話 1
今日、西園寺家の屋敷の内外は華やかに飾り付けられていた。
一人娘である西園寺美雪と、使用人の娘である桜井玲奈が、同じ日に嫁ぐことになったのだ。
美雪が両親と涙ながらの別れを交わしている。
一方、純白のウェディングドレスに身を包んだ玲奈は、少し離れた場所にぽつんと立っていた。整った顔立ちと美しい容姿を際立たせている。
すぐ横には、実の母であり西園寺家の使用人でもある桜井恵子がいる。 しかし、恵子の目は娘ではなく、涙ぐむ美雪に釘付けだ。慈愛に満ちたその眼差しは、まるで我が子を見るようだった。
今日は彼女の花嫁の日であるけれど、誰一人として気にかけていない。
玲奈の口元が、自嘲気味にゆがんだ。
「玲奈、お嬢様はもうすぐ出発されるわ。これからは以前のように、お嬢様のお世話をすることはできないのよ。早く跪いて、お嬢様にお別れを言いなさい!」母親の恵子は玲奈を見つめ、命令口調で言った。
玲奈の表情が曇る。
母親は幼い頃から自分には厳しく、その一方で美雪には手厚く尽くしてきた。
西園寺家が仕事を与えてくれたのだから、美雪の世話に全力を尽くすのは当然だと、母親はいつも言っていた。 玲奈に対しても、下働き同然に美雪に仕えるよう強いた。美雪が少しでも不機嫌になると、母親は玲奈に手を上げた。
幼い頃、玲奈には抵抗する力がなかった。だが今は違う。経済的にも自立し、どうにかして母を西園寺家から連れ出したいと考えている。しかし、母親はどうしても首を縦に振らず、相変わらず西園寺家の人々、特に美雪の世話に尽力していた。
まさか、自分の結婚式の日に、母親が美雪に跪けと命じるなど、玲奈は夢にも思わなかった。
玲奈が当然のように拒否すると、恵子はすぐに大声で罵り始めた。「玲奈、忘れたの?西園寺家がなければ、今のあなたはないのよ!結婚したからって、あなたは永遠に西園寺家の使用人なの! 西園寺のお嬢様は一生の恩人よ。あんたは一生、犬のように仕えなさい!」
周囲の招待客が、一斉に奇異な視線を向けてくる。
玲奈は血が頭に上るのを感じ、言いようのない屈辱と恥ずかしさに襲われた。
美雪は無言のまま立ち尽くし、何の反応も見せなかった。だが、その瞳の奥には、憎悪と妬みの色が、ちらりと揺らめいていた。
本来、使用人の娘に過ぎない玲奈を、お嬢様である美雪が気にする理由などない。しかし、玲奈は幼い頃から何事においても優秀で、美雪の輝きを幾度となく奪ってきた。
だからこそ、美雪の玲奈への憎しみは、とっくに骨髄にまで染み渡っていたのだ。
「お母さん、本当に私の実の母親なの?」 玲奈は恵子を見つめ、その瞳は失望に満ちていた。
恵子の目に一瞬、後ろめたさがよぎったが、声はさらに鋭く尖らせた。「私が苦労して産んだ子よ。何?玲奈、今さらお母さんが使用人だからって見下すつもり? えーん、皆さん見てちょうだい。私が長年育ててきた娘が、今や私をこんな風に扱うのよ!」
恵子は人前で泣きわめき、見事に全員の注目を集めた。
西園寺家の当主はこれ以上聞いていられず、低い声で叱責した。「今日はめでたい日だ、静かにしろ、そんな騒ぎで縁起を悪くするな!」
玲奈はこれ以上母親と口論する気にもなれず、踵を返して迎えのウェディングカーに乗り込んだ。
彼女は目を閉じ、心のざわめきを鎮めようと努める。
もうすぐ、藤原輝明に会える。せめて彼の前では、笑顔で向き合いたい。
輝明のことを思うと、玲奈は少しだけ心が軽くなった。
二人は大学で知り合った。当時恋愛に興味がなかった玲奈を、輝明は熱心に、そして粘り強く口説いた。ついにその誠意に負け、付き合うことを決めたのだった。
その時、もう一台のウェディングカーが玲奈の車の傍らを通り過ぎた。
玲奈は目を開け、美雪を乗せたその車を見つめ、複雑な表情を浮かべた。
西園寺家はこれまで美雪を溺愛してきたが、今回に限っては、彼女を政略結婚させることに同意した。結婚相手は、この街なら知らぬ者のない名家――伊東家の三男だ。
かつてはその名を聞くだけで戦慄を覚えるほどの傑物だったが、一年前の交通事故で顔に深い傷を負い、性格も残忍で気難しくなったという。さらに、男としての能力も失ったと囁かれている。
この結婚には式も挙げられず、伊東家が花嫁を直接送り届けることだけを要求した。
玲奈は、西園寺家が何としてでも美雪のためにこの縁談を破棄するだろうと思っていた。
それなのに、彼らは本当に、美雪が虎穴に入るのを黙って見ていた。
しかし、もうその全ては自分には関係のないことだ。
今日から、自分と西園寺家、そして西園寺美雪との間に、いかなる関わりもなくなるのだから。
昨夜はほとんど眠れなかったせいか、玲奈はすぐにうとうとと眠りに落ちた。
どれほどの時間が経っただろうか。玲奈が目を覚ますと、そこは薄暗い部屋の中だった。微かな光を通して、部屋の装飾が非常に豪華絢爛であることがぼんやりと見て取れる。
玲奈は困惑した。ここは輝明の家なのだろうか?
それよりまず、式場に行くはずでは?
まさか、輝明がサプライズを仕掛けてくれたのだろうか?
玲奈が疑問に思っていると、突然ドアが開いた。
一人の男が入ってくる。
薄暗い光の中、男の顔は見えない。だが、長身で屈強なその体格から放たれる、危険なオーラだけははっきりと感じた。
「あなたは誰?」玲奈はすぐに警戒して尋ねた。
相手は答えず、その長身の影が直接彼女をベッドに押し倒した。熱い吐息が耳元にかかり、身震いが走る。
反射的に押し返そうとする手を、男はいとも容易く掴んだ。
「伊東涼馬」
――伊東家の三男???
涼馬はそう言うと、彼女の唇に口づけを落とした。
話 2
「待ってください!私はあなたの妻ではありません!」桜井玲奈は驚き、すぐに口を開いた。
男は危険な笑みを浮かべ、その声には嫌悪感がにじんでいた。「西園寺家は我々伊東家から多くの恩恵を受けてきた。今になって、反故にするつもりか?」
「私は本当に西園寺美雪ではありません!」玲奈は必死に説明した。「私の名前は桜井玲奈です。西園寺美雪とは今日、同時に結婚式を挙げる予定でした。おそらく、花嫁を迎えに来る車を間違えたのだと思います」
そう言いながらも、玲奈の頭はすでにフル回転していた。
自分が乗ったのは、婚約者である藤原輝明の車だったはずだ。
一体どういうことなのか?
彼女の言葉を聞き、伊東涼馬は動きを止め、玲奈を上から下までじっくりと観察した。まるで猛獣が獲物を吟味するかのように、危険なオーラを放っている。
「西園寺家……奴らには代償を払わせる。 お前については、たとえ本当に桜井玲奈だったとしても、別にどうでもいい!」涼馬の声は氷のように冷たかった。言い終えると、彼は再び頭を下げ、彼女の唇を奪おうとした。
玲奈は驚き、すぐに手で彼の顔を覆った。肌が触れ合った瞬間、彼女は彼の異常な体温を感じ取った。
――この人、薬を盛られている!
「伊東様、私には婚約者がいます。このまま間違いを犯すわけにはいきません。ですが、あなたのその苦しみを和らげる手助けならできます!」玲奈は涼馬をまっすぐに見つめ、真剣に取引を持ちかけた。
涼馬は彼女を深く見つめた。玲奈はすぐに携帯していた鍼を取り出し、涼馬の急所となるツボに刺した。
ほんの一瞬で、涼馬は全身を灼き尽くすような熱がかなり和らいだのを感じた。
彼は玲奈を見つめ、その眼差しは複雑なものに変わった。
――この女は、こんな腕を持っていたのか?
玲奈はこの隙に立ち上がり、部屋の電気をつけた。
明かりが灯った瞬間、玲奈も涼馬の顔をはっきりと見て、息を呑んだ。
涼馬は顔の半分を覆う仮面をつけており、露出したもう半分の顔には、縦横に走る無数の傷跡が刻まれていた。
だが、玲奈の目にかかれば、それが本物の傷ではなく巧妙な偽装であることは、一目で見抜けた。
ならば、涼馬の本当の容貌は、きっとこの世のものとは思えないほど端正に違いない。
伊東涼馬は顔に傷を負ってなどいなかったのだ!
では、なぜ彼は仮面の下に真実の顔を隠し続けているのか。
「伊東さん、私と美雪は車を間違えたのかもしれません。婚約者が待っていますので、私はもう行かなければなりません」玲奈は焦って言った。
涼馬は嘲るような眼差しで彼女を見た。「つまり、大勢の人が見ている前で、お前も西園寺美雪も車を間違え、しかも今に至るまで誰からも連絡がないとでも言うのか?」
玲奈は彼の言葉の皮肉を理解した。痛いほど理解していた――その通りだ!
この時間なら、結婚式はとっくに始まっているはずだ。
自分が現れなければ、輝明は必死に自分を探し回るに違いない。
しかし、彼女の携帯電話は不気味なほど静まり返っており、メッセージ一つ届いていなかった。
玲奈の心臓に、鈍い痛みが走った。
涼馬は冷笑した。「どうしても自虐したいというのなら、様子を見に行けばいい!」
玲奈は弾かれたように部屋を飛び出し、豪奢なホールを抜けて玄関に向かった。一台のロールスロイスが静かに待機しており、彼女が迷わずそれに乗り込んだ。
玲奈は一言も発しなかったが、運転手は目的地を知っているかのように、そのまま結婚式が執り行われるホテルへと車を走らせた。
玲奈がエレベーターを降りると、ちょうど新郎の礼服に身を包んだ藤原輝明が、花嫁の控え室に入っていく後ろ姿が目に入った。
玲奈はすぐに早足で後を追った。
ドアのそばまで来たとき、室内から艶めかしい声が漏れ聞こえてきた。
「輝明、ようやく一緒になれたね。残念なのは、ちゃんとした結婚式が挙げられないことだけ」
「構わないさ、美雪。将来、必ず埋め合わせをするから」
続いて、嬌艶な喘ぎ声が響いた。
美雪は甘ったるい声で言った。「輝明、本当に玲奈を諦めたの?」
「フン、玲奈のような堅物で面白みのない女が、お前に敵うわけがない。今日の計画のためでなければ、とっくに別れていたさ」 輝明の声は、情欲に駆られて低く掠れていた。
玲奈はドアの隙間から、二人がソファに倒れ込み、熱烈にキスを交わしているのを見た!
これが、自分が知っているあの物腰柔らかで落ち着いた輝明だというのか?
玲奈は思わず一歩後ずさり、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けた!
美雪がさらに言った。「でも、玲奈はあなたの会社のためにたくさん尽くしたと聞いたわ。輝明、本当に彼女を捨てる気?」
「ハハ、玲奈は愛に飢えた女さ。少し優しくしてやれば、何でも尽くしてくれる。彼女が会社のためにやったことなんて、誰にでもできる雑務だ。あんな女は家で大人しく家事でもしてればいいんだよ。 美雪、お前は違う。優秀で美しく、しかもあの紫苑研究所の研究員だ。あいつはお前の足元にも及ばない!」 輝明はそう言いながら、美雪の服を脱がせていった。すぐに、部屋の中では裸の男女が絡み合う光景が繰り広げられた。
玲奈は心の痛みに耐え、携帯電話を取り出してこのすべてを録画した!
車に戻ると、玲奈は目を閉じた。
(藤原輝明……! あなたのために悲しむのは、これで最後だ!)
再び目を開けたとき、その眼差しは氷のように冷たく、そして澄み切っていた。
美雪が必死に輝明を誘惑したのは、伊東涼馬が再起不能の廃人だと思い込んでいたからに違いない。 もし彼女が今、伊東涼馬が廃人などではなかったと知れば、血の涙を流して後悔するだろう。
美雪は幼い頃から虚栄心が強く、自分を過大評価していた。
玲奈は伊東家に戻り、再び涼馬の部屋に入った。
男は卓に寄り、静かに酒を口にしていた。たとえ顔立ちは凄惨でも、その所作は気品に満ち、際立って優雅で、ふとした仕草の一つひとつに、由緒正しい名門の風格がにじみ出ていた。
「戻ったか?」涼馬の眼差しには、わずかな嘲りが含まれていた。
玲奈は迷いなく涼馬のそばに歩み寄り、不意に身をかがめて、彼の唇にキスを落とした。
涼馬の体は一瞬にして硬直した。
少女の体からは淡い桜の香りが漂い、その唇は柔らかかった。
涼馬が反応する間もなく、玲奈は彼の唇から離れた。
この至近距離での接触により、玲奈は涼馬の顔の傷跡が偽物であると確信した。
涼馬は低く魅力的な声で言った。「どうした?一度外に出ただけで、気が変わって俺に抱かれたくなったか?」
話 3
しかし、その眼差しにはどこか嘲るような色が宿っていた。
桜井玲奈は口を開いた。「伊東さん、あなたが本気で結婚したいわけではないことは分かっています。この縁談に応じたのは、きっと何か目的があるからでしょう。それなら、私たち、協力しませんか?」
伊東涼馬は、彼女の美しくも落ち着いた顔を見つめ、かすかな興味を抱いた。
これほど率直に協力を持ちかけてくる女性は、かつて存在しなかった。
「では、言ってみろ。俺と協力するだけの、お前に何ができる?」涼馬は冷たく傲慢な口調で問い質した。
「あなたには二人の兄がいます。あの事故の後、あなたは怪我が治っていないふりを続けている。家の中でも。 それはつまり、伊東家の中に決して信用できない人間が潜んでいるということ。そして私なら、その内偵役を引き受けられます」 玲奈は冷静に分析した。
彼女の言葉に、涼馬の眼差しはさらに深くなった。
(この女は、確かにますます面白くなってきた! この俺の完璧な偽装を、よりにもよって一目で見抜くとはな!)
「お前は一体、何者だ?」涼馬は玲奈をじっと見つめた。
玲奈は口元をわずかに上げ、答えた。「桜井玲奈です。西園寺家の使用人の娘です」
彼女は一片の怯えも見せず、涼馬の視線を受け止めた。
玲奈は、涼馬が先ほどの短い時間で自分の身元を調べ上げたに違いないと分かっていた。
だが、彼が自分を疑っても構わない。なぜなら、自分のさらに深い背景情報は、並の人間が調べられるものではないからだ。
しばらくして、涼馬は冷たい声で尋ねた。「では、お前の要求は何だ?」
玲奈は答えた。「私の要求は簡単です。私たちの、この形だけの婚姻関係を維持すること」
そこまで言って、玲奈の心に悲しみが込み上げてきた。
(そういうことだったのか。西園寺美雪が伊東家の三男に嫁ぐことになった時、母が少しも悲しんだり怒ったりしなかった理由が、今ならわかる。 きっと、この花嫁すり替えの企みを、母は最初から知っていたに違いない!)
もし自分が涼馬と結婚しなければ、母はきっと、利益と引き換えに自分を他の誰かに嫁がせようと、あらゆる手を尽くすだろう!
それならば、いっそこの男と一緒にいた方がいい。そうすれば、母も自分に手出しできなくなる。
時々、彼女は本当に疑うことがある。自分は本当に、母である桜井恵子の実の娘なのだろうか、と。
涼馬は何も言わなかったが、次の瞬間、突然玲奈を腕の中に引き寄せた。玲奈は驚いて声を上げた。
涼馬は玲奈の首筋に顔を埋めた。
玲奈は言った。「あ、あなた……」
涼馬は低い声で言った。「俺に協力して芝居を打つと言っただろう? さあ、今だ。何か声を出せ」
玲奈は、ドアの外でこそこそと動く気配を聞きつけた。伊東家の誰かが盗み聞きしているのだろうと察しがついた。
玲奈の顔は真っ赤になり、絞り出すように言った。「わ……私、そんなことできない」
「できない?あの藤原輝明という男と何年も付き合っていたんだろう。一度もなかったのか?」涼馬は疑わしげな目で彼女を見た。
玲奈の顔はさらに赤くなった。
涼馬は突然、彼女の首筋にキスをした。電流のような甘い痺れが全身を走り、玲奈は思わず甘い声を漏らした。
数分後、ドアの外の気配はようやく遠ざかった。その時の玲奈は、茹でたタコのように全身が真っ赤になっていた。
「今夜は、お前がベッドで寝ろ。俺はソファで寝る」 涼馬は平坦な口調で言った。
玲奈は少し落ち着きを取り戻し、身支度を整えると大きなベッドに横になった。ソファからは、まだ見知らぬ男の体温と気配がかすかに伝わってくる。おそらく一晩中眠れないだろうと覚悟していたが、意外にも、玲奈はそのまま深い眠りに落ちていった。
翌朝、玲奈が目を覚ますと、涼馬の姿は既に消えていた。
玲奈が階下へ降りると、豪華なリビングルームに数人の人が座っていた。その中の一人、年配のおばあさんが彼女を見ると、すぐににこやかに手招きした。「美雪、こっちへおいで!」
その場にいたもう一人の若い女性は玲奈を見ると、すぐに嘲るような口調で言った。「おばあ様、人違いですよ。この人は美雪お姉さんじゃありません。西園寺家の使用人の娘、桜井玲奈ですよ!」
伊東老夫人は玲奈をじっと見つめ、困惑したように言った。「どうして人違いだなんて言えるんだい?この子は若き日の西園寺雅子夫人に瓜二つじゃないか。この子が美雪に決まっている」