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夫はシャワーを浴びていた。水の音が、いつもの朝のリズムを刻んでいる。完璧だと思っていた結婚生活、五年目の小さな習慣。私は彼のデスクにコーヒーを置いた。

その時、夫のノートパソコンにメールの通知がポップアップした。「桐谷怜央くんの洗礼式にご招待」。私たちの苗字。送り主は、佐藤美月。SNSで見かけるインフルエンサーだ。

氷のように冷たい絶望が、私の心を支配した。それは彼の息子の招待状。私の知らない、息子の。

私は教会へ向かった。物陰に隠れて中を覗くと、彼が赤ちゃんを抱いていた。彼の黒髪と瞳を受け継いだ、小さな男の子。母親である佐藤美月が、幸せそうな家庭の絵のように、彼の肩に寄りかかっていた。

彼らは家族に見えた。完璧で、幸せな家族。私の世界は、ガラガラと音を立てて崩れ落ちた。

私との子供は、仕事が大変だからと断った彼を思い出す。彼の出張、深夜までの仕事――その時間は、すべて彼女たちと過ごしていたのだろうか?

なんて簡単な嘘。どうして私は、こんなにも盲目だったのだろう?

私は、彼のために延期していたチューリッヒ建築学特別研究員制度の事務局に電話をかけた。「研究員制度、お受けしたいと思います」私の声は、不気味なほど穏やかだった。「すぐに出発できます」

第1章

夫の蓮はシャワーを浴びていた。ガラスに叩きつけられる水の音が、いつもの朝のリズムを刻んでいる。私は彼のデスクにコーヒーを置いた。完璧だと思っていた結婚生活、五年目の小さな習慣。

その時、蓮のノートパソコンの画面に、カレンダーからのミニマルなポップアップ通知が滑り込んできた。

目を逸らす前に、その文字が飛び込んできた。

「桐谷怜央くんの洗礼式にご招待」

その名前に、私は凍りついた。桐谷怜央。私たちの苗字。

私がそれを理解する前に、通知は消えた。一瞬のまたたき。そして、消えた。まるで、最初からそこになかったかのように。

でも、もう遅い。その映像は、私の脳裏に焼き付いていた。送り主は、佐藤美月。どこかで聞いたことのある名前。時々フィードに流れてくる、完璧に作り上げられた生活を見せびらかすSNSインフルエンサー。フォロワーが何十万もいる、美しい女性。

冷たく鋭い不安が、胃の腑に突き刺さった。これはただのランダムなメールじゃない。彼の息子の招待状。私の知らない、息子の。

住所は都心の教会。時間は、今日の午後。

ノートパソコンを閉じて、何も見なかったことにしたい。蓮と築き上げてきた完璧な幻想に戻りたい。私を愛してくれた、聡明でカリスマ的なIT企業のCEO、蓮との生活に。

でも、もう一人の私が、冷たく、しつこく囁く。行かなければ。確かめなければ、と。

私はコーヒーをデスクに残し、私たちの家を出た。私が私たちの愛の記念碑として設計した、清潔でミニマルな家を。

教会は古い石造りで、ステンドグラスから陽光が差し込んでいた。私は後ろの方に立ち、物陰に隠れた。心臓が、重く、痛みを伴って肋骨を叩く。

そして、彼を見た。

蓮。私の蓮。彼はいつものシャープなビジネススーツではなく、柔らかいカジュアルな服を着て、前の方に立っていた。リラックスして、幸せそうに見えた。白いレースに包まれた美しい赤ちゃんを抱いている。

蓮の黒髪と、表情豊かな瞳を持つ、小さな男の子。

その子、怜央くんが、ぷっと泡を吹いて笑い、小さな手を伸ばして蓮の顔に触れた。

「あなたみたいな人になってほしいな、パパ」女の声が、柔らかく、所有権を主張するように言った。

佐藤美月が姿を現し、蓮の腰に腕を回した。彼女は蓮の肩に頭を寄せ、幸せな家庭の絵そのものだった。彼女の笑顔は輝き、その目は私が夫と呼ぶ男に釘付けになっていた。

彼らは家族に見えた。完璧で、幸せな家族。

私の頭は真っ白になった。あまりに深い無感覚の波が押し寄せ、まるで自分の体から魂が抜け出して浮いているようだった。蓮が美月の額にキスをし、そして赤ん坊に注意を戻し、何かを囁いて彼女を笑わせるのを、私はただ見ていた。

現実だった。すべてが。女も、赤ん坊も。彼の秘密の生活も。

信者席には見覚えのある顔がいくつかあった。蓮の仕事仲間で、私たちの家のディナーパーティーに来たことのある人たちだ。彼らは幸せそうなカップルに微笑みかけ、物陰で世界が崩壊していく妻の存在には気づいていない。

息ができなかった。そこへ歩み寄り、叫び、彼らの完璧な瞬間を粉々にする勇気はなかった。闘志は消え失せ、代わりに深く、空虚な絶望が私を支配した。

私は踵を返し、重い教会の扉から滑り出て、街の喧騒の中へと戻った。音はくぐもって、遠くに聞こえる。世界は冷たく、私はそれ以上に冷え切っていた。

数ヶ月前の記念日の会話を思い出した。

「蓮」私は優しく言った。「私、準備ができたと思うの。赤ちゃん、作らない?」

彼は黙り込んだ。目を逸らし、髪を手でかき上げた。いつも彼が考え事をするときの癖だと思っていた。

「まだだよ、詩織」彼はついに言った。「会社が正念場なんだ。もう一年だけ待ってくれ。子供には、すべてを与えられる状態でいたいんだ」

私は彼を信じていた。大学時代、私を執拗に追いかけた男を信じていた。私の野心の奥にある、ただの女としての私を見てくれた唯一の人。

当時、私たちは建築学科のトップを争うライバルだった。彼は聡明で、野心的で、私以外の誰にでも冷たかった。

私がスタジオで徹夜していると、温かいスープを持ってきてくれたのを覚えている。設計図に向かってかがむ私の背中を、彼の手が優しくさすってくれた。

肺炎で倒れ、立つこともままならなかった時のことも。彼は三日間、病院のベッドのそばに付きっきりで、眠りもせず、ただ私を見守ってくれた。

彼はその病室でプロポーズした。見たこともないほど脆い声で。

「詩織を失うわけにはいかない」彼は私の額に自分の額を押し付け、囁いた。「君のいない人生なんて、考えられない」

後で知ったことだが、彼の母親も同じような病院で亡くなっていた。彼の恐怖は本物だと感じたし、彼の愛は絶対だと思っていた。

私たちは卒業後すぐに結婚した。彼のITスタートアップは爆発的に成功し、彼は誰もが憧れる男になった。私も自分のキャリアを築いたが、常に彼を優先した。彼のために、私たちのために、私自身の五年計画を変更した。

そして、その間ずっと、彼には別の家族がいたのだ。

私だけに向けられていると信じていたあの愛も、献身も、嘘だった。ただの演技だった。

ポケットの中でスマホが震えた。彼からだった。画面に表示された彼の名前を、震える手で見つめる。やっとのことで応答した。

「もしもし、どこにいるんだ?」彼の声は温かく、いつも私に使う愛情のこもった口調だった。

背景から、赤ん坊の泣き声が微かに聞こえ、そして美月が子供をあやす声がした。

私は教会の向かいの通りに立ち、開いた扉から彼を見ていた。彼はスマホを耳に当て、私に話しかけながら微笑んでいる。

「ちょっと散歩してるだけ」なんとかそう言うと、自分の声が異質で、脆く聞こえた。

「急な会議で捕まっちゃって」彼は滑らかに言った。「もうすぐ帰るから。会いたいよ」

なんて簡単な嘘。彼の口からは、呼吸をするように嘘が吐き出される。ついに一筋の涙がこぼれ落ち、冷たい肌を熱く伝った。数々の出張、オフィスでの深夜残業。そのうちのどれだけが、ここで、彼女たちと過ごされていたのだろう?

どうして私は、こんなにも盲目だったのだろう?

喉の奥の塊を飲み込み、声を無理やり安定させた。「蓮、会って話したいことがあるの」

彼はためらった。彼が体重を移動させ、笑顔が一瞬だけ揺らぐのが見えた。「まだ会議中なんだ、ハニー。家に帰るまで待てないか?」

「待てない」

その時、小さな男の子、怜央くんがよちよちと歩いてきて、蓮の足に抱きついた。

「パパ!」子供が甲高い声を上げた。

蓮の目はパニックで見開かれた。彼は慌ててかがみ込み、私には落ち着いた低い声を保ちながら、男の子を静かにさせようとした。「ああ…同僚の子供だよ」

電話が切れた。彼が切ったのだ。

彼が男の子を腕に抱き上げ、頬にキスをし、何かを囁いて子供を笑わせるのを見ていた。彼はとても自然で、くつろいで見えた。なんて良い父親だろう。

私の心はえぐり取られたように、空っぽで、痛みを伴う空洞だけが残った。私の人生の数年間、私の愛が、まるで冗談のように感じられた。

私は再びスマホを取り出した。指が勝手に動いていた。親友の由奈には電話しなかった。弁護士にも電話しなかった。

私が電話したのは、チューリッヒ建築学特別研究員制度のディレクターだった。私が合格したにもかかわらず、蓮のために延期した、名誉ある六ヶ月間のプログラム。完全な、途切れることのない集中を要求されるプログラム。完全な隔離。

「研究員制度、お受けしたいと思います」私の声は、不気味なほど穏やかだった。「すぐに出発できます」

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「席はまだ空いていますよ、桐谷さん。あなたに来ていただけたら、我々も大変嬉しい」電話の向こうのディレクターの声は温かかった。「しかし、条件はご理解いただいていますね?六ヶ月間、完全な隔離。外部との連絡は一切禁止です」

「理解しています」と私は言った。それこそが、今の私に必要なものだった。消えるための場所。

「すべて手配できます」と彼は約束した。「渡航の予定が決まり次第、お知らせください」

「ありがとうございます」私は言った。無感覚を切り裂く、希望のようなものが微かにきらめいた。「チューリッヒでお会いしましょう」

電話を切り、まっすぐ家に帰った。私たちの家に。

玄関のドアを開けると、リビングには私たちの生活の象徴が溢れていた。カウンターにはお揃いのマグカップ。暖炉の上には結婚式の日の写真立て、蓮が私をしっかりと抱きしめている。彼が私に買ってくれたカシミアのブランケットが、私たちが寄り添って映画を見たソファにかかっている。

吐き気がこみ上げてきた。

キッチンからゴミ袋を掴み、嵐のように家の中を動き回った。最初にマグカップを放り込むと、袋の底で粉々に砕けた。写真立てもそれに続き、ガラスが割れる。すべての写真をフレームから引き剥がし、細かく引き裂いて投げ込んだ。ブランケット、私のクローゼットにあった彼の服、彼の「出張」から持ち帰ったくだらない土産物。

すべてを袋に詰めた。私はそれらを歩道脇まで引きずり出した。浄化の炎のような怒りが、私を焼き尽くしていた。

それから荷造りを始めた。私の服、本、建築模型。私のものすべて。運送会社に連絡し、アトリエとして使っていた古いアパートに配送するよう手配した。

その夜、蓮は帰ってこなかった。

翌日の夕方、彼は疲れた顔をしながらも、笑顔で帰ってきた。ブリーフケースを置き、私を抱きしめた。彼の腕が、何事もなかったかのように私を包み込む。

「ああ、会いたかった」彼は私の髪に顔をうずめ、唇がこめかみに触れた。

私の体は硬直した。彼のシャツから、別の女性の甘い香水の匂いが微かにした。彼があの赤ん坊を抱き、佐藤美月にキスをする姿しか思い浮かばない。吐き気が喉元までせり上がってきた。

私は彼の腕から身を押し出した。

彼の笑顔が消え、心配そうな表情に変わった。「どうしたんだ、詩織?冷たいじゃないか」

「何でもないわ」私の声は平坦だった。

「何でもないわけないだろ」彼は眉をひそめて言った。「具合でも悪いのか?医者に行こう」

その偽善に息が詰まりそうだった。彼は別の家族と夜を過ごした後でさえ、心配する夫の役を完璧に演じることができる。

「病気じゃないわ」私は言った。「ただ疲れているだけ」

彼はそれ以上追及しなかった。代わりに、ブリーフケースからラッピングされた箱をいくつも取り出した。「お土産、買ってきたんだ。出張の」

彼は出張の証拠まで偽造していた。私が嫌いだと伝えたデザイナーのシルクスカーフ。私が絶対につけない香水のボトル。一つ一つの贈り物が、彼の欺瞞の深さを物語る、巧妙に構築された嘘だった。これらの贈り物の値段で、小さなスタートアップ企業に資金提供できるだろうが、その裏にある思いやりは無価値だった。

叫びたかった。箱を彼の顔に投げつけ、どうしてこんなことができるのかと問い詰めたかった。しかし、言葉が出てこない。かつての彼を心のどこかでまだ愛している女と、今の彼の正体という真実に溺れている女との間で、私は閉じ込められていた。

彼は私の沈黙と、目の充血に気づいた。

「どうしたんだ、詩織?話してくれ」

私は彼の目をまっすぐに見つめ、硬い声で言った。「赤ちゃんが欲しいの、蓮。今すぐに」

彼の顔色が変わった。一瞬のパニック、そしてうんざりするような忍耐の仮面。「話しただろ。タイミングが悪いんだ」

「あなたにとっては、いつだってタイミングが悪いのよ」私は言い返した。

「会社が新しいプロジェクトを立ち上げたばかりなんだ。プレッシャーがすごいんだよ」同じ言い訳。いつも同じ。

「私にはプレッシャーがないとでも思うの?」私の声は次第に大きくなった。「子供が欲しいの、蓮。あなたとの」

彼のスマホが鳴り、彼を救った。発信者番号は非表示。彼はそれを見て、真剣な表情になった。

「仕事だ」彼はすでに背を向けながら言った。「行かなければ」嘘。嘘だとわかっていた。

彼は私の額にキスをした。今では裏切りの烙印のように感じる仕草だ。「遅くなる。先に寝ててくれ」

窓から、彼が車に乗り込み、夜の闇に消えていくのを見送った。

私はソファに崩れ落ちた。闘志は消え、骨の髄まで染みるような痛みだけが残った。彼は彼女との子供は持てるのに、私とは持てない。その考えは、物理的な打撃だった。

彼の二台目のスマホ、彼が「海外とのビジネス用」だと主張していたものが、コーヒーテーブルの上に置かれているのが目に入った。急いでいたせいで忘れていったのだ。画面がメッセージで光った。

美月から:「怜央くん、また熱が出ちゃった。パパに会いたいってずっと言ってる」

彼は私が変わったことにさえ気づいていなかった。家が半分空っぽになったことにも。妻の心が壊れかけていることにも。

一筋の涙が頬を伝い、そしてもう一筋。心臓の痛みはあまりに激しく、物理的な感覚だったが、それよりも突然の、激しい腹部の痙攣に意識を奪われた。

私は前のめりになり、口を手で押さえながらトイレに駆け込み、便器に吐き出した。

体の感覚がおかしい。これはただの失恋の痛みではない。冷たく、恐ろしい考えが頭の中で形になり始めた。奇跡であり、呪いでもある可能性。

その夜、彼は帰ってこなかった。

翌朝、私は一人で病院へ向かった。

医師は超音波の画面を見ながら、目尻にしわを寄せて微笑んだ。

「おめでとうございます、桐谷さん」彼女の声は、私が感じることのできない喜びに満ちていた。「妊娠六週目ですよ」

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私は呆然としながら診察室を出た。彼女の明るい言葉が、殺風景な廊下に響き渡る。妊娠。六週目。私はまだ平らな自分のお腹に手を当てた。一筋の涙が目尻からこぼれ落ちた。

この小さく、罪のない命。なぜ今?なぜ、この瓦礫の山の中から、この瞬間に生まれてくることを選んだの?

長い廊下の突き当たりに差し掛かった時、見慣れたシルエットに私は凍りついた。

蓮だった。彼はエレベーターの近くに立ち、胸で泣きじゃくる佐藤美月を腕に抱いていた。彼は慰めの言葉を囁き、その表情は、私が長い間向けられていなかった優しい気遣いに満ちていた。

私は大きな観葉植物の陰に隠れた。心臓が激しく鼓動する。彼らの言葉ははっきりと聞こえなかったが、彼の行動がすべてを物語っていた。

その時、美月の詰まったような囁き声が廊下に響いた。「彼女、何か疑ってると思う?」

「あいつは俺を信じきってる」蓮は答えた。彼の声は素っ気なく、見下すようだった。それは、彼が私を、私の知性を、どれほど軽んじているかをすべて明らかにする、無頓着な一言だった。

「でも、いつ私を奥さんにしてくれるの?」美月は、必死の野心をにじませた声で迫った。「いつ、私と怜央に、ふさわしい生活を与えてくれるの?」

「美月、やめろ」彼は彼女を遮った。その声には鋼のような響きがあった。「詩織は俺の妻だ。それは変わらない」

私は息を呑んだ。

「それが、俺にできる最低限のことなんだ」彼は続けた。その声は今や柔らかく、罪悪感のようなものが混じっていた。「彼女にしてしまったことへの、俺なりの償いだ」

美月は黙り込み、不承不承ながらも彼の決定を受け入れた。彼は彼女を再び抱きしめ、髪にキスをした。

「美しい息子を産んでくれた、美月」彼は感情のこもった声で言った。「君たち二人のことは、俺が必ず守る」

彼らは腕を組み、エレベーターに向かって歩いていった。ドアが閉まる直前、美月の目が私のいる方向をちらりと見た。一瞬、彼女の視線が私と交錯した。彼女の目に驚きはなく、ただ冷たく、勝ち誇ったような勝利の光が閃いただけだった。

彼女は知っていた。私がずっとそこにいたことを。

私は植物の陰から一歩踏み出した。体は震えていた。こらえていた涙が、熱く、止めどなく顔を伝って流れ落ちた。胸の痛みは物理的な重さとなって、私を押しつぶしていた。

彼は罪悪感から私と離婚したくない。しかし、もう一つの家族を諦めるつもりもない。それなら、私は何?彼の感じなくなった責任の象徴?臆病すぎて断ち切れない、ただの placeholder?

彼の約束を、誓いを思い出した。「病める時も、健やかなる時も、死が二人を分かつまで」。彼はあんなにも確信に満ちて言った。私は信じていた。

しかし、彼は私を裏切った。そしてこの愛、この毒にまみれた、壊れたものを、私は自分の人生から切り捨てなければならない。

病院を出る前に、私は受付に戻り、予約を入れた。中絶手術の。

そして、弁護士に電話した。

「離婚届を作成してください」私の声は冷たく、安定していた。「財産はすべて折半。私が受け取る権利のあるもの、すべてを」

病院の駐車場で車の中に座っていると、スマホが鳴った。蓮からだった。彼の声はかすれて、疲れていた。

「誕生日おめでとう、詩織」

すっかり忘れていた。混乱と痛みの中で、自分の誕生日が頭から抜け落ちていた。

「昨日は本当にすまなかった」彼の声には、練習された後悔の念がにじんでいた。「会社でトラブルがあって。一睡もできなかったんだ」

苦い笑いがこぼれそうになった。「そう」私は言った。その二文字が、口の中で埃のように感じられた。

彼は電話の向こうで安堵したようだった。私の質問のなさに安心したのだろう。「今夜、君のためにパーティーを開くんだ。君の誕生日と、君が設計した美術館の新館の完成を祝って。埋め合わせをさせてくれ」

「そう」私は繰り返した。声は単調だった。

一年前なら、その言葉に嬉し泣きしていただろう。今では、それは彼の巧妙な嘘の、また一つ新たな層に過ぎなかった。

もう彼の声を聞きたくなかった。私は電話を切り、ハンドルを握りしめた。

窓の外を見ても、何も見えなかった。ただ、深く、冷たい予感だけがした。彼はこれから何が起こるか、全くわかっていない。何か大切なものが指の間から滑り落ちていくような不安を感じてはいるが、それが何なのかはわからない。

それが、もう失われてしまったことにも気づかずに。

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五年、運命を狂わせた一つの嘘

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