話 1
アルファであるカールのメスが私の肉を切り裂き、手術が始まろうとしていた。
その時、ポケットの中の電話が狂ったように震えだし、彼はたまらずそれに応答した。
「カール、死ぬ前にもう一度だけあなたに会いたい」
彼の義妹が、自殺を図ったのだ。
その知らせを聞いた時、私は手術台の上で、すでに腹部を切り開かれていた。
カールはメスを投げ捨て、アルファのアーサーに言った。
「私のルナの手術を頼む」
そう言うと、彼は背を向けて去っていった。
カールの後ろ姿を見つめながら、私の心臓は目に見えない手に鷲掴みにされたかのように、耐え難い痛みに襲われた。
私はこらえきれず、涙を流した。
次の瞬間、冷たいメスが再び私の皮膚に突き立てられた。
アルファのアーサーが冷ややかに口を開く。
「何を泣いている? 俺がいる、死にはしない」
…………
カシャン!
アルファのカールは、無言でメスを投げ捨てた。
突然、彼は手袋を脱ぎ捨て、ゴミ箱に放り込んだ。
「この手術は私にはできない。アーサーを呼んできてくれ」
彼の義妹ビアンカが自殺騒ぎを起こしてから二十分、常に沈着冷静だった私の伴侶は、ついに動揺を露わにした。
「カール、行かないで……」
私は弱々しく、懇願するように叫んだ。
傷口からは絶えず血が溢れ出している。
引き裂かれるような痛みも、心の痛みの万分の一にも及ばず、悲しみが頭の中を埋め尽くしていた。
彼は私の手術を緊急停止させ、皆に背を向け、冷静を装って「装備を解除」し始めた。
しかし、微かに震える手が彼の本心を露わにしていた。
彼はわずかに横を向き、複雑な眼差しで私を一瞥した。
彼の内にいる狼もまた、彼を慰留しようとしているようであった。
だが、眠ったふりをしている者を起こすことはできない。
カールが私を見捨てる決意を固めたことを、私は悟った。
私の伴侶は、私が最も彼を必要としている時に、彼の義妹を選んだのだ。
ビアンカに何かあれば、彼は狂わんばかりに心配する。
次の瞬間には彼女のそばへ飛んでいきたいと願うほどに。
それなのに、私は死にかけているというのに、彼は微塵も心配していない。
「アルファ、ルナ様の心拍数が非常に速く、緊張されています」
「このタイミングで離れても、本当によろしいのですか」
看護師の言葉も、カールを引き留めることはできなかった。
彼の去っていく後ろ姿を見つめていると、胸の奥にちりちりとした痛みが広がった。
私の内にいる狼も、絶えずくんくんと鳴いている。
カールの離脱は、目に見えない刃のように、彼に対する私のすべての信頼を断ち切った。
私は静かに看護師に言った。「大丈夫。手術は誰が執刀しても同じだから」
たとえ手術が成功したとしても、私とカールの関係が元に戻ることはないと分かっていた。
私の伴侶、私の愛する人は、私が最も助けを必要とした時に、去ることを選んだのだ。
手術室にいる誰もが、同情的な眼差しで私を見ていた。
私は無理に笑みを作るしかなかった。
ビアンカの存在が、遅かれ早かれ私とカールの関係を終わりへと導くことは、とっくに分かっていたはずだった。
瀕死のビアンカを放っておいて、私のために手術をすること。
そのような行為を、彼は受け入れられない。
そして私も、そのような人物の手に自分の命を委ねたいとは思わなかった。
手術室のドアが、音もなく開いた。
マスクをした長身の影が入ってくる。
彼は深い緑色の瞳を持ち、清潔な手術着を身にまとっていた。
彼はメスを受け取ると、冷酷で断固とした眼差しで私を見つめた。
銀光部族のアルファ、アーサーである。
手術室の外からカールの叫び声が聞こえた。「私のルナの手術を、頼んだぞ」
「もし今ビアンカのところへ行かなければ、私は一生後悔することになる」
「すまない、エリザベス。 アーサーの腕があれば、君の手術は問題なく成功するはずだ」
彼の言葉を聞きながら、私の涙は音もなく流れ落ちた。
私は目を開け、アーサーを見た。
彼は黙って私を見つめ、その瞳には確固たる意志が宿っていた。
私の心は次第に落ち着いていった。
おそらく、これは全て月の女神の采配なのだろう。
カールの正体を見極めさせてくれたのだ。
なんて情けないのだろう。
伴侶に見捨てられたくらいで、どうして泣いてしまうのか。
不意に、目の前に影が落ちた。
一本の冷たいメスが、私の皮膚に当てられる。
いつもは無口で冷たいアーサーが、淡々と口を開いた。
「何を泣いている。俺がいる、死にはしない」
話 2
手術は十時間に及んだ。
手術室から出た時には、すでに翌日の夕方になっていた。
窓の外では雨が降り始めている。
アーサーはずっとそばにいて、私の容態が安定するのを確認するまで離れなかった。
ゆっくりと目を開けると、そこは真っ白な病室だった。
体を起こそうとしたが、めまいに襲われた。
アーサーが慌てて私を支え、冷淡な声で言った。
「手術を終えたばかりだ、おとなしく寝ていろ」
私は頷いて体を横たえ、虚ろな目で天井を見つめた。
脳裏には、手術台でのあの光景が繰り返し再生されていた。
焦った様子で去っていくカールと、冷静に後を引き継いだアーサー。
私の心は、まるで二つに引き裂かれたかのようだった。
半分はカールへの絶望と怒り。
もう半分はアーサーへの感謝。
私はアーサーに感情を読み取られたくなくて、顔を背けた。
窓の外の雨音は次第に強くなり、まるで私の境遇を嘆き悲しんでいるかのようである。
カールはようやく私のことを思い出して連絡を寄越した。
それでも私の心は、わずかながらの安らぎを得た。
アーサーは私のスマートフォンの画面表示を見て、気を利かせて病室から出ていった。
カールからビデオ通話がかかってきたのは、麻酔が切れ始め、傷口の痛みが襲ってきた時だった。
ビデオ通話に出ると、活発で甘えたような女の声が聞こえてきた。
「ああ……気持ちいい……当たってる……」
これは何の音だ?
私が手術の苦しみを味わっている間に、カールは他の女を抱いていたというのか?
窓の外では雨筋がガラスを叩いていたが、私の指先の温度は、その雨よりも冷たかった。
体中が茨で覆われたかのように、ちくちくとした痛みが心まで広がっていく。
しかし、私の狼であるタリアは冷静だった。
「愛しい人、心配しないで。これは何かの間違いかもしれない」
タリアの言葉に、私の心は少しだけ落ち着きを取り戻した。
私は眉をひそめ、スマートフォンの画面を見つめる。
映像の背景は騒がしいバーの個室で、薄暗い光の中に、からかうような笑い声が満ちていた。
カメラはソファの中央に向けられており、私は息を呑んだ。
カールの膝の上に座っていたのは、彼が助けに駆けつけたはずの義妹、ビアンカだった。
ビアンカは体にフィットしたキャミソールドレスを身につけ、その髪はカールの肩に散らばっている。
彼女は両腕を彼の首に回し、体をわずかに揺らしながら、太ももの付け根でカールの股間を擦りつけていた。
服の上からとはいえ、その光景は吐き気を催させた。
カールの手は彼女の腰に置かれており、突き放そうとしているようにも見えたが、本当に力を込めてはいない。
周囲の人間がまだ叫んでいる。
「大冒険を選んだなら、あと十回擦りつけろ!」
ビアンカは蠱惑的に笑い、さらにカールに体を寄せた。
彼女の声がビデオ越しに聞こえてくる。
「お兄ちゃん、そんなに恥ずかしがらないでよ」
私の指は白くなるほど握りしめられ、先ほどまでのちくちくとした痺れが、突然鋭い痛みに変わった。
痛みが血管を伝って心臓へと突き刺さる。
私は勢いよく立ち上がった。
通話の向こう側でガサガサという音がし、カールがスマートフォンを取り上げたようだった。
彼の目はとろんとしており、体からはバーの酒の匂いがした。
ビアンカの匂いも混じっているかのようだ。
彼は頭を振って少し意識をはっきりさせた。
「エリザベス、具合はどうだ?」
彼は私の様子の異変に気づいた。
「君が考えているようなことじゃない。俺たちは『真実か挑戦か』ゲームをしていたんだ。彼女が挑戦を選んで……」
「彼女を助けに行ったんじゃなかったの? なぜバーにいるの」
ビアンカが彼の隣に割り込んできて、またしてもあのわざとらしい口調で大声で叫んだ。
「ごめんなさい、エリザベス。私、酔っぱらって変なことを言っちゃっただけなの」
「そしたらカールが血相を変えて私を探しに来てくれたのよ」
「彼のことはもう叱っておいたから」
「あなたの手術は終わったの? カール、たった今そのことを思い出したみたい」
「でも彼があなたのことを忘れちゃったのは、ただ私のことを心配してくれてたからなの。彼を責めたりしないわよね?」
これ以上は聞いていられなかった。
すぐにカールが彼女を引き離した。
「彼女の言うことは聞くな、エリザベス。俺も君を心配している」
「今の気分はどうだ?」
私は彼の顔についた口紅の跡を見つめ、静かに口を開いた。
「彼女、さっきあなたの股間を擦っていたの?」
カールの表情がこわばり、やがて苛立ちの色が浮かんだ。
「エリザベス、知っているだろう。ビアンカはただの妹だ」
「俺たちは子供の頃から一緒に育ったんだ。家族同士が少し親しくしたって、何が悪い?」
「ただのゲームじゃないか」
「何度もビアンカを敵視するのはやめてくれ。俺が愛しているのは君だけだ」
私だけを愛している?
愛している?
手術中の私を置き去りにするくせに?
手術が終わってからようやく私の心配を思い出すくせに?
それどころか、自殺のふりをした妹と酒を飲み、親密に触れ合っているくせに。
「どんな家族があなたの股間を擦り回すっていうの?」
「カール、あなたの言う『親しさ』が、私には理解できないのか、それともあなたが自分を騙しているだけなのか、どっちなの?」
私の眼差しは、私の心と同じくらい冷え切っていた。
私は問い質さずにはいられなかった。
カールが口を開く前に、彼の友人たちが先に口を挟んだ。
「おい、お前のルナはまだお前を縛り付けるのか?」
「ビアンカがお前の義妹だってことはみんな知ってる。彼女がビアンカにこんな仕打ちをするなんてひどいじゃないか」
「でも確かにビアンカはいい子だ。まるでお前のもう一人のルナみたいだな」
カールは自信を得たようで、傲慢な態度で私を見つめた。
「エリザベス、君は俺を問い詰めるべきじゃない」
「ゆっくり休め。良くなったら、また会いに行く」
彼の言葉は、ただでさえ痛む傷口を再び引き裂くかのようだった。
しかし、それ以上に私を苦しめたのは、カールが私に向けるその態度である。
「でも彼は浮気をしたわけじゃない、エリザベス」
私の狼も悲しみを感じていたが、それでも私をなだめようとした。
「カールと彼の義妹は何年も一緒に暮らしてきたのだから、彼女を気にかけるのも当然のことよ」
話 3
もちろん、カールが浮気をしたわけではないことは分かっている。
だが、彼の心の中では、私がビアンカの髪一本にも及ばない存在であることも知っている。
これは、精神的な裏切りだ。
痛みに、思わず体が震える。
カールの私への愛は、彼の口先だけのものであったと、私ははっきりと悟った。
彼は、本気で私を愛してなどいなかったのだ。
拳を固く握りしめ、爪が手のひらに食い込むに任せる。
痛みが、私を正気にさせてくれる。
どれほどの時間が経ったか、深く息を吸い込み、体の力を抜いた。
私は一つの決意をした。
カールに他に大切な人がいるのなら、私もまた「ルナ」の座を明け渡すべきだ。
カールによって切られた通話画面を見つめ、携帯電話を傍らに放り投げ、目を閉じた。
間もなく、背後から清冽な香りが漂ってきた。
慣れ親しんだその香りに、私の心は一瞬で安らいだ。
振り返ると、アーサーが月光の差し込む窓辺に立っていた。
彼の白衣の裾からは消毒液の匂いがかすかに香り、指先には薬瓶が一つ握られていた。
「鎮痛剤を持ってきた。錠剤が効き始めるまで二十分はかかる」
普段より少し低い彼の声。その視線は、私がシーツを握りしめる手の甲に注がれている。
「君は痛みに敏感だから、念のため持ってきたんだ」
その言葉が終わる頃、彼の香りがさらに濃くなり、まるで実体を持つかのように私の手首に絡みついた。
未だに鈍く痛んでいた腰のあたりが、不思議と和らいでいく。
私は複雑な思いでアーサーを見つめた。
何年も経つのに、彼は少しも変わっていなかった。
思わず身を引いたが、彼にそっと手首を掴まれた。
指先はひんやりと冷たいのに、その力は抗うことを許さなかった。
「知っているだろう、俺のフェロモンは痛みを和らげる。薬より早い」
彼は私の目をじっと見つめる。その瞳には、窓から差し込む月光が映り込んでいた。
「試してみるか?」
私はすぐに首を横に振り、指先でシーツを固く握りしめた。
「いいえ、薬が効くのを待つから」
彼の指の関節が、不意に固く締まる。モミの香りの中に、微かに苦いものが混じった気がした。
「何を恐れている? 俺のフェロモンを受け入れて、カールに知られるのが怖いのか?」
手を引こうとしたが、彼はさらに強く引き寄せ、私を半歩ほど自分の方へと近づけた。
月光が彼の整った顎のラインに落ち、どこか執着めいた影を映し出す。
「まだ彼のことを考えているのか?」
アーサーの息が、モミの香りのフェロモンと共に私の耳元を掠める。
「君は今、痛みで冷や汗をかくほどなのに、彼はそれを知っているのか?」
「彼を少し苦しませただけだ」
「君が今感じている痛みに比べれば、彼の心の痛みなど一万分の一にも満たない」
「アーサー!」
私は必死にもがいたが、手首は彼にきつく掴まれたままだ。
「やめて」
彼はふっと笑ったが、その笑みは目の奥にまで届いていなかった。
「そんなに確信しているのか?カールが君の運命の相手だと」
彼の親指が、私の手首の内側の皮膚をそっと撫でる。
そこには淡いピンク色の印があった。月の女神が見守る中、カールが私に刻んだ、ルナとしての刻印だ。
「もしかしたら……俺こそが君の『メイト』かもしれない」
その言葉に、私は一瞬で凍りつき、呼吸さえも止まった。
顔を上げると、彼の視線とぶつかる。その瞳には、無念と、探るような色、
そして私を不安にさせる真剣さが宿っていた。
アーサーは私の恩師の息子で、私たちは昔からの知り合いだった。
彼が私に寄せる想いは、決して隠されることはなかった。
それが、私が彼を避けるようになった理由でもあった。
私は深く息を吸い、力任せに彼の手を振りほどいた。
枕元まで後ずさり、震えながらも毅然とした声で言った。
「アーサー、もうそんなことは言わないで」
「月の女神が間違うはずがない。これはカールがくれた刻印で、紛れもない事実よ」
彼はその場に立ったまま動かなかった。モミの香りが次第に薄れ、月光だけが彼の影を長く長く伸ばしていた。
数秒後、彼は低く笑った。その声には、どこか苦々しさが隠されている。
「月の女神は間違うはずがない、か……」
私は彼に答えず、ただ鎮痛剤を素早く飲み下した。
彼に背を向けてベッドに倒れ込み、頭まですっぽりと布団を被った。
アーサーがなぜあんなことを言ったのか、私には分からなかった。
アーサーは去らず、私のそばに立ち、静かに私を見守っていた。
不思議なことに、彼がそばにいるだけで、私の体は久しぶりにずっと楽になった。
私の中の「狼」も、異常なほど静かになっていた。
眠りに落ちる直前、アーサーのため息が聞こえた。
「なぜ、俺を見てくれないんだ?」