1

娘の美咲が「脳死状態」だと診断された.

しかし, それは夫の新司と彼の愛人である医師・美愛が, 自分たちの私生児を救うために仕組んだ, 臓器摘出のための卑劣な嘘だった.

前世の私は, 夫の「美咲のためだ」という言葉を信じ, 臓器提供同意書にサインしてしまった.

結果, 娘を失い, 真相を知った私もビルから突き落とされ, 憎しみの中で死んだ.

「ごめんね, 美咲…」冷たくなった娘の手を握り, 後悔の涙が溢れる. 背後から夫の冷たい声がした. 「紀美, 時間だ. サインしろ. それが美咲を解き放つ唯一の方法だ. 」

なぜ, 私はまたこの瞬間に? なぜ, 夫はこんなにも冷酷なの? なぜ, 前世では気づけなかったの?

再び目を開けたとき, 私は夫が同意書を突きつける, あの絶望の瞬間に戻っていた. 神がくれた二度目のチャンス. 今度こそ, 私は娘を救い, あの二人を地獄に突き落とす.

第1章

西川紀美 POV:

私が目覚めたとき, 目の前には娘の顔があった. しかし, それはいつもの愛らしい笑顔ではなかった. 無数のチューブに繋がれ, 包帯に巻かれた小さな体. 機械の規則的な音が, 命がここにあることを示す唯一の証拠だった. 私は, 以前もこの光景を見たことがある. 何度も, 何度も.

私の心臓は, まるで握りつぶされたかのように苦しかった. 息をするたびに, 錆びたナイフが胸をえぐるような痛みが走る. 娘の手を握ると, 冷たくて, まるで別人のようだった. こんなはずじゃなかった. 私がもっと早く気づいていれば. あの時, あの言葉を信じなければ.

「ごめんね, 美咲... . 」

声は喉の奥で詰まり, 涙が次から次へと溢れ出した. 私の頬を濡らし, 娘の冷たい手に滴り落ちる. この涙は, 私自身の愚かさへの罰でもあった. 私は, もう二度と娘を失いたくない.

「紀美, 時間だ. 」

背後から, 夫である西野新司の声が聞こえた. その声はいつもと同じ, どこか冷たい響きを持っていた. 彼は私の肩に手を置いたが, その手には何の温もりも感じられなかった. 私は振り返らず, 娘の手を握り続けた.

「もういいだろう. 医者も待っている. 」

彼は焦れたように言った. 看護師が私の方を見て, 出ようと促している. 私は娘の手をゆっくりと離し, 立ち上がった. 足元がおぼつかない. 廊下を歩く間も, 私の意識は娘の病室に残されたままだった.

狭いオフィスに通された. 新司はすでにそこにいて, 机の上に一枚の書類を突き出した. その書類を見るまでもなく, 内容が分かってしまった. 彼の顔は無表情で, その目には何の感情も宿っていなかった.

「美咲はもう脳死状態だ. これ以上, 苦しませる必要はない. 」

新司の声は抑揚がなく, まるで天気の話でもしているかのようだった. 私の心臓はさらに深くえぐられた. 彼は続けて言った.

「臓器提供同意書だ. サインしてやれ. それが美咲を解き放つ唯一の方法だ. 」

彼の言葉は, あまりにも軽く, あまりにも冷酷だった. 私の目から涙が止まった. 怒りが, 悲しみを瞬時に焼き尽くした. ペンが彼の傍らに置かれていたが, 私はそれを手に取る気にならなかった.

「嫌だ. 」

私の声は, 私自身が驚くほど冷たく, 鋭かった. 新司は眉をひそめ, 驚きを隠せない様子で私を見た.

「何を言っているんだ? 医者の診断だぞ. 」

彼はそう言ったが, その声には動揺が混じっていた. 私は彼をまっすぐ見つめた. その目の奥に, 私は前世で見たのと同じ, あの冷たい光を見た. 私が盲目的に信じ, すべてを捧げた男. 私の人生を狂わせた男.

前世の記憶が, 濁流のように頭の中に流れ込んできた.

美咲が肺炎で入院した時, 新司が紹介した「名医」が高杉美愛だった. 彼のかつての恋人. 私はその時, 彼を信じ, 何の疑いも抱かなかった.

美咲の病状はみるみる悪化し, 夜中に緊急搬送された. そして, 美愛は私たちに告げた. 「美咲さんは脳死状態です. 」

新司は, 私がショックで動けないうちに, 同意書にサインするように促した. 彼は美咲が優しい子だから, 誰かの命を救いたいと思っているはずだと, 私に言い聞かせた. 私は悲しみに打ちひしがれ, 彼の言葉を信じてサインしてしまった.

美咲の臓器は, 美愛の息子に移植された. 私はその後も, 深い悲しみの中で生きていた. 新司はすぐに普段の生活に戻った.

ある日, 私は偶然, 新司と美愛が, 美咲と同じくらいの年齢の子供と一緒にいるのを目撃した. 彼らが私生児の治療費のために美咲を犠牲にしたことを知ったとき, 私の世界は崩壊した. 私は彼らを問い詰めようとしたが, 新司は私をビルの屋上から突き落とした.

私は死の間際, 美咲の形見を握りしめ, 憎しみに燃えながら誓った. たとえ生まれ変わっても, 必ず復讐する, と.

そして今, 私は再びこの場所に立っている. 神様は私にやり直すチャンスをくれたのだ. これは, 美咲を救い, あの二人を罰するための, 私に与えられた使命だ.

私はペンを掴み, テーブルに叩きつけた. カチッと音を立ててペンは床に転がった. 私は顔を上げ, 新司を初めて見るかのような冷たい目で見つめ返した.

「嫌だ. 絶対にサインしない. 」

2

西川紀美 POV:

私の拒絶の言葉に, 新司は一瞬呆然とした. しかし, すぐに苛立ちが顔に浮かんだ. 彼の顔を殴りつけたくなった. この男の偽善的な顔を, 私の拳で歪めてやりたい. しかし, 今はまだその時ではない. 私は冷静さを保たなければならない.

「私の娘は脳死なんかじゃない. 絶対にサインしない. すぐに美咲を別の病院に転院させて, 再検査を受けさせる. 」

私の声は震えていたが, その意志は固かった. 新司は眉間に深い皺を寄せる.

「君は感情的になりすぎている. 昨日から一睡もしていないんだ, 少し落ち着け. 」

彼は私の手を掴もうとしたが, 私はそれを振り払った. 徹夜? 彼が徹夜したのは, 私生児の命を救うために私の娘を殺す計画を立てていたからだろう.

「感情的? 娘が死に瀕しているのに, 母親が感情的にならないとでも言うの? あなたの母親に, 私が感情的だとでも言われたの? 」

私は皮肉を込めて言った. 新司の顔は, さらに不快そうに歪んだ. 私が昨日, 病院を一度離れたのは, 彼の母親があらゆる手段を使って私を追い出したからだ. 彼女は私がただの貧しい女だと思っていたから, 私生児の治療のために美咲を犠牲にすることに何の抵抗もなかったのだろう.

「母さんのことは関係ないだろう. 美咲のことは, 俺だってつらいんだ. 」

彼は口ではそう言ったが, その目には何の悲しみも映っていなかった. 責任を美咲の病気に押し付け, まるで自分には何の罪もないかのように振る舞う. 前世と同じだ.

「つらい? あなたは美咲が脳死だと診断されたことを, まるで他人事のように語っていたわね. 一体どこがつらいのよ. 」

私の言葉に, 彼はさらに苛立ちを募らせた.

「君は言ったじゃないか, 前世では同意すると. 今更何を言い出すんだ. お前には本当にうんざりする. 」

彼はそう吐き捨てた. もう, 彼と議論する意味はない. この男は, もう私の知っている新司ではない. いや, 最初から彼はこんな人間だったのかもしれない. 私がそれに気づかなかっただけだ.

今は美咲を救うことだけを考える. 転院だ. この病院に美咲を置いておくことはできない.

私は立ち上がり, オフィスのドアを開けた. 後ろから新司が何かを言っているのが聞こえたが, 私は耳を傾けなかった. 重症監護室に向かって歩きながら, 私は震える手で電話を取り出し, 一つの番号をダイヤルした.

この七年間, 私は新司との結婚を優先し, 実家との縁を切っていた. 彼らは私の結婚を猛反対した. 貧しい家庭の彼を愛した私は, 彼のためにすべてを捨てた. だが, 今, 私には彼らしか頼る術がない.

「お兄ちゃん... . 」

電話の向こうから聞こえる兄の声に, 私の抑制していた感情が決壊した. 涙が止まらない. 私は兄に, 美咲の状況と, 私が直面している全てを, 嗚咽混じりに伝えた.

「お願い, お兄ちゃん. 美咲を助けて. お願いだから, 転院させてあげて... . 」

兄は何も言わず, ただ私の言葉を聞いていた. そして, 静かに言った.

「分かった. すぐに手配する. お前は何も心配するな. 美咲は必ず助かる. 」

電話が切れ, 私の手から力が抜けた. 兄は, 私が絶縁状態だったにもかかわらず, 一縷の望みをかけて連絡した私を, 迷うことなく助けてくれると言ってくれたのだ. 私の両親も, 美咲のために最高の医療チームをすぐに手配してくれるだろう.

私は重症監護室のガラス越しに, 眠る美咲を見つめた. 外は, 朝焼けが始まっていた.

「待っててね, 美咲. ママが, 必ず助けるから. 」

3

西川紀美 POV:

電話を切った後, 私は壁の時計を見上げた. 転院チームが到着するまで, あと2時間. この2時間が, 私には永遠のように長く感じられた. 私は美咲の病室の前に立ち尽くし, ガラス越しに娘の小さな寝顔を見つめていた.

その時, 廊下の奥から慌ただしい足音が聞こえてきた. 新司だ. 彼は顔を真っ青にして, 私の元に駆け寄ってきた.

「頼むから, サインしてくれ. もう医者のチームも, みんな待っているんだ. 」

彼の声は焦燥に満ちていたが, 私の心には響かなかった. 私は彼を無視し, 重症監護室の扉に視線を固定した. 私の中には, もう彼に対する感情は何も残っていなかった. ただ, 美咲を救うという固い決意だけがそこにあった.

膠着状態が続く中, エレベーターの扉が開き, そこから一人の女性が飛び出してきた. 彼女は新司に駆け寄り, その腕に抱きついた.

「新司! 大丈夫かい, 新司! 」

新司の母親だ. 彼女は新司の顔にある, 私が先ほど叩いた手の跡を見て, 血相を変えた.

「これは一体どうしたんだい! この女がやったのかい! ? 」

彼女は私を指差し, 怒鳴りつけた. その目には, 私への憎悪が燃え盛っていた.

「このとんでもないアバズレめ! 私の可愛い新司に何をするんだい! 」

彼女は私を罵り, さらに続けた.

「美咲ちゃんの病気は, 誰のせいでもない, 運命だよ! 脳死だっていうなら, さっさとサインしてあげればいいじゃないか! どうせこの子はもう助からないんだから, 誰かの役に立ててあげればいいんだ! 」

彼女の言葉は, あまりにも冷酷で, あまりにも無知だった. 私の血が逆流するのを感じた. 怒りが再び全身を支配した.

「あんたは黙ってなさい! 」

私は叫び, 今度は彼女の目の前で, 新司の頬を思い切り叩きつけた. パーン! と乾いた音が廊下に響き渡る. 新司は二度目の衝撃に, 呆然と立ち尽くしていた. 彼の頬は赤く腫れ上がり, その目には虚ろな光が宿っていた.

「新司! 」

彼の母親は悲鳴を上げ, 新司の顔を撫でた. 私は, 自分の手を見つめた. 痛みは感じなかった.

「痛い? 痛いでしょう? これが, 美咲が今, 感じている痛みよ! 」

私は新司を睨みつけ, 声を荒げた.

「あなたたちは, すぐにここから出て行きなさい! でなければ, この保温マグであなたたちの頭を叩き割ってやる! 」

私は手に持っていた保温マグを振り上げ, 彼らに向かって振り回した. 新司の母親は目を見開き, 唇を震わせた.

「こ, このアバズレめ! なんてことを言うんだい! 」

彼女はさらに私を罵ったが, 私はもう何も聞こえなかった. 私の心の中には, ただ美咲を救うという決意だけがあった.

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娘を救う、二度目の復讐

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