話 2
奈緒 POV:
轟音と共に, 世界は燃え上がった.
肉体は瞬く間に炎に包まれ, 原型を留めないほどに砕け散る.
それでも, 私の意識は途切れることはなかった.
私は, 自分の体が爆発し, 燃え盛る光景を, 宙を漂いながら冷静に見下ろしていた.
不思議と悲しみはなかった.
あるのは, とうに限界を超えていた心からの解放感.
ああ, 終わったんだ, と.
やっと, 修二から解放された.
そう思うと, 心が少しだけ軽くなった気がした.
私は, 自分の焼死体が警察署の解剖室に運ばれるのを待った.
知っていた.
久我修二が, それを解剖するだろうと.
私をここまで追い詰めた男が, 私の死体を目の当たりにする.
それは, 私にとって, 最後の, そして最大の復讐だったのかもしれない.
救急車のサイレンが遠くから聞こえてきた.
数時間後, 久我と警察官たちが廃工場に到着した.
久我は眉間に皺を寄せ, 疲れた顔で現場を見渡している.
警察官の一人が焦げ付いた爆弾の残骸を指差し, 身元不明の遺体が見つかったことを報告した.
「損傷が激しく, 身元確認は困難かと」
久我は無表情で私の遺骸に目を向けた.
私は, 幽体となって, 久我の隣に立っていた.
彼の顔をじっと見つめる.
あの, 一瞬でもいい.
彼が私の死を察し, 後悔の念に駆られることを, どこかで期待していたのかもしれない.
しかし, 彼の表情は動かない.
ただ, 冷静に法医学者の目で, 私の遺体を見つめているだけだ.
久我はすぐに立ち上がった.
「遺体は女性. 年齢は20代から30代前半. 死因は爆発による多発性外傷と焼死. 身元不明者として処理し, 失踪者リストと照合. 法医解剖は私が担当する」
彼の声は機械のように冷徹で, 何の感情も込められていなかった.
私の魂は, 絶望の淵に突き落とされた.
彼は, 私が死んだことさえ知らない.
いや, 知ろうともしない.
修二は, 私を一度たりとも, 気にしたことなどなかったのだ.
私の遺体は, 久我の指示で警察署へと運ばれていく.
私は, 彼の車に乗り込んだ.
助手席には, 彼の同僚であり親友でもある刑事が座っている.
私は後部座席にそっと座り, 彼らの会話に耳を傾けた.
「久我, お前の携帯, 着信履歴がすごいことになってるぞ. 白川奈緒って人からだ. もう20件以上だ」
刑事が久我に携帯を差し出した.
久我は眉間に深く皺を寄せ, 不快そうに携帯を受け取った.
「ああ, 彼女か. また面倒なことを言ってくるんだろう」
まるで, 私が迷惑な存在であるかのように.
「奈緒ちゃんも心配してるんじゃないか? お前がこんな時間まで働いてるんだから」
刑事は気遣うように言った.
しかし, 久我は冷笑した.
「心配? 彼女はただ, 俺の気を引きたいだけだ. いつもそうだ. 恵梨子のことになると特に」
彼の言葉が, 私の魂を締め付ける.
息が, できない.
私の心臓は, もう動かないはずなのに, なぜこんなにも痛いのだろう.
久我は携帯を操作し, 私からの着信履歴をスクロールする.
そして, 最後に送ったメッセージに目が留まった.
「修二, さようなら. この世界で, あなたと二度と会いたくない」
彼はそれを読み, フン, と鼻で笑った.
「またか. どうせ, 俺を試しているだけだ. 本気でこんなことをするはずがない. どうせ, 数日経てば泣いて俺のところに戻ってくるさ」
彼はそう呟き, メッセージに返信することなく, 携帯をポケットに放り込んだ.
私の最後の言葉は, 彼にとって, ただの駄々っ子の戯言だった.
私の遺言は, 最愛の男には届かない.
絶望が, 再び私の心を覆い尽くした.
車は警察署の地下駐車場に滑り込んだ.
私の遺体は, リフトに乗せられ, 解剖室へと運ばれていく.
私は, 修二と共に解剖室に入った.
この後, 彼は自分の手で, 私を解剖する.
そして, 自分が殺した女だと, 最後まで気づかないのだろう.
これ以上の残酷が, この世にあるだろうか.
私は, 震えながら, 彼がメスを握るのを待った.
話 3
奈緒 POV:
解剖台に横たわる自分の姿は, あまりにも見るに堪えないものだった.
皮膚は焼け焦げ, 肉は裂け, 骨は砕けている.
私は, 自分の魂がここまで穢れてしまったのかと, 自嘲の笑みを浮かべた.
久我は白い手袋をはめ, 無機質な目でメスを握りしめた.
彼の隣には, 先ほどの同僚刑事が記録のために立っている.
解剖が始まった.
久我のメスは正確で, 迷いがない.
まるで, ただの肉塊を相手にしているかのように.
彼は, 私の体から証拠を探し出す.
まるで, 私がただの事件の被害者であるかのように.
「被害者は頭部, 胸部, 腹部に広範囲の爆発による損傷. 四肢も骨折, 肉片の飛散が確認されます. 年齢は20代後半から30代前半. 虐待の痕跡も認められる」
彼は淡々と報告していく.
虐待. 沼田に監禁されていた数日間, 彼は私に暴力を振るった.
その傷跡を, 久我は見ている.
しかし, 彼の目には, 私の面影は一切宿っていない.
久我は私の腹部にメスを入れた.
「…胎児を確認. およそ妊娠2ヶ月から3ヶ月. 性別は不明」
その言葉が, 解剖室に響き渡った瞬間, 全ての動きが止まった.
同僚刑事の顔から血の気が引く.
久我のメスを握る手が, 一瞬だけ止まったように見えた.
妊娠?
私の?
私は, 自分の腹部を見下ろした.
そこに, 確かに, 小さな小さな命の影が宿っていた.
私は, 知らなかった.
修二に, まだ言えていなかった.
あの, 公園での電話の時, もし私がこのことを伝えていたら, 彼は…?
涙が, 止まらない.
私の魂は, 慟哭した.
私のお腹の中にいた, 小さな命.
修二との, 愛の結晶.
それすらも, この世に生まれることなく, 私と共に炎に消えてしまった.
私は, その事実に, 打ちのめされた.
久我は, 深いため息をついた.
「気の毒に. こんな若い女性が, 妊娠中にこんな形で命を散らすとは」
彼はそう呟き, 再びメスを動かした.
「この件に関しては, 現在の案件が落ち着き次第, 改めて調査を進めましょう」
他人事のように, 彼は言った.
私は冷笑した.
もし彼が, この遺体が私だと知っていたら, 同じ言葉を口にするのだろうか.
私は, もうどうでもよかった.
彼が後悔しようと, 悲しもうと, 私の命は戻らない.
私と, 私たちの子の命は.
解剖が終わり, 久我は疲れた顔で解剖室を出ていった.
私は彼の後を追う.
彼は署の庭で, 同僚刑事と煙草を吸っていた.
「久我, あの女性の件だが…本当に気の毒だったな. お前, 奈緒ちゃんとの間に子供とか, 考えてないのか? 」
同僚刑事が尋ねた.
久我は煙草を深く吸い込み, 吐き出した.
「奈緒か. あいつはいつもそうだ. 俺に構ってほしいだけだ. 最近は恵梨子にばかり構っているから, 余計に拗ねているんだ」
彼はそう言い放ち, 再び私の携帯からのメッセージについて言及した.
「『この世界で, あなたと二度と会いたくない』だと? どうせ, 俺を試しているだけだ. 本当に死ぬわけがない. あいつはそんな根性ない」
彼は冷笑した.
私の魂は, 彼の言葉に震えた.
彼は, 私が本当に死んだとは, 夢にも思っていない.
私からの最後の言葉を, ただの脅しだと決めつけている.
どれだけ, 私は彼に愛されていなかったのだろうか.
「それにしても, この事件, 妙だな. 沼田信和が絡んでくるとは」
久我は, 急に真剣な顔になった.
「彼が関わっているとなると, 私の過去の事件の報復の可能性が高い. 被害者の身元が特定できれば, 動機もはっきりするだろう」
彼は, 私の死よりも, 沼田信和の動機にばかり興味を示している.
私の怒りは, 沸点に達していた.
その時, 久我の携帯が鳴った.
画面には「恵梨子」の文字.
久我の疲れていた顔に, 一瞬で笑顔が浮かんだ.
「もしもし, 恵梨子. どうした? 」
彼の声は, 私に向けられていた時とは全く違う, 甘く優しいものだった.
「修二, いつ帰ってくるの? 私, 一人だと寂しいよ」
恵梨子の甘えた声が, 携帯から漏れ聞こえてくる.
久我は笑った.
「ああ, もう少しだ. すぐに帰るからな. 恵梨子が待ってると思ったら, 仕事も早く終わらせたくなるよ」
彼は, 私を解剖したばかりの手で, 携帯を優しげに握っていた.
その手は, かつて私の髪を撫で, 私の頬を包んだ手だ.
しかし, その優しさは, 今, 別の女に向けられている.
私は, 修二が恵梨子に, 私に向けたような優しさを向けているのを見て, 心が引き裂かれるようだった.
悲しみと, 嫉妬と, そして, どうしようもないほどの怒り.
私は, 彼に叫びたかった.
「私がここにいるのに! 目の前にいるのに, なぜ気づかないの! ? 」
しかし, 私の声は, 彼には届かない.
「修二, 恵梨子ちゃんも心配してるから早く帰ってあげなよ」
同僚刑事が言った.
久我は頷いた.
「ああ, そうだな. 彼女は俺がいないと, すぐに不安になるから」
彼の言葉は, 私にとっては, ただの拷問だった.
その時, 同僚刑事がパソコンの画面を指差した.
「久我! これを見てくれ! 行方不明者リストだ. この女性の特徴, さっきの被害者と一致するかもしれない! 」
画面に表示されたのは, 私の両親が提出した行方不明者届だった.
私の写真が, そこに写し出されている.
私の心臓が, 再び激しく脈打った.
彼は, 気づくのか?
彼は, 私が死んだことを, 知るのか?
私の両親が, 私を探していることに, 彼は気づくのか?
私は, 息を詰めて, 彼の反応を待った.