話 1
火の海に包まれた妹から, 必死の助けを求める電話がかかってきた.
私は冷たく言い放った.
「また莉結をいじめるための狂言か? お前なんか, 死ねばいい」
そうして通話を切り, 私は実の妹を見殺しにした.
数時間後, ハイパーレスキュー隊長の私は, 身元不明の焼死体を前にしていた.
「自業自得だ」と被害者を嘲笑いながら, 私は犯人である婚約者の莉結を愛おしげに抱き寄せていた.
目の前の黒焦げの遺体が, 私の言葉に絶望して息絶えた妹だとも知らずに.
だが, 遺体の手首に残るヘアゴムを見た瞬間, 私の心臓は凍りついた.
それは昔, 私が妹に贈った安物だった.
震える手で, 現場に落ちていた携帯に妹の誕生日を入力する.
ロックが解除された画面には, 私に向けた笑顔が映っていた.
「嘘だ... 嘘だと言ってくれ, 奈津穂! 」
英雄と呼ばれた私はその日, 最愛の妹を殺した殺人者へと堕ちた.
第1章
助けて, お兄ちゃん.
私は電話越しに必死で叫んだ. 炎が私を包み込み, 熱波が肺を灼いた. 息ができない. でも, この声だけはお兄ちゃんに届いてほしかった. 私の命綱は, この携帯電話だけだった.
「また莉結をいじめるための狂言か? 」
お兄ちゃんの声は冷たかった. 氷のように私を突き刺した. 喉が詰まる.
「嘘つきの放火魔が」
一言一言が, 私の傷口に塩を塗る.
「お前なんか, 死ねばいい」
その言葉は, 炎よりも私を焼き尽くした.
プツッ, と通話が切れる音がした. 鼓膜が破れるかと思うほど, 耳の中で響いた.
彼は切った.
お兄ちゃんは, 私を見捨てた.
私の最後の希望が, 音を立てて砕け散った. 携帯電話が熱で溶け, 手から滑り落ちる. 視界が真っ赤に染まり, 全身が燃え盛る痛みで麻痺していく. 意識が遠のく.
ああ, これが, 私を愛さない唯一の人からの, 最後の言葉.
私は, もう, 疲れた.
もう, 頑張らなくてもいいんだ.
そう思った瞬間, 背中の火傷痕が熱く, そして冷たくなった. 幼い頃, お兄ちゃんを庇った時の火傷. あの時と同じ, いや, それ以上の痛みが全身を駆け巡った.
私の目から, 熱いものが溢れ落ちた. 涙なのか, 汗なのか, もうわからない.
でも, この涙は, お兄ちゃんに届くことはない.
私にはもう, 未来がない.
体が, 地面に崩れ落ちた.
視界が暗転する.
意識が, 完全に途絶えた.
どうして...
私は自分の体から離れ, 宙に浮いていた. 燃え盛る廃ビル. 焦げ付く匂い. そして, 地面に横たわる, 私の体.
信じられない光景だった.
私は死んだ.
私は, 本当に死んでしまったんだ.
数時間後, サイレンの音が響き渡り, 消防車と救急車が廃ビルを取り囲んだ. ハイパーレスキュー隊員たちが手際よく現場に入っていく. 彼らの動きは迅速で, 迷いがない.
彼らが, あの, お兄ちゃんの精鋭部隊.
私は無意識に, お兄ちゃんの姿を探した. あの制服を着て, 指示を出す彼の姿を.
そして, 見つけた.
遠くからでもわかる, 彼の凛とした立ち姿. 市民の英雄, 安斎陸翔.
彼は, 私の遺体を見つけるために, ここにいる.
皮肉なことだ.
隊員たちが私を運び出す. 焦げ付いた毛布に包まれた, 身元不明の焼死体.
「隊長! 焼死体を発見しました! 女性です! 」
隊員の一人が, お兄ちゃんに報告した. お兄ちゃんは一瞬, その遺体に視線を向けたが, すぐに別の場所に指示を出した. 彼の目は, まるで感情のない機械のようだった.
彼は, それが妹である私だとは, 夢にも思っていない.
私の魂は, 軋むような痛みに襲われた. 助けてほしかった. ただ, 一度でいいから, 信じてほしかった.
しかし, もう, 何もかもが手遅れだ.
翌日, ニュース速報が流れた. 廃ビル火災で身元不明の女性が焼死体で発見されたと. 社会は騒然とし, 警察と消防庁は合同捜査本部を設置した.
「安斎隊長, 今回の事件はハイパーレスキュー隊と合同で捜査を進めることになった. 特に, 遺体の身元特定と火災原因の究明が急務だ」
上司の森永警部が, お兄ちゃんに命令を下した. 彼の顔は疲労でやつれていた.
「身元不明の遺体は, まだ特定されていませんか? 」
お兄ちゃんは冷静に尋ねた. 感情の揺らぎは一切ない.
「ああ. 焼損がひどく, 身元を特定できる手がかりが少ない. だが, 遺体は君の部隊が運び出したものだ. 君も捜査に加わってくれれば, 何か見つかるかもしれない」
森永警部は, お兄ちゃんに深く頭を下げた.
お兄ちゃんは無言で頷いた. 彼の表情は依然として冷酷だった.
私は, お兄ちゃんの隣に浮遊していた. 彼が, 私の事件を捜査する. 私の, 死を. 私の魂は, 彼に対する深い悲しみと, 理解しがたい安堵感に包まれた.
お兄ちゃん…ごめんなさい. 私が, あなたにこんな苦しい役目を負わせてしまうなんて.
私の体は, 彼の指示で警察署の遺体安置室へと運ばれた. 白く冷たいシートに覆われた私を, お兄ちゃんはこれから, 調べることになる.
この冷たい空間で, 私は少し震えた. 魂に, 寒さを感じるなんて, 初めてだった.
お兄ちゃんが遺体安置室のドアを開けて入ってきた. 彼の顔には, 疲労の色が濃く出ていたが, その目は鋭く, プロの鑑識官としての表情をしていた.
「遺体の状況を詳しく聞かせろ」
彼は, 担当の鑑識員に指示した. その声は低く, 感情を感じさせない.
「はい, 隊長. 遺体は女性で, 焼損が激しいですが, いくつかの特徴が見られます」
鑑識員は, 手元の資料を読み上げた.
「まず, 全身の約80%に重度の火傷が確認されます. 特に背中と右腕の焼損がひどく, 皮膚組織の炭化が進んでいます」
お兄ちゃんの眉間に, わずかに皺が寄った.
「火傷以外に, 何か痕跡は? 」
「はい. 遺体の手首と足首には, 索状痕 (さくじょうこん) が残っていました. 縛られた跡と見て間違いないでしょう」
鑑識員の言葉に, お兄ちゃんの表情がわずかに引き締まった. 私の魂は, 恐怖で震えた.
私を縛ったあの縄の跡が, まだ残っているなんて.
「索状痕…つまり, 生前に拘束されていた可能性が高いと? 」
お兄ちゃんの声が, わずかに低くなった.
「その可能性が非常に高いです. さらに, 遺体の口には粘着テープが貼られていた痕跡があり, おそらく窒息死を防ぐためのものでしょう」
鑑識員は続けた.
「口を塞がれていた... 」
お兄ちゃんの表情が, 初めて怒りに染まった.
そう, 莉結は私に, 私の声がお兄ちゃんに届かないように, テープを貼った.
「また, 体内からは, 大量の睡眠導入剤が検出されました. 抵抗できないように, 強制的に飲まされたものと思われます」
「くそっ! 」
お兄ちゃんは拳を握りしめ, 壁を叩いた. 彼が, 見知らぬ被害者のために, ここまで感情を露わにするなんて.
「生きたまま, 拘束され, 薬を飲まされ, 口を塞がれ, そして焼かれたと? 」
お兄ちゃんの声は, 怒りで震えていた.
「はい. その可能性が極めて高いです. これは, 非常に残忍な事件です」
鑑識員は, 言葉を選びながら言った.
「こんなひどいことをする犯人がいるとは…」
鑑識員の補助をしている若い女性が, 顔を青くして呟いた.
「必ず捕まえてやる. どんな手を使ってでも, 犯人を地獄に叩き落としてやる」
お兄ちゃんの目が, 憎悪に燃えていた. その言葉は, 私に向けられたものではない. しかし, 私の魂には, 彼が私を信じてくれなかったことが, 深く深く刻み込まれていた.
「隊長. 一つ, 奇妙な点が…」
鑑識員が, 声を潜めて言った.
「何だ? 」
「遺体の気道から, 煤と共に, 小さな金属片が発見されました. 高級ライターの一部かと…」
お兄ちゃんの顔色が, 一瞬にして変わった.
ライター? まさか…
私の魂は, 嫌な予感に襲われた.
「ライターだと? それは…」
お兄ちゃんの声が, 震えていた.
「はい. 特徴的な模様があり, もしかしたら…」
「それ以上言うな! 」
お兄ちゃんは, 鑑識員の言葉を遮った. そして, 深く息を吐き出した.
「とにかく, 徹底的に調べろ. どんな微細な手がかりも見逃すな」
彼の目は, 何かを必死に否定しようとしているようだった.
「はい」
鑑識員は, すぐに作業に戻った.
「隊長, 何か気になることが? 」
隣にいた森永警部が尋ねた.
「いや, 何でもない. だが, この遺体には…何かが隠されている気がする」
お兄ちゃんは, 私の遺体から目を離さなかった. その視線は, まるで魂を抜き取られたかのような虚ろさだった.
お兄ちゃん, お願い. 気づいて. 私だよ.
私の魂は, 彼のすぐ隣で, 必死に叫んだ. しかし, その声は, 彼には届かない.
「それよりも, 隊長. 君の妹さん, 奈津穂さんのことなんだが…」
森永警部が, お兄ちゃんに話しかけた.
「奈津穂? あいつがどうした? 」
お兄ちゃんの声には, 明確な不快感が混じっていた. 私の魂は, またしても冷たい水でも浴びせられたような気持ちになった.
「いや, 奈津穂さんも救急救命士になったと聞いたが…最近, 連絡は取れているのか? 」
森永警部は, 心配そうに尋ねた.
「あの嘘つきなら, どうでもいい」
お兄ちゃんの言葉は, 私を深く深く突き刺した.
話 2
安斎陸翔は, 森永警部の言葉を遮るように答えた. 私の魂は, また全身が凍り付くような感覚に陥った. 彼の顔には, 苛立ちがはっきりと浮かんでいた.
「あいつのことは, 話題にするな」
陸翔の声は冷たかった. 視線は, 遺体から外れることなく, しかし, その瞳には明確な嫌悪が宿っていた.
「奈津穂は, 俺にとって迷惑な存在だ. 消防庁の人間が, あんな虚言癖のある人間と関わっていると知られたら, 俺の立場も危うくなる」
陸翔は吐き捨てるように言った.
森永警部が何か言いたげに口を開いたが, 陸翔はそれを許さなかった.
「あいつは俺の妹じゃない. 俺の妹は, 火から莉結を助け出してくれた, か弱い莉結だけだ」
陸翔の言葉が, 私の魂を深く切り裂いた.
莉結…莉結が, 私の妹?
莉結は, 私たち両親が亡くなった火事の加害者ではなかったか. あの火は, 莉結の火遊びが引き金になって始まったのだ. 私は, 当時まだ幼かったお兄ちゃんを庇って, 背中に火傷を負った. しかし, 莉結は, 私が火遊びをしたと, お兄ちゃんに嘘をついた. そして, 自分は「火事の被害者」として, お兄ちゃんの心を独占したのだ.
その日以来, お兄ちゃんは私を憎み, 莉結を愛した. 私が何を言っても, 彼は莉結の言葉しか信じなかった. 莉結は弱々しく震えながら, 「奈津穂ちゃんが火をつけたの…」と泣きながら演技した. お兄ちゃんは, その言葉を鵜呑みにし, 私を「放火魔」と呼ぶようになった.
私を家から追い出したのも, お兄ちゃんだった. 高校を卒業してすぐ, 彼は私に家を出ていくように言った. 私に居場所はなかった.
私は, 自嘲するように笑った. 私の魂は, こんなにも傷ついているのに, もう涙を流すことすらできない.
「奈津穂は, 俺を苦しめるためなら何でもする. 俺が出世するたびに, 必ず何か邪魔をしてきた」
陸翔は, 憎しみを込めて言った.
邪魔なんて…そんなこと…
私の魂は, 悲痛な叫びを上げた. 私は, ただ, お兄ちゃんに認めてほしかっただけなのに.
「今回も, どうせ俺の邪魔をしようとしているだけだ. 俺が, 莉結と婚約しようとしているから, また何かするつもりだろう」
彼の言葉は, まるで私の存在そのものを否定しているかのようだった.
もし, お兄ちゃんが真実を知ったら…どうなるんだろう?
私は, お兄ちゃんの顔を見上げた. 彼の心には, 私の存在は, 憎しみと迷惑以外の何物でもない.
きっと, お兄ちゃんは私が本当に死んだと知っても, 喜ぶんだろうな.
そんなことを考えていると, 私の魂は, また凍えるような感覚に襲われた.
「安斎隊長, 少し話があるんだが」
森永警部が, 陸翔の腕を掴んだ. 彼の顔には, 明らかな不満が浮かんでいた.
「奈津穂さんは, 君が思うような人間じゃない. 彼女は, 君のために, どれだけ努力してきたか…」
森永警部が, 陸翔に語りかけた.
「努力? あいつが? 」
陸翔は, 嘲笑するような表情を浮かべた.
「ああ. 君がハイパーレスキュー隊に入ってから, 奈津穂さんはずっと君の背中を追っていた. 君と同じ, 人命救助の道に進むために, 猛勉強して救急救命士の資格を取ったんだ」
森永警部の言葉に, 陸翔の表情は変わらない.
「そして, 君が現場で食べる弁当を, 毎日のように作って届けていた. 君が体調を崩した時も, 誰よりも早く駆けつけて, 看病していたじゃないか」
「それが何だ. 全て, 俺の気を引くための芝居だろう」
陸翔は, 冷たく言い放った.
「芝居だと? 君は, 奈津穂さんの優しさを, 一度も信じたことがないのか? 」
森永警部の声が, 次第に大きくなった.
「信じる価値もない. あいつは嘘つきだ. 俺は, 莉結しか信じない」
陸翔は, 首を振って, 森永警部から視線を逸らした.
「もういい. 奈津穂の話はするな. 俺は仕事に戻る」
陸翔は, そう言い残すと, 遺体安置室の奥へと向かって歩き出した.
森永警部は, 諦めたようにため息をついた.
「隊長, 最近, 失踪届は出ていませんか? 」
陸翔は, 突然立ち止まり, 部下に尋ねた.
「いえ, 特に大規模な失踪届は届いていませんが…」
部下は首を傾げた.
「おかしいな. これだけ残忍な事件なのに, 身元不明のままだなんて. 被害者の家族は, 何をしているんだ」
陸翔は, 苛立ちを隠せない様子で言った.
お兄ちゃん…家族が, ここにいるよ.
私の魂は, 彼の隣で, 痛みに耐えていた.
「昼食にしよう. 少し休憩だ」
陸翔は, そう言って, 遺体安置室を出て行った.
森永警部が, ぼんやりと天井を見上げていた.
「そういえば…奈津穂さん, 最近, 妙なことを言っていたな」
森永警部が, 独り言のように呟いた.
私の魂は, 彼の言葉に, わずかに反応した.
「何ですか, 警部? 」
部下の一人が尋ねた.
「奈津穂さん, 最近, 妙に怯えていたんだ. 誰かに命を狙われているようなことを…」
森永警部の言葉に, 陸翔が廊下から戻ってきた. 彼の顔には, 不機嫌さが浮かんでいた.
「また, あいつの嘘か. 俺の気を引くための, 悪質な嘘だろう」
陸翔は, 鼻で笑った.
「そんなことはない! 奈津穂さんは, 本当に困っていたんだ! 君に助けを求めていたんだぞ! 」
森永警部は, 怒りに顔を紅潮させた.
「俺に? 俺に助けを求めていただと? ふざけるな. あいつは, いつも俺を陥れようとする」
陸翔は, 冷たい目で森永警部を見つめた.
「奈津穂さんは, 君のために, どれだけ…」
「もういい! あいつのことは, 放っておくんだ. どうせ, また芝居だろう」
陸翔は, 森永警部の言葉を遮った.
「奈津穂は, 俺に電話をかけてきた時も, いつも泣きついてきた. 俺に謝罪しろ, 俺を信じろ, 俺を愛せと…」
陸翔の声には, 明確な嫌悪が混じっていた.
「そんなことは…」
「いい加減にしろ, 森永警部」
陸翔の携帯電話が鳴り響いた. 彼の顔から, 一瞬にして不機嫌な表情が消え去った.
彼の表情は, まるで氷が溶けるかのように, 柔らかなものへと変わっていった.
誰だろう…
私の魂は, その変化に, 言いようのない不安を感じた.
話 3
陸翔は, 携帯電話の画面を見た瞬間, 顔中の筋肉を緩ませた. 私の魂は, 彼のそんな表情を, 何年も見ていなかった.
「莉結…どうしたんだい? 大丈夫? 」
彼の声は, まるで別人のように優しかった. 甘く, 愛おしさがこもっている. 私の魂は, その声を聞くだけで, 胸が締め付けられるような痛みを感じた.
「うん, 僕も会いたいよ. 今すぐ行きたいけど, まだ仕事が…」
彼は, 私が見たこともないような優しい笑顔を浮かべた.
莉結…高森莉結.
私の魂は, その名前を聞いた瞬間, 全身を駆け巡る悪寒を感じた. 彼女は, 私たち兄妹の幼馴染. そして, 私から全てを奪った女.
かつて, お兄ちゃんも私に, こんな風に優しく微笑んでくれたことがあった. 幼い頃, 私が転んで泣いていると, 彼はいつも一番に駆けつけてくれた. 私の手を握り, 頭を撫でて, 「大丈夫だよ, 奈津穂. お兄ちゃんがいるから」と言ってくれた.
しかし, その優しさは, 莉結が現れて以来, 私から完全に向けられなくなった. お兄ちゃんの優しい笑顔は, 今では全て莉結に向けられている.
私の魂は, まるで心臓を直接握り潰されるような痛みに襲われた.
彼にとって, 莉結が全てだった.
「わかった, わかったよ. すぐに終わらせて, 迎えに行くからね. りゆが寂しがってるって聞いたら, 僕も寂しくなるよ」
陸翔は, 携帯電話に向かって甘い言葉を囁いた.
「何を怯えているんだい? 誰かに何かされたのか? 」
彼の声が, 突然, 少し低くなった. 表情に, わずかな緊張が走る.
「奈津穂が, また何かしたのか? 」
陸翔の目が, 鋭く私の方に向けられた. 私の魂は, 彼の視線が私を貫くような錯覚に陥った.
「あの女が, また莉結をいじめたのか? 許さない. 絶対に許さない」
彼の声は, 怒りに震えていた.
「安心して, 莉結. 僕が必ず守るから. あの女が君に手を出そうとしたら, 僕が責任を持って, 二度と君の前に現れないようにする. どんな手を使ってでも, ね」
陸翔の言葉は, 私に向けられた明確な脅迫だった. 私の魂は, 彼の言葉に, 深い絶望を感じた.
「だから, りゆは何も心配しなくていい. 僕が全部解決するからね. 週末は, 二人で温泉に行こうか? ゆっくり休んで, 僕と一緒に癒されよう」
彼は, 再び優しい声に戻った.
私を, 二度と莉結の前に現れないようにする, か. それは, つまり…
私の魂は, 自嘲するように笑った. お兄ちゃんは, 私を殺すと言っているのだ.
彼が, 莉結の言葉しか信じないことは知っていた. しかし, 彼がここまで私を憎んでいるとは.
お兄ちゃん…本当に, 私を, 死んでほしいと願っているの?
彼の言葉が, 深く深く, 私の魂に突き刺さった.
「うん, 愛してるよ, 莉結. 早く会いたい」
陸翔は, 携帯電話に向かって, 甘く囁いた. その言葉は, 私の魂を粉々に打ち砕いた.
私の魂は, その言葉を聞いて, 胸の奥底から冷たい水が湧き上がってくるような感覚に襲われた.
愛している…私には, 一度も言ってくれなかった言葉.
「奈津穂は本当に嫌な女ね. いつも陸翔君の邪魔ばかりして」
電話の向こうから, 甘く, しかしどこか悪意を秘めた声が聞こえた. 莉結の声だった.
この声…!
私の魂は, 全身が震え上がった. この声だ. この甘い声に, 私は騙され, お兄ちゃんは操られてきた.
「…り…りゆ…」
私の魂は, 無意識に, かすれた声を出そうとした. だが, それはただの空虚な響きとなり, 誰にも届かない.
お兄ちゃん, お願い, 莉結を信じないで! 彼女は…!
私の魂は, 必死に警告しようとした. しかし, 私の声は, 彼には届かない. 私の存在も, 彼には見えない.
「じゃあね, 陸翔君. 週末, 楽しみにしてるわ」
莉結の声が, 電話の向こうで響いた. その声は, 甘い毒のように, 私の魂を蝕んだ.
「うん, またね」
陸翔は, 携帯電話を切り, 満足げな笑顔を浮かべた.
「奈津穂の件, 今すぐもう一度確認してくる」
陸翔は, 森永警部にそう言って, 再び遺体安置室に向かおうとした.
森永警部は, 慌てて陸翔を呼び止めた.
「安斎隊長! 奈津穂さんの携帯に, 何度か電話したんだが, 繋がらないんだ! まさか, 本当に何かあったんじゃ…」
森永警部の顔には, 真剣な心配の色が浮かんでいた.
「また, 俺の気を引くための芝居だろう. どうせ, どこかで男と遊んでいるか, 俺に恨みを晴らすための計画を練っているかだ」
陸翔は, 冷たく言い放った.
「そんなことはない! 奈津穂さんは, 君のために…」
「もういい! 」
陸翔の携帯電話が鳴り響いた. 彼の顔から, 一瞬にして不機嫌な表情が消え去った.
彼の表情は, まるで氷が溶けるかのように, 柔らかなものへと変わっていった.
誰だろう…
私の魂は, その変化に, 言いようのない不安を感じた.