話 1
大学の入学初日。幼なじみの彼に送ってもらって寮に着いたら――とんでもないルームメイトと遭遇した。
彼女は私の彼にぴったりくっついて、「年のわりにオーラあるよね~、まさに将来有望って感じ♡」
なんて媚びた声で褒めちぎるくせに、私には態度を一変させて、皮肉混じりに言ってきた。「ブランドもどきのバッグで、成金お嬢様ごっこ?大変ねぇ~」
さらにベッドのシーツを整えていたら、わざとらしく息を呑んで、
「えっ!?昨日一緒に来てた年配のオジサマ、学校近くにマンション借りてくれるって言ってなかった? あれぇ~? お商売、潰れちゃったのかな~?」
極めつけは、私と彼が「卒業したら結婚する」って話を聞いた瞬間。寮中に響き渡る声でこう叫んだ。
「うっそでしょ!?今どきそんな、男にすがって人生楽したい系の“港区女子”みたいな子、まだいたのー!?」
……あまりの面白さに、心の中で爆笑しちゃった。
“年配のオジサマ”? ――それ、うちの親父です。財界でも名の知れた超大物。
そして、今の彼?親父の運転手の息子です。
......
入学初日、久我湊が送り迎えを買って出てくれた。
ようやく両親に認められた彼にとって、今は正念場。
だから今朝、私の家に迎えに来たときも、少し前に私が選んであげたオーダースーツを、わざわざ着てきていた。
父は特別にマイバッハを一台つけてくれて、大学生活のあいだはずっと湊が送り迎えをしてくれることになっている。
キャンパスに着いた私は、まず寮へ向かった。もし中で誰かが着替えていたら、男子がついてくるわけにもいかないと思ったから。
けれど、部屋のドアは開け放たれたまま、中はもぬけの殻だった。
なんとなく目についたベッドに荷物を置こうとした、そのときだった。背後から、刺すような声が飛んできた。
「ちょっと!そこ、私のベッドなんだけど!」
振り返ると、ドアのところに女の子が立っていた。眉を吊り上げ、怒りを隠そうともしない。
私は本当に人の場所を取ろうとしていたのかと焦って、すぐに彼女のもとへ歩み寄り、手を差し出して謝った。
「ごめんなさい。空いてると思って……」
ところが、その手を彼女はパシッと払いのけた。上から下まで値踏みするように私を見て、それから私のバッグに目をとめ、鼻先で笑った。
「置かなくてよかったじゃん。私さ、小さい頃から潔癖なの。ニセモノが触ったら、悪夢見ちゃうんだよね」
ニセモノ?
このバッグ、今季の新作が出た瞬間にサロンから直送してもらったものだ。彼女、まさかそれを偽物だって言ったの?
「本物ってこういうのを言うんだよ。ニセモノで富豪ごっこするなんて、滑稽すぎるでしょ?」
そう言いながら、彼女は肩からバッグを外し、私の目の前でそれをぶらつかせた。
まだ中身を確かめる間もなく、彼女はさっと引っ込めた。
「どきなさいよ!あんたの貧乏くさくて不吉な気なんて、うつされたくないの!」
言い捨てると、勢いよくバッグを背負い直し、肩で私を押しのけるように通り過ぎていった。
……落ち着け、落ち着け。
私は自分に言い聞かせながら深呼吸を繰り返した。
無理だ、無理。今のは、さすがに我慢できない。
袖をまくりあげ、後ろから彼女の髪を掴もうとした、その瞬間――ポケットの中のスマホが鳴った。
通話に出ると、父がいつも通りの堅苦しい口調で、集団生活にはどうしても慣れるように、これは東条家の後継者としての第一歩なのだと、念を押された。
寮に戻ると、いつの間にか久我湊が上がってきていた。少し居心地悪そうに立っている彼の前で、ひとりの女子が過剰なほどに愛想をふりまいていた。
「お兄さん、妹さんの送り迎えですか? 私、王城紗夜って言います。同じ部屋なんです」
「荷物、私が持ちますね。ほら、私ってそういうとこ全然甘えてないんです。ぜんぶ自分でやるタイプで」
「それにしても、お兄さんってほんと品がある。うちの大学の男の子とは格が違うって感じ。ご家庭の教育が良いんですね?」
王城紗夜がやけに馴れ馴れしく久我湊のバッグに手を伸ばし、そのまま胸を彼の腕に押しつけるようにして擦り寄っていた。
高級スーツの中で顔を赤くして立ち尽くす久我湊の姿を見て、私はさっきの王城紗夜の、あからさまな成金趣味な態度を思い出した。そこまでくれば、だいたいの構図は見えてくる。
私は面白がってその場にとどまり、様子を見ていた。すると、ようやく久我湊が私に気づいて、はっと目を見開いた。条件反射のように私のほうへ数歩下がってきて、まるで溺れかけていた人間が突然浮き輪を見つけたかのように、縋るような声を上げた。
「綾香!来てたんだ!」
話 2
王城紗夜と目が合った瞬間、彼女の表情がわずかに揺れた。
私はその視線をやり過ごして、久我湊のもとへと歩み寄る。
「どうして何の連絡もなしに上がってきたの? ここ、女子寮だよ。もし誰かに見られたら……」
「ち、違うよ綾香。さっき電話かけたんだけど、ずっと話し中で……それで……」
正直、彼の行動には少し苛立っていた。けれど、額に汗をにじませ、身をかがめて必死に言い訳するその姿を前にすると、これ以上責め立てるのは、私のほうが大人げない気がしてきた。
王城紗夜と目が合った瞬間、その表情にわずかなぎこちなさが走った。
「……ふたりって、知り合い?」
そう尋ねたかと思えば、すぐに目を細め、私と久我湊を交互に見比べた。
「お兄さん、せっかく親切で送ってきてくれたのに、手伝いもしないどころか責めるなんて……」
「こんな恩知らずな妹、相手にしないほうがいいわよ、ねぇ、お兄さん!」
私と久我湊が沈黙を保っているあいだに、王城紗夜だけが勢いづいていた。彼女は久我湊の腕をぐいっと掴むと、腰に手を当てて真正面に立ちはだかる。
思わず、くすっと笑ってしまった。
「知らない人が見たら、まるで自分の子どもでも守ってるみたいだよ?」
だが王城紗夜は、むしろ久我湊の腕にしがみつく力を強めた。
それだけじゃない。彼の腕を引っ張るようにして、くるりと向きを変えると、まるで校内を案内するつもりだと言わんばかりに歩き出した。
久我湊は明らかにうろたえて、何度もこちらを振り返ってくる。私はというと、その後ろ姿をのんびり追いながら、肩をすくめて見せた。
(さて、王城紗夜……今度は何を企んでるのかしら)
彼女も、私がついて来ていることに当然気づいていた。けれど引くどころか、むしろますます調子づいているようだった。
バサバサとしたつけまつ毛と、ぎらぎらと光るラメ入りのアイシャドウを瞬かせながら、久我湊に甘ったるい声を向ける。
「お兄さんもこの学校の生徒なんですか? じゃあ私の先輩ですね。これからいろいろお世話してくださいね?」
「お兄さんが持ってた車の鍵、マイバッハですよね? やっぱりセンスいいなぁ、私もマイバッハ好きなんです!」
久我湊は終始、丁寧な微笑みを崩さなかった。ときおり、気のない返事をひと言、ふた言――それだけ。
けれど、彼は「お兄ちゃん」と呼ばれることを否定しなかった。私の“兄”という位置づけにも、何ひとつ反論しなかった。
もちろん、王城紗夜が口にした家柄の推測に対しても、肯定も否定もせず、ただ曖昧に受け流した。
その曖昧さこそが、王城紗夜の中で何よりの証拠となったのだろう。彼女は目を輝かせて、得意げに言った。
「湊お兄ちゃんって、やっぱり他の男の子とは違うよね」
「普通の男の子なら、ちょっとでもお金があると、すぐに見せびらかしたがるのに。湊お兄ちゃんは、そういうの全然しない。ほんと、謙虚だなあって思う」
久我湊は、気まずそうに笑ってみせた。
「そんなことないよ」
王城紗夜がふいに振り返り、わざとらしく自分の短いスカートを引き上げた。その動作があまりに自然を装っていて、あたかも今になって私の存在に気づいたかのように見えた。
「綾香ちゃん、ヒールで歩きづらそうだし、ちょっと手を貸してあげる!」
そう叫ぶやいなや、彼女はまるで突撃するみたいな勢いで私に向かってきて、わざとらしく肩をぶつけてきた。そして、私が倒れ込んだのを見て、すぐさましゃがみ込み、助け起こそうとする。
そのときだった。かがんだ拍子に、彼女のスカートはほとんど腰のあたりまでめくれ上がっていて、その状態のまま、彼女はしばらくのあいだ――というより、意図的に――角度を変えつつ、久我湊に視線を送っていた。
久我湊の耳まで赤くなっていた。いや、首まで真っ赤だった。
私は足首を押さえながら、怒りを抑えきれずに声を荒げた。
「頭おかしいんじゃないの!?」
彼女は無垢な顔で首をかしげた。
「だって、ハイヒールで歩きづらそうだったから。ちょっと支えようと思っただけだよ?」
足をくじいて、手も擦りむいてしまった私を見つけるなり、久我湊が駆け寄ってきて、何のためらいもなく横抱きに抱き上げた。
その瞬間、心の奥がふっと温かくなりかけたのに――次の言葉で、一気に冷めてしまった。
「……まあ、君の同級生も、悪気があったわけじゃないし」
王城紗夜が甲高い声を上げる。
「ちょっと!兄妹なのにお姫様抱っこって、あり得なくない!?」
私はふっと微笑んで、彼女に顔を向ける。
「誰が兄妹だって?」
「――この人、私の彼氏だけど」
言ったとたん、久我湊の腕に、わずかに力がこもるのがわかった。
話 3
「彼氏?」
その子はわざとらしく息を呑むと、甲高い声で言い放った。
「じゃあ昨日、君に部屋を借りてあげるって言ってたあのオジサン、彼氏じゃなかったんだ?」
その言葉に、昨日のことを思い出す。父と一緒に学校を見に来たとき、ちょうど寮の前であの子とすれ違ったのだった。
「さすが東条綾香さん、しっかり棲み分けしてるのね。彼氏は彼氏、スポンサーはスポンサーってこと?」
周囲は入学準備でごった返していたけれど、その声がやけに通ったせいで、あちこちから視線が突き刺さる。まるで無数の小さなナイフみたいに。
私を抱き寄せていた久我湊でさえ、少し眉をひそめて、
「綾香……彼女の言ってること、本当なの?」
胸が痛いのか、足首が痛いのか、どっちかわからないくらいに頭に血が上った。
「……疑ってるの?」
その一言で、久我湊は私が本気で怒ったのを察したのだろう。すぐに声を和らげて、私の耳元で囁いた。
「違う、そんなわけない。ちょっと考えれば、彼女の言ってる『オジサン』って、伯父さんのことに決まってるだろ?」
何か言おうと口を開きかけた、その瞬間だった。久我湊が私をそっと抱き上げると、まるで迷いもなく、真っ直ぐ寮の方へと足を進めていった。
「こんなにひどく転んで……見てるだけで胸が痛む。いいから、少し休もう」
その瞳に満ちた優しさを見た瞬間、ふっと怒りが溶けた。
王城紗夜がすぐに謝ってくれたこともあって、初日から周りとギスギスするのは避けたいと思い、私はぎこちなく頷いた。胸の奥でくすぶっていた火種を、無理やり押し込めるしかなかった。
けれど、寮に戻ると空気は一変した。久我湊が私を下段のベッドにそっと横たえようとしたそのとき、王城紗夜が私の荷物を容赦なく投げつけてきた。
「もうそのベッド使ったんでしょ?他の子はもう寝られないじゃん!気持ち悪いことしないでよ!」
その口ぶりは、まるで私がどこかのウイルスでも持っているかのようだった。
久我湊が私の足をそっと揉んでくれていた。けれど、その優しさとは裏腹に、王城紗夜の声色は妙に引っかかった。
「これは最低限の礼儀よ。まともな家庭で育った人なら常識でしょ?……別に、綾香さんを責めてるわけじゃないけど」
うんざりするような棘のある言い回しに、とうとう我慢の限界が来た。私は勢いよく立ち上がった。
「誰に向かって言ってるの、それ?」
王城紗夜はびくりと肩を震わせ、久我湊の背後に身を隠した。
「わたし、何か間違ったこと言った……? ベッドってすごくプライベートな空間でしょ。誰かが一度寝たら、他の人はちょっと気になるよね」
「ベッドの話じゃない。どこで寝ようが構わないわよ」
私は彼女の言葉をぴしゃりと遮った。
「問題は、あんたのその言い方。何を含ませてるつもり?」
久我湊が、間に入って場をおさめようとした。
「まあまあ、紗夜も悪気があったわけじゃないと思うよ。ちょっとした気遣いで……」
だが、王城紗夜は彼の袖を引きながら、小首を傾げてみせた。
「湊お兄ちゃん、彼女っていつもこんな感じ? 怒りっぽくて、扱いにくそう……湊お兄ちゃん、大変だね」
私は彼女の髪をつかんで、自分のベッドに引きずった。
「私があんたのぶりっ子に気づかないとでも? 言っとくけど、見抜くだけじゃなくて――潰すこともできるんだよ?」
混乱のさなか、王城紗夜が自分の手首をベッドの縁に勢いよくぶつけるのが見えた。パキン、と乾いた音と共に、彼女の腕にあったブレスレットが砕けた。
次の瞬間、彼女の目に涙が浮かんだ。
「これ……お母さんの形見なのに……!」
「東条さん、いくら私が気に入らないからって、これはないよ……」
久我湊の表情が曇った。形見、という言葉に、彼の瞳も潤んでいく。
「……君も、母親を小さい頃に亡くしたのか?」
そして、私が一度も聞いたことのない、厳しい声で言った。
「綾香……今回は、さすがにやりすぎだよ」
――バシッ!
思考より先に手が動いていた。私は腕を振り上げ、彼の頬を平手で打った。
「あなたの中の私は……そんな人間だったの?」
久我湊は何も言わなかった。
私が泣いていたから。
だって、私だって、小さい頃に母親を亡くしたんだ。
そんなとき、扉の向こうから三回、軽くノックの音がした。短く切った髪の女の子が顔を覗かせる。
「王城紗夜、そのブレスレットって、今朝校門前の朝市で買ったやつじゃない?」
そう言いながら、彼女は手を差し出した。その手首には、私とまったく同じブレスレットが光っていた。
「ほら、今朝ふたりで一緒に買ったでしょ。1個280円、2個で500円のやつ」