話 2
ベラの興奮した声が聞こえてきた。「それでこそ私の知っているアイシャよ。それじゃあ、先生に連絡するわね。一度決めたら変更はできないわよ。さもないとピアニスト協会からブラックリストに入れられちゃうから」
私は衰弱して電話を握るのもやっとだったが、それでも彼女にはっきりと答えた。「ええ、決めたわ。心は変わらない」
ベラはすぐに航空券を手配すると言ったが、何かを思い出したように声を潜めて尋ねてきた。「ところで、エイリックスはどうするの? 骨の髄まで彼を愛しているんじゃなかった?ピアニストの夢を諦めて、彼を陰で支える女性になるって言っていたじゃない」
エイリックスの名前を聞いた途端、私の心は激しく痛んだ。
耳障りな嘲笑が脳裏に響き渡り、私を嘲る者たちに応じるエイリックスの冷淡な表情が目の前に浮かんだ。
彼はリリスのためなら四年という時間さえ惜しまず、ただ私を徹底的に苦しめるためだけに費やしたのだ。
「もう愛していないわ」 私の声は掠れていたが、穏やかだった。「彼にその価値はない」
電話を切り、私はしばらく道端で呆然と立ち尽くしていた。なんとか気持ちを落ち着け、「家」へと足を向けた。
再びヴィラの扉を開けると、そこには見慣れた光景が広がっていた。しかし、心境はすっかり変わってしまっていた。
このヴィラはエイリックスの名義だ。付き合い始めて間もなく、彼はごく自然に一緒に住むことを提案してきた。
あの頃の私は、恥ずかしさと期待で胸を膨らませていた。それがこの関係に対する彼の誠意の証であり、互いをより深く知る良い機会だと思っていたのだ。
かつての私は、心を込めてこのヴィラを飾り付け、整頓し、この家を深く愛していた。そして、いつかこの家で二人の子供を育て、エイリックスと生涯を添い遂げることを夢見ていた。
だが今、それがただの私の幻想に過ぎなかったことに気づいた。
私と一緒に住んだのは、ただ彼らがリリスの憂さ晴らしに協力しやすくするためだったのだ。
なぜエイリックスがリリスのためにそこまでできるのか、私には理解できなかった。彼女のために、愛してもいない女と四年間も身を寄せ合って同棲するなど。
リビング、キッチン、ベッドルーム、至る所に私たちが愛し合った痕跡が残っている。彼は同棲して最初の満月の祭りで、私にマーキングまでした。
これほどのことをしておきながら、それもすべて、リリスが彼にとってどれほど重要な存在であるかを証明するためだったとは。
真実を知ってからの数日間、私はエイリックスのことを一切尋ねず、見舞いにも行かなかった。
家にある二人の恋愛の思い出が詰まった品々を、一つひとつ処分していった。壊せないものは捨てた。
大切にしまっていたアルバムを取り出した。そこには私とエイリックスの日常の断片が記録されており、一枚一枚の写真に言葉が添えられていた。
【今日、ツナサラダを作ったら、彼がとても気に入ってくれた。すごく嬉しい】
【彼がミュージカルに連れて行ってくれた。私たちも主人公たちのように、早く結婚式を挙げられますように】
【彼がくれた指輪を、家政婦さんが片付けの際に失くしてしまったらしい。ずっと探したけれど見つからなかった。 でも大丈夫、新しいペアリングを買って、彼にプレゼントした】
私は涙を流しながらアルバムを破り捨て、それらの思い出を火鉢に投げ入れ、丸まって燃え尽きるのを見つめていた。
それから、この四年間、私がエイリックスのために心を込めて用意した贈り物を、すべてまとめて慈善団体に寄付した。
腕時計、コート、ネクタイ……大小合わせて数十点。そのすべてが、彼に対する私の愛の表現だった。
最後に、私が彼のために手ずから植えた一面の向日葵を処分した。エイリックスは向日葵が好きだった。見返りを求めず、静かに見守る愛の象徴なのだと彼は言った。 今ならわかる。彼が見守っていたのはリリスだったのだ。
私はそれを一本一本引き抜いた。葉が手のひらを切り裂く。それはまるで、エイリックスへの愛も少しずつ心から消し去らなければならないと、私に言い聞かせているかのようだった。
四年という時間は、あまりにも多くの共有物を積み上げていた。 すべてを片付け終えるのに丸四日かかった。その間に私も少しずつ悲しみから立ち直り、心はずいぶん軽くなっていた。
不意にヴィラの扉が開き、エイリックスが戸口に姿を現した。
彼はがらんとしたリビングを見回し、少し訝しげに言った。「なんだか物がずいぶん減っていないか」
私は無表情で答えた。「部屋を整理したの。必要ないものが多かったから」
エイリックスは私のそばに歩み寄り、責めるような口調で言った。「俺は狼毒にあたって死にかけたんだぞ。病院にも見舞いに来ないなんて、どういうことだ」
私は淡々と口を開いた。「今こうして私の前に立っているのだから、もう危険はないのでしょう」
エイリックスは私の言葉を意外に思ったのか、こう説明した。「君が俺のために骨髄血を抜いてくれたと聞いた。君が一人で倒れたりしないか心配で、早めに退院してきたんだ」
言い終えると、彼の手が私の背中の下のほうに伸びてきた。口調が少し和らぐ。「まだ痛むか」
私は身をひるがえして彼の手を避け、平然と答えた。「平気よ。狼族はもともと回復力が高いから」
私の態度がいつもと違うことに気づき、エイリックスは眉をひそめた。「どうしたんだ? 俺が入院していたのはたった四日だぞ。まるで別人のようだ」
私は口の端を吊り上げた。「考えすぎよ。私は私のまま」
エイリックスは押し黙った。
かつての私は、目に映るのは彼ばかりで、他の誰も入る余地はなかった。彼が咳を一つしただけで、心配で眠れなくなるほどだった。
しかし今回は、彼が四日間も入院していたというのに、私は一度も彼の容体を尋ねなかった。
エイリックスは私の両目を見つめ、なぜ私が変わってしまったのかと訝しんでいる。
しばらくして、彼は優しい口調で尋ねてきた。「最近、ストレスでも溜まっているのか? 友人の狩猟場がオープンしたんだ。一緒に気分転換しに行かないか」
話 3
断りたかったが、エイリックスは有無を言わさず私を抱き上げ、車に乗せた。
揺れる山道を進む車に、私は少し酔ってしまった。 狩猟場に到着すると、エイリックスは私の体調が優れないことに気づき、ドアを開けてくれた。
「車酔いか」エイリックスが優しく尋ねる。
「大丈夫」 私は首を振り、黙って車を降りた。
入り口まで歩いてすぐ、最も会いたくない人物の姿が目に入った。
リリスだ。
白いシャツにタイトなジーンズ、長い髪を後ろで一つに束ねた彼女は、甘い笑みを浮かべていた。多くの若者に囲まれていても、その存在は際立っている。
リリスはエイリックスの継母である。彼の父親が亡くなった後、エイリックスは彼女の面倒を見る責任を負った。しかし、共に過ごした年月の中で、二人が私の前で過度に親密な素振りを見せたことは一度もなかった。
エイリックスが責任感だけでなく、リリスに対してあれほど深い感情を抱いていたとは、想像もしていなかった。
私の手を引いて狩猟場の入り口へと向かうエイリックスの姿を見たリリスは、意味ありげな笑みを口元に浮かべた。あの「100回の報復」について、彼女も知っているようだ。
そう思うと、心が凍りつくようだった。
リリスがこちらに視線を向けたことに気づいたエイリックスは、顔に一瞬の動揺を走らせ、私の手を離した。
彼は低い声で言った。「友人に挨拶してくる。少し見て回っていてくれ。すぐに戻るから」
エイリックスの去っていく背中を見つめていると、胸が締め付けられるような痛みが込み上げてきた。
エイリックスが立ち去るとすぐ、リリスも人混みを離れ、同じ方向へと歩いて行った。
二人の姿が角に消えるのを見届けると、頭痛がひどくなった。私はどこか休める場所を探そうと踵を返した。
「義姉さん、鹿苑に行きましょうよ。小動物が好きだって言ってたじゃないですか」 エイリックスの親しい友人たちが、にやにやと笑いながら私の腕を掴み、森の中へと強引に連れて行こうとする。
私は手を振って断ろうとした。「エイリックスが戻るのを待ちましょう。さっき少し車に酔ってしまって、気分が良くないの」
「あいつはすぐ追いつきますよ。森で新鮮な空気を吸えば、気分も良くなりますって」 彼らは口々にそう言うと、私の腕を引いて足早に林の奥へと進んでいった。
「義姉さん、見てください、あそこに鹿がいます」誰かが鹿の出現を叫び、私はその指さす方へと目を向けた。
その瞬間、背後から何者かに強く突き飛ばされた。
「きゃあ――」
悲鳴を上げたが、誰に押されたのかを確かめる間もなく、私はそのまま坂道を転がり落ちた。
木の枝や雑草が私の頬を切り裂いた。
体は制御不能に転がり続け、もがこうとしても止まらなかった。
岩に体を打ちつけては激痛が走り、坂の底まで転げ落ちてようやく止まった。
視界がぼやけ、私は次第に意識を失った。
……
次に目を開けたとき、私は別荘に戻っており、寝室のベッドに横たわっていた。 頭は朦朧とし、少し動くだけで全身に激痛が走る。体中が痣と擦り傷だらけだった。
私が身を起こそうともがくと、それに気づいたエイリックスが体を支え、心配そうに一杯の水と数錠の薬を差し出してきた。
「足を滑らせて坂から落ちたんだ。これは鎮痛剤だ。飲めば楽になる」
朦朧とした意識のまま錠剤を受け取り、あまりの痛みに何も考えず水で飲み下した。
横になると、また意識が遠のいて眠りに落ちたが、断続的な吐き気と腹痛で再び目を覚ますことになった。
必死に目を開けると、エイリックスはもういなかった。
最後の力を振り絞ってトイレに駆け込むと、激しい嘔吐と下痢に襲われた。
それだけではない。目も痛み続け、視界は真っ白にぼやけていた。
病院に行かなければ。
私は電話で救急車を呼んだ。
私の姿を一目見た医師は、たちまち焦ったように叫び声を上げた。
三時間に及ぶ緊急処置の後、私の容態は少しずつ安定し始めた。
ベッドに横たわる私に、看護師が傷口に軟膏を塗りながら言った。「間に合ってよかったわ。もう少し遅かったら、お腹の子は助からなかったかもしれない」
この病院に来なければ、自分がエイリックスの子供を身籠っていることすら、知ることはなかっただろう。
衰弱した体でベッドにもたれかかり、手にした報告書をぼんやりと見つめながら尋ねた。「鎮痛剤を飲んで休んでいただけです。何も食べていないのに、どうして下痢なんか……」
看護師は聞き返した。「鎮痛剤ですって」
私は小さな薬瓶を取り出して彼女に手渡した。「エイリックスがくれたものです。これです」
看護師は薬瓶を受け取ると、一錠を砕いて注意深く調べた。「瓶には鎮痛剤と書いてあるけれど……中身は下剤よ」
「本当に、早く病院に来てよかった。でなければショック状態に陥っていた可能性もあるわ」
看護師の真剣な顔を見て、私の目から光が消えた。無理に笑みを作る。
「たぶん、彼が間違えただけでしょう」
まさにその時、スマートフォンの通知が鳴った。
携帯を取り出して確認すると、そのメッセージの内容に、指が震えてスマートフォンを握りしめていることすら困難になった。
エイリックスの友人たちからのメッセージだった。
【ははは、98回目の報復、ミッションコンプリートだ】
【今回の計画は完璧だったな。俺たちであいつを坂から突き落として、その後エイリックスが下剤を飲ませる。今頃、半殺しの状態だろ】
【残念なのは、あいつの目を潰せなかったことだな。そうすればリリス様と一緒にピアノコンクールに出ることもできなくなるのに】
ほどなくして、誰かが異変に気づいた。【やべっ、グループ間違えた。このグループ、アイシャも入ってるぞ】