1

私は亡き姉の身代わりとして, 大沢定六郎と契約結婚し, 彼の娘・瑞生を育ててきた.

しかし, 彼の初恋相手・春花が現れ, 娘の瑞生は洗脳され, 私を「偽物ママ」と呼ぶようになった.

瑞生の誕生日パーティーで, 私は娘に突き飛ばされ, シャンパンタワーに倒れ込み, ガラスで手を切った.

血を流す私を無視し, 定六郎は怪我のふりをする春花を抱きかかえ, 病院へと走り去った.

5年間の献身は, すべて無意味だった. 私はただの, 使い捨ての道具に過ぎなかったのだ.

私は全てを捨て, その街を去った. もう二度と, 彼らのために心を犠牲にはしない. 私の人生を, 生きるために.

第1章

松尾杏樹 POV:

私は今日, 大沢定六郎との偽りの関係を終わらせることを決意した.

その日, 暗い部屋で私は何度も同じ映像を繰り返し見ていた. 画面の中の定六郎は, 姉の瑞生の写真を見つめ, 指先でその顔をなぞっていた. 彼の瞳には, 私に向けられたことのない深い愛と未練が宿っていた.

「瑞生, 君が恋しい」

彼の声は, あの時と同じように震えていた. その言葉は, 私の心を直接抉るかのようだった. 定六郎は写真に唇を寄せ, まるで姉が生きているかのように優しく抱きしめた.

その時, 背後から娘の声が聞こえた.

「パパ, 瑞生ママの言うとおり, あんたは偽物ママを早く追い出して, 本当のママと結婚するんでしょ? 」

私の心臓は, まるで氷の塊になったかのように冷たくなった. 瑞生は, 私が彼女の「ママ」であることを否定し, 私を「偽物ママ」と呼んだ. その言葉は, 私の胸に深く突き刺さった.

もう終わりだ.

私は映像を止め, 携帯電話を握りしめた. 手が震え, 指先が冷たかった. この関係を完全に清算する時が来たのだ.

電話が鳴り, 画面を見ると信代おばあちゃん, 定六郎の母の名前が表示されていた. 私はため息をつき, 通話ボタンを押した.

「あんた, 本当に定六郎と別れるつもりなの? 」

信代おばあちゃんの声は, いつもよりも冷たかった.

「ええ, もうこの生活には耐えられません」

私の声は, 驚くほど冷静だった.

「あなたが彼と別れたら, もう二度と瑞生に会えなくなるわよ. それに, あの契約書もどうなるか分かってるでしょう? 」

彼女の言葉は, 私を脅しているかのようだった. しかし, 私の心はすでに決まっていた.

「契約は, 私が瑞生の "母親" として三年間過ごすというものでした. 今, 瑞生は私を "偽物ママ" と呼んで拒絶しています. 契約は果たせません」

私は淡々と話した. 信代おばあちゃんは沈黙した.

「それに, 信代おばあちゃん. その契約書自体が, 最初から偽りだったことを知ってましたよね? 」

私の言葉に, 彼女はさらに深く沈黙した. 私は続けた.

「私が瑞生の母親役を務めるという契約は, 定六郎さんの亡くなった婚約者, 私の姉の面影を追い求めるためのものでした. 私自身の存在は, 最初から彼にとっては意味がなかった」

信代おばあちゃんは, 息を呑むのが聞こえた.

「定六郎はあんたのことを愛していたのよ」

彼女はそう言ったが, その声には確信がなかった.

「彼が愛したのは, 私に重ねた姉の幻影です. 私自身ではありません. それに, 信代おばあちゃんも, 私の存在が必要だったのは, 瑞生のためでしょう? 」

私はそう言い放った. 信代おばあちゃんは, 困惑したように声を詰まらせた.

「瑞生は, 私の命より大切な存在です. しかし, 彼女が私を偽物と呼ぶのなら, これ以上, ここにいる意味はありません. 彼女はもう充分に大きくなりました. 私がいなくても大丈夫です」

私の声には, 一切の感情がこもっていなかった. 信代おばあちゃんは, ため息をついた.

「わかったわ. でも瑞生に会えなくなるわよ. それでもいいの? 」

「ええ. もう充分です」

私はそう答えた. 信代おばあちゃんは, しばらく沈黙した後, しぶしぶと私の要求を受け入れた. 電話が切れると, 私は全身の力が抜けるのを感じた.

私は無力感に襲われた. 涙が頬を伝い落ちたが, 何の感情もなかった. ただ, 空っぽだった.

五年間の全てが, 走馬灯のように頭の中を駆け巡った.

定六郎とは, 五年前に出会った. 彼はその頃, 姉の死に深く傷つき, 自暴自棄になっていた. 彼の初恋の相手, 高松春花という女性に突然捨てられ, その傷が癒えないまま, 姉と婚約していたのだ. 姉は, その初恋相手の影に怯えながらも, 定六郎を深く愛していた.

姉が事故で亡くなったのは, 定六郎が春花と再会し, 心が揺れ動いていた時期だった. そのショックで, 定六郎は再び自暴自棄になり, 命の危機に瀕するほどの事故を起こした.

信代おばあちゃんは, そんな彼を見ていられなかった. 彼女は私に, とある提案をしてきた. 定六郎の心の空洞を埋めるために, 彼の婚約者だった姉の代わりに, 私が定六郎の隣に立つこと. そして, 姉が残した娘, 瑞生の母親役を務めること.

私はその時, 病に侵され, 莫大な治療費が必要だった. 信代おばあちゃんは, 私の治療費と, 将来の保証を約束した. 私は, 死への恐怖と, 突然現れた「希望」に戸惑いながらも, その契約を受け入れた.

私は姉の髪型や服装, 話し方を真似て, 徹底的に姉になりきった. そして, 偶然を装って定六郎の前に現れた. 定六郎は, 私を姉の幻影だと思い込み, 私に縋った.

ある日, 私は定六郎を庇って怪我を負った. そのことで, 彼は私を「姉の生まれ変わり」だと信じ込むようになった. 彼は私を心から愛しているように見えた. 当時の私は, それが真実だと信じていた.

しかし, それは違っていた. 彼が私を愛したのは, 姉の面影を私に重ねていたからだった. 私は, 彼の心の安らぎのためだけに存在していたのだ.

私は, その事実を知った日から, 心を閉ざした. ただ, 契約を全うすることだけを考えた.

そんな中, 瑞生を妊娠した. 定六郎は, 初めて心から喜んだ. 彼の喜びは, 私にも微かな希望を与えた. 私は, このままこの関係を続けていけるかもしれないと思った.

しかし, 春花が戻ってきた. 彼女は定六郎の初恋の相手であり, 彼の心を再び乱した.

定六郎は, あっという間に春花にのめり込んだ. 瑞生も, 春花の甘言に惑わされ, 私を拒絶するようになった. 私の居場所は, どこにもなかった.

私は, 定六郎の冷たい視線に, ただ耐えるしかなかった. 私の存在は, 彼らにとって邪魔なものになっていた. 私の抗議も, 涙も, 何も意味を持たなかった. 私はただ, 失望と虚無感に苛まれるだけだった.

その日もまた, 私は定六郎と春花の密会を隠し撮りした映像を見ていた. 定六郎が春花を「愛しい人」と呼び, 優しく抱きしめる姿. 瑞生が春花を「ママ」と呼び, 私を「偽物ママ」と罵る声. 私の心は, 完全に壊れていた.

すると, 玄関のドアが開く音がした. 定六郎が帰ってきたのだ.

私は急いで映像を消し, 平然を装った. しかし, 私の目は, すでに何も映していなかった.

「杏樹, まだ起きていたのか」

定六郎の声は, いつも通り冷たかった. 彼の身体からは, 甘い女物の香水の匂いがした.

「ええ, 少し. あなたも遅かったですね」

私は淡々と答えた.

「ああ, 春花を病院に送っていた」

彼は嘘をついた. 私は何も言わなかった.

「瑞生はもう寝てるわよ. 悪いけど, 明日は早く起こさないで」

私は瑞生がまだ起きていることを知っていた. 彼女はいつも春花と夜遅くまで遊んでいた.

「わかった」

定六郎は, 不機嫌そうな顔で言った. 私は彼の態度に, ただ疲労を感じた.

「瑞生, あまり遅くまで起きてちゃダメよ」

私は二階の瑞生の部屋に聞こえるように, 少し大きな声で言った. すると, 瑞生が怒ったように部屋から出てきた.

「うるさい! 私のことなんか放っておいてよ! どうせママじゃないんだから! 」

瑞生は私を睨みつけ, 再び部屋に閉じこもった. 定六郎は, 私を咎めるような目で見ていた.

私は何も言わなかった. 私の心は, すでに空っぽだった. 私の育て方が間違っていたのだろうか. いや, そうではない. 瑞生は, 春花に洗脳され, 定六郎にも無視された結果, こんな風になってしまったのだ.

「瑞生, 早く寝なさい」

定六郎は, 瑞生にそう言った. 瑞生は, 定六郎の言葉には素直に従った. 私は, その光景を見て, さらに深い絶望に打ちひしがれた.

「ママじゃないくせに, 偉そうにしないでよ! 」

瑞生の言葉が, 私の耳に突き刺さった. 私は, 何も言い返せなかった. もはや, 私には反論する気力もなかった.

「瑞生, お風呂に入ってから寝なさい」

私は, 無理やり笑顔を作って言った. しかし, 瑞生は私を無視し, 定六郎に抱きついた.

「パパ, 瑞生ママと一緒にお風呂に入りたい! 」

瑞生は, そう言って定六郎を見上げた. 定六郎は, 困ったような顔をして私を見た.

「杏樹, 瑞生を頼む」

定六郎は, そう言って私に瑞生を押し付け, 自分の部屋に戻ろうとした. 私は, 彼の言葉に絶望した.

「定六郎さん, 瑞生はもう大きいわ. それに, 私はもう瑞生のお母さんじゃないわ」

私は, 冷たい声で言った. 定六郎は, 驚いたように私を見た.

「何を言ってるんだ? 」

彼の声には, 怒りがこもっていた.

「瑞生は, 私をママじゃないと言っている. あなたも, 私を妻だと思っていない. もう, この関係は終わりよ」

私は, そう言って瑞生の手を離した. 瑞生は, 私から離れ, 定六郎に駆け寄った.

「パパ, 偽物ママが瑞生をいじめる! 」

瑞生は, そう言って定六郎にしがみついた. 定六郎は, 私を睨みつけた.

「杏樹, まさか瑞生の誕生日にこんなことをするつもりなのか? 」

彼の言葉に, 私は息を呑んだ. 瑞生の誕生日. そう, 明日は瑞生の誕生日だった. 私は, そのことをすっかり忘れていた.

「ごめんなさい, 私…」

私は言葉を詰まらせた. 定六郎は, 私を冷たい目で見ていた.

「瑞生を傷つけるような真似はしないでくれ. 彼女は, あなたを母親だと信じているんだからな」

彼の言葉は, 私をさらに深く傷つけた. 私は, もう何も言えなかった.

私は, その場に立ち尽くしたまま, 定六郎と瑞生が部屋に戻るのを見ていた. 私の心は, 完全に砕け散っていた. 私は, もう何も感じなかった.

私は, 自分の部屋に戻り, ベッドに横たわった. 天井を見つめながら, 私は静かに涙を流した. 明日の誕生日会が終われば, 私はこの家を出ていく. そして, 二度と彼らの前に現れない.

それが, 私にできる唯一のことだった.

私は, もう二度と彼らのために, 自分の心を犠牲にはしない. 私は, 私自身の人生を生きるのだ.

私は, そう心に誓った. それは, 私にとって, 新たな始まりだった.

翌日, 私は瑞生の誕生日会の準備を手伝った. しかし, 私の心は, どこか遠い場所に置き去りにされていた.

瑞生は, 誕生日プレゼントに, 定六郎と春花と三人で撮った写真が飾られたオルゴールをねだった. 定六郎は, それを買い与えた. 瑞生は, 喜びのあまり, 私を無視して春花に抱きついた.

私の心は, もう何も感じなかった. ただ, 空っぽだった.

私は, この日が終われば, 全てから解放されるのだ. そう思うと, 胸の奥で微かな光が灯るのを感じた.

午後になり, 誕生日会が始まった. 豪華な料理と飾り付けが施された会場は, 多くの人で賑わっていた. しかし, 私はその中に自分の居場所を見つけることができなかった.

定六郎は, 春花と瑞生を連れて, 楽しそうに賓客と談笑していた. 彼らの姿は, まるで本当の家族のようだった. 私は, その光景を遠くから見つめていた.

瑞生は, 春花に手を取られ, 笑顔で賓客に挨拶をしていた. 彼女の瞳には, 私に向けられたことのない輝きが宿っていた. 私は, その輝きを見て, 胸の奥が締め付けられるのを感じた.

私は, この日, 完全に彼らの世界から排除されたのだ.

2

「ママじゃないくせに, 偉そうにしないでよ! 」

瑞生の言葉が, 再び私の耳に響いた. 私は目を閉じ, 全身が凍り付いたように動けなくなった. 私の心は, すでに限界を超えていた.

その時, 瑞生の携帯電話が鳴った. 彼女は, 私の存在を無視して, 大声で電話に出た.

「瑞生ママ! 私ね, パパと二人で遊園地に行くんだ! 」

瑞生は興奮した様子でそう言った. その声は, 私の心に深く突き刺さった. 私は, 瑞生にとって, やはり「偽物ママ」でしかないのだと痛感した.

「ねえ, 偽物ママ. パパが言ってたんだけど, あんたが遊園地のチケットを用意するんでしょ? 早くしてよね! 」

瑞生は, そう言って私を睨みつけた. 彼女の瞳には, 私への軽蔑と, 春花への憧れが混じり合っていた.

私は, 瑞生に言われた通り, 遊園地のチケットを用意しようと立ち上がった. しかし, 私の身体は, 鉛のように重かった.

遊園地は, 瑞生が以前から行きたがっていた場所だった. 私は, 何度も瑞生を連れて行こうとしたが, 定六郎に「忙しい」という理由で断られ続けていた.

私は, 瑞生のために手作りの弁当を作ろうとしたこともあった. しかし, 瑞生は「瑞生ママのサンドイッチの方が美味しい」と, 私の弁当を拒否した.

私は, かつて瑞生に,

どんなに忙しくても, 約束は守ること.

自分の気持ちを, 正直に伝えること.

人の気持ちを, 大切にすること.

そう教えてきた. しかし, 今の瑞生は, 私の言葉をまるで聞いていなかった.

私は, チケットを用意する気にもなれず, その場に立ち尽くした. すると, 定六郎が部屋から出てきた. 彼は携帯電話を片手に, 私を一瞥した.

「杏樹, 瑞生を連れて遊園地に行く準備をしてくれ」

定六郎は, 私にそう言った. 彼の声は, いつも通り冷たかった.

「定六郎さん, 瑞生は春花さんと行くと言っていました」

私は, 頭痛を抑えながらそう言った.

「ああ, 春花も一緒に行く. だから, お前も準備をしてくれ」

定六郎は, そう言って携帯電話を耳に当てた. 彼の言葉に, 私は絶望した.

「定六郎さん, 私, あなたと話したいことがあります」

私は, そう言って彼の腕を掴んだ. 彼の腕からは, 春花の甘い香水の匂いがした.

「後にしてくれ. 今, 春花と話しているんだ」

定六郎は, そう言って私の手を振り払った. 彼の声は, 不機嫌そうだった. 私は, 彼の態度に, さらに深く傷ついた.

「重要な話です. 三年の契約期間が…」

私がそう言いかけた時, 定六郎の携帯電話から春花の声が聞こえた.

「ねえ, 定六郎さん, 杏樹さんはまだ何か言ってるの? 早く来てよ」

春花の声は, 甘ったるく, 私の神経を逆撫でするかのようだった. 定六郎は, 私を一瞥し, 携帯電話を耳から離した.

「杏樹, もういいだろう. 後で話す」

定六郎は, そう言って私の手を振り払い, 部屋に戻ろうとした. 私は, 彼の背中を見つめていた. 私の心は, もう何も感じなかった.

私は, 定六郎が部屋に戻るのを見届け, 自分の部屋に戻った.

定六郎は, 自分の部屋に戻ると, 私の姿がないことに気づいた. 彼は, 私がいなくなったことに苛立ちを感じていた.

「杏樹のやつ, また癇癪を起しやがって. 全く, 面倒な女だ」

彼は, そう言って舌打ちをした. 彼は, 私が自分の部屋にいることに気づかなかった.

数時間後, 私は, 騒がしい声で目を覚ました. 時計を見ると, すでに夜遅くになっていた. 私は, 何が起こったのか分からず, 部屋から出た.

リビングに向かうと, そこには春花と瑞生がいた. 瑞生は, 春花に抱きつき, 楽しそうに笑っていた. 春花は, 瑞生の頭を撫でながら, 私を一瞥した.

「あら, 杏樹さん. もう起きていたの? 」

春花は, そう言って私に微笑みかけた. その笑顔は, 私には嫌味にしか聞こえなかった.

「瑞生ママ, 見て! これ, 瑞生ママが作ってくれたサンドイッチ! 」

瑞生は, そう言って春花の作ったサンドイッチを私に見せつけた. 私の心は, 再び冷たくなった.

「ねえ, 偽物ママ. 瑞生ママがね, パパと瑞生と三人で, 遊園地に行っていいって言ってくれたんだよ! あんたは, いつもダメだって言うくせに! 」

瑞生は, そう言って私を睨みつけた. 彼女の瞳には, 私への軽蔑と, 春花への憧れが混じり合っていた.

「瑞生, 遊園地は危険な場所よ. それに, あなたにはまだ早い. 私と約束したでしょう? 」

私は, 瑞生にそう言った. しかし, 瑞生は私の言葉をまるで聞いていなかった.

「パパが, 春花と瑞生と三人で行くって言ったんだよ! あんたには関係ないでしょ! 」

瑞生は, そう言って私を睨みつけた. 私は, 瑞生にとって, やはり「偽物ママ」でしかないのだと痛感した.

「それに, あんたが作った弁当なんか, 美味しくないからいらない! 」

瑞生は, そう言って私の作った弁当を床に叩きつけた. 私の心は, もう何も感じなかった. ただ, 空っぽだった.

私は, 瑞生の言葉に, もう何も言い返せなかった. 私の心は, すでに完全に砕け散っていた.

瑞生は, 春花に抱きつき, 春花も瑞生を優しく抱きしめた. その光景は, 私には地獄のように見えた.

「瑞生, もう寝る時間よ」

私は, そう言って瑞生を促した. しかし, 瑞生は私の言葉を無視し, 春花に抱きついたままだった.

「瑞生ママ, 瑞生, 明日も遊園地に行きたい! 」

瑞生は, そう言って春花を見上げた. 春花は, 瑞生を優しく抱きしめた.

「瑞生, 早く寝なさい. 明日, また一緒に遊園地に行こうね」

春花は, そう言って瑞生を促した. 瑞生は, 春花の言葉には素直に従った. 私は, その光景を見て, さらに深い絶望に打ちひしがれた.

「瑞生, おやすみ」

私は, そう言って瑞生に別れを告げた. しかし, 瑞生は私を無視し, 春花に抱きついたままだった.

私は, その場に立ち尽くしたまま, 定六郎と瑞生と春花が部屋に戻るのを見ていた. 私の心は, 完全に砕け散っていた.

私は部屋に戻り, ベッドに横たわった. 天井を見つめながら, 私は静かに涙を流した. 明日の誕生日会が終われば, 私はこの家を出ていく. そして, 二度と彼らの前に現れない.

私は, もう二度と彼らのために, 自分の心を犠牲にはしない. 私は, 私自身の人生を生きるのだ.

私は, そう心に誓った. それは, 私にとって, 新たな始まりだった.

3

この街で唯一, 私が気にかけるのは信代おばあちゃんだけだった. 彼女だけが, 私を人間として扱ってくれた.

「あんたの決断は正しいわ. 自分を大切にしなさい」

信代おばあちゃんは, 私の手を握り, 優しく言ってくれた. その言葉は, 私の心を温かく包んだ.

「ありがとう, おばあちゃん」

私は, そう言って微笑んだ. 私の心は, 少しだけ軽くなった.

「もう過去は振り返らないで. 前だけを見て生きなさい」

信代おばあちゃんは, 私の頭を撫でながらそう言った. 私は, 頷いた.

私は, 健康を取り戻した. そして, これから新しい人生を歩むのだ. 私は, 自分の力で生きていくことができる. 私は, そう信じていた.

「そういえば, あの女の子のことだけど…まだ引き取りたいと思ってる? 」

信代おばあちゃんは, 少し躊躇しながらそう言った. 私は, 彼女の言葉に, 一瞬戸惑った.

「あの女の子…? 」

私は, そう言って首を傾げた.

「ええ, あの施設にいた子よ. 両親を亡くして, 身寄りがなくて…」

信代おばあちゃんは, そう言ってあの子の悲しい身の上を話してくれた. 私は, あの子のことを覚えていた. 私もまた, 身寄りのない孤独な人間だったからだ.

私は, 以前, あの女の子を引き取りたいと思ったことがあった. 定六郎も, その時は賛成してくれた. しかし, 彼はすぐに「忙しい」という理由で, その話を延期した. そして, いつの間にか, その話は立ち消えになっていた.

私は, その時, 定六郎が春花のことで頭がいっぱいだったことを知っていた. 彼は, 私にも, あの子にも, 全く関心がなかったのだ.

信代おばあちゃんと話した後, 私の心は, 少しだけ軽くなった. 私は, その足で, 瑞生の誕生日会へと向かった.

会場に向かう途中, 私は定六郎と瑞生, そして春花を見かけた. 彼らは, まるで本当の家族のようだった. 定六郎は, 春花に寄り添い, 瑞生も春花の手を握っていた.

私は, その光景を見て, 胸の奥が締め付けられるのを感じた. かつて私も, 定六郎と瑞生と三人で, あんな風に笑い合っていたことがあった. しかし, それは, もう遠い過去の出来事だった.

定六郎は, 昔は私にも優しかった. 私が落ち込んでいる時には, いつも傍にいてくれた. しかし, 今は…私の存在は, 彼にとって何の意味も持たなかった.

その時, 司会者の声が聞こえた.

「さあ, 優勝者の発表です! 大沢瑞生ちゃん, おめでとう! 」

瑞生の名前が呼ばれ, 彼女は舞台に上がった. 瑞生は, 春花に手を取られ, 笑顔で舞台に上がった.

「瑞生ちゃん, おめでとう! 誰に感謝の気持ちを伝えたいかな? 」

司会者が尋ねると, 瑞生はマイクを握りしめ, 大きな声で言った.

「瑞生ママ! ありがとう! いつも瑞生のこと, 大切にしてくれてありがとう! 」

瑞生は, そう言って春花を見上げた. 春花は, 瑞生の頭を撫でながら, 私を一瞥した. その視線は, 私を嘲笑っているかのようだった.

私の心は, 完全に砕け散っていた. 私は, その場に立ち尽くしたまま, 乾いた笑いを漏らした. 私の目からは, 涙が溢れ出した.

もういい. 私は, この光景を見て, 完全に心が壊れた. もう, ここには私の居場所はない.

私は, この家を出ていくことを, 心から決意した.

「瑞生ちゃん, そして瑞生ママ, お父様も, 本当におめでとうございます! 」

司会者の声が, 私の耳に響いた. 私は, もうこれ以上, その場にいることができなかった. 私は, 踵を返し, その場を去ろうとした.

「杏樹さん! 」

春花の声が, 私の背中に突き刺さった. 私は, 立ち止まった.

「杏樹さん, どこに行くの? 一緒にケーキを食べましょうよ! 」

春花は, そう言って私に近づいてきた. その声は, 私を嘲笑っているかのようだった.

「あんたなんか, いらないわよ! 」

瑞生の声が, 私の耳に突き刺さった. 私の心は, もう何も感じなかった.

「ねえ, 杏樹さん. 瑞生も, あなたと一緒にケーキを食べたいって言ってるわよ」

春花は, そう言って私の腕を掴もうとした. 私は, 彼女の手を振り払った.

今すぐ全編を読む
作者の『Moboreader』を応援して、素晴らしい物語の続きを楽しみましょう!
全話ロック解除

亡き姉の影、偽りの妻

第1話
エピソード
カスタマイズ
次の章