1

「鷹澤蓮矢、今日が最後の選択だ。あんたの妻と初恋の女、生かせるのは1人だけ。どっちを選ぶ?」

海辺の古びた波止場。凶悪犯たちの脅迫を前に、鷹澤蓮矢の顔は険しかった。

森川心音は白いワンピース姿で、いかにも弱々しく可哀想に見えた。

そして涙を湛えながら、聖女のような口調で言った。「蓮矢、私のことは気にしないで、白川さんを選んで! 彼女こそがあなたの奥さんなのよ。あなたが幸せになってくれるなら、私、死んでも構わないわ」

一方、傍らに跪く白川知依は全身血まみれで、すでに拷問の末に息も絶え絶えになっていた。

彼女と心音が同時に誘拐されてから、犯人は毎日、蓮矢に1度ずつ選択を迫ってきた。

3日前、心音を守るため、彼は彼女の爪を根こそぎ剥がさせた。

2日前、再びその命を護るため、彼は彼女の美貌を奪わせた。

そして1日前――ただ冷漠に、彼は彼女の両脚をへし折らせた。

知依は力を振り絞って頭を上げ、丸10年愛し続けた男を見つめた。5年の夫婦生活の情けを一片でも乞うように。

しかし、蓮矢は最後まで彼女をちらりとも見なかった。

「心音だ!今すぐ、彼女を解放しろ!」

裂けた唇をわずかに開いた。連日の拷問で、彼女の喉はとっくに枯れ果てていた。「鷹澤蓮矢……どうして?」

彼女には分からなかった。自分こそが彼の妻なのに、どうして彼にそこまで死を望まれなければならないのか。

蓮矢が彼女に向ける視線には、嫌悪と冷酷さしかなかった。

「どうしてだと? 白川知依、お前が心音を妬み続けた報いだろうが」

「この2年間、お前は何度も彼女を陥れようとしてきた。今回の誘拐も、お前が自ら仕組んだ芝居なのかもしれんな」

「そんなに命懸けの遊びが好きなら、その命で心音への借りを返せ」

知依は必死に首を振った。「違う……私じゃない……」

しかし、蓮矢は彼女の弁解など全く聞こうとしなかった。

彼は大股で歩み寄り、縄を解かれた心音を大切そうに受け止めると、しっかりと腕の中に抱きしめた。

心音は蓮矢の胸に寄りかかり、儚げに泣きじゃくった。

だが、蓮矢の死角で、彼女は知依に向けて勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

口の動きだけでゆっくりと仕掛けた。――「白川・知依。ま・た・あ・な・た・の・負・け」

知依は雷に打たれたような衝撃を受け、これがまたしても心音の罠だと悟った。

「嫌……」

彼女の喉からかすれた嗚咽が漏れた。蓮矢に真実を伝えたかった。

蓮矢がようやく知依の方へ視線を向けた。

そこに同情の欠片もなく、あるのは嫌悪だけだった。

「女2人のうち、生かせるのは1人だけだと言ったな? 俺は心音を選んだ。あとは好きにしろ!」

知依が海へ投げ落とされた瞬間、波止場から心音の怯えたような声が微かに聞こえてきた。

「蓮矢、やっぱり私を選んじゃダメよ!だって白川さんこそがあなたの奥さんじゃない。もし彼女が本当に死んじゃったら、私、罪悪感で……」

だが、蓮矢は最後まで振り返ることもなく、腕の中の女を優しく慰めた。

「これはあいつが君に作った借りのせいだ。本当に死んだとしても自業自得だよ」

海水が頭の上まで達した瞬間、知依の心の中の憎しみも頂点に達した。

これが……祖父とも、三人の兄とも、絶縁してまで選んだ“素敵な夫”の正体なのか。

これが……夢を捨て、十年の青春を捧げて守ろうとした“理想の男”の本性なのか。

死の淵で、彼女の脳裏にはたった1つの思いだけが残っていた―― もし来世があるなら、絶対にあのクズ共に相応の代償を払わせてやる!

……

「白川知依!いつまで死んだふりをしてる気だ!」

激怒した怒鳴り声が、雷のように耳元で響き渡った。

知依は弾かれたように目を見開き、大きな口を開けて空気を吸い込んだ。

冷たい海水も、息が詰まるような絶望もない。鼻先をかすめたのは、嗅ぎ慣れたシダーウッドの香水の匂いだった。

目の前に蓮矢の姿が現れた。彼の口調は怒りに満ちていた。「白川知依、お前がずっと心音を妬んでいたのは知っている。彼女が帰国してからというもの、お前は事あるごとに彼女に嫌がらせをしてきた。だが、まさかこれほど性根が腐っているとは思いもしなかったぞ。彼女の食べ物に毒を盛るなんてな!」

知依は呆然とした。

(食べ物? 毒を盛る?)

この光景……この会話……

彼女は2年前に戻っていたのだ!

心音が初めて自作自演をし、彼女に意図的に毒を盛ったと濡れ衣を着せた、あの日に!

2

次の瞬間、鷹澤蓮矢は彼女の手首を鷲掴みにすると、冷たく言い放った。「すぐに俺と一緒に手術室へ来い!」

その力は恐ろしいほど強く、白川知依の手首を握り潰さんばかりだった。

知依は痛みに顔をしかめ、躊躇なく彼の手を振り払った。

「どうしてあなたと行かなきゃいけないの?」

蓮矢の目に、一瞬だけ驚きが走った。

知依と結婚して3年、彼は彼女の従順で控えめな姿にすっかり慣れきっていた。

彼女が自分に逆らったのは、これが初めてだった。

彼の口調は怒りに満ちていた。「どの口が理由を聞いている? お前が毒なんか盛らなければ、心音は腎不全で生死の境を彷徨ったりしなかった!張本人として、最後まで責任を取るのは当然だろう!」

彼女は冷笑しながら問い詰めた。「どう責任を取るの? 私を手術室に連れて行って、腎臓をえぐり出すってわけ?」

蓮矢は知依に考えを見透かされるとは思っていなかったが、自分に非があるとは微塵も思っていなかった。

「だからどうした? たかが腎臓1つだろうが。これはお前が彼女に作った借りのせいだ!おとなしく付いてこい!」

(私が森川心音に作った借り?)

蓮矢の答えを聞いて、知依はとてつもなく滑稽に感じた。

前世では、心音の度重なる罠に対し、蓮矢は常に彼女を庇い続けた。

かつては自分の努力が足りないから彼に誤解されるのだと思い込み、彼からの評価を変えようと、より一層身を粉にして尽くしてきた。

しかし、彼らに殺されるその日になってようやく、自分が完全に間違っていたことに気付いたのだ。

二度目の人生、二度と奴らに自分を傷つける隙など与えない。

彼女は冷たく拒絶した。「絶対に嫌よ!」

蓮矢は鼻で笑った。「お前の意思など関係ない!誰か、こいつを手術室へ連れて行け。すぐに適合検査を受けさせるんだ!」

蓮矢の号令とともに、何人もの屈強なボディーガードたちが即座に包囲した。

知依はこの見覚えのある顔ぶれを見つめた。前世でも、こいつらはこうして彼女をボロ雑巾のように引きずって手術室へ連れ込んだのだ。

しかし今回は、捕まるよりも早く知依は隙を見つけ、身を翻して走り出した。

前世の記憶を頼りに、彼女はあっという間に心音の病室を見つけ出し、ドアを力一杯蹴り開けた。

その頃の病室内。

心音はベッドに寄りかかり、小さな手鏡を持ちながら、丁寧に口紅を塗っていた。

バンッという轟音に心音が悲鳴を上げ、口紅が顔に痛々しい赤い線を引いた。

彼女は声を荒らげて罵った。「今忙しいから、誰にも邪魔するなって言ったでしょ!どこの目障りなクソ女が……」

言いかけて、心音は知依の姿を目にし、急に瞳孔を縮ませた。

「白川知依? あんた…… どうしてここにいるの!?」

今頃、手術室で腎臓を摘出されているはずの女が、なぜここに!?

彼女が状況を理解する間もなく、蓮矢とボディーガードたちも雪崩れ込んできた。

無傷な彼女の姿を見て、蓮矢は明らかに呆気にとられ、無意識に口を開いた。「心音?どうして目を覚ましているんだ?」

心音の顔色が一瞬で青ざめた。ここでようやく、今の自分は意識不明のふりをしているはずだったと思い出したのだ。

彼女は慌てて鏡を布団の中に隠すと、すぐさま弱々しい表情に切り替え、胸を押さえて激しく咳き込み始めた。

「ゲホッ、ゲホッ……蓮矢、すごく苦しい……」

しかし、今更取り繕っても手遅れだった。

知依はこれ以上ないほど皮肉げに笑った。「森川さん、あなたが危篤状態だって聞いて、危うく私の腎臓が1つ抉り出されるところだったのよ!なのにピンピンしてるじゃない。もしかして私を陥れるために、わざと死にそうなフリをしてたの?」

心音は顔を引きつらせたが、すぐに目元を赤くし、ポロポロと涙をこぼしてみせた。

「白川さん、何を言っているの? 私、全然分からないわ……さっき目を覚ましたばかりで、蓮矢にこんなやつれた顔を見せたくなくて、無理して身支度をしてただけなのに……どうして私があなたを陥れようとしてるなんて言うの?」

心音の可哀想な姿を見て、蓮矢も無意識に彼女を庇おうとした。

彼は声を荒らげて叱責した。「白川知依、いい加減にしろ!誰もがお前みたいに腹黒いと思っているのか? 心音は昔から心優しい女だ。お前を陥れる理由なんてあるわけがないだろう!」

3

「心根が優しい?」

白川知依は、まるでとんでもない冗談でも聞いたかのような顔をした。

彼女は勢いよく歩み寄り、心音の掛け布団をガバッとめくり上げた。

布団の中には、メイク道具一式だけでなく、まだ食べかけの高級そうなスイーツの箱まで隠されていた。

「鷹澤蓮矢、その節穴の目でよく見なさいよ!」

知依はそのスイーツの箱を指差し、声を荒げた。「これがあなたの言う『命の危機』なの? これが、私の腎臓を差し出してまで救わなきゃいけない命だって言うの? この女の命は尊くて、私の命は道端の雑草みたいに、いくらでも踏みにじっていいってわけ?」

蓮矢はスイーツの箱を見て何度か顔色を変え、その目に気まずさと苛立ちを走らせた。

心音は形勢が不利だと見るや、すぐに蓮矢の袖を掴み、可憐に涙をこぼして見せた。「蓮矢、私、知らない……。 お医者さんがどうしてあんなに深刻そうに言ったのか、本当に分からないの。きっと検査結果が間違っていたか、誰かがお医者さんを買収して私を陥れようとしたんだわ。私があなたを騙してるって思わせるために……」

節穴でもない限り、誰の目にも心音の三文芝居は明らかだった。

しかし、蓮矢はほんの少し沈黙しただけで、彼女を信じることを選んだ。

彼は眉をひそめて知依の方を向き、口を開いた。「誤解だったんだ、ドナー適合検査はキャンセルしよう。この件はこれでおしまいだ」

「これでおしまい?」

知依は怒りのあまり鼻で笑った。「鷹澤蓮矢、私が逃げ出すのが遅かったら、今頃私の腎臓は摘出されてたのよ!なのに、今さらすべて終わったことだなんて言えるわけ?」

「現に君は無傷じゃないか。 ただの誤解だろ。そこまで畳みかけなくてもいいだろう」

蓮矢は眉をひそめ、知依への不満をさらに募らせた。

「そんなに食い下がるってことは、見返りが欲しいんだろ? 郊外の別荘を君の名義にして、さらに10億円の小切手を切ってやる。それで十分だろう?」

だが、知依は冷笑した。「10億円がなんだっていうの?」

その言葉を聞き、蓮矢の心にたちまち嫌悪感がよぎった。知依がさらに多くを要求しているのだと察したからだ。

「じゃあ、他に何が欲しいんだ?」

次の瞬間、知依の冷ややかな声が病室中に響き渡った。

「私の求める見返りはすごくシンプルよ――離婚して。 今、この瞬間に、すぐにね!」

「離婚だと?」

蓮矢は、まるでバカげた冗談でも聞いたかのような顔をした。

結婚してからの3年間、蓮矢自身はもちろん、彼の周囲の友人たちも皆、知依が彼にベタ惚れであることを知っていた。

だからこそ、彼女は嫉妬に狂い、帰国した心音に何度も嫌がらせをしているのだと。

そんな彼女が、自分と別れられるわけがない。

蓮矢はすぐに思い当たったように、その瞳に濃い嘲りの色を浮かべた。

「白川知依、そんな安い駆け引き、いつまで続けるつもりだ? 心音が帰国してからというもの、君はずっと彼女を目の敵にして騒ぎを起こしてきた。挙句の果てに離婚騒動とは、笑わせる!」

「最後に1度だけ警告してやる。俺の忍耐にも限界がある。今すぐその言葉を撤回するなら、何もなかったことにしてやろう」

知依は、自分が絶対に離れていかないと高をくくっている彼の態度を見て、胃の腑から込み上げてくるような強烈な吐き気を覚えた。

「鷹澤蓮矢、あなた、人間の言葉が通じないのかしら?」

知依は背筋を伸ばし、彼の目を真っ直ぐに見据えた。

彼女は1文字1文字をはっきりと区切って言い放った。「もう1度言うわよ。私は、離婚する!」

知依の態度は、蓮矢をさらに苛立たせた。「俺と離婚する理由なんてあるのか?」

「理由? もちろん、あなたが目も節穴なら心も腐っていて、自分の妻を殺そうとしてまで性悪な泥棒猫を庇うからよ!あなたみたいな最低な男は、私の夫にふさわしくない!気持ち悪くてヘドが出るわ!」

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クズ夫と泥棒猫に殺されたので、死に戻って離婚届を叩きつけます!

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