話 1
私は、システムによって一冊の本の中からこの世界へ転送され、温久言を攻略するという使命を課せられた。
もし、彼を私に惚れさせることができなければ、待っているのはシステムによる「抹殺」だ。
全身がゆっくりと腐り果て、悪臭を放ち、最後には骨一本残さず血の海と化す、そんな無残な最期である。
生命のカウントダウンが残りわずかとなった日、私は彼に告げた。もうすぐ死ぬから、一度だけでいい、私を愛してほしい、と。
彼は冷たく言い放った。「だったら、さっさと死ねばいい」
そして私が本当に死の淵を彷徨った時、彼は泣きながら私に生きてくれと懇願した。
【1】
私の命は、刻一刻と終わりに向かっている。いつ砕け散ってもおかしくないこの身体を、毎日薬で無理やり繋ぎ止め、三日に一度は救命救急室に運び込まれるような有様だった。
病院のベッドに横たわりながら、点滴の針が刺さっていない方の手でスマートフォンを手に取り、温久言に電話をかけた。
彼が電話に出た瞬間、まるで甘いお菓子をようやく手にできた幼子のように、私の心は躍った。
「久言、また救命救急室に運ばれたの。でも、今回も大丈夫だった……」
「病院に来て、会ってくれない?」
救命処置を受けるたびに、私は温久言に電話をかける。たとえ声を聞くだけでも、張り詰めた心と身体が少しだけ和らぐ気がしたからだ。
「許渺然、お前は先月十七回、今月は八回も救命室に担ぎ込まれたそうだな。まだ死にきれていなかったのか?」
「同情を引くために、そんな陳腐な嘘をでっち上げるとは。大した執念だ」
やはり、温久言は私の言葉を信じていない。
だが、驚いたことに、彼は私が救命室に運ばれた回数を正確に覚えていた。
冷たい医療機器に何度命を呼び戻されたかなど、私自身ですら覚えていないというのに。
ただ一つ確かなのは、死の淵を彷徨うたび、私の脳裏に浮かぶのはいつも温久言の顔だったということ。
もし、彼が私を愛してくれたなら……。
私は本の中から生まれた、誰かの筆によって生み出された登場人物に過ぎない。私の運命は、とうの昔に定められている。
その運命を覆す唯一の方法が、この世界で温久言の愛を手にいれることだった。
もし彼が私を愛さなければ、私はただ無価値なまま、この身が塵と消える日まで、へりくだって生きるしかない。
「久言、私、本当に死ぬの」
「もう、いつまで持つかわからない。私が消える前に、もう一度だけ会ってくれないかな?」
「あなたの誕生日も、もうすぐでしょう?お祝いさせてほしいの」
私の声は、自分でも哀れに思うほどみすぼらしく震えていた。
スマートフォンの向こうから、温久言の冷笑が聞こえる。「死にたいならさっさと死ね!」
「お前が本当に息を引き取ったら、死体を片付けてやるくらいは考えてやってもいい」
一方的に電話は切られ、かけ直しても、彼のスマートフォンは電源が落とされていた。
目に涙が滲み、虚ろな瞳はただスマートフォンの黒い画面を映すだけだった。
攻略対象に本気で恋に落ちるなんて、とんだ間抜けだ。心のどこかで、自分を嘲笑う声がした。
【2】
温久言が会いに来てくれないのなら、私から会いに行けばいい。
彼の誕生日はもうすぐだ。どうせこの身体は治らないのだからと、私は退院手続きを済ませ、彼の誕生日を祝う準備をすることにした。
病院を去る前、主治医が私に言った。「今のあなたの身体では、病院で化学療法を続けなければ、半月も持たないかもしれません」
「大丈夫です」と私は微笑んだ。「いずれ来る日なら、いっそ家に帰って、旅立ちの準備をしようと思いまして」
医師は同情的な眼差しを私に向けた。「あなたも不憫な方だ。一ヶ月以上も入院していて、ご家族は一度もお見えにならなかった」
「ご主人は一度いらっしゃいましたが、あなたを罵ってすぐに帰ってしまわれたし……」
医師は言い淀み、言葉に詰まった末、長いため息を漏らした。
彼女が何を言いたいのかは分かっていた。私の夫である温久言はなんて非道い男なのだ、と。
私の家族はなんて冷酷なのだ、と。
だが、彼女は知らない。私がそもそも、泡のように儚い存在で、家族などいないということを。
温久言だけが、私の唯一の家族だった。
本の世界から弾き出されたばかりの、ぼろぼろだった私を拾ってくれたのは彼だった。
彼は私に許渺然という名を与え、文字の読み書きを教えてくれた。
そして、何不自由ない暮らしと、穏やかな日々を与え、献身的に私を世話してくれたのだ。
だから、彼を攻略することなど、きっと簡単なはずだと思っていた。
しかし、ある偶然がすべてを変えた。彼が友人の悪戯で薬を盛られ、理性を失った時、私は自ら彼の解毒剤となった。
翌朝、彼が正気を取り戻した後、私は恥じらいながら彼の胸に寄り添い、言った。「温久言、私はもうあなたのものよ。私たち、付き合いましょう」
だが、彼は私を突き放した。「人の弱みに付け込むとは!恥知らずめ!」
私はベッドから転がり落ち、呆然と彼を見上げた。「あなたも私のことを好きじゃなかったの?どうして怒るの?」
彼は服を着ながら、私に向かって吼えた。「俺の心には蘇月月しかいない。お前なんて、道端で拾ったただの物乞いだ。好きになるわけがないだろう!」
その時初めて、温久言が私を好きではないのだと知った。
あの日を境に、彼は私を嫌い始めた。
だがその後、私たちの関係が彼の両親に知られ、無理やり結婚させられることになった。
彼が私に向ける感情は、嫌悪から憎悪へと変わっていった。
話 2
【1】
温久言の大好物であるイチゴのショートケーキを手に、彼との新居に戻った。
ドアを開ける前、その隙間からリビングに女性の姿を認めた。
その顔をはっきりと認めた瞬間、足から力が抜け、私は壁に無力にもたれかかった。
蘇月月――温久言の、元恋人だった。
蘇月月とは一度も会ったことはない。ただ、温久言のスマートフォンで写真を見たことと、彼の友人たちから噂を聞いただけだ。
話によれば、二人は大学時代から交際していたらしい。だが、温久言の母親が蘇月月を快く思わず、三年前、無理やり引き裂いたのだという。
それ以来、温久言はふさぎ込み、酒に溺れる日々が続いた。
温久言と結婚した初夜。彼はひどく酔っていて、私の体を貪るように求めながら、蘇月月の名を呼んだ。
行為の後、彼は避妊薬を投げつけ、冷たく言い放った。「飲め」
薬の箱を握りしめ、込み上げるものをこらえながら問いかけた。「久言、私たちは夫婦なのに、どうして……。赤ちゃんは、欲しくないのですか?」
シャツのボタンを留めかけていた彼の手が止まる。振り返りざま、憎悪に満ちた手で私の顎を掴んだ。
「許渺然、己の立場をわきまえろ。俺の子を産むだと?笑わせるな」
「いいか、よく聞け。俺がお前を娶ったのは、愛しているからじゃない。都合のいい性欲のはけ口が、ちょうど必要だっただけだ」
「今後、俺たちの間にあるのは体の関係だけだ。余計な期待はするな。もし分をわきまえなければ、容赦はしない」
温久言の冷え切った表情と、感情のこもらぬ言葉に、息が詰まるような感覚に襲われた。
彼の心の中では、私は添い寝相手以上の価値もない、取るに足らない存在だったのだ。
なぜ彼がそこまで私を拒絶するのか、その時の私には分からなかった。
その理由が分かったのは、結婚から一ヶ月が経った頃。あの日も彼はひどく酔い、夜半まで私を求めてきた。
彼が寝入った後、私はこっそりと彼のスマートフォンを覗き見た。
フォトアルバムに並んでいたのは、1314枚にも及ぶ、蘇月月の写真ばかりだった。
頭が真っ白になり、涙が堰を切ったように溢れ出す。体は痺れ、震えが止まらなかった。
毎晩私を抱く夫の心に、深く愛する別の女性が棲み着いている。その事実が、どうしても信じられなかった。
【2】
結婚して一年。温久言の口から、蘇月月の名が出たことは一度もなかった。
それなのに今、彼はその女を、私たちの“家”に連れ込んだのだ。
「あなたが……許渺然さん?」
蘇月月の声に、私ははっと我に返った。
いつの間に現れたのか、彼女は私の目の前に立ち、侮蔑の色を隠そうともせず、私を頭のてっぺんからつま先まで品定めするように見つめていた。
「あら、ケーキまで。久言の誕生日を祝いに来たのね?さあ、どうぞ入って」
蘇月月は私の手からケーキを受け取ると、丁寧な素振りで私を招き入れた。
その立ち居振る舞いは、まるで彼女こそがこの家の主で、私の方がただの客であるかのように錯覚させた。
「久言ったら、本当に」 蘇月月は言葉を続ける。「あなたが病院にいて今夜は戻らないから、代わりに泊まりに来てくれって、彼が言うものだから」
その背中を見つめ、悔しさに目が赤く充血する。けれど、以前のように涙がこぼれることはなかった。
温久言がどれほど自分を大切に想っているか、私に見せつけているのだ。
悲しいはずなのに、不思議と、心が少しも動かなかった。
エプロン姿の温久言が、焼き魚の皿を手にキッチンから現れた、その時までは。その光景を目にした瞬間、私の内なる世界は音を立てて崩れ落ちた。
彼とこれほど長く一緒にいて、料理をする姿など一度も見たことがなかった。
彼がキッチンに立つ姿を幾度となく夢想してきた。だが、いざその光景を目の当たりにしても、喜びなど微塵も湧いてこなかった。
彼の料理は、私のためではない。彼が心から愛する、蘇月月のために作られたものだからだ。
なんて滑稽なのだろう。私が渇望してやまないものを、この女はいとも容易く手に入れる。
なぜ蘇月月をこの家に連れてきたのかと、温久言を問い詰めたかった。
だが、蘇月月に向けられる、見たこともないほど優しい彼の微笑みを目にして、全ての言葉を飲み込んだ。
私たち三人の中では、どう考えても私の方が邪魔者だ。彼を責める資格など、どこにもないように思えた。