話 2
白石恵里 POV:
腕の痛みが, 私の意識を現実へと引き戻した. 身体の震えは止まらない. しかし, 私の心には, 前世にはなかった明確な決意が宿っていた.
身体を起こし, ぼんやりとした視界の中で, 視界の端に何か光るものを見つけた.
それは, 竜一がいつも持ち歩いていた, 彼のスマートフォンだった. 彼が急いで出て行った時に, 置いていったのだろう.
私は震える手でそれを拾い上げた. 指紋認証は, 彼が眠っている間に登録しておいた私の指紋で簡単に解除された.
画面に表示されたのは, 大量の未読メッセージ.
そのほとんどが, グループチャットのものだった.
グループ名には「未来を担う若者たち」と表示されている. メンバーリストをスクロールする. そこには, 竜一, 杏樹, そして財団の支援生だった坂本翔斗や大沢翔真といった, 私を陥れた者たちの名前がずらりと並んでいた.
ああ, そうか. 前世で私が彼らから受けた数々の理不尽な行為は, すべてこのグループチャットで計画されていたのだ. 世間で囁かれていた「白石財団の支援生たちの, 恵里様に対する陰口」という噂は, 事実だった.
スクロールしていくと, そこには杏樹からのメッセージが目に入った.
『竜一様, 恵里さんは大丈夫でしょうか? 先ほどのパーティーで, 少し体調が悪そうでしたが... . 』
彼女の言葉は, まるで心配しているかのように装っているが, その裏に隠された悪意が私には手に取るようにわかる.
『大丈夫だ. いつものことだ. 』
竜一からの冷たい返信.
私の心臓が締め付けられる. あの時, 私は本当に体調が悪かったのだ. 彼の冷たい言葉が, 私をどれだけ傷つけたか.
さらに読み進めると, そこにはパーティーでの私の写真がアップされていた. それは, 私が少し微笑んだ瞬間の写真だったが, 杏樹はそれに悪意のあるキャプションを添えていた.
『恵里様, またご自身の美しさに酔いしれていらっしゃる. 一体, 何を企んでいるのでしょうね? 』
杏樹のメッセージが, 私の心を深く突き刺した. 彼女は常に, 私のあらゆる行動を悪意をもって解釈し, 竜一や他の支援生たちに吹き込んでいた.
『恵里はいつもそうだ. 自分のことばかり考えている. 』
竜一からの返信. 私の胸に, 鈍い痛みが走る.
坂本と大沢からも, 私を揶揄するメッセージやスタンプが大量に送られていた.
『恵里様は, 本当に変わっていませんね. 相変わらず, ご自分のことしか考えていない. 』
『白石グループのトップに立つには, まだまだ未熟ですね. 』
彼らは私を嘲笑し, 私の家族を侮辱していた.
「くそっ... ! 」
私は拳を握りしめ, 身体を震わせた. 彼らに何の恩があると思って, 祖父は彼らを支援してきたのか. 彼らは, 祖父の財産を食い潰し, 私を貶めることしか考えていなかったのだ.
そして, 杏樹からの決定的なメッセージ.
『恵里様は, 本当に邪魔ですね. 早く消えてしまえばいいのに. そうすれば, 竜一様も, もっと自由に動けるのに. 』
杏樹は, 私を陥れる計画を詳細に記述していた. 私を精神的に追い詰め, 祖父を病気にさせ, 最終的に私を精神病院で死に至らしめる計画. それは, 前世で私に起こったことと寸分違わぬ内容だった.
私の視界が歪んだ. 喉の奥から, 苦いものが込み上げてくる.
この女は, 私がどんなに苦しんだか, 何も知らなかったのか?
それとも, 知っていて, この残酷な計画を実行したのか?
私の頭の中で, 前世の記憶がフラッシュバックする. 精神病院の冷たい壁, 薬の匂い, そして絶望の中で息絶えた私自身の姿.
私は, 彼らが私に仕掛けた罠のすべてを知ってしまった.
その時, 私のスマートフォンの着信音が鳴り響いた. 画面には祖父の名前が表示されている.
私は慌てて竜一のスマートフォンを床に落とし, 自分のスマートフォンの画面をタップした.
「もしもし, お祖父様」
「恵里か. 今, 大丈夫か? 少し声が震えているようだが. 」
祖父の優しい声が, 私の心を揺さぶった. 私は, この声を聞くために, どれだけの地獄を潜り抜けてきたのだろう.
「大丈夫です, お祖父様. 少し, 考え事をしていただけです. 」
私は努めて平静を装った. しかし, 私の声は, まだ微かに震えていた.
「そうか. 恵里, お前に話があるんだが. 」
「はい, 何でしょうか? 」
「お前の婚約の件だが... 」
祖父の言葉に, 私の心臓が跳ね上がった.
「竜一くんとの婚約は, 取りやめにしようと思う. 」
「え... ? 」
私は思わず声を上げた. 祖父は, 私が竜一に盲目的に恋していることを知っていたはずだ. なぜ, 今になってそのようなことを言うのだろう?
「お祖父様, 一体どういうことです! ? 」
「恵里, お前は本当に, 竜一くんと結婚したいのか? 」
祖父の言葉は, 私の心を見透かしているようだった.
「わ, 私は... 」
私は言葉に詰まった. 前世の記憶が, 私の脳裏を駆け巡る. 竜一に裏切られ, すべてを失った地獄の記憶.
「恵里, お前には, もっと相応しい相手がいるはずだ. お前は, 白石グループの唯一の後継者だ. もっと, 自分のことを大切にしろ. 」
祖父の言葉が, 私の心を深く揺さぶった. 私は, 祖父の言葉の真意を理解した. 祖父は, 竜一の本性を見抜いていたのだ.
「お祖父様... 」
私の目から, 涙が溢れ落ちた. それは, 悲しみでも, 絶望でもなく, 祖父の深い愛情に触れたことによる, 安堵の涙だった.
「お祖父様, 私, 高沢蒼太先生と結婚します. 」
私は, はっきりと宣言した. 高沢蒼太. 祖父の手術を執刀し, 命を救った青年医師. 前世では, 彼と接点を持つことはなかったが, 祖父を心から尊敬し, 信頼できる人物であることは知っている. そして, 前世の記憶を持つ私にとって, 彼は唯一の希望だった.
「た, 高沢蒼太くんと! ? 恵里, お前, 何を言っているんだ! ? 」
祖父は驚きを隠せない様子だった.
「私, 決めたんです. 白石グループの未来のためにも, 私の未来のためにも, 私は高沢先生と結婚します. 」
私の声には, 揺るぎない覚悟が宿っていた.
「そして, お祖父様. 私, 白石グループに入社します. 後継者として, 私がこのグループを守ります. 」
祖父からの電話を終えると, 私は竜一のスマートフォンを再び手に取った. 画面には, まだ杏樹からのメッセージが残っている.
『恵里様は, 本当に邪魔ですね. 早く消えてしまえばいいのに. そうすれば, 竜一様も, もっと自由に動けるのに. 』
私の顔に, 冷たい笑みが浮かんだ.
消えるのは, お前たちの方だ.
私は, 必ず, お前たちからすべてを奪い返す.
話 3
白石恵里 POV:
私はスマホの画面に表示された, 杏樹のメッセージをじっと見つめていた. その言葉は, 前世で私が経験した悪夢の再現を予告しているかのようだった.
竜一との出会いは, 私がまだ幼い頃に遡る. 祖父が開催する財団の若手育成プログラムで, 彼は常に注目を集める存在だった. 彼の才能は群を抜いており, その生い立ちゆえの影のある横顔は, 私にとって抗いがたい魅力だった.
ある年の彼の誕生日, 私は彼のために心を込めて手編みのマフラーを贈った. しかし, 彼はそれを無言で受け取ると, その場で切り裂き, ゴミ箱に捨てた.
「こんなもの, 私には必要ない」
彼の声は冷たく, 私の心は凍りついた. 彼の言葉は, 私の心を深く傷つけたが, 私は彼がまだ子供で, 感情の表現が苦手なだけだと自分に言い聞かせた. 祖父に知られたら心配させると思い, 私はその出来事を誰にも言わなかった.
その夜遅く, 私の部屋のドアがノックされた. そこに立っていたのは竜一だった. 彼は私の兄の形見である, 古びたオルゴールを差し出した. それは, 私が幼い頃に失くしたと思っていたものだった.
「俺は, 幼い頃に両親を亡くした. だから, 誰かに何かを贈られることに慣れていない. どうすればいいか, わからなかったんだ. 」
彼の言葉は, 私に衝撃を与えた. 私は, 彼が私と同じように, 大切な人を失った悲しみを抱えていることを知らなかった. 彼の冷たい態度は, 彼の不器用な優しさだったのだと, その時初めて理解した.
私はその夜, 彼に惹かれてやまない理由を見つけた気がした. 彼は, 私と同じ傷を抱えた, 孤独な魂なのだと. 私は, いつか彼の心の傷を癒し, 彼を笑顔にしてあげたいと心から願った.
あの時の私は, なんて愚かだったんだろう.
私は, 当時の自分の純粋な感情を思い出し, 胸が締め付けられるような痛みに襲われた. 彼の孤独に寄り添おうとした私の純粋な思いが, 結局は彼に利用され, 私の人生を破滅させることになったのだ.
竜一のスマートフォンが再び通知音を鳴らした. 画面には, 杏樹からのメッセージが表示されている.
『恵里さんが, まさか高沢蒼太先生と結婚するなんて, 信じられませんね. お嬢様育ちの彼女に, 急に経営者の真似事なんてできるはずがありません. 竜一様, ご心配のことでしょう. 』
杏樹の言葉は, 私の心に冷たい炎を灯した. 彼女は, 私のことを何もわかっていなかった. そして, 竜一も.
「そんなことはないわ. 」
私は独り言のように呟いた.
その時, 突然私の部屋のドアが開いた. そこに立っていたのは竜一だった. 彼は私の手からスマートフォンを奪い取ると, 画面に表示された杏樹のメッセージを読み上げた.
「恵里, お前, まさか杏樹にこんなメッセージを送ったのか? 」
彼の声は, 怒りに震えていた.
「何のつもりだ? 杏樹に嫌がらせをするなんて, お前らしくもない. 」
彼の言葉は, 私を侮蔑しているようだった.
「私らしくない? 」
私は冷たい笑みを浮かべた.
「あなたたちは, 私のことを何も知らないのね. 」
「恵里, 何を言っているんだ? お前は, いつも俺の言うことを聞いていたじゃないか. まるで, 飼い犬のように. 」
彼の言葉が, 私のプライドを深く傷つけた.
「飼い犬…ね. 」
私は, 竜一のスマートフォンを奪い返すと, 杏樹のメッセージを彼に見せつけた.
「このメッセージ, あなたにはどう見える? 」
竜一は一瞬, 言葉を失った. 彼の顔に, 微かな動揺が浮かび上がる.
「これは... 杏樹が, お前のことを心配して... 」
「心配? そんな言葉でごまかせると思っているの? 」
私は彼の言葉を遮った.
「あなたたちは, 私を陥れるために, ずっと裏で繋がっていたのよ. そして, この杏樹のメッセージは, その証拠. 」
竜一は, 私の言葉に青ざめた. 彼の瞳に, 深い恐怖が宿る.
「そんな馬鹿な! 杏樹は, そんなことをするような女じゃない! 」
「そうね. あなたにとっては, 彼女は純粋な芸術家で, 儚い存在なんでしょうね. 」
私は皮肉たっぷりに言った.
「でも, 残念だったわね. 私は, もうあなたたちの駒じゃない. 」
彼の顔が, みるみるうちに怒りで歪んでいく.
「恵里, お前, 何を企んでいるんだ? 」
「何も企んでなんかいないわ. ただ, 真実を明らかにするだけ. 」
私が言い放つと, 竜一は怒りに震えながら, 私の腕を掴んだ.
「杏樹に, 何の恨みがあるんだ! ? 」
彼の声は, まるで私のことを悪魔とでも言うかのように響いた.
「恨み? そんなものじゃないわ. 」
私は冷たい笑みを浮かべた.
「私は, ただ, 私に相応しい場所に戻るだけよ. 」
私は彼の腕を振り払うと, 部屋を出ようとした.
「待て, 恵里! 」
竜一の声が背後から聞こえた. しかし, 私は立ち止まらなかった.
「君は, 俺のモノだ! 」
彼の言葉に, 私は思わず振り返った. 彼の顔には, 怒りと, そして微かな焦りが浮かんでいた.
「あなたたちは, 私を軽蔑し, 利用し, 弄んだ. それでも, 私があなたのモノだとでも? 」
私の言葉に, 竜一は何も言い返せなかった.
彼の顔は, まるで血の気を失ったかのように青ざめていた.
「恵里, 俺は... 」
彼は何かを言いかけたが, その言葉は途中で途切れた.
私は, 彼の顔を見て, 内心で嘲笑した. 彼のプライドが, 今, 私の手によって崩れ去ろうとしている.
あなたが私に与えた苦痛に比べれば, こんなものは, まだ序の口よ.
私はそう心の中で呟きながら, 視線を杏樹のメッセージに向けた. その瞬間, 私の頭の中で, 前世の記憶が鮮明に蘇る. 杏樹が私を陥れるために仕組んだ数々の罠, そして私が精神病院で味わった地獄のような日々.
「恵里, どうしたんだ? 」
竜一の声が, 私の耳に届いた. しかし, 私の意識は, すでに過去の悪夢に囚われていた.
「杏樹は, 俺の, 俺たちの未来を... 」
彼の言葉が, 私の心に冷たい炎を灯した.
未来? あなたたちの未来など, 私には関係ないわ.
私の視線は, 再び竜一に向けられた. 彼の顔には, まだ困惑と焦りが浮かんでいた.
「竜一, あなた, あの女をいつから知っていたの? 」
私の問いに, 彼は一瞬, 言葉を詰まらせた.
「なぜ, そんなことを聞くんだ? 」
「答えて. 」
私の声は, 氷のように冷たかった.
「... 財団のパーティーで, 彼女の才能に触れて, 衝撃を受けたんだ. 」
彼の言葉は, 私にとって刃物のように突き刺さった. あの時, 私は彼の横で, 彼の言葉に耳を傾けていたはずだ. しかし, 彼は, 私の知らないところで, 杏樹と繋がっていたのだ.
「そう. だから, あなたは彼女を選んだのね. 」
私の言葉に, 竜一は何も言い返せなかった. 彼の顔には, 深い後悔と, そして微かな恐怖が浮かんでいた.
「恵里, 俺は... 」
彼は再び何かを言いかけたが, その言葉は途中で途切れた.
「もういいわ. 」
私は冷たく言い放つと, 竜一のスマートフォンを床に投げつけた. ガラスが割れる音と共に, 彼のスマートフォンは砕け散った.
「恵里! 」
竜一の声が部屋に響き渡った. しかし, 私の心には, 何の感情も湧き上がらなかった.
私を裏切ったあなたに, 後悔の念など抱かない.
私に相応しい場所は, ここではない.
私は, 冷たい視線を竜一に投げかけると, そのまま部屋を出て行った.
背後から, 彼の絶望的な声が聞こえた気がしたが, 私は振り返らなかった.