1

婚約者と家族は, 妹の芽依だけを溺愛し, 私をいないものとして扱った.

アレルギーで死にかけていると助けを求めても, 彼らは私を物置に閉じ込め, こう言い放った. 「芽依が楽しんでいるんだ. お前のくだらないアレルギーで場の空気を壊すな」

彼らにとって, 私の命は妹の誕生日パーティーの雰囲気よりも軽かったのだ.

絶望の淵で, 私は彼らへの期待をすべて捨てた.

5年後, 国際的なショコラティエとして帰国した私.

彼らは涙ながらに許しを請うが, 私の心は凍りついたままだった.

「あなたたちの娘であることから, 今日限りで辞めさせてもらいます」

第1章

広田真由 POV:

胃の激しい痛みが, 私の腹部をねじり潰そうとしている. 冷や汗が背中を伝い, 視界が歪んだ. ああ, まただ. 急性胃潰瘍. 体が警告を発している.

携帯を握りしめ, 震える指で最初の電話をかけた.

立花晴. 私の婚約者. 何日も前から, 妹の芽依の誕生日パーティーの準備で忙しいと聞いていた.

コール音が虚しく響く. 繋がらない. 当たり前だ. 今夜は芽依の十八歳の誕生日パーティー. 晴はきっと, 芽依の隣で笑顔を振りまいているだろう.

もう一度, かけた. 胃の痛みが波のように押し寄せ, 意識が遠のきそうになる.

「もしもし? 」やっと繋がった声は, 少し苛立っているように聞こえた.

「晴, ごめんなさい, 今, ちょっと…」私の声は震え, 途切れ途切れになった.

「真由? 何だよ, 今, 芽依のパーティー中だって言っただろう? 大事な日なんだ」晴の声が, 遠くから聞こえる芽依の笑い声と混じり合って, 私の耳に届いた.

「ごめん, でも, 本当に, 病院に…」

「病院? またかい? 君はいつもそうだな, 大事な時に体調を崩す. 芽依も心配するだろう. 君のそういうところが, いつも場の雰囲気を壊すんだ」晴の言葉は, まるで私の存在自体を否定するかのように響いた.

「でも…」

「いいから, 後にしてくれ. 芽依が呼んでる. 君も, もう少し考えて行動してくれよ」そう言うと, 晴は一方的に電話を切った. ブツリ, と音がして, 暗闇が私を包み込んだ.

携帯画面が暗くなる. その冷たい光が, 私の手の中で鈍く光った.

私の心臓が, まるで誰かに締め付けられているかのように痛んだ. 呼吸が浅くなる.

震える指で, 今度は家族に電話をかけた. 父, 母, 兄. 順番に. 誰一人として, 出ることはなかった.

数分の後, 母からメッセージが届いた. 『芽依の誕生日パーティーだから, 邪魔しないでちょうだい. 真由はいつも空気を読まないわね. 』

私の視界が, 涙で滲んだ. 私は邪魔者なのだ. いつも, いつまでも.

携帯をゆっくりとベッドサイドテーブルに置いた. 冷たいガラスの感触が, 私の指先に残った.

もう, 分かっていた. 彼らは来ない. 誰も来ない.

この痛みの中で, 私は完全に一人だった. いつもと同じように.

何回目だろう, こんな風に見捨てられるのは. 数えきれない.

意識が朦朧とする中で, 私はふと, この関係を終わらせるべきだと悟った. もう, 十分だ. 彼らに期待するのは, 私の命を削るだけだ.

もう, 彼らを求めない.

静かに, 私は起き上がろうとした. 体が鉛のように重い.

それでも, 私は自力で救急車を呼んだ. 震える声で住所を伝えた.

私が倒れる直前, 受話器の向こうから聞こえた救急隊員の「大丈夫ですか, 広田さん! 」という声だけが, 唯一の救いだった.

意識が途切れる寸前, 私は心の中で誓った. もう, 私は彼らのために生きない.

この地獄のような痛みも, 彼らの無関心も, 全てを終わらせるために.

私は, もう, 諦めた.

2

広田真由 POV:

救急車の中で意識を失い, 目覚めたのは白い天井の下だった. 手術は無事に終わったらしい. 体はまだ鈍く痛み, 点滴の針が腕に刺さっていた.

数日間, 病院のベッドで静かに過ごした. 家族や晴からの連絡は一切なかった.

私は携帯の電源を落としていた. 彼らは私がどこにいるのか, 生きているのか死んでいるのかすら知らないだろう. いや, 知ったところで, 気にも留めないだろう.

退院の日, 私は誰にも告げずに病院を出た. タクシーを拾い, 実家へと向かった.

家に着くと, リビングから賑やかな声が聞こえてきた. 笑い声と, 陽気な音楽. まるで何もなかったかのように, 彼らは日常を送っている.

玄関のドアを開けた途端, 話し声がピタリと止まった. リビングのドアの隙間から, 父, 母, 兄の龍二, そして晴と芽依の顔が見えた. 彼らの顔に浮かんだのは, 驚き, そして, わずかな不快感.

「真由…? あんた, どこに行ってたのよ! 」母の声が, 場の静寂を破った. 彼女の顔には, 心配よりも苛立ちが色濃く浮かんでいた.

兄の龍二は腕を組み, 私を睨みつけた. 「一体どういうつもりだ? 芽依の誕生日に姿を消して, 今頃のこのこ帰ってきやがって! 」彼の言葉は, まるで私が故意に彼らを困らせたかのように響いた.

晴は, 私の隣に立っていた芽依の肩をそっと抱き寄せた. 彼の表情は, 申し訳なさそうに見えるが, その視線は私の後ろを逃げていた.

「ごめんなさい」私はそう呟き, ただ自分の部屋に向かって歩き出した. 疲れていた. 説明する気力も, 言い訳する気もなかった.

私の背中に, 龍二の舌打ちが聞こえた. 母が何か言いたげに口を開いたが, 結局何も言わなかった.

私の突然の沈黙に, 彼らは戸惑っているようだった. いつもなら, 私が必死に謝罪し, 彼らの機嫌を取ろうとするからだ.

リビングのドアを通り過ぎようとした時, 母が慌てて言った. 「真由, ちょっと待ちなさい! 喉が渇いたでしょう? 何か飲む? 」

母は, テーブルに置かれたグラスの一つを私に差し出そうとした. 中には, 鮮やかな黄緑色のジュースが入っていた.

私の心臓が, 一瞬止まったように感じた. キウイジュース.

あの, 私がアレルギーを持つキウイジュース.

母は, 私のキウイアレルギーを, また忘れている. いや, 最初から覚えていなかったのかもしれない.

私は, 差し出されたグラスに手を伸ばさず, 首を横に振った. 「いいえ, 結構です」私の声は, ひどく冷静で, 感情が欠けていた.

母の顔が, みるみるうちに不快感で歪んでいった. 「何よ, せっかく出してあげてるのに! 相変わらず可愛げがないわね! 」

その瞬間, 私の胸が締め付けられ, 呼吸が苦しくなった. 視界がぼやける.

私は, ゆっくりとグラスを受け取った. そして, 母の目を見据え, 一気にそれを飲み干した.

甘酸っぱい味が喉を焼く. 全身が痒くなり, 喉の奥が腫れていくのを感じた.

「あのね, お母さん」私は, 震える声で言った. 「私, キウイにアレルギーがあるって, 何度も言ったでしょう? 」

母の顔が青ざめた. 「え…? そんな, いつから…? 」

「ずっとよ. あなたたちが芽依ばかりを見て, 私なんかどうでもよかったから, 覚えていないだけ」

「何を言ってるの! 私がわざとだとでも言うの! 」母はヒステリックに叫んだ.

「そうよ, 真由はいつもそうやって被害者ぶるんだ! 」龍二が立ち上がった. 「芽依を見ろ! あの子はいつも明るく, 家族を笑顔にする. お前とは大違いだ! 」

芽依は, 隣の晴に寄り添いながら, 満足げに微笑んでいた. その目は, 私の苦しみを喜んでいるように見えた.

私の心は, もう悲しみを感じなかった. ただ, 深い, 深い, 諦めの淵に沈んでいくようだった.

その時, 私は唐突に, 彼らに向かって深々と頭を下げた.

「ごめんなさい」

私の言葉に, リビングの空気が凍りついた.

3

広田真由 POV:

私の「ごめんなさい」という言葉は, 爆弾のようにリビングに落ちた. 家族全員が, 一瞬にして動きを止めた. 彼らは, 私がこんなにも素直に謝罪するとは思っていなかったのだろう.

母は驚いた顔で私を見つめ, 龍二は腕を下ろした. 晴は, 芽依の肩を抱いたまま, 目を丸くしていた.

「何だよ, 急に」龍二が不審げに呟いた.

「いや, 分かればいいんだよ, 真由」父が, 落ち着いた声で言った. 「君も, もう少し空気を読むことを覚えなさい. 芽依の誕生日なんだから」

父の言葉に, 私は麻痺したような笑顔を浮かべた. 「はい, そうですね. 私も, もう少し空気を読むべきでした」

私の言葉に, 彼らは安心したように, またパーティーの騒がしさへと戻っていった. 笑い声が, 再びリビングに満ちる.

私は, ゆっくりとリビングを後にし, 自分の部屋へと向かった. 一歩一歩, 足取りが重い.

階段を上り始めようとしたその時, 背後から急に手首を掴まれた. 晴だった.

「真由」彼の声は, 囁くように小さかった. 「本当に, 怒ってないのか? 」

その優しい声を聞いた瞬間, 私の目から, 堰を切ったように涙が溢れ出した. ずっと我慢していたものが, 一度に噴き出した. 言葉にならなかった. 私はただ, 首を横に振った.

晴は, 私の涙を見て, 困惑したように眉を下げた. 「そうか, 強がりだな. 君は昔から, いつもそうやって強がってきた…大丈夫だ, 俺がいるから」

彼の言葉は, 私の心を千々に引き裂いた. 彼は何も理解していない. 私の涙は, 強がりでも, 彼の優しさに触れたからでもない. ただ, 全てがもう手遅れになったという絶望からだった.

「あのさ, 真由」晴は, 少し躊躇いがちに話し始めた. 「実は, 君に相談したいことがあって…」

私は, 彼の次の言葉を予期していた. そして, その予感は的中した.

「結婚式の件なんだが…芽依が, どうしても海外旅行に行きたいって言っててさ. 彼女, もうすぐ留学だし, 思い出作りをしたいんだって. だから, 結婚式, 少し延期できないか? 」

晴は, 私の顔色を伺うように, 困ったような笑顔を浮かべた. 彼の言葉は, 私の心の奥底に, 冷たい氷の刃を突き刺した.

まただ. また, 私は芽依のために犠牲になる. 私がどれだけこの日を夢見て, どれだけ準備してきたか, 彼は理解すらしていない. 彼にとって, 結婚式はいつでも延期できる, どうでもいいイベントなのだ.

私の脳裏に, 芽依の満面の笑みが浮かんだ. 彼女はいつも, 私が持つものを欲しがった. 私が手に入れようとするものを, 横取りしようとした. そして, 家族も晴も, 芽依のわがままを, いつも優先してきた.

私は, 自分がなぜまだ彼らに期待しているのか, 理解できなかった. 私の心は, とっくに彼らから離れていっているはずなのに.

晴は, 私の沈黙にいら立ったように, もう一度, 「真由? 」と呼びかけた.

「芽依の留学前の大事な思い出作りなんだ. 君だって, 芽依の気持ちを分かってくれるだろう? それに, 結婚式なんて, 延期したって何も変わらない. むしろ, もっと準備期間ができて, 素晴らしい式になるじゃないか」彼は, 自分に言い聞かせるように, 言い訳を並べた.

「なら, 結婚式, キャンセルしましょう」私の声は, 不思議なほど冷静だった.

晴の顔が, 驚愕に染まった. 「キャンセル? 何を言ってるんだ, 真由! 」

「だって, 延期したところで, また芽依ちゃんのわがままが優先されるのでしょう? そうやって, 一生, 私が譲り続けるだけの人生なんて, もううんざりだわ」

私の言葉に, 晴の顔が真っ赤になった. 怒り, 困惑, そして, どこか狼狽の色が見て取れた.

体中の痒みが, 再び激しくなってきた. 喉の奥が腫れたせいで, 呼吸が浅くなる. キウイアレルギーの症状が, 本格的に出始めたのだ. 早く薬を飲まなければ.

私は, 晴の手を振り払い, 階段を駆け上がろうとした. 一刻も早く, 部屋に戻って薬を飲まなければ.

その時, リビングから芽依の甘ったるい声が聞こえた. 「あら, お姉ちゃん, どこ行くの? せっかく晴お兄ちゃんとお話してたのに, 邪魔しちゃだめよ」

私は振り向きもせず, 足早に階段を上ろうとした.

「真由! 」龍二の怒鳴り声が, 背後から響いた. 「お前, 芽依に何を言ったんだ! 」

私は無視した. もう, 彼らの声を聞きたくなかった.

その瞬間, 私の頭が強く引っ張られた. 髪の毛が, 頭皮から引き抜かれるような激しい痛み.

龍二が, 私の髪を掴んでいた.

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捨てられた婚約者の甘い復讐

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