話 1
骨髄移植手術を目前に控え, 私は希望に満ちていた.
しかし, 夫の誠二郎は, 私を離れに監禁し, 治療を妨害した. 私のドナーを, 彼の愛人である滝口直恵に譲るためだった.
離れで私は, 誠二郎の妹・文佳に腹を蹴られ, 飼い犬に腕を噛みちぎられた. 激痛の中, お腹の子を失い, 死の淵を彷徨った.
私が「死んだ」という知らせを受けた時, 誠二郎は愛人との子の誕生を祝い, 「また芝居か」と吐き捨てたという.
私の命も, お腹の子の命も, 彼の野心と愛人のためには, ゴミ同然だったのだ.
しかし, 私は死ななかった. 父の手で偽装死を遂げ, 北岡家の後継者として生まれ変わった. 数ヶ月後, 全てを失った誠二郎の前に, 私は復讐の女神として再び姿を現す.
第1章
北岡沙織李 POV:
骨髄移植手術を目前に控え, 私は希望に満ちていた. しかし, 夫の長谷川誠二郎は, 私を自宅の離れに監禁し, 治療を妨害した. 私の人生は, その日, 完璧な裏切りの絵画へと変わった.
私は自分の目を信じられなかった.
誠二郎の言葉が, 私の鼓膜を突き破った.
「沙織李, 君には少し, 大人しくしてもらわないといけない. 」
彼の声は, まるで冷たい鋼鉄のようだった.
私の心臓は, 見えない手で強く握り締められているようで, 息もできなかった.
「何を, 言っているの? 誠二郎さん…」
私の声は, 震えていた.
全身から, 冷たい汗が吹き出した.
彼が私を連れてきたのは, 使用人も近づかない, 古びた離れだった.
窓は板で打ち付けられ, 外の光はほとんど届かない.
誠二郎は, 私の顔をじっと見つめた.
その瞳には, かつて私に向けられた愛情のかけらもなかった.
「直恵さんの手術が, 君のドナーと重なってしまったんだ. 」
彼は, 淡々と告げた.
その言葉は, 私の心を直接, 切り裂いた.
「直恵さん…? 滝口直恵さんのこと…? 」
私の知っている滝口直恵は, 誠二郎の亡きビジネスパートナーの妻だった.
私たちと同じ, 難病を患っている.
まさか, 彼女が私のドナーを奪うために…?
誠二郎は, 私の問いには答えず, 続けた.
「彼女は, 僕の亡き友人の妻だ. 僕が守ると約束した. だから…」
彼の言葉は, 私の頭の中で, 鉛の玉となって響いた.
守る? 私を, そのために犠牲にするというのか?
「でも, 誠二郎さん, これは私の命がかかっているのよ? 」
私は必死に訴えた.
私の心臓は, 警鐘を鳴らし続けていた.
このままでは, 私は死んでしまう.
誠二郎は, 首を横に振った.
「君は, まだ大丈夫だ. 病状だって, 最近は落ち着いているじゃないか. 」
彼の言葉は, 私の苦しみを完全に無視していた.
私の体は, 毎日, 激しい倦怠感と痛みに襲われているのに.
「そんな…嘘でしょう? 毎日のように熱が出て, 体も動かせないのに…」
私の声は, か細く, ほとんど聞こえなかった.
私の頭の中は, 真っ白になった.
この人は, 私の夫ではない.
私の知っている誠二郎さんではない.
誠二郎は, 私の訴えを鼻で笑った.
「沙織李, 君は昔から, 芝居がかったところがあったからな. 」
その言葉は, 私の心臓を深く抉った.
私の愛は, 彼にとって, ただの芝居だったのか?
彼は, 私の手からスマートフォンを奪い取った.
「しばらくは, ここから出ないでくれ. 誰とも連絡を取るな. 」
冷たい命令だった.
私は, ただ, 呆然と彼を見つめることしかできなかった.
誠二郎は, 私を離れに残して, ドアを閉めた.
ガチャリ, と鍵がかけられる音が, やけに大きく響いた.
私は, その場に崩れ落ちた.
全身から力が抜け, 何も考えられない.
しばらくして, 私は意識を取り戻した.
周囲は, 先ほどよりもさらに暗くなっていた.
離れの空気は, 冷たく, 湿っていた.
私の吐く息が, 白く濁る.
体中が, 凍えるように冷たかった.
私は震える手で, 自分の体を抱きしめた.
しかし, どうすることもできない.
私は, この離れに閉じ込められてしまった.
突然, 壁の向こうから, ガタガタと大きな音がした.
何かが, 壁にぶつかっているような音だ.
私は, 恐怖で体が硬直した.
まさか, 何かが, ここに…?
その音は, すぐに止んだ.
しかし, 私の心臓は, まだ激しく脈打っていた.
私は, 自分の腹部に, 激しい痛みを感じた.
「うっ…」
思わず, 声が漏れた.
病状が, 急速に悪化している.
この痛みは, いつものものとは違う.
私は, 助けを求めなければならない.
私は, 震える指で, もう手元にないスマートフォンを探した.
しかし, もちろん, そこには何もなかった.
私は, 必死にドアを叩いた.
「誠二郎さん! お願い! 開けて! 苦しいの! 」
私の声は, 弱々しく, 虚しく響いた.
誰も, 答えない.
壁の向こうも, 静まり返っている.
突然, 足音が聞こえた.
カツ, カツ, と, 冷たい石畳を歩く音だ.
私は, 希望を見出した.
誰かが, 来てくれた.
誠二郎さん, かもしれない.
ドアが, ゆっくりと開いた.
しかし, そこにいたのは, 誠二郎ではなかった.
誠二郎の妹, 文佳だった.
彼女は, 私の顔を見ると, 冷たい笑みを浮かべた.
「あら, 生きてたの? 」
文佳の声は, 私の心を深く刺した.
「文佳さん…お願い…誠二郎さんを呼んで…私, 苦しいの…」
私は, 必死に懇願した.
文佳は, 私の訴えを嘲笑った.
「兄さんにまとわりつく貧乏な病気持ちが, 何を偉そうに. 」
その言葉は, 私の耳を疑った.
彼女は, 私をずっとそう思っていたのか?
「私は, 北岡家の…」
私は, 自分の身分を明かそうとした.
しかし, 文佳はそれを遮った.
「またそんな見え透いた嘘を! あなたみたいな人が, あの北岡家の令嬢なわけないでしょ! 」
彼女の言葉は, 私の言葉を完全に打ち消した.
「本当に苦しいの…病院に行かないと…」
私は, 再び, 腹部の激しい痛みに襲われた.
文佳は, 私の様子を見て, さらに冷酷な笑みを浮かべた.
「あら, また始まった? その芝居, もう見飽きたわ. 」
彼女は, 私の苦しみを完全に無視していた.
「兄さんは, あなたみたいな女に, これ以上騙されないから. 」
文佳は, 私を上から見下ろすように言った.
彼女の目は, 私に向けられた侮蔑で満ちていた.
「兄さんは, 直恵さんのことを守らなきゃいけないの. あなたなんかと違って, 彼女は本当に可哀想な人なんだから. 」
彼女の言葉は, 誠二郎と同じ, 直恵優先の考えを示していた.
私は, 痛みに耐えながら, うめき声を上げた.
「お願いだから…だけでも…」
私は, 子供を指差そうとしたが, その言葉は途中で途切れた.
文佳は, 私のうめき声に顔をしかめた.
「うるさいわね! 本当に迷惑なんだから! 」
彼女は, 私の腹部を足で蹴った.
激痛が, 全身を駆け巡った.
私は, 床に倒れ込んだ.
文佳は, その場にしゃがみ込み, 私の耳元で囁いた.
「あなたなんか, この家には必要ないの. 消えてなくなってしまえばいいのよ. 」
その言葉は, まるで呪いのように, 私の心に深く刻み込まれた.
文佳は, 立ち上がり, スマートフォンを取り出した.
「もしもし, 兄さん? 沙織李, また騒いでるわよ. 本当にしつこいったらありゃしないわ. 」
彼女は, 誠二郎に電話をかけ, 私のことを悪しざまに報告していた.
私は, 痛みに耐えながら, 必死に息を殺した.
これ以上, 彼女に刺激を与えてはいけない.
誠二郎の声が, 電話越しに聞こえた.
「沙織李か…いい加減にしろと伝えておけ. 」
その声は, 私への苛立ちと, 冷酷さで満ちていた.
私は, 最後の希望が砕け散る音を聞いた.
「もしも, この子が…」
私が声を出すと, 文佳は舌打ちをした.
「何よ! まだ何か文句があるの! ? 」
彼女は, 再び私の腹部を蹴ろうとした.
私は, 目をぎゅっと閉じ, 痛みに備えた.
しかし, その足は, 私に当たることはなかった.
文佳は, 電話の相手と話していた.
「え? 直恵さんの陣痛が始まった? ! 」
彼女の声に, 驚きと興奮が混じっていた.
「兄さん, 直恵さんの陣痛が始まったんですって! 早く病院に! 」
文佳は, 誠二郎にそう告げた.
私の心臓は, 氷のように冷たくなった.
これで, 私のドナーは, 完全に直恵さんのものになってしまう.
誠二郎の声が, 再び電話越しに聞こえた.
「そうか…よし, すぐに向かう. 」
彼の声には, 喜びと期待が満ちていた.
私とは, 全く違う反応だった.
「沙織李, あなたも, もう少し我慢しなさいよ. 直恵さんが無事に出産すれば, 兄さんも落ち着くでしょうから. 」
文佳は, そう言い残して, 離れを出て行った.
ドアが, 再びガチャリ, と音を立てて閉まった.
私は, 再び, 暗闇の中に一人取り残された.
私の腹部の痛みは, さらに激しさを増した.
体中が, 寒気で震える.
私は, 床に横たわり, 天井を見上げた.
このままでは, 私は本当に死んでしまう.
しかし, 私の心の中に, 一筋の光が差し込んだ.
「死ぬものか…」
私は, 心の中で呟いた.
私は, 北岡沙織李.
私の人生は, こんなところで終わらせるわけにはいかない.
私は, この子を, 決して諦めない.
私の意識は, 朦朧とし始めた.
しかし, 私の心は, 決して砕けてはいなかった.
私は, この地獄から, 必ず生還する.
そして, 私を裏切った者たちに, 必ず報復する.
話 2
北岡沙織李 POV:
文佳が去った後, 私は絶望の淵に突き落とされた. しかし, その絶望の中で, 私の中の何かが目覚め始めていた. 死ぬものか. そんな感情が, 私の心の奥底で燃え上がる.
文佳の冷酷な言葉が, 私の耳から離れない.
「うるさいわね! 本当に迷惑なんだから! 」
私の腹部への蹴り.
その痛みは, 私の心臓を深く抉る.
私は, 床に横たわったまま, 身動き一つできなかった.
体の自由が利かない.
痛みで, 意識が飛びそうになる.
このままでは, 本当に死んでしまう.
突然, ドアの向こうから, ガリガリ, という音が聞こえた.
何かが, ドアを引っ掻いているような音だ.
私は, 恐怖で体が硬直した.
まさか, 文佳が, 何か別のものを送り込んできたのか?
ドアが, ゆっくりと開いた.
そこから現れたのは, 文佳が飼っている大型犬だった.
その犬は, 私を見ると, 低い唸り声を上げた.
私は, 全身から血の気が引いた.
「やめて…! 」
私は, か細い声で叫んだ.
しかし, 犬は私の言葉を理解するはずもない.
犬は, 私にゆっくりと近づいてきた.
その目は, 飢えた獣のようだった.
犬は, 私の腕に噛みついた.
激痛が, 全身を駆け巡った.
「いやああああああ! 」
私は, 絶叫した.
その声は, 離れの壁に反響する.
私の腹部の子供も, 激しく反応した.
内部から, 強い衝撃が伝わってくる.
「お願い, やめて…この子だけでも…」
私は, 必死に犬を押し返そうとした.
しかし, 病に蝕まれた体では, 何の抵抗もできない.
犬は, 私の腕を噛みちぎろうとするかのように, さらに力を込めてきた.
血が, 私の腕から噴き出した.
私は, 涙を流しながら, 痛みに耐えた.
このままでは, 私は, 本当に死んでしまう.
どれくらいの時間が経っただろうか.
犬は, ようやく私から離れた.
私は, 床に力なく横たわったまま, ただ, 血を流し続けた.
意識が, 遠のいていく.
ああ, これで, 終わりなのか.
突然, ドアが再び開いた.
そこに現れたのは, 文佳だった.
彼女は, 私の様子を見ると, 少し驚いたような顔をした.
「あら, まだ生きてたの? 」
その声には, わずかな動揺が混じっていた.
文佳は, 犬を呼び戻した.
「こっちにいらっしゃい, ジョン. 」
犬は, 大人しく彼女の元へと戻った.
文佳は, 私の腕から流れる血を見て, 顔をしかめた.
「あら, 汚いわね. 」
彼女は, 私に近づいてきた.
私の顔を, 足で小突いた.
「死んだふりなんかしても, 無駄よ. 」
その言葉は, 私の心を深く刺した.
私は, もう何も感じない.
文佳は, 犬の腕から血が流れていることに気づいた.
「あら, ジョン, どうしたの? もしかして, この女が噛みついたの? 」
彼女は, 私のことを睨みつけた.
「このクズ女が! 私のジョンに何をしてくれたのよ! 」
彼女の怒りが, 爆発した.
文佳は, 私の腹部を何度も蹴った.
そのたびに, 激痛が全身を駆け巡る.
「あなたなんか, この世から消えてしまえばいいのよ! 兄さんの邪魔をするな! 」
彼女の言葉は, 私の心を深く, 深く傷つけた.
文佳は, 怒りに任せて, 離れの窓を完全に塞いだ.
唯一の光が差し込んでいた隙間も, 完全に塞がれてしまった.
私は, 完全な暗闇の中に閉じ込められた.
空気も, だんだんと薄くなっていく.
息が, 苦しい.
私は, 意識が朦朧とする中で, 幻覚を見た.
私の子供が, 私に向かって手を伸ばしている.
「ママ…」
その声は, 私の心臓を強く締め付けた.
私は, この幻覚に, 涙を流した.
「ごめんね…ごめんね…」
私は, 謝罪の言葉を繰り返した.
私の心臓は, 悲しみでいっぱいになった.
私は, この子の母親なのに, 何もしてあげられない.
私は, これまで, この子の未来を夢見ていた.
誠二郎さんと, 三人で, 幸せな家庭を築くことを.
しかし, その夢は, 無残にも打ち砕かれた.
神様は, なぜ私に, こんなにも残酷な運命を与えたのだろうか.
「この子だけでも…この子だけでも助けて…! 」
私は, 声にならない叫びを上げた.
私の体は, どんどん冷たくなっていく.
子供の胎動も, だんだんと弱くなっていった.
ああ, もう, 終わりだ.
私は, この子を, 守ってあげられなかった.
ごめんね, 私の可愛い赤ちゃん.
来世では, もっと幸せな場所に生まれてきてね.
そして, もっと優しい母親の元に.
私の意識は, 完全に途切れた.
私の体は, 冷たい床に横たわったまま, 動かなくなった.
私の心臓は, もう, 音を立てていなかった.
私の目は, 虚空を見つめたまま, 閉じられた.
どれくらいの時間が経っただろうか.
突然, 私の目の前に, 一筋の光が差し込んだ.
離れのドアが, ゆっくりと開いた.
そこに立っていたのは, 見慣れない男だった.
彼は, 私の顔を見ると, 驚いたような顔をした.
「…沙織李様…? 」
彼の声は, 震えていた.
私は, 最後の力を振り絞って, 彼に声をかけた.
「助けて…」
男は, 私の腕から流れる血を見て, さらに驚いた.
「これは…一体…」
彼は, 私の顔をじっと見つめた.
そして, 私の胸元に, あるものが目に入ったようだ.
それは, 私の父が私にくれた, 北岡家の家紋が入ったペンダントだった.
男は, 私のペンダントを見ると, さらに顔色を変えた.
「まさか…本当に…」
彼は, すぐにスマートフォンを取り出した.
誰かに, 電話をかけるようだ.
「もしもし, 当主様! 大変です! 沙織李様が…! 」
男の声は, 焦りで震えていた.
私は, 彼の言葉を聞きながら, 最後の力を振り絞った.
「誠二郎さん…に…伝えて…」
私の声は, か細く, ほとんど聞こえなかった.
男は, 私の言葉を聞くと, 電話の相手に状況を伝えた.
「沙織李様が, 大変な状態です. すぐに病院に…」
しかし, 電話の相手の声が, 男の耳に届くと, 彼の顔色はさらに悪くなった.
「しかし, 当主様…このままでは…」
男は, 何かを訴えようとしたが, 電話の相手に遮られたようだ.
男は, 力なくスマートフォンを下ろした.
私は, 彼の顔を見て, 絶望の淵に突き落とされた.
男は, 私に近づいてきた.
私の手を, 優しく握り締めた.
「申し訳ありません…沙織李様…」
彼の言葉は, 私への同情で満ちていた.
しかし, その言葉は, 私の心を救うことはなかった.
「彼らは…私のことを…」
私は, 最後の力を振り絞って, そう呟いた.
男は, 私の言葉を聞くと, 深いため息をついた.
「誠二郎様は, 沙織李様が仮病を使っていると…」
彼の言葉は, 私の心を深く, 深く傷つけた.
男は, 私の顔を見て, 再びスマートフォンを取り出した.
「私では, どうすることもできません…しかし…」
彼は, 何かを決意したかのように, 再び電話をかけた.
「もしもし, 北岡宗右衛門様でしょうか. 」
その言葉を聞いた瞬間, 私の意識は, 完全に途切れた.
私の最後の希望は, 父へと託された.
話 3
北岡沙織李 POV:
意識が途切れて, 次に私が目覚めた時, 私は冷たい病院のベッドに横たわっていた. 体中が痛む. 喉はカラカラに乾き, 声を出そうとすると激痛が走った. 目の前には, 白衣を着た医師が数人, 険しい顔で私を囲んでいた. 彼らの会話が, 私の耳に断片的に飛び込んでくる.
「血圧が安定しない…」
「出血がひどい…」
「胎児の心拍が…」
私は, 自分の腹部に手をやった.
そこには, かつて命が宿っていた温もりは, もうなかった.
私の心臓は, 見えない手で強く握り締められているようで, 息もできなかった.
私は, あの離れで, 私の子を失ったのだ.
医師の一人が, 誠二郎に電話をかけている声が聞こえた.
「長谷川様, 奥様の容態が急変しました. 早急な処置が必要です. 緊急に輸血と手術の準備を…」
私は, その言葉に, わずかな希望を抱いた.
誠二郎さんなら, きっと助けてくれる.
しかし, 誠二郎の声が, 電話越しに聞こえてくる.
「沙織李? また仮病か. 滝口さんの出産が控えているんだ. 今, 病院には行けない. 」
彼の声は, 冷酷で, 私への関心など微塵も感じられない.
私の心臓は, 再び氷のように冷たくなった.
医師は, 誠二郎の言葉に困惑しているようだった.
「ですが, 長谷川様, これは仮病などではありません. 一刻を争う事態です! 」
医師は, 必死に訴え続けていた.
しかし, 誠二郎の返答は, 私の心を完全に打ち砕いた.
「どうせ, また僕の関心を引こうとしているだけだろう. あいつの芝居には, もううんざりだ. 滝口さんの命の方が, ずっと大切なんだよ. 」
その言葉は, 私の耳に, そして心臓に, 直接突き刺さった.
彼は, 私の命を, 私の子供の命を, ゴミのように扱っている.
医師は, 絶望したように電話を切った.
彼は, 他の医師たちに, 力なく首を振った.
「長谷川様は, 奥様の病状を信じておられません. 治療に必要な許可も, 医療資源の提供も…」
医師の言葉が途切れた.
私は, その言葉の続きを, 聞かなくても理解できた.
誠二郎は, 私を見殺しにするつもりなのだ.
私の目から, 熱い涙が溢れ出した.
私は, ただ, この世の不条理を呪うことしかできなかった.
その時, 病室のドアが, ゆっくりと開いた.
そこに立っていたのは, 私の父, 北岡宗右衛門だった.
彼の顔は, 怒りと悲しみで歪んでいた.
父は, 私の顔を見ると, 大きく目を見開いた.
「沙織李! 」
父の声は, 震えていた.
彼は, すぐに私の傍に駆け寄ってきた.
医師たちは, 父の登場に驚き, 慌てて頭を下げた.
「北岡様…」
医師たちは, 父の威厳に圧倒されているようだった.
父は, 医師たちに, 厳しい口調で尋ねた.
「娘の容態はどうなっている. なぜ, このようなことになっているんだ! 」
父の怒りが, 病室の空気を震わせた.
医師の一人が, 父に状況を説明しようとした.
「北岡様, 実は…長谷川様から, 奥様への治療を差し控えるよう…」
父の顔が, さらに険しくなった.
「何だと? あの愚か者が…! 」
父の怒りは, 頂点に達していた.
父は, すぐにスマートフォンを取り出した.
誰かに, 電話をかけるようだ.
「もしもし, 田中. 長谷川誠二郎の会社の全ての口座を凍結しろ. 彼の資産を全て差し押さえろ. そして, 彼の社会的地位, 財産, プライド, 全てを粉々に打ち砕いてやれ. 」
父の冷酷な命令が, 病室に響き渡った.
私の心臓は, その言葉を聞いて, わずかに震えた.
父は, 私を, そして私の子供を, 見殺しにしようとした誠二郎に, 徹底的な報復を開始するつもりなのだ.
私の目から, 再び涙が溢れ出した.
しかし, 今度の涙は, 悲しみだけではなかった.
憎しみと, そして, 復讐への決意が, 私の心の中で燃え上がっていた.
医師たちは, 父の冷酷な命令に, 恐怖で震えていた.
父は, 電話を終えると, 私の顔を優しく見つめた.
「沙織李, もう大丈夫だ. お父さんが, 必ずお前を守る. 」
父の声は, 私を包み込むような温かさがあった.
私の意識は, 再び朦朧とし始めた.
しかし, 今度の朦朧は, 絶望ではなかった.
父の存在が, 私に, 生きる希望を与えてくれた.
私は, このままでは終われない.
私は, 必ず, 生き抜いて, 彼らに報復する.
私の耳に, 医師たちの会話が再び飛び込んできた.
「胎児の心拍が…」
「…停止しました. 」
その言葉は, 私の心を深く, 深く切り裂いた.
私は, この世で, 最も大切なものを失ってしまった.
私の目から, 熱い涙が溢れ出した.
ごめんね, 私の可愛い赤ちゃん.
ママは, あなたを守ってあげられなかった.
私の体は, 最後の力を振り絞って, 胎動を覚えた.
それは, 私の子供が, 私に最後の別れを告げているようだった.
「ごめんね…ごめんね…」
私は, 謝罪の言葉を繰り返した.
私の意識は, 完全に途切れた.
私の体は, 冷たいベッドに横たわったまま, 動かなくなった.
私の心臓は, もう, 音を立てていなかった.
長谷川誠二郎 POV:
病院の分娩室の前で, 私は焦燥感に駆られていた.
滝口直恵が, 今, 必死に耐えている.
「直恵さん…頑張れ…」
私は, 心の中で, そう呟き続けた.
彼女は, 僕の亡き友人の妻だ. 僕が守ると約束した.
ようやく, 分娩室のドアが開いた.
疲れた顔の医師が, 私に笑顔を向けた.
「おめでとうございます, 長谷川様. 元気な男の子ですよ. 」
その言葉を聞いた瞬間, 私の心は, 喜びでいっぱいになった.
僕は, 父親になったのだ.
分娩室に入ると, そこには, 汗だくの直恵がいた.
彼女の腕の中には, 小さな赤ん坊が眠っている.
私は, 赤ん坊を抱き上げた.
その小さな命の温もりが, 私の心に深く染み渡る.
「可愛い…」
私は, 思わずそう呟いた.
赤ん坊の顔は, 僕にそっくりだ.
いや, 待てよ.
僕には, 沙織李との間に, 子供がいたはずだ.
あいつは, どうなった?
僕は, その疑問を, すぐに頭の中から追い出した.
どうせ, 沙織李の芝居だろう.
あいつは, いつもそうやって, 僕の関心を引こうとする.
滝口さんの出産が, 何よりも優先されるべきことだ.
僕は, 赤ん坊を直恵の腕に戻し, 分娩室を出た.
廊下で, 僕の秘書が立っているのが見えた.
彼の顔色は, なぜか青ざめている.
「どうした, そんな顔をして. 」
私は, 彼に尋ねた.
秘書は, 震える声で私に告げた.
「長谷川様…奥様が…北岡沙織李様が…」
彼の言葉は, 途中で途切れた.
私は, 苛立ちを感じた.
「なんだ, はっきり言え! 」
秘書は, 深呼吸をして, 震える声で告げた.
「奥様が…お亡くなりになりました. お子様も…」
その言葉を聞いた瞬間, 私の頭の中で, 何かが弾けた.
僕は, 自分の耳を疑った.
沙織李が, 死んだ?
「馬鹿なことを言うな! あいつが死ぬはずがない! また芝居だろう! 」
私は, 秘書に怒鳴りつけた.
秘書は, 恐怖で体が硬直していた.
「ですが…医師が…」
彼は, 言葉を続けることができなかった.
私は, 秘書の襟首を掴んだ.
「お前も, あいつに騙されているのか! あいつは, そんなことでは死なない! お前も知っているだろう! 」
私の声は, 震えていた.
沙織李が, 死んだ?
そんなはずがない.
秘書は, 震える声で言った.
「いえ…これは, 本当です…. 北岡宗右衛門様が…」
その言葉を聞いた瞬間, 私の体は, 氷のように冷たくなった.
北岡宗右衛門.
沙織李の父.
あの男が, 動いたのか.
私は, 秘書の襟首を放した.
「案内しろ. 沙織李のところに. 」
私の声は, 震えていた.
私の心臓は, 激しく脈打っていた.
まさか, 本当に…?
秘書は, 震える足で, 私を沙織李の病室へと案内した.
病室のドアを開けると, そこには, 白いシーツに覆われた沙織李が横たわっていた.
彼女の顔は, 青白く, まるで蝋人形のようだった.
私の心臓は, 強く締め付けられた.
まさか, 本当に…