話 1
「ね、ちょっと!ちょっとってば、由実子、聞いて」
黒いスーツに身を包んだ人たちが静かに並ぶ中、後ろから小声で話しかけてきたのは楓。
「なに?お焼香が済んでからにしてくれる?」
「はーい」
口元に人差し指をあてながら、振り向いたのは私、由実子。 今日は共通の友人である典子のお葬式。
静まり返る室内に響く読経を聞いても、まだ実感がない。
➖まさか、典子が、死んでしまうなんて…➖
突然の友人の訃報が届いたのは3日前。そして今日はお葬式に楓と二人で参列している。
こんな場面でも、何か思いつくと話さずにはいられない楓だが、それもやはり実感がないからだと私は思った。
参列は少しずつ祭壇の前へ進んでいく。 親族席の前まで行くと、一礼する。
「このたびは……」
その後の言葉が出ない。 典子のご主人が、深々と頭を下げてきた。
突然の妻の死に、憔悴しているというより現実感がないのだろうか、泣いているようには見えず心ここに在らずといったようだ。 それはその横に並ぶ、成人している息子と娘も同じように見えた。
その後ろでは典子のお母さんと思われる人が声を殺して泣いていた。それを見て私もつられて涙が込み上げたが、きゅっと唇を噛んでこらえた。
お香をつまみ、お焼香をする。 手を合わせた後そっと目を開け、祭壇を見た。 幸せそうに微笑む典子の写真には、カトレアの花が飾り付けてあった。
➖どうして死んじゃったの?どうしてあんな死に方を選んだの?➖
写真の典子と目が合うのに、もう答えてはくれない。
お葬式も終わりに近づき、棺が開けられ典子の周りに花が入れられる。
「どうぞ、ご友人の方からもお花を。綺麗にしてあげてください」
斎場の人に勧められて蘭の花を受け取った。 白や黄色、薄いピンクの花に囲まれて典子はとても綺麗だった。 不思議と、典子が死んでしまった悲しみよりも、典子に対するねぎらいの言葉が出た。
「典子、おつかれさま」
棺の中の典子に、 小さくつぶやいた。
それからしばらくして、典子の棺は斎場を後にした。これから火葬場へと向かう。葬儀が終わり、 ちらほらと帰る人達。
「やっぱりね、介護がきつかったんじゃないの?」 「そればかりじゃないみたいよ、ご主人に愛人がいたとかいう噂もあるし」
「それにしてもねー、まだ50才だよ。子どもたちも成人してこれから楽になるって時にねー」
あちこちから聞こえてくる、典子の自殺の原因についての噂話。
➖もういいじゃないか!いまさら何を言っても典子には弁解すらできないのだから!➖
何も知らず勝手な憶測で噂話をする参列者達に、そう声をあげたくなったけど、やめた。
「恥ずかしいからやめてって、由実子!」
そんな典子の声が聞こえてきそうだったから。
「ね、由実子、これからちょっと時間ある?」
いつのまにか楓が横に並んで立っていた。
「んー、ちょっと待って」
腕時計で時間を確認する。 健吾との約束まではまだ時間があった。
「いいよ、夜には予定があるけど」
「よかった、なんかね、このまま家に帰るのって寂しいというか…誰かと話がしたくて」
明るめの肩までの髪を耳にかける仕草は、何かあらたまった話があるときの楓の癖だ。
「そうだね、私もちょっとこのまま帰るのはなんだか気が重い」
答えながら健吾の顔を思い出していた。
「あー、はっきり言ってよ、お葬式の後にそのまま彼氏に会うのは気が引けるって」
「バレた?」
「まぁいいよ、彼氏との約束の方が先だったんでしょ?お葬式より。そりゃ仕方ないわ。 それよりも、いい感じの喫茶店を見つけたのよ、この前散歩してて」
「つきあうよ、そこ行きたいんでしょ?」
「やったー、じゃいこっか?あ、喪服ってどうかな?着替えないとダメ?」
「いわゆる今風のカフェとかじゃなきゃ、いいんじゃない?気にしなくても」
「それなら大丈夫、昔ながらのって感じのお店だから」
歩きながらタクシーを拾った。 斎場からその喫茶店【春爛漫】までは、タクシーで10分ほどだった。
大通りから一本入った、あまり目立たない場所にその喫茶店はあった。 入り口横にある店名のステンドグラスの看板は、もう何十年もそこにあるかのようだった。おそらく元々は赤や青や緑や黄色の春らしい色だったのだろうが、ぼやけて全体がセピア色がかっていた。
からんころん🎶
入り口のドアには、今では懐かしいドアベルがついていた。
「いらっしゃい」
年代物みたいなカウンターの奥から、キャップをかぶったマスターが声をかけてきた。
こじんまりとした店内は、昭和の時代からそのままそこにある雰囲気だ。 ふかふかのビロードのソファに、テーブルに置かれた100円玉を入れて占うマシンもある。
「カウンターでいい?」
楓が聞いてきた。 チラッとマスターを見たけど、うるさく話に入ってきそうなふうには見えない。
「うん、いいよ」
「マスター、私、ブレンド、あ、由実子は?」 「私もそれで」
「はい、わかりました」
そう言うとマスターは、カウンターの奥にあった棚からコーヒー豆を出して丁寧にドリップを始めた。 ふぅ!とため息をつく。
「んー、なんだか疲れたね」
頬杖をつく楓。
「そうだね、典子がね、まさか…ね」
祭壇に飾られた遺影を思い出す。
「私たちグループの中じゃ一番幸せだと思ってたんだけどな」
楓が言う。
「最近会えてなかったから、よくわからないんだよね、典子のこと。あ、そうだ!」
私は1か月ほど前、典子からLINEがきてたことを思い出した。
「これ、見て!先月、典子から届いてたんだけど…」
開いたLINEには、簡単に近況を知らせる話とそれからいい病院を知らないか?と書いてあった。
「え?病院ってなんの?」
私のスマホを覗き込んでいた楓が聞く。
「その後も読むとわかるんだけど、介護付きの老人ホームみたいなやつと、それから心療内科だった」
更年期のせいか、体調が思わしくなくて介護をするのも大変なんだと書いてあった。 近所に住んでいる自分の両親の介護に、自分の時間が取られてしまうと。
「更年期なら婦人科じゃないの?」
「私もそう思って、評判のいい婦人科を教えたの」
私は、不動産の営業という仕事柄、そういう情報には詳しいほうだった。
「で?行ったのかな、典子」
「多分行った、その病院の薬の袋がリビングにあったのを見たから」
私は典子の訃報を聞いてその日の夜に一度、典子の家を訪ねていた。 念のためということで、検死があるからと典子はそこにはいなかったが。
「そういえばさっき、何か話たがってなかった?楓」
「ん…典子が死んじゃってさ、ちょっと考えちゃって」
「なにを?」
「私たち、もうアラフィフでしょ?いやまぁ、私は数年前に50過ぎてるけどさ。平均寿命の半分はとっくに過ぎてるわけよ!」
「まぁ、そうだね」
「このままだとこのままで人生終わっちゃうわけよ!」
「このままとは?」
「自分のこともちゃんとできない旦那のご飯作ってパンツ洗ってさ、そのうちどっちかの、へたすりゃ両方の親の介護が始まってさ、そして孫が生まれたら孫の世話だよ?」
「ありきたりだけど、そうだね」
二つのコーヒーが、楓と私の会話を邪魔しないようにそっと置かれた。
「じゃあさ、私は?私の時間はどうなるの?もう半分もないんだよ?元気で自由がきく時間なんてあと数年かもしれないんだよ?」
ピッチャーからミルクを勢いよく注ぐ楓のコーヒーは、一滴テーブルに落ちた。
「わかったから、そんなに荒くしないで、せっかくのコーヒーが、ほら、もう」
ごめんなさいとおしぼりでテーブルを拭く。
「由実子はいいよね?健吾さんだっけ?彼氏がいてさ、現役の女だもんね」
「え?私の話?」
「そう!結婚して子どももいて仕事も正社員で、そして彼氏がいるって!全部持ってるもんね!」 「いや、お金はないよ、ほんとにギリギリだから」
私は働きたくて正社員で働いているんじゃない、できれば楓みたいに近所の雑貨屋さんかなんかでアルバイトくらいがいいと思ってる。
「そのうえさ…」
「まだ何かある?私に」
「彼氏がいても、そのことが旦那さんにバレてるかもしれないのに、それが許されてるってどうなの?」
「はは…それは、まぁね…」
10年ほど前、夫の浮気と借金が同時に発覚した。 その二つの事由があれば、立派な離婚請求になるのはわかっていた。
それでも離婚しなかった。 離婚しても借金があるような夫からは、慰謝料も取れないし、相手の女に負けたような気がするから、離婚は踏みとどまった。 当時小学生だった3人の子どもたちのことも考えたら、離婚は得策じゃないと思えた。
とりあえずは借金を返す、そのために正社員の職を探した。
不動産の営業なんてやったことなくて、それでもやらなくちゃいけなくて、慣れないことにオタオタしている時に健吾に出会った。
ある日、疲れ果てた帰り道、健吾に誘われて飲みに行った。 お酒のせいもあって、私は自分の家庭の事情をしゃべっていた。 久しぶりのお酒に酔って、気がついたらラブホテルの部屋だった。
「これで、ご主人とおあいこになるでしょ?」
そう健吾が言った。
➖あぁそうか、意外と簡単に浮気ってできるんだな➖
それがその時の感想だった。
そんな健吾との出会いを思い出した。
「あれ?うちの事情とか、健吾との出会いは話さなかったっけ?」
健吾との出会いや、夫との立ち位置は楓にも話した気がしたけど。
「うん、聞いたと思う。でもさ、私が一番由実子をうらやましいのは、女として見てくれる男がいるということだよ」
楓は、コーヒーを飲みながら髪を耳にかけた。 あの癖だ。
「何か話があるんだよね?私のことじゃなくてさ」
楓の癖に気づいた私は、あらためて聞いてみた。
「ん…実はね、私…」
前を向いたまま、声のトーンを落として話し続ける。
「好きな人がいるんだ…きゃっ!」
「え?きゃって中学生か」
顔を両手で隠して照れている様は、まるで10代だ。
「だけどね、どうにもできなくてねー」
「どうにかしたいの?」
少し意地悪な聞き方をしてしまう。
「どうにか…ん…どうしたいんだろ?ただ好きって言いたいだけかも?」
きゃっ!とまた顔を隠した。
「言うだけならタダなんだから、言えば?」 「えー、言ってさ、ひかれたら傷つかない?」 「確かに若い子ならまだしも、50才過ぎてたらひかれるかな?ははっ!」
楓がムッとしたのがわかったから、笑ってごまかす。
「ひかれるよね、キモいとか言われるかな?いやだよね?私なんかじゃさ…」
「あのね、年は関係ないと思うけど?実際私のことを想ってくれる人もいるんだし」
「そうだよね?大丈夫かもしれないよね?」
「てか、どうした?突然そんなこと」
今まで楓の口から好きな男がいるなんて話は聞いたことがなかった。 しばらくの無言。
「だってね…典子が死んじゃった…」
言いながら泣き出した。
「え?何?いま?」
「あんまりにも突然でさ…なんにも言わずに典子がいなくなっちゃった…まだまだこれから…じゃない?」
ひっくひっくと嗚咽をあげる。 マスターがそっと新しいおしぼりを出してくれた。
「ほら…楓…あんたが泣く…と…」
言いながら、涙が込み上げてくるのを止めることができない。 マスターがもう一つ、おしぼりを出してくれた。
「ごめんなさい…こんな…お店…で」
わーんと、えーんと、いい年の女2人が喪服で泣き出した。 運良く他にお客さんはいなかったけど、マスターには迷惑だろうなと思う。 でも…。
「いいですよ、お気になさらず」
そう言うとマスターは、入り口に【本日閉店】の看板を掛けに行った。 これで思いきり泣ける…。
➖あ、私も楓も泣きたかったんだ➖
ここは泣ける場所なんだと思った。
話 2
「クシュン!」
ブルッと身震いがして目が覚めた。 毛布がはだけていた。 枕元のスマホを見ると、あと30分でアラームが鳴る時間だ。 もう一度寝ようかと思ったけど、二度寝するともう起きられない予感がする。
➖仕方ない、起きますか➖
少し頭痛がするのは、昨日、由実子と年甲斐もなく大泣きしたからだろうな。 今日の散歩はどうしようかな?
➖あー、とりあえずこの頭痛を治さないと、もうすぐ旦那が起きてくる➖
あーぁと、ため息ともあくびともとれる深呼吸をする。 眠たい目をこすりながら、キッチンへ行き、 コーヒーをセットしてハムエッグを焼く。
➖旦那が好きなベーコンを切らしたから、文句言うだろうなあ、いつものことだけど➖
「おーい」
旦那の声がした。
「楓!、トイレットペーパーがきれた」
➖はぁ?そこにあるよね?すぐ近くのトイレの入り口の棚に➖
声に出さずに答える。こんなことは いつものことで、さらに今日は頭痛がするから返事はしないことにする。
「いないのか?なぁ!トイレットペーパーないぞ」
旦那がドアを閉めてキッチンへ向かってくる足音がした。 慌ててテレビのスイッチを押す。
「なんだ、テレビ見てたのか。あのさ、トイレットペーパーがないから入れといて」
「いつも言ってるよね?使い切った方が交換するってこと、すぐ目の前の棚に買い置きがあるんだからさ」
「だってきれちゃったんだから、入れといてよ、いいだろ?それくらい」
「それくらいって言うくらい簡単なことなんだから、そっちがやってよね!」
「いいよ、もう、ケチ!」
旦那はそう言うと新聞を持ってリビングへ移動した。
「あーもうっ!なんでいつもいつも!!」
もういいよと言うくせに、絶対自分でやらない旦那。 たったこれだけのことが少しずつ少しずつ積み重なって、いまとなっては同じ部屋にいるのも嫌だと思う。
➖ ん? あーっ!ハムエッグが焦げた➖
知らんぷりして出す。
「ちょっとさあ、ベーコンじゃないし、ハム焦げてるし、何?これ」
いちいち文句を言う旦那。
「じゃ、食べなきゃいいでしょ?」
「焼き直して、ね!ハムでいいからさ」
「冗談じゃない、あんたは今日休みでしょ?私は仕事なの、自分でやってくれる?」
私は座って自分のハムエッグを食べ出した。
「ちぇっ!もういいよ、ケチ!」
また言った。
「あ、失敗しちゃった!」
私はワザとコーヒーシュガーを旦那のハムエッグにかけてやった。
「なにするんだよっ!」
怒った旦那を無視して食べ続けてやった。
旦那はなにかごちゃごちゃ文句を言っていたけれど、それでも時間になったら仕事に出かけた。
私も掃除洗濯を済ませて、アルバイトに出かける。
「おはようございます!わぁ、可愛いですね!」
柴犬を散歩させているおじいさんと、朝の挨拶を交わす。
「お、楓ちゃん、またお店に行くからね」
「はい、待ってますね」
このおじいさんは、私が勤めている雑貨屋の常連さんだ。雑貨屋といっても、都会にあるおしゃれな雑貨屋とは少し違って、日用雑貨もたくさん置いてある。だからお客さんの層も広い。
アルバイト先の雑貨屋までは歩いて向かう。 今日はとてもいい天気だ。見上げた空は青く深い。
➖この空の上にいるのかな?典子…どうしちゃったのかなぁ?➖
典子との出会いは、子どもの幼稚園のママ友からだった。 クラスの保護者会の集まりで一緒になって、やりたくもない役員に選ばれて(くじ引きという古典的な選出方法で)、それでも典子は嫌な顔一つせずにこなしていた。
「そんなに頑張らなくてもいいんじゃない?テキトーでさ」
めんどくさくなって手を抜く私に
「私は専業主婦だし、時間ならあるから大丈夫よ」
そう言って笑っていた。 続けてこうも言った。
「お前は専業主婦なんだから、家のことと子供のことをしっかりやってくれればいいからってダンナさんに言われてるの」
「えーっ、うらやましいな。私も専業主婦になりたい!旦那の稼ぎがもう少し有れば、それもできるんだけど…」
典子のご主人は、典子より一回り年上で大きな会社の課長さんだと言っていた。 チラッと年収の話になったとき、軽くうちの2倍はあると計算したのをおぼえている。
「でもね、楓さん、専業主婦は言い訳ができないのよ、そこがつらいとこ。頑張っても、お給料みたいに目に見える成果があるわけでもないしね」
保護者会のプリントを配る典子のその指先に、綺麗なネイルがされていたことに気が取られて、その時少し寂しそうにしていたことを見落としていた。
➖成果が見えないのは、確かにキツイかな?誰かにほめてほしいもんね➖
今頃になってそんなことを思い出す。 あの時は、単純に自分が働かなくても生活できるというタダそれだけがうらやましかったんだと気づいた。
それからもずっと、典子は専業主婦だった。
➖最近は直接会って話すこともなかったなぁ。最後のやり取りっていつだっけ?➖
典子とのLINEを思い返してみる。 最近はやり取りしてなかった気がする。
「おはよう、楓ちゃん」
不意に話しかけられて我に帰る。
いつのまにか、お客さんが目の前にいた。
「あっ、いらっしゃいませ、今日は何をお探しですか?」
ぼんやりしていたけれど、もう仕事は始まっていた。
その日の夕方。
ぴこん♪
『ねぇ、近いうちにいつものメンバーで集まらない?』
由実子からLINEが届いた。仲良くなったメンバーで作ったグループLINEだ。
「いいよ、土曜日なら休みだし」
返信しながら、今週は特に用事がなかったはずだとスケジュールを思い出す。
いつものメンバー、私(楓)と由実子と藍子、詩織、澪、そして典子。 どういう経緯で仲良くなったか忘れたけど、この6人でよくランチしたり、日帰り旅行したり、子どもが大きくなってからは居酒屋に行ったりもした。
ママ友とか、職場の友達とか、そんな感じだったかな? 年齢はだいたい同じくらいだと思う。
ぴこん♪
『典子のことを知らなかった人たちが話を聞きたいんだって』
今度は個人LINEが由実子から届いた。
「そういえば、お葬式も由実子と2人だったね、連絡忘れてたわ」
ぴこん♪
『仕方ないよ、あまりにも突然のことでよくわからないうちにお葬式だったし。私もまだ実感ないんだよね。グループLINEのやりとりしてて、典子からの返事がないことにツッコミそうになったもん』
泣き笑いのスタンプがついていた。
ぴこん♪
ぴこん♪
ぴこん♪
グループLINEにみんなからのコメントが集まってくる。
『びっくりしたよ、典子《のりこ》がさぁ!』 『どうしておしえてくれなかったの?』
『あ、知らなかった人、他にもいたんだ』
突然過ぎる訃報に、連絡するのを忘れてただけなんだと、由実子と2人で説明した。
「で、いつにする?」
みんなの予定を聞いてみる。
ぴこん♪
ぴこん♪
ぴこん♪
ぴこん♪
『土曜日ならいいよ』
『私、来週の土曜日で!』
『私も土曜日ならいつでも』
『土曜日オッケー』
「つまり、来週の土曜日ならみんな都合がつくのね?わかった。じゃあさ、あそこにしようか?【ゆらぎ】夜7時でどうかな?」
みんなでよく集まっていた小料理屋【ゆらぎ】を提案してみる。
ぴこん♪
ぴこん♪
ぴこん♪
ぴこん♪
『オッケー』
『がってんだ!』
『了解』
『承知しました』
全ての返信がスタンプだった。
「じゃ、電話して予約しておくね」
ぴこん♪
『ありがとう、よろしくね』
ぴこん♪
『久しぶりだね、みんなで集まるの』
ぴこん♪
『ちょっと楽しみかも』
ぴこん♪
『典子はいないけどね…』
「そう、いないよ、典子」
由実子に続けて私も送信する。 そのあとは誰からも返信がなかった。
➖誰も典子が死んでしまったことが、現実として分かってないんだな➖
私もそうだ、多分、由実子も。 お葬式も参列したのに 。
話 3
「こんばんは!」
柔らかな萌黄色の暖簾をくぐって、お店の中へ入る。 入り口には【ゆらぎ】と流れるような文字でお店の名前が入った小さな行燈があり、柔らかな灯りはこのお店がほっとくつろげる場所であることを教えてくれた。
「いらっしゃいませ」
カウンターには、和服に割烹着を着た女将。 ここは女将が1人で切り盛りしていて、6人までしか入れない小さなお店。 女将は、いつもと変わらない笑顔で迎えてくれた。
「遅いよ!由実子」
いつもは遅刻気味の楓が今日は珍しく早い。
「ごめんごめん、ちょっと寄るとこあってさ…あ、もうみんな集まってたんだ」
カウンターを囲むように、すでに4人揃っていた。 最後に到着した由実子が、座る席を考えていた。
角を曲がって一番奥がいつもの由実子の席。 だけど、そこに座ると…
「ここでいいんじゃない?今夜は典子はいないんだから、詰めちゃお!」
手招きしたのは澪。 黒髪をきっちりカットした整ったボブが、澪の肌の色の白さを際立たせている。
「うん、そうしなよ」
藍子が言う。長い髪をクルンとまとめて器用にアップにしている。 うなじに色気を感じるのは、やはりたくさんのボーイフレンドがいるからか。
「早く席についちゃって!」
ゆるやかなウェーブの髪をバレッタで留めて、真面目な委員長のような口ぶりの詩織。
➖そうするかな?典子の席、座るね➖
「みなさん、お揃いですか?」
蒸しタオルのおしぼりを出してくれる女将。
「そうです、じゃあ素子さん、お願いします」
みんなを仕切っているのは詩織。 女将は、ビールの栓を抜き、みんなの前に出した。 女将は多分私たちと同じくらいの年代、なのに女将と呼ぶのはなんだかね、ということでみんな素子さんと呼んでいる。 一通りグラスにビールが行き渡った。
「じゃ、久しぶりに乾杯?」
澪が言う。
「違う、今夜は典子への、献杯」
「「献杯」」」
小さくグラスを傾けた。 女将の素子が、え?と首を傾げる。
「あ、この席にいた典子、最近、亡くなったんです。だから今日はみんなで典子を偲んで集まったという感じで」
「そうでしたか…」
つきだしを並べ終わると、女将は奥へ入って行った。
「ね、それでいつなの?典子が死んだのは」
ビールをコクリと飲みながら藍子が聞く。
「2週間くらい前の金曜日」
「どこで?」
「自宅の寝室」
「え?そうなの?」
楓も聞いてくる。
➖話してもいいかな?典子…➖
私は心の中で、典子に聞いた。
「ここにくる前に、典子の家に寄ってきた。もう少し典子のことを知りたくて。ご主人に会ってきた」
今さっき、典子のご主人から聞いた話を、みんなに話し始める。 その時奥から、小さな一輪挿しに桔梗の花をいけて女将があらわれた。
「せめてお花を…裏の花壇に咲いていたものですが…」
そう言うと、一つだけ空いた席に一輪挿しを置いた。 みんなは一輪挿しを見て、そこにいたはずの典子を思った。
「これはご主人から今しがた聞いてきた話。でもね、典子本人から聞いたわけじゃないから、ご主人の想像も入ってるの」
一応、前置きをする。
「そうだよね?死人に口なしとかいうもんね」 「こら、楓、それはちょっと違うから」
藍子が牽制する。
「続けて」
と詩織。
「もともと典子は、更年期障害の症状がひどかったみたいでね。それも数年前からで、この時期に特に症状が出てたみたい。今年もそうで、ご主人はいつものことだからとあまり深く考えていなかったらしくて」
うんうんと、うなづく面々。
「ヒステリックになったり、寝込んだり、子どもたちやご主人に当たり散らしたりとかね。でも時期が過ぎればおさまるからと、みんな堪えてた。ただね、今年は少しいつもと違ったんだって、状況がね」
みんな黙って聞いている。 コクリとビールを飲んで続ける。
「典子の実家って近所らしくてね。自分のお父さんが認知症になってね、同じようなブレーキの踏み間違いの事故を3回も起こしてね」
「え?3回も?免許は返納させなかったの?」
楓の質問。
「免許を返納させてしまうと、買い物も病院も足がなくなるからって、なかなかできなかったんだって。それでもさすがにこれはヤバいからと免許を返納させたらしいの。そしたらね、認知症の症状も進んで、徘徊も始まってね」
「あー、それはツラいね、でも、実家は典子のお姉さんが継いだんじゃなかった?」
「そうなんだけど、お姉さんは独身だし仕事しなきゃいけないからって言って、専業主婦の典子に押しつけてきたらしいの。それで典子は、買い物や通院、用事ごとまで全部車を出してやってあげてたみたい。自分だって体調が悪いのにね」
ふぅ、とため息をつく。 続ける。
「亡くなった日も、きっといろんなことが重なって、精神的にいっぱいいっぱいで、だからヒステリックに家族に当たり散らしたらしい。晩御飯の時にね。 その時は娘さんがなだめて、話を聞いて落ち着いたらしい。 もう寝るからって寝室に入ったらしいよ」
みんなは黙ったまま聞いている。
「そっとしておいた方がいいとみんな思ってね。そのまま朝までほっておいたんだって。 でもね、夕方になっても起きてこないから息子さんが、おかしい、気配がしないって部屋に入ったら… ストッキングをね、ドアにね…」
ひっ!とみんなが息をのむ。
「慌てて救急車呼んだけど、もう冷たくなってて。検死の結果はね、娘さんと離れてからすぐって…」
うわ、と顔を覆う詩織、澪。 カウンターの向こうで女将さんの動きも止まった。
「キツイね、それは」
藍子が言う。
「娘さんも、発見した息子さんもたまらないね…」
ぼんやりと詩織。
「そんなに大変だったんだね…」
楓もため息をつく。
「ご主人はどう?」
澪が聞く。
「自分を責めたみたい、もっとちゃんと向き合えばよかったと。自分は逃げていたって言ってた、仕事にかこつけて。だから自分を責めて責めて。 その時にね、調べにきた刑事さんに言われたらしい」 「なんて?」
「…仕方ないんですよ、突発的なことで本人もまさかこうなるとは思ってなかったようです、苦しんだような形跡もありませんでした。 もしも今回発見が早くて助かったとしても、また同じことを繰り返しています、止められないんです、僕はそういう事案をいくつも見てきました…って。…そういう病気なんです、誰のせいでもないんです…って。 それで少し気が楽になったって言ってた」
みんなは黙ったままだ。
「それからね、ご主人はこんなことも言ってた…みなさんは生きてください、家族のことも大事だけどそれ以上に自分を大事にして、後悔しないように生きてください…って」
一通り話し終えた。
「よし!生きるぞ!」
急に声を上げてグラスのビールを一気飲みしたのは楓。
「後悔しないように、か!うん」
「まだまだ頑張りますよ、私」
「え?なにを?」
「ま、とにかく、やり残したことがないようにさ」 「たとえば?」
「えー、でも旦那が邪魔!」
みんな好き勝手に話し始める。
「典子、頑張りすぎたんだよね?専業主婦って大変だもんね!」
「そうだね、もう少しわがままに生きてもよかったよね?」
「「献杯!」」
「典子、お疲れ様」
みんなそれぞれの思いを胸に、典子を偲んだ。
「何があるのかなぁ?私の人生にあとほしいもの…」
ぽつりと藍子が言った。
「なんだろうね、後悔しないような生き方ってね」 「このままだと、このまま過ぎていってしまうね」 「あっというまにおばあちゃんになっちゃうね
「自分のこともできない旦那の世話と、介護と孫の世話…それだけで終わり?」
「いやいや…残りの人生それだけじゃ寂しいよ」
みんなそれぞれのこれからの人生を、思い描いていた。 今ならば、自由に使えるいくらかのお金、体、時間がある。 それがいつまで続くのか?ふと、寿命というやつを考えた。