話 2
ジュースを飲み干し、アデリアは手持ちぶさたになった。料理でも摘まもうかとテーブルに近づいたら、ざわっと会場が湧く。ちらりとアデリアはそちらに目を向けた。
すらりと長身の見目麗しい青年が会場に入ってきたのが見える。
それが誰なのかは噂話に疎いアデリアでも知っていた。イエール国という一番近い隣国の王子だ。イエール国はこの国との関係が深い。
王子は年に数回、この国に国賓として訪れていた。王子の国はそれほど大きくはないが、鉱山を持ち資源が豊富だ。他にも地の利を生かした珍しい植物とかを作っている。この国としては友好関係を築いておきたい国の一つらしい。
それに王子本人もとても有名だ。長身で整った顔立ちをしているので、噂話に事欠かない。アデリアより二つ年上の18歳だ。性格も良く、優秀だとも聞いている。まるで物語に出てくる王子様そのものだ。
アデリアは部屋から出られないいわゆる引きこもり状態なので、その分、暇つぶしに本などはいろいろ与えられた。城の中にある本という本は読み尽くし、最近は市井で流行っている恋愛小説なんてものにまで手を出している。これがなかなか面白かった。外の世界を知らないアデリアには読んでも理解できないものが時々出てくるが、それを差し引いても楽しめる。
恋とは人を愚かにするものなのだと、小説を読んでアデリアは知った。自分も一度くらい体験してみたいと思う。だが姫である自分の立場をアデリアはよく理解していた。
自分には恋なんて無縁なことは知っている。時期が来れば、大国の姫としてどこかに嫁がされるだろう。
それが当たり前だと思って育ったし、その事にさして不満もない。軟禁されてはいても、アデリアは大国の姫として相応しい教育を受けていた。自分が普通の人より恩恵を受けている立場であることは理解している。
飢えてひもじい思いをすることも寒さに凍えることもない生活を、部屋から出られないというそのただ一点において不幸だと決めつけるのは間違っている。差し引きで考えたとき、アデリアは自分は恵まれている方だと判断した。自分の立場をあまり悲観してはいない。
だが恋愛小説を読むようになってからアデリアには一つだけ気になることが出来た。
(もしかしたら、わたしは悪役令嬢ポジションなのかもしれない)
ふと、自分の立場を振り返ってそう思う。
アデリアが読んだ恋愛小説の多くは王子様が庶民の娘と恋をしていた。
何故に庶民? そう突っ込みたいのは山々だが、この際それは置いておく。実際には庶民との恋なんて許される訳がないし、どうしても側に置きたいなら愛妾として囲うしかなかなんて現実的な話をしたって意味がない。貴族や王族の結婚が恋愛感情で決まることなんてほぼ無いのだから、現実的なことを書いたら恋愛小説が成立しないので仕方ないのだろう。
とにかく、小説の中の王子様は庶民とか男爵令嬢とか、身分の低い女性がお好みのようだ。そして王子様にはたいてい、身分が釣り合った貴族の婚約者がいる。それがいわゆる悪役令嬢だ。この悪役令嬢はたいていの場合、ヒロインである庶民に意地悪をする。わたしの婚約者に近づかないでという、貴族的に考えれば当たり前の意見なのだが、それは恋愛小説の中では”悪”になるようだ。そしてこの”悪”は必ず断罪される。悪役令嬢には破滅しか待っていなかった。
(悪役令嬢にはなりたくないな)
アデリアは単純にそう思う。当たり前だが、破滅なんて望まない。政略結婚は仕方ないと思っているが、不幸になりたいわけではなかった。
だが大国の姫なんて、いかにも悪役令嬢っぽい立ち位置だ。
もっとも、アデリアに婚約者はいない。婚約者を取られそうになって庶民を苛めるパターンはありえなかった。だから注意するべきなのは、政略結婚で嫁ぐ相手にすでに愛し合う恋人がいるパターンの方だ。大国のごり推しで嫁いできた姫に愛し合う恋人たちが引き裂かれるパターンなんていかにもありがちだろう。
そしてそういう意味では、今、やってきたイエール国の王子には注意が必要だ。彼には自国の貴族の中に恋人がいるという噂がある。とてもモテるのに、誰とも懇意にならないのはそのせいだと言われていた。
この国の令嬢が何人も彼に告白して振られている。断りの文句はいつも同じだそうだ。小さい頃から心に決めている人がいると告げられるらしい。いつもは闊達な王子がその時だけは憂いを帯びた顔を見せるそうだ。その顔もまたステキだと評判がいいので、顔がいい人間は何をしても得らしい。そういう顔を間近で見たいと、告白する猛者までいると聞く。
アデリアの耳にまで入るくらいだから、その噂は相当有名だと思えた。
(でもまあ、彼がこの国の姫を娶るとしてもそれはたぶんわたしではないわね)
アデリアはちょっと暢気にそう思う。
まだ嫁いでいない姉姫達が何人もいた。王子と同じ18歳以下に限定しても、ざっと3人くらいは思い当たる。年齢順に上から嫁いでいくだろうから、アデリアの番が来るのはまだ先の話だろう。
(恋人がいない人で、大国の姫としてそれなりにこちらを尊重してくれる相手に嫁ぐことが出来たらいいな)
アデリアはそんなささやかな希望を持っていた。
だがそういう所に嫁げなかった場合にも備えている。アデリアは楽観的なタイプではなかった。どちらかといえば、慎重で用意周到に準備をしておきたい性格だ。万が一、追放とかされても1人でもそれなりに生きていけるように数年前から訓練をしている。自分がいつ悪役のポジションになってもいいように、心構えはしていた。料理も出来るようになったし、裁縫もまあ生きていくのに支障がない程度には出来ている。今までは興味がなかった剣の稽古なども始めた。我が身を守る術を学ぶ。薬草や食べられる植物も覚えた。医術は1人で生きていく時の助けになりそうなので、積極的に学ぶ。だがそもそもの医術のレベルが低いので、民間療法に毛が生えた程度の知識しか身には付かなかった。
それでもきっと、知らないよりは知っている方がずっといいだろうとは思う。
だが一番の理想は、そんな心配がいらない相手に嫁ぐことだ。そこはまだ諦めていない。
(誰よりも幸せになりたいわけではない。ただ衣食住の心配がいらない生活をしたいだけ。でもそういうささやかな幸せの方が実は難しいんだよね)
そんなことを考えながら皿に盛った料理をぱくぱくとアデリアは口に運んだ。すると唐突に名前を呼ばれる。
「アデリア」
大きな声が響いた。アデリアはびくっと身体を震わす。一国の姫を呼び捨てに出来る相手は多くない。アデリアは誰に呼ばれたのか直ぐにわかった。
「はい」
返事をして、声がした方に向かう。
まるで道を作るように、人がさっと脇に退いた。父王の居る場所がアデリアからも見える。
父王は本日の国賓であるイエール国の王子と一緒に居た。
(嫌な予感がする)
そう思ったが、それを顔には出さない。そういう教育をアデリアは受けていた。
「お呼びですか? 父上」
アデリアはスカートの端を摘み上げ、優雅に挨拶をする。周りの視線が突き刺さるように痛かった。
それは揚げ足を取ろうと待ち構えているようにアデリアは感じる。だが、アデリアに施されている教育は一流だ。座学に礼儀作法などどこに嫁に出しても国が恥をかかないよう配慮してある。
「アデリア。お前の結婚相手が決まった」
父王は真っ直ぐに娘を見つめた。
アデリアもそんな父王を真っ直ぐに見つめ返す。
娘の目から見てもカッコイイ父親だと思った。王としても優秀で、治政はとても安定している。
父としての愛情を受けた記憶はないが、国王として父を敬愛していた。国のため、父のためなら駒になる覚悟は出来ている。
「はい」
ただ返事をした。
そんな娘に国王は満足そうに頷く。
「本日、我が娘アデリアと隣国の王子カルスロードとの婚約をここに発表する。結婚式は三ヵ月後。アデリアは明日、カルスロードと共に隣国に旅立ち、向こうで結婚の準備を進めるように」
決定事項として、発表と同時にアデリアに告げられた。
(ああ、悪役令嬢ポジションだ……)
アデリアは心の中でぼやく。だがもちろん、拒否権はない。
王の決定に逆らえる人間はこの国どころかこの大陸にはいなかった。娘であるアデリアもそうだが、隣国の王子・カルスロードも同様だ。異を唱えることは許されない。
それをわかっていて、国王は勝手に宣言した。
話 3
突然の発表に、広間はざわついた。
アデリアは自分だけではなく、みんなが寝耳に水なのだと知る。
(誰も知らなかったのね)
蚊帳の外だったのは自分だけではないと知って、少しほっとした。もしかして自分だけが知らなかったのかもしれないと思ったがさすがにそれは違うらしい。
「良いな?」
声のボリュームを落とし、国王は娘に尋ねた。
許可を求められるなんて思わなかったので、アデリアは少し戸惑う。父王の顔にはいつもとは違う感情が浮かんでいる気がした。だがそれは一瞬でかき消える。
「……はい」
それ以外の返事はアデリアにはなかった。
突き刺さるような視線を感じてそちらを見ると、顔と名前しか知らない姉妹の何人かに睨まれていた。
(貴女でいいならわたしだっていいじゃない)
眼差しがそう語っているように見える。実際、ラヴァール国の姫なら誰でも同じだろう。そう考えるのは納得出来る。
(代われるものなら代わってあげたいわ)
心の中でアデリアは呟いた。
アデリアだって、好きで恋人がいる王子の所に嫁ぐ訳ではない。2人を引き裂く悪役なんて、ごめんだ。だが、父王に逆らうなんて誰にも出来ない。
アデリアは自分が駒であることを自覚していた。早いか遅いか、どこの国かの違いはあっても、駒として嫁がされることは変わらないだろう。ただ、出来れば自国に恋人がいる王子は避けたかった。愛のある結婚は望めそうにない。しかし、そもそも政略結婚に愛なんてものは最初から存在しないのかもしれない。
(誰かに恨まれたりするのは嫌なんだけどな)
心の中でぼやいた。
アデリアは誰のことも恨みたくないし、憎みたくも無い。もちろん、恨まれたり憎まれたりするのも嫌だ。
平穏無事に静かに暮らしたい--アデリアの望みはただそれだけだ。
(王子も災難ね)
アデリアはちらりとカルスロード王子を見る。
カルスロードはさすがに驚いた顔をしていた。それは困惑の表情にも見える。王族はどんな時も感情を押し殺して顔に出さない教育を受けている。その王子が目に見えて動揺していた。よほど衝撃が大きかったのだろう。
(うちの暴君がすみません)
アデリアは心の中で謝った。
暴君と呼ぶほど父王は横暴ではない。しかし、大事な決断は1人で決める傾向があった。この結婚は重臣達にも知らされていなかったらしい。父王の宣言後、右往左往する重臣達の姿をアデリアは視界の端に入れていた。明日出発するための手続きや準備があるのだろう。パーティをそこそこに切り上げて、広間からいなくなる。
(振り回されて大変だな)
アデリアは重臣達に同情した。だがこの場合、一番の被害者はカルスロード本人だろう。
国王が隣国のこの王子のことを気に入っていることは以前から有名だった。国賓として頻繁に招くのはカルスロードだけで、隣国は王子の代になったらラヴァール国との関係はますます深まるだろうと言われている。カルスロードが隣国の唯一の王子で王位継承者でなければ、婿として養子に迎える可能性もあったと噂されるほどだ。実の子の王子たちより国王に可愛がられている。
今回はその気に入られっぷりが仇になったようだ。
(お気の毒)
そう思いながらアデリアは王子の横顔を眺める。近くで顔を見たのは実は初めてだ。整った顔立ちをしている。最近読んだ恋愛小説の挿絵に似ている気がした。もしかしたら、あの小説の王子はカルスロードをモデルにしたのかもしれない。カルスロードは市井でも有名で、肖像画がブロマイドになって売られていると聞いた。あながちない可能性ではない。
そんなことをつらつらと考えていたら、カルスロードがアデリアを見た。視線を感じたのかもしれない。深緑の瞳と目が合った。アデリアはドキッとする。思わず、目を逸らしてしまった。
変な気恥ずかしさを覚える。
くすりと笑われたのを気配で感じた。とても気まずい。
だが、そんな場合ではなかったことをアデリアは思い出した。明日出発なら、聞かなければいけないことがある。
「カルスロード様」
静かな声でアデリアは呼びかけた。
「はい」
カルスロードは返事をする。凛として澄んだいい声をしていた。
(声を聞いたのは初めてだ)
ふと、そんなことに気づく。
「明日の出発は何時になるのでしょう? 準備をしなければならないので、時間を教えてください」
アデリアは頼んだ。
「ああ……」
王子はちらりと後ろを振り返る。少し離れた場所に王子と同じくらい長身の青年が立っていた。頭が良さそうに見えるイケメンだ。王子の側近らしい。2人が一緒にいるところを何回か見た事があることをアデリアは思い出した。
彼は王子の視線に無言で頷く。近づいてきた。
王子は明日の出発時刻を教えるよう、彼に言う。
「明日は……」
よく通る声で予定を教えてくれた。朝食後、直ぐに出発するつもりでいるらしい。
「いくつかお聞きしてもいいですか?」
ついでとばかりに質問された。その内容に、彼が頭の回転が早い人物であることが察せられる。話が早くて助かるとアデリアは思った。今後、良好な関係を築きたい相手だ。イエール国で上手くやっていくなら、たぶん彼の協力が必要になるだろう。
「わかりました。では、出発の30分ほど前に馬車乗り場に参ります」
アデリアは王子にではなく、彼と約束した。王子を通すのが面倒になる。
ちらりと彼は一瞬、王子を見た。
王子は頷く。
「それでお願いします」
彼も頷いた。
アデリアは父王を見る。
「お父様。私、明日の準備がありますので今夜はこれで失礼させていただきたく存じます」
退室の許可を願った。
「わかった。明日の出発に遅れぬように」
国王は命じる。
「はい」
アデリアはスカートを摘んでお辞儀し、それに応えた。
「失礼します」
王子にも同じように挨拶する。
王子はいつもと変わらぬ落ち着きを取り戻していた。とても静かな笑みを浮かべている。
アデリアはそそくさとパーティ会場を後にした。