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東京を支配する最恐の暴力団組長である夫は、跡継ぎはまだ早いと言った。

それなのに、私は見つけてしまったのだ。

敵対組織の女との間に生まれた、彼の隠し子の洗礼式の招待状を。

彼の裏切りは、私を突き飛ばし、お腹の子を流産させた時に頂点に達した。

そして彼の愛人は、私を崖の底に突き落とし、死んだものとして置き去りにした。

だが、私は生き延びた。

建築界の最高栄誉をテレビで受け取る私を見た彼は今、ホテルの外でひざまずいている。

彼自身が作り出した亡霊に、帰ってきてくれと懇願しながら。

第1章

白石 絵玲奈 POV:

夫が、東京で最も恐れられる男がシャワー室に消えた瞬間、彼のノートパソコンにメッセージが光った。

それが、私の死刑執行令状にサインすることになるとも知らずに。

『黒崎玲央くん 洗礼式。本日』

シャワーの音が響き始め、バスルームの鏡が湯気で曇っていく。

私は夫の書斎のデスクのそばで凍りついていた。

彼の纏う高級な香水の匂いと、今日の暴力の気配がまだ部屋にこびりついている。

私の仕事は単純。

黒崎組の若頭である彼が好む、ブラックで砂糖なしのコーヒーを運ぶこと。

ただそれだけのはずだった。

なのに、画面に表示された名前が、私の視界で脈打つ。

『黒崎玲央』

私たちの苗字。

蓮が、私たち自身の子供には与えることを拒んだ名前。

メッセージの送り主は「赤城」というアカウント。

赤城組。

私たちの宿敵。何世代にもわたって冷戦状態にある敵対組織。

あまりに突拍子もない、あり得ない考えに、頭の回路が焼き切れそうだった。

内密の洗礼式。

隠し子のための。

赤城組の女との間にできた。

確かめなければ。

その衝動は物理的な力となって、私を金色の鳥かごのような家から引きずり出した。

これは命懸けの越境行為だ。

赤城組の縄張りに足を踏み入れることは、銃弾を招くようなもの。

でも、その真実は、私が飲まなければならない毒だった。

古い石造りの教会は、彼らの縄張りの奥深くにひっそりと建っていた。

私は幽霊のように、物陰に隠れながら後方の席に滑り込む。

心臓が、捕らえられた鳥のように肋骨を激しく打ちつけていた。

そして、彼を見つけた。

蓮。私の夫。

彼は祭壇の近くに立ち、ステンドグラスの光を浴びていた。

その腕には、白い産着に包まれた赤ん坊が抱かれている。

燃えるような赤い髪の女、赤城朱里が彼の肩に寄りかかり、その手は彼の腕に置かれていた。

彼らはまるで家族のように見えた。

裏切りでできた、聖なる三位一体。

数ヶ月前の彼の言葉が、冷たく鋭く頭の中で反響する。

「今はその時じゃない、絵玲奈。組には安定が必要だ。この混乱の中に跡継ぎを迎え入れるのは、弱みになる」

彼は私の髪を撫でながらそう言った。

低く、説得力のある囁きに、私はすべてを鵜呑みにした。

彼の「出張」。

力を固めるためだと説明された、彼がいない長い夜。

そのすべてを、彼女と、彼らと過ごしていたというの?

彼はこの世界の最も神聖なルール、沈黙の掟(オメルタ)を破った。

法に対してではない。

彼自身の家族に対して。

私に対して。

私は教会からよろめき出て、冷たい路上で必死に息を吸った。

ポケットの中でスマホが震える。

画面に光る、蓮の名前。

「どこにいるんだ、絵玲奈?」

彼の声は滑らかで、いつもと同じ愛情のこもった口調だった。

「ちょっと散歩に」

私は嘘をついた。声が張り詰めているのが自分でもわかった。

彼の電話の向こうで、それが聞こえた。

赤ん坊の泣き声。

そして、女の優しい「しーっ」という声。

朱里の声だ。

全身の血が凍りついた。

彼はまだそこにいる。

彼らと一緒に。

「会って話がしたいの」

私の言葉は、ガラスのように脆かった。

「今、手が離せないんだ…」

彼はためらった。

その時、鈴を転がすようなはっきりとした声が叫んだ。

「パパ!」

二、三歳くらいの男の子が教会の階段から駆け下りてきて、蓮の足に抱きついた。

蓮は息を呑んだ。

そして、一言もなく電話を切った。

私は通りの向かいから見ていた。

彼がその子を腕に抱き上げるのを。

彼は男の子の額にキスをした。

私が何年も渇望してきた、純粋で、無意識の愛情表現。

これは嘘じゃない。

これは政治的な取り決めなんかじゃない。

これは、本物だ。

彼の猛アプローチの記憶が蘇る。

大学のキングで、闇社会の玉座を継ぐ彼が、地味な建築学生の私を選んだ。

愛だと思っていた。

それは戦略的な買収だったのだ。

私は奨学金を、私の未来を、完璧な若頭の妻になるために諦めた。

忠誠を示すために。

そして、それはすべて、クソみたいな嘘だった。

震える手で、私は再びスマホを取り出した。

彼に電話はかけない。

ずっと前に暗記していた、スイスの番号にダイヤルした。

チューリッヒ建築協会のディレクターが、二回目のコールで電話に出た。

「白石絵玲奈と申します」

私の声は、不気味なほど穏やかだった。

「先日お話しいただいた件、お受けいたします」

2

白石 絵玲奈 POV:

「プログラムは6ヶ月です」

ディレクターの声が、チューリッヒから回線越しに聞こえてくる。

「完全に隔離された環境です。外部との接触は一切禁止。本当に、よろしいのですか?白石さん」

「はい、間違いありません」

その言葉は、私がここ数年で口にした、初めての真実のように感じられた。

私は自分だけの要塞を、自分だけの沈黙の掟(オメルタ)を築くのだ。

家に戻ると、そこは異質な空間に感じられた。

ここは家じゃない。

黒崎組の権力の中心地で、私はその高価な装飾品の一つにすぎない。

冷たく、澄み切った怒りが私を貫いた。

私はシンクの下から、分厚い黒いゴミ袋を掴み取った。

毎朝、彼のために淹れていたコーヒーカップ。

大理石のカウンタートップに叩きつけて粉々にした。

私たちの結婚式の写真立て。

フレームから笑顔の私たちを引きちぎると、ガラスが砕け散った。

寒い夜に彼が私に掛けてくれたカシミアのブランケット。

彼を裏社会の神のように見せ、権力と嘘の匂いが染みついたオーダーメイドのスーツ。

私は、私たちの結婚生活の亡霊で重くなったゴミ袋を、まるで生ゴミのように歩道脇まで引きずっていった。

それは彼の縄張りへの冒涜であり、若頭そのものへの侮辱だった。

どうでもよかった。

それから、私は自分のものをまとめた。

建築の図面、本、模型。

引越し業者を呼び、すべてを古いワンルームのアパートに運ぶよう指示した。

そこは、私自身への密かな約束のように、ずっと維持していた場所だった。

その夜、彼は帰ってこなかった。

次の日も。

二日目の夜、ようやくドアを通り抜けてきた彼は、二重生活の疲労を仮面のように顔に貼り付けていた。

「絵玲奈」

彼は言った。その笑顔は、目の奥までは届いていない。

彼は私を抱きしめようと、いつものように腕の中に引き寄せようと動いた。

でも、私はその匂いに気づいた。

私のものではない、ほのかに甘い香水の香り。

それは、赤城組の女の香りだった。

私は彼の胸を押し返し、身をすくめた。

「疲れてるの」

嘘は簡単に出てきた。

それは盾だった。

彼は眉をひそめた。

かつては私がなだめてあげたくなったその仕草も、今ではただの演技の一部にしか見えない。

彼はブリーフケースから小さな箱を取り出した。

「出張のお土産だ」

中には、私が嫌いな柄のシルクスカーフと、私が絶対につけない香水のボトルが入っていた。

それは見知らぬ誰かへの、名ばかりの妻への贈り物。

彼がいかに私を見ていないか、知ろうともしないかの証。

彼の妃であるべき女への、侮辱だった。

私は彼の視線を、硬い目で見返した。

「子供が欲しいの、蓮さん」

その言葉は、挑戦状となって私たちの間に漂った。

彼の表情がこわばる。

「その話はしたはずだ。今は組にとって重要な時期なんだ」

彼は自分の秘密を守っていた。

赤城組の跡継ぎを守っていた。

ちょうどその時、スマホが震えた。

彼のメインのスマホではない。二台目の、裏のスマホだ。

画面に非通知の番号が光る。

彼の、赤城組用の回線。

「仕事だ」

彼の声はぶっきらぼうだった。

彼は身をかがめ、私の額にキスをした。

冷たく、見下したような仕草。

そしてドアから出て行き、私を彼の嘘が響き渡る静寂の中に置き去りにした。

その夜遅く、私がソファで呆然と座っていると、それが見えた。

二台目のスマホが、彼のコートのポケットから滑り落ち、ソファの下に半分隠れていた。

画面はまだ光っていた。

朱里からのメッセージ。

『玲央が熱を出してるの。あなたに会いたがってる。お願い、来て』

激しい吐き気が私を襲った。

私はバスルームによろめき込み、胃が激しく収縮するのを感じた。

トイレに吐き出した。

私の体は、彼の裏切りの毒を排出しようとしていた。

そして、恐ろしく、あり得ない考えが頭の片隅で芽生えた。

途絶えた生理と、胸の奇妙な張りから生まれた考え。

私は妊娠している。

私は、黒崎組の正統な跡継ぎを身ごもっている。

その父親は、たった今、自分の隠し子の看病に出て行ったというのに。

翌朝、私は自分で車を運転して病院へ向かった。

医師の顔は優しく、声は穏やかだった。

「おめでとうございます、奥様」

彼は画面上の、小さく点滅する光点を指さして言った。

「妊娠6週目です」

3

白石 絵玲奈 POV:

6週目。

その言葉は、私が呆然と診察室を出た後の、無機質な静寂の中で響き渡った。

この子は、私たちの希望になるはずだった。

黒崎組の未来。

今となっては、私を嘘に縛り付けるもう一つの鎖のようにしか感じられない。

エレベーターに向かっていると、彼らの声が聞こえた。

蓮の、低く切迫した声。

赤城朱里の、涙ぐんだ懇願する声。

私は大きな観葉植物の陰に隠れた。体が本能的に動いていた。

彼らはほんの数メートル先に立っていた。

蓮は朱里の肩に手を置き、その表情は優しかった。

「いつなの、蓮さん?」

彼女は彼を見上げて、すすり泣いた。

「いつ、ちゃんとしてくれるの?いつ、私を黒崎組に迎え入れてくれるの?私たちの組は、やっと一つになれるのに」

私は息を殺した。心臓が胸の中で石になったようだった。

蓮の声は固く、奇妙な罪悪感と決意が入り混じっていた。

「白石絵玲奈は俺の妻だ。俺の組の連中の前では、それは変わらない。それが、俺が犯した過ちへの贖罪だ」

彼は一呼吸置き、親指で彼女の頬を撫でた。

「だが、お前と玲央のことは、俺が必ず面倒を見る。お前たちは、俺の血だ」

彼の血。

では、私は何?

贖罪。彼の罪滅ぼしのための道具。

彼らはエレベーターに向かって歩き始めた。

すれ違う時、朱里の目が蓮の肩越しに私を捉えた。

彼女の視線に驚きはなかった。

ただ、冷たく、勝ち誇った光だけがあった。

彼女は私がそこにいることを知っていた。

私に聞かせたかったのだ。

私たちの組同士の戦争で、彼女はすでに勝利していた。

痛みはあまりに鋭く、絶対的で、内臓が引き裂かれるようだった。

私は障害物でしかない。

歪んだ義務感から手放さない妻。

こんな男のために子供を産むつもりはない。

こんな欺瞞の網の中に、跡継ぎを産み落とすつもりはない。

私は受付に戻った。動きは硬く、ロボットのようだった。

そして、中絶の予約を入れた。

病院の駐車場で、私は弁護士に電話した。

「離婚を申請したいんです」

私の声には感情がなかった。

「私が受け取るべきものは、すべて。そのためなら、どんなことでもします」

若頭の権力に逆らってでも、私は自分の自由のために戦う。

もう一台の、蓮が知っている方のスマホが鳴った。

彼の名前が画面に光る。

ほとんど断ろうとしたが、ある種の病的な好奇心から、私は応答した。

「誕生日おめでとう、絵玲奈」

彼の声は温かかった。

覚えていたのか。それとも、彼の秘書が覚えていたのか。

「昨日はすまなかった。特別なことを計画したんだ。今夜、美術館の新しいウィングが落成する。君を称えて」

私が設計した美術館。

彼の「愛情深い夫」という壮大な演技のための、公の舞台。

冷たい予感が私を襲った。

彼は、これから訪れる嵐に全く気づいていない。

自分が亡霊と話していることに、全く気づいていない。

私は一言も言わずに電話を切った。

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見殺し:マフィアのボスの罪

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