話 2
星川杏樹 POV:
翌朝, 秀一はいつものように私の額にキスをした.
「杏樹, 昨日は本当にごめん. 記念日だっていうのに, 仕事が長引いてしまって. 埋め合わせに, 今日は一日中君とデートしよう」
彼はそう言うと, 私の隣に置かれた洋服を取り上げた.
「ほら, 君が好きな遊園地に行こう. 準備しておいたから」
彼の言葉は, まるで何事もなかったかのように軽やかだった.
遊園地に着くと, 彼は私に寄り添い, 手を握りしめた. 私が手を振りほどこうとしても, 彼は決して離そうとしなかった.
「杏樹, あれに乗ろうか? それとも, あの綿菓子が食べたい? 」
彼は私の表情を伺いながら, 次々と提案した. 彼の瞳は, 私への愛情で満ちているように見えた.
彼は私のために, 色とりどりの風船を買ってくれた.
「ほら, 杏樹. これで君は迷子にならないね」彼は優しい声で言った.
私は心の中で反論した.
私たちの姿は, まるで絵に描いたように幸せそうだった. 道行く人々は, 私たちを見て「なんて美しい絵なんだろう」と感嘆の声を漏らした.
しばらくすると, 何人かの人が私たちに気づいた.
「あの, 藤代社長と奥様ではありませんか? いつもテレビで拝見しています. 本当に素敵ですね! ぜひ, 一緒に写真を撮らせてください! 」
秀一は快く応じた. 私も彼らを失望させたくなくて, 笑顔を作った.
「本当に仲良しなんですね! どうか, いつまでも末永くお幸せに! 」ファンの一人が, 私たちに向かって叫んだ.
秀一は微笑んで応じたが, 私は一言も発しなかった. 私たちには, もう未来がないことを知っていたから.
昼食の時間になった. 秀一は頻繁にスマートフォンをチェックしていた.
「ごめん, 杏樹. ちょっと仕事の連絡が入って. 先に食べていてくれ」彼はそう言って, 私から少し離れた席に座った.
私は彼のスマートフォンをちらりと見た. 画面には, ライブ配信の投げ銭が流れていた. 彼は, 例の愛人のライブ配信をこっそり見ていたのだ.
私は, もう隠す必要もないと思った. 自分のスマートフォンを取り出し, その愛人のライブ配信を開いた.
画面の中の女は, 遊園地のゲートの前に立っていた.
「ねえねえ, みんな! 見て見て! この遊園地, 彼が私にプレゼントしてくれたの! すごいでしょう? 」
彼女は得意げに笑った. 私の心臓が, まるで鷲掴みにされたかのように締め付けられた.
ライブ配信のコメント欄が騒がしくなった.
「え? この遊園地って, あの藤代社長が奥様のために作ったって言われてたところじゃないの? 」
「まさか, 彼って二股かけてるの? ? 」
「嘘でしょ, そんなことありえない! 」
女はコメントを見て, さらに得意げな表情になった.
「ふふーん. 信じられない? じゃあ, これを見なさいよ! 」
彼女は一枚の書類を取り出した. 遊園地の所有権を示す書類だった. そこに書かれた所有者の名前は, 疑いようもなく「松崎花純」だった.
コメント欄は一気に沸騰した. 驚愕と羨望の嵐.
「まさか, 本当に社長が買い取ってあげたの! ? 」
「すごい! こんなに愛されてるなんて羨ましい! 」
「社長は奥様も大事にしてるはずなのに, どういうこと! ? 」
「みんなに投票してもらおうかな! 藤代社長と, 花純の彼のどっちが奥様を愛してるか選手権! 」
画面に表示された投票結果は, 圧倒的に秀一に票が集まっていた.
「もちろん, 秀一の方が奥様を愛してるに決まってる! 」
その時, 画面上に「恋梓」というアカウントから巨額の投げ銭が送られた. そして, メッセージが表示された.
「もちろん, 俺の方が梓を愛している」
私は彼の顔を見た. 彼の口元は緩み, 瞳には甘い愛が宿っていた.
「恋梓」…梓を愛する.
私は気づいた. 秀一が, 私を「梓」と呼んだことは一度もなかった. 彼はこの女を, 本当に愛しているのだ.
私の心は, まるで鋭い刃物で切り裂かれたように痛んだ. その痛みは, どこまでも深く, 私を蝕んでいくようだった.
話 3
星川杏樹 POV:
胸の奥から湧き上がる激しい痛みに, 私は思わず胸を押さえた. 呼吸が荒くなり, 顔から血の気が引いていく.
秀一が私の異変に気づいた.
「杏樹, どうしたんだ? 気分が悪いのか? 」彼は焦ったように私の顔を覗き込んだ. その瞳には, 心からの心配が宿っているように見えた.
私はなんとか平静を装い, かすれた声で答えた.
「大丈夫…ちょっと, 呼吸が苦しくなっただけ…」
彼は私の背中をさすり, 安心したように言った.
「無理しなくていい. もう帰ろう. 家でゆっくり休むんだ」
車の中, 秀一はしきりに私を気遣った.
「杏樹, 本当に大丈夫か? 何か欲しいものはないか? 何かあったらすぐに言ってくれ」
私は黙って窓の外を眺めていた. 彼の言葉は優しいが, 私の心には届かなかった.
「杏樹…俺, 何か気に障ることでもしたか? 」彼は不安そうに尋ねた.
私は彼の視線から逃れるように, 窓の外へと目を向けた.
「ううん, 違うわ. ただ, ドラマの続きを考えていたの」
「ドラマ? 」彼は興味津々といった様子で尋ねた.
「ええ. もし, 夫が自分以外の女性に心変わりして, 子供まで作ったとしたら…あなたならどうする? 」私はできるだけ冷静な声で尋ねた.
彼は即座に私の言葉を遮った.
「杏樹, そんな馬鹿なことを言うな. 俺が君以外の女性を愛するなんて, 絶対にありえない. 君が俺の唯一だ. 俺の心は, 永遠に君だけのものだよ」
彼の言葉は, まるで呪いのように私の心を締め付けた. 私の心臓は, さらに激しく脈打った.
その時, 彼のスマートフォンが鳴った. 彼は一瞬, 画面を見て, すぐに切ろうとした.
「出ないの? 」私の声は, 自分でも驚くほど冷たかった.
彼は戸惑いながらも, 電話に出た. 彼の顔色は, 電話の内容を聞くにつれて, みるみるうちに青ざめていった.
通話を終えると, 彼は焦ったように言った.
「杏樹, 本当にごめん. 会社で急なトラブルが発生して. 悪いが, ここからタクシーで帰ってくれるか? すぐに戻るから」
私は黙って頷いた. 彼が車を発進させるのを見送ってから, 私はタクシーを拾った.
「あの車の後を追ってください」私はタクシーの運転手に告げた.
彼の車は, 郊外にある豪華な邸宅の前で停まった. 玄関から出てきたのは, 花純だった. 彼女はメイド服に身を包み, 彼を迎え入れた.
二人は抱き合い, 深く口づけを交わした.
「秀一様, お待ちしておりましたわ. もっと素敵なプレゼントをご用意しておりますのよ」花純は甘えた声で囁き, 彼の腕を引いて車に乗った.
車は揺れ始めた. 最初は微かに, やがて激しく.
私はタクシーの中で, その光景をただ見つめていた. 心臓が痛むどころではなく, まるで氷の刃で切り刻まれているかのようだった.
かつて, 彼は私を深く愛してくれた. 結婚式の夜, 彼は緊張した面持ちで私の手を握り, 涙ながらに誓った. 「杏樹, 俺は一生君だけを愛する. 君が俺の唯一だ」
私も, 彼が私にとって唯一の愛だと信じていた. それなのに, 彼はその誓いを破り, 私を裏切った.
タクシーの運転手が, 私にティッシュを差し出した.
「お嬢さん, 大丈夫ですか? 私も昔, 夫に裏切られたことがあるんです. でも, 人生は続くもの. 耐えるしかないんですよ」
私は首を横に振った.
「いいえ. 私は…許さない」
家に戻ると, 私は秀一から贈られた全てのプレゼントをかき集めた. あのANJUのネックレスも, 彼が私にくれたもの全て.
私は財産管理の弁護士に電話をかけ, それら全てを売却し, 収益を離婚した女性を支援する財団に寄付するよう指示した.
一時間もしないうちに, 全ての品は引き取られていった.
私は静かに旅行カバンに荷物を詰めていた. その時, 玄関のドアが勢いよく開いた.
秀一が, ずぶ濡れのまま立っていた. 彼の顔は蒼白で, その瞳は怒りと焦りで燃え上がっていた.
「杏樹…! 俺がプレゼントしたジュエリーはどこだ! ? どこにやったんだ! 」