話 2
第2話 ハートエイク
魔王姫は心が踊った。
実際に小踊りする衝動を抑えるのが難しく感じられた程だ。
ようやく、この日が来た。
今日は実母を目の前で人間に殺された日でいまだその記憶は鮮明に残って居るのである。
魔王城の玉座で、愛玩のニシキヘビを愛撫しながらこれからの栄光の日々に思いを馳せる。
魔王姫ヒルダ。
見た目は華奢で可憐な少女であるが、この城の主にして魔王軍の最高権力を握っている。
黒を基調にした見事な刺繍のワンピースを着用し短く切りそろえた髪型をしている。
そしてその双眸は赤く輝いている。
丁度、手に持つアルビノ蛇と同じ色だ。
ふと、目の前の蛇から、視線を外し城の内観を眺めるヒルダ。
魔王であった父親の所有物のこの堅固な城は、彼女にとっては良い思い出の場所と言える。
立地と設計の段階から、あらゆる人間の侵攻に耐えるよう作られた要塞。
ほとんど偏執的と言えるまでに手間と素材を惜しまず作られてある。
その城の最上階、玉座の間に靴音が響く。
天井も高く、床は大理石だ。
そして、その人物は魔王姫、ヒルダの前に到着すると、深々とお辞儀をして告げた。
「姫様、参謀たちが揃いました。」
30年間、自分を時には母として、時には姉のように支えてきた側近のデガータが伝えてきた。
彼女の双眸もまた、赤い。
意味する所は、親戚であるということ以外に彼女もまた、高い地位にある人物ということだ。
女性にしては高い身長をし、引き締まった身体をしている。
髪の毛は背中の中心に来る長さだが、前髪は短い。
大きな瞳をした、聡明な美女である。
彼女の言葉を受け、無言で立ち上がると、蛇を飼育籠にそっと戻すヒルダ。
あらかじめ入れてあった鼠にかじりつくのを満足げに眺めると、デガータを後ろに伴い、会議室へと歩み始める。
途中で、完全武装の警備や将校の軍服を着た兵士とすれ違ったが、彼ら全員が深くお辞儀をする。
程なくして、石造りの廊下を隔てた会議室に到着した。
扉の両脇には重武装の兵士が斧槍を手に立っている。
彼らがお辞儀をするのを見やると、ヒルダは勢いよく扉を開けた。
魔王軍の最精鋭リーダー達を集めた軍事会議。
その面子は非常に個性的だが、ヒルダに忠誠を誓った点は共通している。
序列順にヒルダはその面々を見やった。
老練な指揮官、アイヒ。
今日まで各地に散らばる魔王軍を密かにかき集め、巨大な軍勢を築き上げた功労者。
小柄で常に礼服を纏った痩身の老人である。
デガータ着任の前、彼が側近であった。
目つきは鋭く、温厚な口調と性格ながら高い地位と頭脳を持つ。
会議の議長を務める、竜人族の族長、ドライデル。
黒っぽい緑色をした、ざらついた鱗の肌をしている。
双眸は黄金のような黄色で、知力を感じさせる光を放っている。
背は高いが、高齢という事もあってか背を少し丸めている。
服装は魔王軍将校の制服だが、記章に覆われてしまっている。
知恵と力を重んずる竜人社会のトップに君臨する実力者である。
獣人族のリーダー、ルフマン。
優れたリーダーシップと直感力を備え、気まぐれな獣たちをまとめる絶対的なリーダー。
狼の風貌を人間と併せたような体格、外見で暗い色の毛皮に覆われた肌を持つ。
双眸は青く光り輝く。
顔には目立つ傷跡が、左頬から喉にかけて残されている。
将校の制服だが、軽くて丈夫そうな板金鎧を制服の上から着装している。
鎧には細かい擦り傷が無数に付いていて、左胸の位置に狼の文様が掘られている。
姫とデガータを見ると、小さくお辞儀をした後にフン、と鼻を鳴らした。
女鳥人イガール。
策謀や奸計、政治工作の達人で弱者を常に蹴落とす鳥人達から認められた存在だが、実は鳥人のなかで最も速く飛べる翼を持つ才女。
着心地の良さそうで鮮やかな色合いのドレスを着ている。
鷲の頭部にやや緑がかった瞳。
手には愛用の品である折りたたみ式の扇を持つ。
最高権力者の二人を見ると、鋭い双眸を僅かに細めた。
ガモー。
屈強な魔人たちをその腕っ節で屈服させた、間違い無く魔王軍最強の人物。
ルフマンと同じく将校の制服だが、少し袖丈が短いようで、大きく太い腕と足の素肌が見える。
薄い緑色の肌をし、双眸は深緑だ。
険しく、岩石を削り出したような風貌である。
禿げて所々に傷跡が残る頭皮を撫でたのち、二人に深くお辞儀をした。
常に無口で周囲を威圧するが、戦場で鍛えた判断力を会議でも発揮する男。
最後にスナギ。
わずか三日で東の島国を焼け野原にし、島に住む人間を駆逐してしまった鬼女。
非常に背が高く、やや筋肉質な体格だ。
将校の制服の上から東の島国に古くから有る手甲と足甲を付けている。
左手には刀を握り締めている。
赤黒い肌をし、長い髪を頭上で縛り上げている。
目つきは鋭く、双眸は黒い。
足下には兜が置いてある。
腕力と知力を兼ね備えた、まさに鬼と呼ぶにふさわしい人物である。
6人全員が議席のそばで整列し、無言で姫を見つめている。
長年、準備をしてきた。
後は号令を掛けるのみであり、忠臣たちもそれを望んでいる。
「やりなさい、しかし失敗は許さぬ。」
それだけ伝え、返事も聞かずに会議の場を颯爽と後にした姫。
ざわめく事無く、姫を見送った参謀たちは自分の席に着席し会議にドライデルの提言で入った。
全員が着席すると、まずドライデルは、3日で東の島国を陥落させたスナギと、軍の結集に心血を注いだアイヒの労をねぎらった。
「東の島国は間違い無く魔王軍の前線基地、橋頭堡になるしアイヒの尽力なしでは宣戦布告は不可能だっただろう、ご苦労であった。」
ドライデルが彼らに頭を下げた次の瞬間、ルフマンが異を唱えイガールが同調した。
「アイヒのじいさんは確かに良くやったが、スナギは新参者で素性が良く分からない。」
ルフマンは疑いの目を新参者の鬼へと向けている。
「アタシが手を貸さなかったらあと100日は開戦出来なかったはず、なんもなしかい?」
激しく扇を振りながらまくしたてるイガール。
「黙りたまえ!」
彼らの言葉を受けて口から小さな火を吐きながら、憤慨するドライデル。
彼の両拳はきつく握り締められている。
「開戦間際の現在は非常に重要な時期である、身内に脚を引っ張られてはたまらん。」
目つきは険しい。
まるで彼らの故郷の山岳を思わせる。
ドライデルの豹変を見て、慌てて詫びる二人。
「すまねえ、調子に乗っちまった・・・。」
「・・・悪かったよ。」
二人の謝罪を受け、咳払いをし、ドライデルは全員に告げる。
「・・・では、早速会議に入ろう。」
議長の提言を受け、全員が軽くお辞儀をした。
気を取り直した全員は、軍勢の戦力・配置の確認に入る。
竜人および飛龍は現在、北の大地、山岳地帯からスナギの居座る東の島国に移動中である。
敵に探知されぬよう険しい山々の影に隠れて移動中で、まもなくスナギ配下と合流する見込み。
次にルフマン。
北の大地の平原より獣人は移動中だが、速度を落とさぬよう軽装備なのでスナギの領地で補給と再軍備をされたし。
イガールたち鳥人は待機中。
鳥人は非常に移動速度が速いため、むやみに動く必要なしと判断。
新月の夜に高高度を飛ぶよう指示してあるため、探知される心配はほぼ無し。
ただし、集結地点で狼煙をあげてほしい、とのこと。
「アタシは違うけど、鳥目の連中も居るのさ。」
それを聞き、一同は吹き出して小さく笑ってしまう。
ガモー軍団は洞窟や地下道に潜伏する仲間たちに集結の号令を出してあり、徐々に軍団の規模は増えつつある。
そのため進軍速度の低下と食料配給の問題が出つつあるが、今のところ策を講じてなんとかなっている。
スナギの一族は少数ながらも精鋭揃いであるが、やはり数で押された場合は勝ち目が薄いため野山に潜伏中である。
具体的な配置図は機密保持のため明かせず。
この会議が終わり次第、 伝令を出す。
最後にアイヒ。
仕事の大半は終えたのも同然だが、引き続き各軍の調整と連絡の任務を継続している。
全軍とも待ちに待った開戦なので沸き立っているようだ。
戦略と兵器の配備を遅れないように、遅れた場合も確実に修正出来るように急ピッチで準備している。
「及第点、というところか・・・。」
報告を受け、厳しい評価を下す竜人ドライデル。
「アンタは自分と他人に厳しすぎるぜ・・・。」
特に獣人族は気まぐれな性格で知られるので、今日までルフマンの苦労は想像に難くない。
「そうですぞ。」
アイヒとドライデルは旧知の仲で、公私ともに仲が良く気の置けない友人同士だ。
そのしわがれた声には、明らかに友人を気遣う音色がこもる。
「まあな。」
ドライデルは、旧友の指摘を受けて素直に非を認めた。
次の議題は、各軍の具体的な戦力である。
竜人と飛龍は合わせて5万。
飛龍に搭乗する竜人は戦闘のエキスパートなので一騎当千の活躍が見込めるとは、他ならぬドライデルの弁である。
ルフマン軍はとにかく数に物を言わせた15万の雑兵だが、指示通りにちゃんと動く。
武器の扱いにも長けていて血に飢えたケダモノどもである。
屯田兵でもあるので灰と化したスナギ領国の開墾・再開発が可能である。
イガールの鳥人たちはその素早さと視力・聴力の良さを活かした斥候と情報収集が得意で直接戦闘には不向き。
それでも3万の兵士を用意できたそうだ。
全員、弓と戦闘機動の達人で人間たちには想像付かない戦術と用兵をするので攪乱効果が期待できるだろう、イガールは一同に言う。
ガモー軍団はまさしく質・量ともに魔王軍の中核を担う存在である。
今日まで鍛え抜いた歴戦の猛者たちでその数30万。
補給・整備要員も含めると50万に及ぶ。
緊急時には戦闘できるよう、すべての兵士に訓練を施してあるので30万の精鋭、20万の雑兵と捉えて貰って差し支えない。
最後にスナギの軍だが、三日で軍事的強国だった東国を陥落し、人間を殲滅したので実力は折り紙付きであるが、数はわずか2万。
全員が幼少期より研鑽を積んだ戦術的にも技術的にも魔王軍のトップクラスの兵士。であるが、不正規戦を得意とするため使いどころは慎重に選んで欲しい、とスナギは一同に念を押す。
総勢75万の軍勢で、歩兵65万、空中兵8万、特殊工作兵が2万の内訳である。
「・・・特に人間は空を飛べないため、空中兵の割合を高める事は急務である。」
ドライデルは腕を組みながら冷静に分析する。
「非戦闘員にも再訓練を施し実際に剣を交える時には100万の大軍を揃えるように、との姫君からのお達しである。 」
若干、言いづらそうにしながらも、ドライデルは一同に伝言を伝えた。
「また姫様のワガママか・・・。」
ため息をつきながら言うルフマン。
「いい加減、ウンザリだねえ。」
イガールは性格的にもヒルダとは反りが合わないのだろう、語気が荒い。
「まあそうボヤくな。」
一同をたしなめるドライデル。
「前回の大戦で人間たちは100万をわずかに超える大軍を結集した、そのことを危惧してのお達しだろう。」
アイヒが前回の戦争の経験を語ると、報告意外は沈黙を守っていた二人が口を開いた。
「議長、提案がある。」
「俺からも。」
「・・・どうした?」
先を促すドライデルに対し、意を決した鬼はその雄弁さを披露する。
「我ら鬼の一族は特殊工作や暗殺に秀でた集団であり、そのため、わずか三日で軍事列強国を陥落させ、人間を殲滅できた。」
淡々と事実を述べるスナギだが、実際にやったのはとんでもない殺戮と破壊である。
「・・・すなわち、事前工作を行えば敵の戦力を半減でき、こちらの損害も少なく出来る。」
殺戮には準備が必要だ、と暗に彼女は言いたいようだ。
「そのためには囮、本来の作戦から目を逸らす目くらましが必要である。」
「それがガモーの精鋭たち、という事か?」
ドライデルが察すると、いかにも、とガモーは答えた。
「先遣隊3万を既にスナギの領国に上陸させ、これより、ガモー先遣隊とスナギ一族の志願者を合同訓練させる。」
ガモーは武人であり、その言動には説得力が常につきまとう。
「攻撃開始や撤退の合図は人間たちには察知できないようにし、作戦開始の日時は極秘とする。」
スパイや破壊工作は戦場には付きものであるが、予防する事も出来る、とは他ならぬガモーの弁でもある。
「先走った行動であったなら非礼を詫びる。」
両人は一同に対して頭を下げた。
「でかした。」
アイヒとドライデルは賛辞と拍手を笑顔を見せて二人に送った。
しかし、浮かない表情のルフマンとイガール。
「姫君のご賛同は・・・?」
部屋の隅で会議を静聴していたデガータが口を開いた。
「いたのかよ、オイ。」
「びっくりさせる達人だねえ。」
「・・・必要であれば、あなたの口からお願いしたく存じます。」
驚く獣たちを尻目に、冷静な口調で頼むスナギ。
「・・・よろしいでしょう、でももし、姫様のお気に召さなかった場合は・・・。」
「存じております。」
スナギは静かな声色で言った
話 3
第3話 トラスト
魔王軍参謀たちは会議が終わると、おのおの私的な会話に入った。
席を即座に立つ者も居れば、その場ですぐ、会話を始める者も居る。
こうした何気ない瞬間に最もその人の性格が、というよりは性質が表れる。
重厚な木製または石造りの家具や調度品、そして完全武装の守衛のせいで広く、重苦しい雰囲気を醸し出す会議室。
しかし、議長であるドライデルの、これにて終了、という号令のすぐ後にその場に居る全員が場の空気が和らぐのを肌で感じた。
「それで、先日いただいた草稿だが・・・。」
アイヒはすぐ隣に座る旧友へと向き直り、語りかける。
「どうだったかな?」
とドライデルは、少し不安を隠せない様子だ。
「素晴らしい出来映えだ、ぜひとも私の著作に加えさせていただきたい。」
アイヒは賞賛し、笑顔を見せて情熱的に訴える。
「それはよかった、ホッとしたよ。」
彼は大きく息を吐き、そして笑顔を見せて胸をなで下ろした。
すると、思いもしない提案がアイヒの口から飛び出す。
「君を共働著作者として是非、表紙に名前を加えさせてもらいたい、印税の一部も進呈しよう。」
ご恩と奉公、とは古くから経済的活動の礎でもある、彼らの共通認識だ。
「・・・助かるよ、竜人たちは本の虫が多くてね、しかも難解な物を好むのだ。」
ドライデルは尚も自分たち竜人の文化や風習について旧友の彼でさえ知らないようなトリビアを語り、アイヒの知識欲を十二分に満足させる。
二人は旧知の仲で、先の大戦では戦友だった。
仲の良い老人同士の、たわいない会話である。
「・・・クサいねえ。」
と、イガールは手にある扇を打ち鳴らしながら他の面子のことを指して呟いた。
「ああ、確かにあの二人はニオうぜ。」
彼女に賛同するルフマンは、腕を組んでイガールと同じ方向を見つめている。
二人の目線の先にはガモーとスナギがいた。
身振りと手振りから、二人がそれなりに親しい間柄であると推測できる。
「・・・かたや泣く子も黙る魔人、かたや精鋭一族をまとめる鬼か・・・。」
扇を打ち鳴らす手を止め、冷静に彼らの分析を始めるイガール。
鳥人達は直感と観察力に優れており、野生動物の鷹と同じ印象を魔族全体に抱かせる。
「社交会のベストカップル、って訳じゃなさそうねえ、流石に。」
扇を広げ、顔を扇ぎながら少しおどけた調子ですぐ側に立つルフマンに小声で言う。
彼らは部屋の片隅でひっそりと立っている。
戦場に長らく身を置いていた彼らは、無防備な体勢は極力、取らない癖が付いてしまっているようだ。
広い部屋の片隅なら、必然的に視線の移動量が増えて他者から見つかりにくくなるのだ。
誰かから教わったのか、自然に身についたのかは実際に彼らに尋ねるしかないだろう。
人間とはかけ離れた外見だが。
「イガール、それを言っちゃあ俺たちも変わらんだろう?」
獣の外見と人間の等身を併せ持つ彼らは、自身がいかに異質に見えるのか客観的に認識している場合も多い。
「・・・それもそうだねえ?」
楽しそうに笑いながら言うイガール。
ルフマンの顔にも笑みが浮かぶ。
しかし、瞬時に彼の表情は引き締まり、獲物を見つけた直後の狼と同一の印象を抱かせる。
「・・・それとなく連中を見張ることは、出来そうか?」
彼の真意は不明だが、明らかに二人を完全に信用して何か大切な物を渡したり預けたりする様子ではない。
「あいつら二人と、その手勢だ。」
彼らには見えぬよう、小さく指さしながら彼女に言うルフマン。
それを受けてイガールもすぐに真剣な表情と声色に変わる。
「そうねえ・・・予定ではあいつら二人はすぐ現場に向かうから、アタシの弟に二人と連中の軍勢を見張らせるよ。」
獣の外見を持った彼らの兄弟仲という物は非常に単純である。
付かず離れずの仲か、絶交状態か、もしくは非常に仲が良いかのどれかである。
このことは彼らにとって常識的な事柄である。
「イガール、助かるぜ、俺じゃ臭いがキツすぎてすぐ見つかっちまう。」
自分の頭を撫でた後におどけて笑いながら言うルフマン。
それを受けてイガールも微笑みながら頷く。
匂う、と言った彼らであるが、実情は獣の匂いを纏う彼らこそ体臭はきつくなるものだ。
しかし、再び、ルフマンの双眸は怪しい光を帯びる。
「・・・ヤバくなったら俺たちの巣窟に逃げ込みな、守ってやるぜ。」
とルフマンはイガールの肩を優しく叩きながら語りかけた。
「・・・期待させて貰うよ?」
イガールは微笑みながら、気の置けない異性に告げた。
その後、二人は別れ、イガールは弟の元へ向かい、部屋を後にする。
先ほどの内容を早速、実行に移すようだ。
ルフマンは甲高い靴音を響かせながら扉を出る彼女の背中を見送ると、ため息をついて魔人と鬼人を見据えた。
「・・・すぐここを出るのか?」
とスナギに尋ねるガモー。
オークの中でも特に体格の良いガモーは、非常に引き締まり筋肉質な体型をしているスナギと好対照といえる。
「伝令を出さねば、我が直接出向けば話が早い。」
とスナギは少し残念そうに眉をひそめてガモーに告げる。
長旅に備え、足甲の紐をきつく結び直している。
すぐ側の卓上には黒いつや消しの鞘と柄をした見事な刀が置いてある。
剣術と弓術の達人であるスナギにぴったりの装いをした刀といえ、事実最も彼女が愛用している物だ。
「・・・道中の安全は?」
静かだが、重みのこもった口調で心配するガモー。
慎重過ぎて損をすることはあまりない、と普段の彼は良く語る。
足甲の次は手甲の紐を結び直すスナギを、腕を組みじっと見つめる。
「案ずるな、ここから東国までわずか4日だ。」
紐を結び終えた彼女は歯を見せながら微笑み、ガモーの肘を叩き言う。
二人共に当てはまるが、やはり武人とは剛毅な気質をしているものである。
特に鬼の頭領を務める彼女ならなおさらだ。
「道中に人間はいやしないさ、有るのは荒涼とした氷河のみ。」
今のところ出来る支度を終え彼女は卓上の刀を手に取りながら、なおも笑顔で言う。
「そうか・・・?」
と、口ごもるガモー。
なおも不安げな様子だ。
その顔色をうかがい、小さくため息をついたあと微笑みながらスナギは柔らかい口調で彼へと尋ねる。
「どうした?そなたらしくもない。」
スナギに気を遣わせてしまい、少々申し訳なく思ったのであろう、ガモーは慌てて素直に話を始める。
「いや、ここ数日、兵士たちの間で妙な噂がたっているのだ。」
「どのような?」
と、スナギ目を丸くしながら尋ねる。
戦場に赴く直前においては、準備と待機が彼ら兵士の役目である。
特に、共に死線をくぐり抜ける戦友たちを傍らに置いてすることと言えば根も葉もない噂話や世間話である。
プロ意識に欠ける、と言ってしまえばその通りだが、彼らも家族を故郷に置いてきた青年達である。
その心情をくみ取り、ねぎらうのは優秀な指揮官に無くてはならない素質だろう。
スナギとガモー二人に関して言えば、素質は十二分にあると言える。
「・・・鬼の軍勢を指揮官に据えて、俺たちオークやゴブリンは下級兵士としてぞんざいに扱われる運命なのだ、と。」
禿げた自らの頭を撫でながら、実際に部下から受けた陳情を口にするガモー。
言うのが辛い様子ではあるが、自らと共に戦地へと赴く部下たち二つの内情を天秤に掛けて尚も語るガモー。
「俺には理解出来る、俺たちは人間に使役されていた・・・だから人語を理解し、社会性を身につけたのだ。」
いつの世も敗者の行く末は悲惨である。
戦争に負けた者たちの行く末は、特にそうである事は想像に難くない。
今より数百年ほど前、部族社会を重んじるオークやゴブリン達は、自分たちだけの言語や文化を持っていたのであろう。
しかし、より高度な社会性と武装を身に付けた人間達に見つかり、駆り出されてしまった様子。
また、人間が持ち込んだ伝染病に感染してしまい、次々と倒れた者も居るはずだ。
戦意と戦力を失った彼らを待っていたのは、終わりのない奴隷労働である。
人間より大きな体格を持ち、なおかつ人間の道具を扱えるオークの男性達。
彼らは人間がやりたがらない未開地の開墾や大量の樹木、岩石を運搬する作業に当たらされた。
行き倒れたオークも少なくはないだろう。
人間より小さな体格を持ち、手先の器用なゴブリン達は鉱山における採掘や地下道の建設にもっぱらあたっていた。
また、これらの作業は普段、一般の人間が立ち入らない場所でのみ実施され当時、監視の兵士や政治高官でしか知り得ない事柄であった。
しかし、今はもう違う。
人間の言葉と社会性を学び、身につけた彼らはひっそりと行動を起こし、家族を伴い徐々に北へ移動した。
そして機が熟すと、自らを支配する人間たちに反乱を起こし、支配から脱却したのである。
輝かしいが、血なまぐさい過去である。
「・・・またそのような輪廻の輪が回ってくる、と?」
鬼と呼ばれる一族の歴史も似たり寄ったりではあるものの、差異が認められる。
鬼の場合、東の果てにある島国周辺の小島で暮らしていた。
いつか、巨万の富を築いた東国の人間社会に認められる時を夢見て、彼ら鬼一族は幼少期より研鑽を積み、武芸に磨きを掛けた。
しかし、東国の将軍たちはその武芸と心情を利用した。
鬼たちを待っていたのは、危険度と難易度が非常に高い暗殺や破壊工作に従事する日々である。
自分たちと異なる外見を持ち、なおかつ高い戦闘能力を持つ鬼たちならば簡単に捨て駒にする事ができる。
鬼の武芸者達に出来た事は少しでも戦闘技術を高め、わずかでも生存率を引き上げることのみであった。
いつか必ず人間達を抹殺し、その富を奪うという共通認識を持ち今日まで生き延びてきた。
復讐は既に果たされた後である。
東の島国に人間はもう住んでは居ない。
全員が追い出されたか、殺戮された。
奇妙にも、この事象は彼ら鬼一族の戦闘技術を証明する結果となった。
そして、新参者とはいえ、両手を広げて魔王軍団に迎え入れられた。
スナギの言葉に頷くガモー。
もちろん、お互いの一族が持つ暗い歴史は存じている。
しかし、スナギは明るく微笑み、ガモーの不安を払拭した。
「案ずるな、そのような事はない。」
スナギは嘘をつくのが苦手で、心底嫌っている。
人間達に散々、嘘をつかれ影に追いやられたのは他でもない鬼一族であるのだ。
彼女の口から真実のみが出でる事は、彼女が持つ刀が良く切れるのと同じくらい正直な事実である。
これは部下に対しガモーが語った事である。
「・・・本当か?」
ガモーの表情は多少、明るくなる。
続けてスナギは頷きながら報告する。
「本当だとも部下に聞けば、我ら精鋭の合同訓練は非常に上手くいっている、というそうだ。」
ルフマンとは対角線上の部屋の片隅に東国の鎧兜を纏った鬼が立っている。
彼が素早く報告をしたのであろう。
まるで中に何も入っていないかのごとく、微動だにしていない。
「休憩の合間にもお互いを高め合うような言動が見られるそうだ。」
まるで自分の自慢話をするかのように満面の笑みを浮かべて語る彼女。
「そうか・・・!」
笑みをこぼすガモー。
違う民族同士だが、根本にあるのはプロ意識と忍耐、そして友情である。
奇しくも、鬼とゴブリン、そしてオーク達は共通項が多い。
それが良い方向に作用した様子。
「ああ、そうだとも、我らは同じ境遇だ。」
ガモーの二の腕を触ると、暗い表情で彼の顔から視線を外し、語り出すスナギ。
「人間に使役され、影で生きる事を余儀なくされ、最後にはうち捨てられた存在・・・思えば、我ら二人の初対面もそうであったろう?」
最後にはガモーに視線を戻し、笑顔で彼に語りかける。
「確かに、懐かしい。」
笑みをこぼすガモー。
「さて、出立だ。」
兜を被るスナギ。
それを受け、部屋の隅に佇む鎧武者もスナギの方へと歩み寄る。
「・・・これを持って行け。」
慌てて身につけていた大きな弓と大量の矢が収まった矢筒を差し出すガモー。
「・・・これは?」
怪訝な顔で尋ねるスナギ。
ガモーの動作を受け、鎧武者も立ち止まる。
「愛用の弓矢、君なら扱えると思ってね。」
大きなガモーの両手からそれを受け取ると、お辞儀をするスナギ。
すると、ガモーは笑顔で付け加える。
「俺は棒を振り回すのが性に合っている。」
「・・・かたじけない、ありがたくいただく。」
スナギが礼を言うのに合わせ、鎧武者もお辞儀をした。
「・・・では、名残惜しいが失礼いたす。」
ガモーは旅立つ鎧武者とスナギの背中を小さくなるまで見つめていた。