を受けているので完治とまではいかなかったが、どうやらお座りできる元気くらいは戻ったらしい。
まだふらふらしている犬に、食べる? ともう一枚薬草を差し出す。
素直に受け取ってくれた。
薬草は苦い。それもとんでもなく。
吐き出したい葛藤に耐えきった犬は、相変わらず傷だらけではあるが、ふらふらすることはなくなった。
だが、耳は伏せ気味、尻尾は股の下で、頭を下げて服従の姿勢だ。
視線はこちらを向いているような気がするが、多分本当に怖いのは後ろにいるケット・シーだろう。
「にゃー、何やってるにゃ。早く肉をよこせにゃー!」
そのケット・シーは、なかなか約束の物を貰えなくて憤慨している。
もう少ししたら二回目の爆発が起こるかもしれない。
だが、困ったことがあった。
「あの……肉って、何のこと?」
私は肉なんて持っていた記憶がない。
にゃ? と猫が尻尾で地面を勢いよく叩いた。
「何言ってるにゃ。おまえからうまそうな匂いがプンプンしてるにゃ。隠そうとしたって無駄にゃ」
「いや、隠そうなんてしてないって。本当にそんなの持ってた覚えなくて……」
と、腰に付けた袋をあさってみる。
薬草袋、小銭入れ、道具袋。
「……あ」
そこまで探したとき、見つけたものがあった。
「えっと……ひょっとして、これ?」
それは、干し肉。
水ネズミと言う魔物の安い肉で、日持ちがよく、保存食としてよく売られている。
すっかり存在を忘れていたのは、できればこんなものは食べたくないからだ。
すれくらい、不味い。
「そうにゃ! それにゃ! よこすにゃ! 食わせろにゃ!」
だが、ケット・シーはこれがどうしても食べたいらしい。
「え、本当にこれ? これ食べるの?」
「にゃあにゃあうるさいにゃ雑魚!」
再三の警告を雑魚と切り捨て、ケット・シーが飛びかかってくる。
「ひゃっ!」
一瞬にして干し肉を奪われる。
本当にそれを食べるつもりなんだろうか。
機嫌悪くされて爆発の魔法でも使われたら、理不尽すぎて死んでも死にきれない。
そんな心配をよそに、ケット・シーは何も言わず淡々と肉を食べ始める。
水ネズミはどこにでもいる小型の魔物だ。繁殖力も高く、スライムの次に生命力の高い魔物として有名である。
すばしこいが知能は低く、簡単な罠にもあっさり引っかかるために子供でも捕らえることができ、それ故に水ネズミの肉は安い。
そして重要なのが、栄養豊富な代わりに不味いということだ。
水っぽくて味がない。水の魔法を使えるから水ネズミなのか、肉が水っぽいから水ネズミなのかわからないくらいだ。
干すことで水っぽさはなくなるものの、不味いことには変わりがない。
しばらく見守っていると、ケット・シーが最後のひとかけらを飲み込んだ。
「……」
お口に、あっただろうか。
嫌な汗が流れる。
ケット・シーがバッ、と顔を上げた。
やはり不味かったか。
警告なしの爆発の魔法だけは止めてくれ。
というかそっちがほしがったんだ、こっちに罪はない。
「う、うまい……!」
「……え?」
うまい?
水ネズミの肉が?
何で?
「こんなうまいものは初めて食べるにゃ! 何やってるにゃ、全部出すにゃ!」
「え、え?」
あんなのがうまいなんて、味覚おかしいんじゃないの?
などと思っていたら、猫特有の脚力を活かして飛びかかってきた。
「ひゃあっ!」
勢いに押され、尻餅をついてひっくり返る。
おなかと腰を足蹴にされ、なぜか笑いがこみ上げてくる。
なんかすごくかわいい。お肉全部あげたい。
ふと見ると、雷撃の野犬が声も出せないまま震えていた。
「え、えっとその、ごめんね? もう行っていいよ」
そう告げると、犬は一目散にどこかへ行ってしまった。
そんなことをしているうちにケット・シーが袋から肉を奪っていく。
一心不乱に食べ始めたケット・シーに持っている肉を全部差しだす。五枚あった。
一瞬顔を上げたケット・シーは少しの間五枚の肉を眺めて、再び食事に戻った。
なんだかよくわからないが、どうやらそんなにおいしいらしい。
その様子をじっと見つめるうちに、ふと思いついたことがあった。
お肉を全て食べてから、ケット・シーがふとこちらを見る。
「ん、なんだ、おまえまだいたのかにゃ。もう行っていいにゃ」
ケット・シーがあくびをする。
だがもちろん、そうはいかない。
「ねえ、もし一緒に来てくれたら、このお肉毎日食べさせてあげてもいいよ?」
笑みを浮かべる。
「にゃっ」
大口を開けたまま、ケット・シーが固まった。
にゃあ……、とそのままこちらを見つめる。
葛藤しているのがよくわかる。
「毎日五枚にゃ」
「五枚か……」
いくら水ネズミの肉は安いといっても、毎日五枚となると馬鹿にならない出費だ。
「……」
「……」
だが、ケット・シーは譲歩するつもりはないようだ。
「わかった、わかったよ。五枚ね」
一応お金はそれなりに残っているが、すぐ底をつきるだろう。
これからはお金を稼ぐことも考えなければ。
……力は簡単には手に入らない。校長先生の言葉だ。
彼は正しい。
「しょうがないにゃ。そこまで言うならついて行ってやってもいいにゃ」
毛繕いをし始めたケット・シーを眺めながら、やられたな、と苦笑した。