話 1
世界の敵が、泣いていた。
「うっ、うっく、うう!」
晴れた天気の下、すすり泣く男の子がいる。頭上に広がる青空に反し彼の様子はしくしくと雨模様だ。塀に囲まれた家の裏庭では壁が影になっており、固い地面の上で少年は独りぼっちでうずくまっている。
ここには彼以外誰もない。心は荒れて、涙をいくら流しても。それでも彼を慰めようとする人はいない。
なぜなら。
この世界に彼の味方はいない。ずっと一人で、彼はいつも泣いていた。
しかしこの時、俯いていた視界に足が映り込んだ。少年は顔を上げてみると、そこには知らない子供がいた。
「うわあ!」
同い年くらいの白いワンピースを着た女の子だ。目の前の少女は金色の短い髪をしており、丸みのある瞳や体型は人形のように可愛らしかった。
「き、君は誰!?」
会ったことも見たこともない少女だ。親戚か、近くに住んでいる子だろうか。少年は聞き、問いに少女はワンピースの裾を持ち上げ小さく頭を下げた。
「はじめまして、|我が(わが)|主(あるじ)。私のなまえはミルフィアといいます」
「あ、初めまして。僕は|宮司神愛(みやじかみあ)っていいます」
ミルフィアと名乗る少女につられて|神愛(かみあ)も頭を下げる。なんとも礼儀正しい、というよりも大仰なあいさつに面食らってしまう。まるでお城の舞踏会で出会ったようだ。
「えっと、名前は分かったけど……。どうして僕の家にいるの?」
当然自分の家に知らない人がいればおかしい。やはり知らない親戚だろうか。それで|神愛(かみあ)は聞いてみたのだが、しかし。
彼女の答えは驚きのものだった。
「私があなたの|奴隷(どれい)だからです、主」
「奴隷!?」
眉が曲がる。突然の奴隷宣言。この少女はなにを言っているんだ?
「えっと、どうして君は僕の奴隷なの?」
「あなたが、いにしえの王だからです」
「え?」
唖然(あぜん)となる。反対に微笑むミルフィアの頬は可愛らしい。しかし話はまったくかみ合わない。
「えっと、ちょっと待って。ん? え!?」
考えてみたけど無駄だった。どういう意図で言っているのかさっぱり分からない。なにかの遊び? いたずらか、もしくは罰ゲームか? |神愛(かみあ)は誰か見ているんじゃないかと辺りを見渡してみたがここには二人以外誰もいない。
少女の言っていることは意味不明だが、しかしこれだけは確かに言える。
「ううん、僕はそんなんじゃないよ」
そんなことあってたまるか。そんな気分だ。
「いえ、|宮司(みやじ)|神愛(かみあ)。あなたこそが私が仕えるべき王なのです」
「そう言われても……」
真顔で言ったのだがミルフィアは否定する。かなりの強敵だ。|神愛(かみあ)は肩を落としつつ、彼女の青い目を見た。
「どうしてぼくが、いにしえ? の王様なの?」
「あなたが王だからです、わたしの主」
(いや、そうじゃなくて)
返ってくる答えが答えになっていない。
「僕が王様の理由を教えてよ」
「理由などありません。あなたは初めから王であり、わたしも初めからあなたの奴隷なのです」
そう言われてはお手上げだ。|神愛(かみあ)は「はあ」と呟く。
それでも自分が王ではないのは確かなので、|神愛(かみあ)は分かっていない少女を説得させようとする。だが、説明に移る前、嫌なことを思い出してしまい表情が暗くなった。
「僕は、そんなんじゃないよ。むしろ逆なんだ……」
|神愛(かみあ)はつい先ほどまで泣いていた。その理由が胸を重くする。
「知ってる? 僕たちが住んでいる世界とは別の世界に、三人の神様がいるんだって」
|神愛(かみあ)は目線を空へと向けた。雲一つないきれいな青空だが、見たいのは空の景色ではない。さらにその先、
――|天(てん)|上界(じょうかい)だった。
|天(てん)|上界(じょうかい)。それはこの世界、この宇宙のさらに先にある神の|居城(きょじょう)、神々の世界だ。そこには|三柱(みはしら)の神と呼ばれる三人の神がおり、人々が暮らす|天(てん)|下界(げかい)に神が創ったルールを設けている。
「だから、みんなは神さまが作った教えを守って生きている。みんなは生まれる前に、三人の神さまから一人を選んで生まれてくるんだって」
|神愛(かみあ)は説明する。それは|天(てん)|下界(げかい)の常識、ここでのあり方だ。|天(てん)|下界(げかい)にいる者はみな神の教えを信じ、信仰者と呼ばれている。|天下界(てんげかい)に生きる者は生まれた時から信仰者なのだ。
だが、|神愛(かみあ)のその言い方は、まるで他人事のようだった。
「でも、僕はそうじゃないんだ。神さまなんか知らない。僕だけがそうなんだ。だから友達もいないし、いつもみんなから駄目な奴だって言われてる……」
|神愛(かみあ)は落ち込み視線が空から地面に落ちる。自分の足元をじっと見つめ、悲しそうに目つきが細くなった。
無信仰者。それが神愛(かみあ)の泣いている原因だった。世界の敵。信仰者しかいない|天(てん)|下界(げかい)で無信仰者など最大の異物だ。許される存在じゃない。
生まれてきたこと自体が誤りの、誰とも相容れない者だった。
「そんなことはありません」
だが、聞こえてきた言葉に顔が上がる。そこには自信に満ちた表情のミルフィアがおり、神愛(かみあ)の悲しみを励ましていた。
「主は偉大な王です。あなたに、出来ないことなどありません」
「で、でも……」
ミルフィアの言葉に困ってしまう。自分が王であるはずがないし、そもそも、神愛(かみあ)が置かれている立場は王どころか普通の人よりもひどいのに。
「ぼく……、いじめられてるんだ」
再び視線が下がる。自分がいじめられていること、誰にも相談したことがない。唯一の無信仰者に味方などいるはずもなく、故に神愛(かみあ)は一人で泣いていた。
しかし、ミルフィアは駆け足で近寄ってきた。
「主が? そんな! それはいつですか?」
「え?」
ミルフィアは神愛(かみあ)の手を両手で握ってきたのだ。女の子に触られるなんてことは初めてでドキリとしてしまう。
「その、ついさっき」
「なにをされたのですか?」
「石を投げられた」
「だれにですか?」
「近所のこどもたちに」
「どこでですか?」
「公園だけど」
「分かりました」
ミルフィアは目つきをキツくすると歩き出した。いったいどこに? 果たしてなにをしに?
「殺してきます」
「ちょっと待ってぇえ!」
レッツ、ジャスティス!
やる気満々のミルフィアはキルゼムオールをしに公園と向かっていくが|神愛(かみあ)は慌てて掴んだ。
「あの、殺すって、もちろん冗談だよね?」
本気ではないだろうが一応確認しておく。そもそも女の子がそう簡単に人を殺しにいくとは考えづらいし、やろうとしても不可能だろうし。そのため冗談だと信じてはいるが。
「本気です」
本気だった!
「で、でも! どうやって殺すつもりなの?」
ミルフィアは|神愛(かみあ)と同じ子供だ。殺そうと思って殺せるものではないはずだが。
神愛(かみあ)はいろいろ考えてしまうが、ミルフィアの答えはまったく違うものだった。
「首を百八十度回して殺します」
「どうやってぇえええ!?」
どんな方法だよとツッコみたくなるが、それよりも、神愛(かみあ)はミルフィアの真剣な眼差しを見た。
「ミルフィア、人を殺すなんて駄目だよ!」
「しかし……」
|神愛(かみあ)は止めるがミルフィアは納得がいかないのか心配の目で見てくる。今後も神愛(かみあ)がいじめられるのではないか考えてくれているのだろう。
それは|神愛(かみあ)も嬉しいが、それとこれでは話が違う。
「ミルフィア、僕のために頑張ろうとするのは嬉しいけど、でも、人を殺すなんてしちゃ駄目だよ。ぜったいだ」
|神愛(かみあ)の言葉にミルフィアは意外そうな顔をした。だが、すぐに笑顔に変わると神愛(かみあ)の手から離れた。何をするかと思えば、その場に跪いたのだ。
「え、どうしたの?」
|神愛(かみあ)の困惑した声にも動じることなく、ミルフィアは片膝を地面につける。
彼女の表情は満足そうで、初めての命令を達成できることを喜んでいるように。右手を左胸に当て、主と|仰ぐ(あおぐ)|神愛(かみあ)へ言った。
「はい、わたしの主。あなたがそれを望むなら。わたしはあなたの奴隷。主が望むことならば、なんでもいたします」
初めて会った、しかも会ったばかりの少女が自分のために頭を下げている。大袈裟な言葉には動揺してしまうが、ミルフィアは本当に奴隷として振る舞ったのだ。
しかし、|神愛(かみあ)は奴隷が欲しいとは思わなかった。むしろ罪悪感を覚えてしまう。
そこで、|神愛(かみあ)は思い付いた。
「ね、ねえミルフィア!」
「はい、なんでしょうか主」
呼びかけにミルフィアが顔を上げる。
「奴隷じゃなくていいよ。その代りさ」
|神愛(かみあ)は、この子ならずっと抱いていた願いを叶えてくれると思ったのだ。
「僕と、友達になってよ!」
|神愛(かみあ)はずっと一人ぼっちだった。無信仰者の自分では友達になってくれる人は誰もいない。だから|神愛(かみあ)は奴隷ではなく、一緒に遊べる友達が欲しかったのだ。ずっと一人きりで生きてきた人生を、誰かと共に歩けるなら。それが神愛(かみあ)にとって最も幸せなことだ。
ようやく友達ができる。|神愛(かみあ)は笑顔で喜んだ。
しかし。
「それはなりません」
「え?」
聞こえてきた声に表情が凍る。彼女は今、なんと言った?
「主、あなたは偉大な王です。対して私はあなたの奴隷。ですので、友人にはなれません」
「なんで……」
当然友達になってくれると思っていただけに、その言葉は残酷だった。
友達ができる。ようやく、周りからいじめられ惨めな生活が変わる。それは|神愛(かみあ)にとってついに訪れた希望だった。
「なんでも、願いをきいてくれるんだよね!?」
「はい、それが主の望みなら」
「本当だよね!?」
「本当です」
「じゃあ、友達になってよ!」
「なりません」
しかし答えは先ほどと同じ。神愛(かみあ)の瞳から光が退いていく。
「私はあなたの奴隷。ですので、友人にはなれません」
「そんな……」
今まで感じたこともないがっかりした気持ちが胸を重くする。
そんな神愛(かみあ)の心を知ってか知らずか、ミルフィアは再び口にする。決意を込めて。
「わたしの主。私はあなたの奴隷。わたしは永遠にあなたのしもべです。あなたが望むことならば、わたしはなんでもいたします」
「だからさあ……」
少女からの|催促(さいそく)に、しかし|神愛(かみあ)は願いを言わなかった。すでに無駄だと知っているから。
自分の願いは叶わない。なんでも言うことをきいてくれる少女が目の前にいながら、胸に抱くたった一つの願いが叶わない。
「僕は、友達が欲しいだけなのに……」
呟きは無情にも空と消えてしまう。頬を撫でる穏やかな風だけが|神愛(かみあ)の心を|宥(なだ)めているようだった。
それから、数年の月日が流れた。
話 2
ここは白い空間だった。広い世界にはなにもない。まるで漂白された海中のようにあやふやだ。地面も空も、どっちが上下なのかも、それすら分からない。いや、そもそもこの場所にはそうした概念すらないのだろう。空間も、時間すらも。そうした概念を超越した次元の居場所。
ここにはなにもない。
ただし、一つの例外を除いて。
白い空間。そこに一人の、もとい一つの魂がやってきた。自分が何者かも分からぬ不確定な意識だ。なぜなら彼、もしくは彼女はまだ生まれていないのだから。
そこへ、突然魂を歓迎する声が現れた。
「ようこそいらっしゃいました。はじめまして。わたくしは人々が住まう世界、|天下界(てんげかい)の案内を務めさせていただいております、名もなき案内人にございます」
いきなりの声に魂は驚いた。意識がびくりと震える。そんな意識を落ち着かせるように、声は穏やかな口調で話しかけた。
「申し訳ありません、驚かせてしまいましたね。ですが緊張しなくても大丈夫です」
苦笑交じりに案内人は気さくに話しかけてくる。不安はあったが、どうやら悪い人ではなさそうだと魂は徐々に安心していった。
この声は何者か。そんなことは分からない。分かるはずもない。ただ、次元をいくつも超越した場所にいるのだ、ただ者ではないのだろう。
「突然のことに驚かれるでしょうが、実は、あなたはまだ生まれていないのです。魂の状態です。この世界には神が住まう|天(てん)上界(じょうかい)と、人々が住まう別の世界、|天(てん)下界(げかい)があります。そして、ここはその中間、|輪廻界(りんねかい)になります」
大丈夫ですか? と案内人は優しく声を掛けてくれるが、魂は当然困惑してしまう。
「あなたはまだ魂の状態なのです。人として生まれるためには|天下界(てんげかい)に行かねばなりませんので、これから|天下界(てんげかい)へと移動してもらいます。ですが、あなたが人として生まれ祝福されるその前に、選んで欲しいものがあるのです。いえ、怖がるようなものではございません。選んでいただきたいものとは、あなたが|天下界(てんげかい)で生きていく際の『|神理(しんり)』、要は信仰になります」
人として生まれる前に選ぶもの。
|神理(しんり)。神の|理(ことわり)と書くもの。それは果たしてどのようなものなのだろうか?
「輝かしい誕生を前にして言いにくいのですが、人生とは幸福ばかりではございません。ですが、人生の苦難に立たされた時、あなたの信仰が道を示してくれるでしょう。これは親や環境に左右されることなく、自分の意思でどの|神理(しんり)を信仰するか選択できる配慮なのです。あなたが選び、あなたが生き方を決めるのです」
何を信仰するか。それは生き方にとても影響してくる大事なことだ。習慣も、食事も、それは結婚まで関わってくるだろう。信仰に人生を左右されると言っても過言ではない。しかし、その大事なことを、親や環境によって決められてしまうこともある。その信仰を、生まれる前に決められるようだ。
「よろしいですか? では、どのような|神理(しんり)があるのかご案内をさせていただきます。|天上界(てんじょうかい)には|三柱(みはしら)の神がおり、選べる|神理(しんり)も三つとなっております」
案内人から今後の人生を決めるかもしれない、|神理(しんり)についての説明が始まった。
人生が始まる前の、最初の選択だ。
「第一の|神理(しんり)は、苦しんでいる者を皆が助ける思想。皆は一人のために。一人は皆のために。誰もが相手を助け思いやることで、苦しみはなくなり皆が幸せとなるでしょう」
それが第一の|神理(しんり)――|慈愛連立(じあいれんりつ)。
「第二の|神理(しんり)は、己を鍛え|強靭(きょうじん)な肉体と精神を身に付けることにより、感じる苦痛を無くす思想。誰もが強き者となることで、苦しみはなくなり皆が幸せとなるでしょう」
それが第二の|神理(しんり)――|琢磨追求(たくまついきゅう)。
「そして第三の|神理(しんり)が、己の内から苦痛を無くす思想。欲を捨て物事を達観することで、苦しみはなくなり皆が幸せとなるでしょう」
それが第三の|神理(しんり)――|無我無心(むがむしん)。
説明された三つの|神理(しんり)に魂は考える。
「これらが選べる三つの神理(しんり)となります。あなたに合った|神理(しんり)はどれでしょうか。どれも方向性は違えど、きっと役に立ってくれるはずです」
重要な選択なだけに答えに迷うが、魂は決断したようだ。
「お決まりになりましたか? 分かりました。それではこちらへどうぞ。これから|天下界(てんげかい)へと降りていただき、あなたの誕生となります。あなたの物語が始まるのです」
魂は導かれ引き寄せられていく。そして、まるで自身が落下していく感覚に襲われた。どこまで落ちていくのか分からないがそれはすぐに終わった。魂は肉体を得た実感と共に、誕生の産声を上げる。
「オギャア! オギャー!」
こうして|天下界(てんげかい)にまた一つ、新たな命が生まれたのだった。
「それでは、いってらっしゃいませ。あなたの人生に幸多きことを」
人生の、始まりだ。
話 3
|天下界(てんげかい)。それは|三柱(みはしら)の神による信仰が根付く世界。人は生まれながらに|神理(しんり)を信仰し生きていく。故にここには仲間外れというものはなく、必ずや自分と同じ信仰で結ばれる仲間がいる。神が創った|神理(しんり)を信仰することが、|天下界(てんげかい)に生きる者にとって目的であり幸せだった――
「――で、あるから自身の信仰に|精進(しょうじん)しましょう、か」
俺は学校のパンフレットを読んでいた。書いてある内容は以前読んだ教科書と同じだ。どこもかしこも信仰を精進しましょうとかそんなんばっかり。
見飽きたわ。
「ハン」
俺は、パンフレットをビリビリに破いてその場に投げ捨てた。
「知るかんなもん、自分の生き方くらい自分で決めさせろよ」
俺は顔を上げる。そこにはこれから入学する|神律(しんりつ)学園の校舎があった。全寮制の学校で基本的に信仰別にクラス分けがされている学校だ。
そして、今日はその入学式だ。
「ここが今度の学校か……」
俺、|宮司神愛(みやじかみあ)は面倒くさそうに黒髪を掻いた。
高等学校にあたる神律学園の正門に立ち、視線の向こうにはレンガで塗装された道。その奥にはコンクリート製の白い校舎が立っている。続く道の両側にはトンネルのように桜が咲いていた。春の陽気に桃色の校門、ザ、入学式って感じだ。
しかしここには俺以外だれもいない。それにはある事情があるのだが、ようは入学式はもう始まっており俺はこの時間に来る決まりだったのだ。
新しい学校を今一度見上げる。正直に言うと憂鬱だ。帰りたい。
「どうしよ、ほんとに帰ろうかな」
「あ、あのッ」
そんな時だった。背後から声を掛けられた。誰だろう、女の声だ。
しかし姿が見当たらない。
顔を右に左に動かすがやはり見当たらない。気のせいだったか?
「あの、こっちですこっち! 正面の下!」
下?
視線を下げる。するとずいぶん背の低い女の子が俺を見上げていた。小学生にも見える幼児体型で、白色の髪をツインテールにしてまとめている。二つの髪束は大きな耳のように垂れていた。
「どうしたんだ? なにか用か?」
可愛らしい瞳は愛嬌があるがなんだか不安そうな表情だ。
「そ、その、もしかして、君も遅刻さん組ですか?」
白色の少女が聞いてくる。
「あ、えっとー」
「よかった~。実は、ボクもなんですよぉ」
「違う、勝手に遅刻にすんな」
こちとら死ぬほど憂鬱な中ちゃんと目覚まし通りに起きてきたんだぞ。
「え、そうだったんですか?」
俺が言うと女の子は「うーん」と考え出し、思い付いたのか両手をポンと叩いた。
「じゃあ、教室が分からないとかですか? それならお手伝いしますよ!」
「はい?」
いや、そうでもないんだけど。
気持ちは嬉しいが俺は初めからこの時間に来る決まりだったんだよ。それを誤解したのか女の子は照れた笑みに変わっている。
「いや、そんなんじゃないから。別にいいって」
「遠慮しなくても大丈夫ですよ」
「遠慮じゃねえよ!」
「いや~、せっかく来たのに教室が分からないなんて。ププ、君もおっちょこちょいさんですね~」
「あああッ!?」
おい、こいつなんかムカつくぞ!
そんな感じで俺は反論するが、彼女は笑顔で言ってきた。
「でも大丈夫です! お手伝いするのがボクの信仰ですから!」
「信仰?」
瞬間、表情が固まった。
|神律(しんりつ)学園では制服と共に|腕章(わんしょう)を付けるのが義務になっている。そこには己の信仰を示す印が付いており、己を鍛える|琢磨追求(たくまついきゅう)は赤のスペード。心を無にする|無我無心(むがむしん)は緑のクローバー。そして、目の前の少女の腕章には、
(こいつ、|慈愛連立(じあいれんりつ)か)
人を助ける|慈愛連立(じあいれんりつ)である白のハートが誇らしく垂れていた。
|慈愛連立(じあいれんりつ)は困っている人を見かければ助ける|神理(しんり)だ。だから彼らは人を助けるし、それが分かっているからたいていの人は助けられる。
|慈愛連立(じあいれんりつ)の彼女は人助けができるのが嬉しそうにはしゃいでいた。
「ですから遠慮しなくて大丈夫ですよ。ボク、頑張りますから! えっと、あなたのお名前はなんですか? あ、信仰が分かればクラスも分かりますよね!」
少女はにこにこと頬を持ち上げ俺の腕章を覗いてきた。
直後「え」と小さな声を零して、表情から笑みが退いていく。
それを見るのが辛かった。
俺も自分の腕章を見つめてみる。
俺の腕章。そこには、何も描かれていなかった。生まれた時から信仰を持つ|天下界(てんげかい)の人々に、無地というのはあり得ない。
しかし、違うんだ。|天下界(てんげかい)にはたった一人の例外がいる。
少女が恐る恐る俺を見てくる。表情は驚いているのか怖がっているのか、小さな口は震えていた。
「もしかして、|宮司(みやじ)、|神愛(かみあ)……?」
俺は答えない。気まずくて目も合わせられない。
そうしていると女の子は大声を出して逃げ出していった。
「あ、あの、ごめんなさいぃい!」
「おい! 待てよ!」
「襲われるぅううう!」
「襲わねえよ!」
「殺されるぅううう!」
「殺さねえよ、おい!」
俺は呼び止めようとしたが彼女は猛ダッシュで校舎へと行ってしまった。伸ばした手が虚しい。正門前には俺だけが取り残されてしまった。
「……ちっ!」
舌打ちする。
「まったく、知ってたよ」
愚痴を地面に叩き付け、俺はその場を立ち去った。
その途中、脳裏に浮かんだ言葉があった。
――|無信仰者(イレギュラー)。
「……くそ!」
忌々しさに唇を噛む。
学校の中へと入り自分の教室を探す。廊下を歩いていくが、この棟の一階には学習室と特別教室、そして一つの教室しかなかったのでクラスはすぐに見つかった。
教室扉の上に掲げられた札には一年一組の文字。その札を見る目がどうしても嫌そうに曲がってしまう。
というのも、神律学園のクラス分けは基本的に信仰別によってされるが、成績が優秀な者を集めた特別進学クラスというのがある。ここでは信仰の区別なく、何かしらに秀でている分野があれば誰でも入れる。それがここ一組だ。
まさか、そんな場所に俺が入ることになるとはな。
|天下界(てんげかい)の例外、唯一の無信仰者。
それが俺だ。蔑称としてイレギュラーなんて呼ばれたりもする。
全ての人間が信仰者である|天下界(てんげかい)においてそれはあり得ない存在だった。俺だってどうして自分が無信仰者なのか知らねえよ。でも、無信仰という事実がどうしようもなく世界で孤立する。入学式に出られなかったのも、式が混乱しかねない、という学校側の判断からだった。
「はあ、マジ|憂鬱(ゆううつ)だ」
どうせ嫌な思いをするんだろうが、俺は仕方なく、せめてもの思いから教室の後ろから入室した。
中では説明会が始まるまで生徒が自由に過ごしていた。あちこちですでにグループができており、集まるメンバーには明確な共通点がある。
男子二人が腕相撲をしようと話し合っているのを、今も勉強に|勤(いそ)しむ女子が迷惑そうに抗議しているのは|琢磨追求(たくまついきゅう)の者たち。
反対に初対面の初々しさを出し、緊張しながら挨拶を行なっているのは|慈愛連立(じあいれんりつ)。
その二つを遠目に見ながら、落ち着いた様子で語り合っているのが|無我無心(むがむしん)。
皆が腕章を身に付けているため誰がどの信仰かは一目瞭然だ。
そして、印がない俺は無信仰者だと一発で分かるというわけだ。はあ、晒し者かよ。
俺は教室に入り自分の席を探す。見れば一番後ろにある窓際の席が空いていたのでそこに向かって歩き出した。
すると|和気藹々(わきあいあい)としていた場の空気が変わる。入学式にはいなかった生徒が来れば当然か。だが、ざわざわとした話し声が聞こえ初め腕章を付けている左腕が特に視線を感じる。
俺は表情をしかめどかっと座った。こういう時は無視だ無視、それに限る。俺は机に頬杖を突き、周りを意識しないよう窓から青空を見上げていた。
しかし、声というのはどうしようもなく聞こえてくる。
「ねえ、あれって」「やっぱり!?」「おいおい、マジかよ」「どうしてあんな奴が|特進(とくしん)に?」
「…………」
ちっ。いちいち言うなよ、聞こえてるんだよ。
「腕章に印がない。本当に無信仰なんだわ」「なんで|神理(しんり)を信仰しないんだ? 馬鹿か?」「理解出来ないな」
「…………」
窓から空を眺めて時間を潰すつもりだったが、やめだ。俺は周りを見渡して、最初に目が合った奴のところまで近づいていった。
「さっきからなに見てんだ、俺とにらめっこでもしたいのか?」
それで相手はすぐに目を|逸(そ)らした。
「ハッ、俺の勝ちだな」
自分の席に戻る。教室は一転して沈黙した。せっかくの入学式なのにお通夜みたいだ。でも気にしない、悪口が聞こえてくるよりマシだ。俺は不機嫌さを隠そうともせず座っていた。
「ん?」
すると|沈黙(ちんもく)を切り裂くように椅子を引きずる音が響いた。見れば女子の一人が立ち上がり俺の前まで近づいてくる。当然他の生徒の視線を集め、女子は俺の席の正面で立ち止まった。