話 1
神宮寺詩音、政界の名門に生まれた反逆のジャーナリスト。
唯一の逃げ場所は、一条怜との禁断の情事だった。
氷と理性でできた彫刻のような、冷徹なCEO。
彼は私を「美しい破滅」と呼んだ。彼のペントハウスの壁に閉じ込められた嵐、それが私だった。
でも、私たちの関係は嘘で塗り固められていた。
彼が私を「手懐けよう」としていたのは、別の女への恩返しのためだったと知ってしまった。
その女、白石華恋は、父の首席秘書官の娘。病的なほどか弱く、怜は彼女に返せないほどの恩義を感じていた。
彼は公の場で彼女を選び、私には見せたことのない優しさで彼女の涙を拭った。
彼は彼女を守り、擁護し、私がゴロツキに追い詰められた時でさえ、私を見捨てて彼女の元へ駆けつけた。
究極の裏切りは、彼が私を留置場に放り込み、暴行させたこと。「思い知らせる必要がある」と、蛇のように冷たい声で囁きながら。
そして、交通事故の瞬間、最後のとどめを刺された。
彼は一瞬の躊躇もなく華恋の前に身を投げ出し、その体で彼女を庇い、私をたった一人、迫りくる衝撃に晒した。
私は彼の愛する人ではなかった。切り捨てるべき負債だったのだ。
病院のベッドで、壊れた体で横たわりながら、私はようやく悟った。
私は彼の美しい破滅なんかじゃなかった。ただの道化だった。
だから、私にできる唯一のことをした。
彼の完璧な世界を焼き尽くし、私に平穏を約束してくれた心優しい億万長者からのプロポーズを受け入れ、新たな人生を歩み始めた。
私たちの愛の燃え殻を、置き去りにして。
第1章
神宮寺詩音という女は、矛盾そのものだった。
世間にとっての彼女は、政界の名門・神宮寺家に生まれた予測不能なワイルドカード。
彼女の記事が載るたび、父である神宮寺壮介大臣の心労は絶えなかった。
彼女は聡明で、反抗的で、そして時限爆弾のような存在だった。
だが、影の中では、東京の街を見下ろす無機質なペントハウスの静寂の中では、彼女は全くの別人だった。
そこでは、彼女は秘密であり、情熱であり、一条怜の世界という四つの壁に閉じ込められた嵐だった。
巨大テックセキュリティ企業「一条セキュリティ」のCEO、一条怜は、氷と理性でできた彫刻のような男だった。
その力は制御され、感情は固く閉ざされた金庫の中。
彼は私の家族が体現する全てでありながら、完全に独立した一人の男だった。
二人の情事は、燃え上がるように激しく、絶望的で、決して交わるはずのない二つの世界の衝突だった。
それが彼女の唯一の逃げ場所だった。
そして、それは終わろうとしていた。
詩音は彼のベッドに横たわり、床から天井まである窓から差し込む朝の光を浴びていた。
彼女は、父が成立させようとしている法案を頓挫させるため、ある男を破滅させる計画を立てていた。汚職にまみれた組合のボス。それは良い記事になる。そして、それは彼女自身の家族に対する宣戦布告でもあった。
彼女は身支度をする彼を見ていた。柔らかなコットンのシャツが、ぱりっと糊のきいた仕事用のシャツに変わっていく。その変身はいつも一瞬で、恋人の姿は消え、CEOがその場に現れる。
「行かないで」
静かな部屋に、彼女の言葉が懇願のように響いた。
彼は振り返らなかった。ただ、暗い窓に映る自分の姿を見て、ネクタイを締め直すだけ。
「7時から役員会議だ」
「キャンセルして」
彼はようやく振り返ったが、その表情は読み取れない。
「できないと知っているだろう」
その拒絶は、慣れ親しんだ痛みだった。彼女は彼がブリーフケースを手に取るのを見ていた。その動きは正確で無駄がない。別れのキスも、名残惜しそうな素振りもない。いつものことだった。
「怜さん」
彼女はもう一度試みた。胃のあたりが絶望で締め付けられる。
「後で話そう」
彼はそう言うと、行ってしまった。ドアがカチリと閉まり、広大で空虚な空間に彼女は一人取り残された。「後で」。彼の「後で」という約束は、決して姿を現さない亡霊だった。
部屋の冷気が骨身に染みた。彼女は待たなかった。自分のスマートフォンを掴み、父の首席秘書官に電話をかけた。彼女の声は硬く、明瞭だった。
「父に伝えて。受け入れる、と」
電話の向こうで、一瞬、衝撃を受けたような沈黙が流れた。
「……有栖川氏の提案を、受け入れるということですか?」
「ええ」
詩音は虚ろな目で言った。
「有栖川純との政略結婚。やります」
その提案は、数週間前からテーブルの上にあった。神宮寺大臣が、謎に包まれたIT業界の億万長者から巨額の選挙献金を引き出すための政略。それは取引であり、彼女はその商品だった。
「条件が一つある」
彼女は付け加えた。その声は低く、危険な響きを帯びていた。
「何なりと、詩音様。大臣はお喜びになります」
「今日中に発表してほしい。この午前中に。一時間以内にプレスリリースを出すようにして」
「もちろんです」
男は喜びのあまり、どもりながら答えた。
「お任せください」
彼女は電話を切った。決断の最終性が、死装束のように彼女にのしかかる。一つの檻から、別の檻へと移るだけだ。
荷物をまとめていると、ナイトテーブルに置かれたもう一台のスマートフォンが目に入った。怜の私用の端末。彼がこれを置いていくなんて、あり得ない。冷たい恐怖が彼女を襲った。彼女はそれを手に取った。画面に新しいメッセージが点灯する。
白石華恋からだった。
メッセージは単純で、見せかけのように甘ったるい。
「怜さん、大丈夫?彼女、一緒だったんでしょ。酷いことされなかった?」
華恋。父の首席秘書官のか弱く、子鹿のような瞳をした娘。怜が返せないほどの恩義を感じている女。数年前、怜のキャリアが始まる前に彼を破滅させたであろう企業スパイ事件の罪を、華恋が被ったのだ。それ以来、彼は彼女に借りがあり、華恋はその事実を外科手術のような精密さで利用していた。
詩音の脳裏に、一ヶ月前の出来事が蘇る。あるネタを追っている最中、情報源の警備員に暴行された時のことだ。痣だらけで震えながら怜の部屋のドアを叩いた。彼は冷たい論理の仮面をつけたまま彼女を見つめ、「次はもっと気をつけろ」と言っただけだった。痛むかと尋ねることさえしなかった。
だが、華恋に対しては、いつも心配があった。いつも優しい触れ方があった。
苦い味が口の中に広がった。彼女は服をひっかけると、無謀な計画が頭に浮かんだ。彼は役員会議のためにオフィスにいるはずだ。そこへ行って、彼を問い詰め、真実を自分の目で確かめる。
タクシーを拾うと、心臓が肋骨に激しく打ち付けられた。だが、一条セキュリティの超高層ビルに近づいた時、彼女は彼を見た。彼は会議になど出ていなかった。通りの向かいにある小さなカフェに入っていくところだった。
そして、彼は一人ではなかった。
白石華恋が、彼の腕に寄り添っていた。詩音は運転手に金を払い、車から滑り降りると、駐車されたバンの後ろに隠れた。カフェの窓越しに、二人を見つめた。
華恋は泣いていた。その繊細な顔は苦悩に満ちている。怜は身を乗り出し、珍しく柔らかな表情をしていた。詩音には聞こえない何かを言った。そして、彼は手を伸ばし、華恋の頬の涙を、親指で優しく拭った。
その仕草はあまりに優しく、親密で、まるで物理的な一撃のように感じられた。彼は一度だって、あんな風に優しく私に触れたことはなかった。
詩音の周りの世界が、鈍い轟音と共に色褪せていく。彼女の秘密の人生の土台、唯一本物だと思っていたものが、ガラガラと崩れ落ちていった。
父は私を売った。それは野心から生まれた裏切りであり、許せなくても理解はできた。父は二年前に、尊敬する男に「手懐けさせる」ために、手に負えない娘を差し出したのだ。「あいつに少し規律を教えてやってくれ」と、まるで手に負えないペットのように言った。
最初、彼女は全力で彼に抵抗した。彼のサーバーをハッキングし、彼の車を大破させ、彼のオフィスを百匹の黒猫で埋め尽くした。彼の氷のような自制心を打ち破るために、あらゆることをした。彼はその全てを、腹立たしいほど冷静に処理し、非難の一言もなく彼女の起こした混乱を片付けた。
転機は彼の誕生日に訪れた。彼を辱めるための些細な反抗として、彼女は彼のワインに薬を盛った。だが、薬は予期せぬ効果をもたらした。彼を眠らせるのではなく、彼の自制心の層を剥ぎ取り、生々しく無防備な彼を露わにしたのだ。その夜、混乱と欲望の靄の中で、彼は彼女を強く引き寄せ、それまで聞いたことのない感情のこもった荒々しい声で言った。彼は私を「美しい破滅」と呼んだ。
そして、その弱さを見せた瞬間に、私は彼に恋をした。完全に。
私たちの秘密の世界が生まれた。盗まれた夜と囁かれる秘密の世界。そこでは、権力者のCEOと反逆のジャーナリストが、裁かれることなく存在できた。彼は私を、反逆の下にある炎を、本当の意味で見てくれていると思っていた。彼はそのために私を愛してくれているのだと。
先月、彼が表彰される授賞式で、愛していると伝えようと計画していた。新しいドレスを買い、頭の中で何千回も言葉を練習した。
彼は現れなかった。
翌日、タブロイド紙は彼と華恋が高級レストランで食事をする写真で埋め尽くされていた。見出しはこうだ。「IT界の帝王・一条怜と慈善活動家・白石華恋、愛の再燃か?」
詩音は泥酔した。彼のペントハウスに行き、高価な花瓶を叩き割った。クリスタルの破片が、彼女の砕け散った希望のように床に散らばった。
彼がようやく現れた時、彼は彼女を見なかった。床の惨状を見ていた。
「清掃員に片付けさせる」
彼が言ったのはそれだけだった。
その瞬間、愛は死に始めた。今、華恋と一緒にいる彼が、私には決して見せなかった優しさで彼女の涙を拭うのを見ることは、最後の、致命的な一撃だった。それは彼が華恋に負っている借金だけの問題ではなかった。それは選択だった。そして彼は、一度たりとも、私を選んだことはなかった。
冷たく、硬い決意が彼女の心に宿った。私はもう、父のゲームの駒であるだけではない。怜のゲームの中でも、道化だったのだ。
彼女は窓から背を向け、神宮寺家の屋敷へと、確かな足取りで戻っていった。
書斎で父、神宮寺壮介大臣を見つけた。継母と華恋の母である恵美が、近くでうろついている。
「発表は済んだ」
壮介は珍しく笑みを浮かべて言った。
「有栖川との提携は素晴らしい一手だ、詩音」
「もう一つ条件がある」
彼女は感情のない声で言った。
彼の笑みが消えた。
「何だ?」
「勘当してほしい。公に。神宮寺の名前を私から剝奪して。私は神宮寺の人間としてではなく、ただの神宮寺詩音としてシアトルへ行く。この家からは何もいらない」
大臣は彼女を見つめた。その顔は信じられないという表情と怒りに満ちていた。しかし、恵美の目には勝利の光がちらついていた。
「馬鹿げたことを言うな」
壮介は唸った。
「そうかしら?」
詩音の唇が苦々しい笑みに歪んだ。
「それとも、あなたの野心の代償を思い出させているだけ?十年前、あなたが『不正に処理した』組合の年金基金のこと、覚えてる?あなたの最初の大きな選挙の直前に消えたやつ。私は覚えてる。記録も持ってる。私を勘当するか、それともあなたがどんな人間か、世間に知られるか」
彼の顔が青ざめ、そして怒りで赤くなった。彼は立ち上がり、まるで彼女を殴るかのように手を上げた。
「出て行け」
彼は震える声で吐き捨てた。
「お前はもう私の娘ではない」
「結構」
彼女はそう言って、去ろうとした。ドアにたどり着いた時、彼女は立ち止まった。
「それと、もう一つ、壮介さん。有栖川純の会社はデータセキュリティが専門よ。世界最先端のね。私なら、自分の秘密がどこに保管されているか、これからすごく気をつけるわ」
彼女は振り返ることなく出て行った。かつての自分の寝室に入り、ドアに鍵をかけると、ようやく崩れ落ちることができた。父からの愛の欠如と、計画的に心を打ち砕いた男への悲しみで、嗚咽が彼女の体を揺さぶった。怜から逃れるためだけに、彼女は自分の名前、家族、全アイデンティティを犠牲にしたのだ。
その夜遅く、最後の荷物を詰めていると、廊下で声が聞こえた。父の、温かく父親らしい声。それに続く、白石華恋の柔らかく甘い声。
「心配するな、お嬢さん。ここはいつだってお前の家だ」
詩音は凍りついた。ドアを少し開けて覗き込むと、父が華恋を、私の部屋の真向かいの部屋へと案内していた。母が亡くなってから、誰も触れることのなかった、母の部屋に。
彼は母の部屋を華恋に与えようとしていた。
冷たく、感覚を麻痺させるような静けさが詩音を包んだ。彼女は静かにドアを閉めた。ここにはもう、彼女のためのものは何もない。何も。
話 2
白石華恋は、まるで磁器の人形のようだった。完璧なブロンドのカールが滝のように流れ、瞳は大きく、無垢な青色をしていた。彼女が着ていたシンプルな白いドレスは、そよ風にさえ壊れてしまいそうな、彼女のか弱さを一層際立たせていた。
翌朝、廊下で詩音を見つけると、彼女は小さく、ためらいがちな笑みを浮かべた。
「詩音さん。本当にごめんなさい。私たち、友達になれたら嬉しいな」
詩音は何も言わなかった。ただ、自分の人生を巧みに解体した少女をじっと見つめた。
神宮寺大臣が華恋の後ろに現れ、愛情のこもった手を彼女の肩に置いた。
「華恋、お嬢さん、料理長にお前の好きなブルーベリーパンケーキを用意させたぞ」
彼は詩音が決して知ることのなかった温かさで、彼女に微笑みかけた。彼は自分の愛人の娘に、実の娘に一度も見せたことのない愛情を注いでいた。
そして、彼の視線が詩音に落ちると、その温かさは消え、冷たい苛立ちに変わった。
「お前の荷物がまだ部屋にあるぞ。言っただろう、これからは華恋がそこを使うと。使用人に命じて、荷物を客室棟に移させろ」
「嫌よ」
詩音は平坦な声で言った。
「何だと?」
父は顔を曇らせ、要求した。
「嫌だと言ったの。そこは母の部屋だった。彼女には渡さない」
「この家の主は私だ!」
彼は雷のように怒鳴った。
「言われた通りにしろ!お前は恩知らずのクソガキだ。だからこそ、嫁に出す必要があるんだ。有栖川純がお前を何とかしてくれるだろう」
華恋はびくりとし、まるで詩音の言葉が物理的な打撃であるかのように大臣の後ろに縮こまった。
「壮介さん、お願い、彼女に怒らないで。私のせいなの。私は客室でいいから」
「馬鹿なことを言うな」
大臣は彼女に振り返ると、即座に態度を和らげた。
「お前は最高の待遇を受けるに値する」
彼は詩音を睨みつけた。
「荷物を移せ。今すぐだ」
乾いた、笑えない笑いが詩音の唇から漏れた。
「わかったわ」
彼女は踵を返したが、向かったのは客室棟ではなく、玄関だった。
「どこへ行くつもりだ!」
彼は彼女の後ろから叫んだ。
「出て行くの」
彼女は振り返らずに言った。
「結婚式は二週間後だぞ!勝手に出て行けると思うな!」
「見てなさいよ」
彼女はドアのそばに置いていたスーツケースを掴んだ。
「結婚式にはシアトルにいるわ。それが私たちの取引だった。私は自分の約束は守る。でも、この家に留まって、あなたが愛人の娘と幸せな家族ごっこをするのを見るなんて、取引には含まれていない」
彼女は明るい朝日の中へと歩き出し、二度と振り返らなかった。神宮寺家という金色の檻は、ついに彼女の後ろに消えた。
彼女が最初に向かったのは、都内で最も高価なホテルだった。プレジデンシャルスイートを予約し、父が「裁量経費」に使う神宮寺家のメイン口座に請求を回した。
それから、彼女は買い物の嵐を巻き起こした。
値段が表示されていないような、最も高級なデザイナーブティックに足を踏み入れた。彼女は全てを買った。決して着ることのないガウン、決して履くことのない靴、小国が買えるほどの宝飾品。ブラックカードが切られるたびに、それは小さな反逆行為となり、父の政治資金という名の軍資金に向けられた毒矢となった。
その日の午後、父から電話がかかってきた。その声は怒りで震えていた。
「一体何を考えているんだ!三時間で一億円以上も使って!」
詩音はダイヤモンドのネックレスを吟味していた。そのファセットが光を捉える。
「私はあなたの娘よ。あなたの政治的利益のために、最高値で売られようとしている。新しい人生のための新しいワードローブくらい、権利があると思わない?」
「お前はもう私の娘ではない!自分でそう言っただろう!」
「ええ、そして一円残らずお返しするわ」
彼女は甘い声で言った。
「億万長者と結婚したらすぐにね。ローンだと思って」
彼が爆発する前に、彼女は電話を切った。彼女はさらに二日間、シルクとレザーとダイヤモンドの旋風を巻き起こし続けた。彼女の目標は単純だった。父の口座から流動資産の最後の一滴まで吸い上げ、彼の選挙戦で最も重要な資金調達期間の直前に、彼を窮地に陥れることだった。
三日目、彼女のスマートフォンにメッセージが点灯した。怜からだった。
「どこにいる?」
彼女の指が画面の上でためらった。彼女の中の、愚かで、馬鹿な部分が、この汚い話を全てぶちまけたいと願っていた。だが、彼女はその部分を殺した。
「結婚式の準備中よ」
彼女はそう打ち返した。
彼は返信しなかった。
翌朝、彼女が朝食を注文しようとすると、ホテルの支配人が、丁寧だが断固とした口調で、彼女のカードが利用停止になったことを告げた。父が口座を凍結したのだ。彼女は切り捨てられた。ホテルは丁重に、請求書の精算とスイートからの退去を要請した。
彼女は山のようなデザイナーブランドの服やバッグをタクシーに詰め込み、街の中心で降ろしてもらった。トランクには何千万円もの資産があるのに、ポケットには一円もなかった。
頑固で猛々しいプライドが、それを売ることを許さなかった。これはシアトルでの新しい人生のための鎧であり、復讐の持参金だった。一片たりとも手放すつもりはなかった。
夕暮れが迫る頃、彼女は自分の状況の厳しい現実に気づいた。権力者や有力者に囲まれた人生の中で、彼女は一度も本当の友人を作ったことがなかった。電話をかける相手は誰もいなかった。
彼女は結局、冷たい公園のベンチに座り、デザイナーブランドの荷物が要塞のように周りに積み上げられていた。シルクのドレスが、突き刺すような風に対して薄っぺらく感じられた。かつては彼女の遊び場だった街が、今では異質で敵意に満ちていた。
真夜中を過ぎた頃、酔っ払いの男たちの集団が、大声で威嚇的な笑い声を上げながら彼女の方へよろめいてきた。
「おやおや、こいつはなんだ」
そのうちの一人が、ろれつの回らない口調で言った。彼の目が彼女をなめ回すように見た。
「城を失くしたお姫様か」
詩音は立ち上がり、顎を高く上げた。
「あっちへ行って」
男は笑い、一歩近づいた。
「さもねえと?」
突然、滑らかな黒い車が縁石に停まった。ドアが開き、一条怜が降りてきた。彼は男たちを見なかった。ただ彼女だけを見ていた。その顔は、非難に満ちた暗雲のようだった。
酔っ払いの男たちは、彼の姿を見て瞬時に酔いが覚めた。怜にまとわりつく冷たく危険な力のオーラは、どんな武器よりも効果的だった。彼らはネズミのように散っていった。
怜は彼女の方へ歩いてきた。彼の視線が彼女の荷物、ドレス、公園のベンチをなめ回すように見た。
「これは何だ、詩音?」
彼は低い声で尋ねた。その声には、彼女が特定できない何かが混じっていた。それは心配ではなかった。それは…苛立ちだった。まるで彼女の窮状が、彼が対処せざるを得ない不都合であるかのように。
「何に見えるの?」
彼女はプライドを傷つけられ、言い返した。
「新鮮な空気を楽しんでるのよ」
「車に乗れ」
それは要求ではなかった。命令だった。
彼女は拒否したかった。華恋のところへ帰れと言いたかった。だが、体は震え、酔っ払いとの遭遇からの恐怖がまだ残っていた。彼女は疲れ果てていた。
無言で、彼女は車に乗った。彼の運転手が彼女の荷物をトランクに積み込み、彼らは縁石から離れた。彼女の短く、惨めな路上生活を後に。彼女は、息が詰まるほどの屈辱の波を感じた。彼に、逃げようとしていた唯一の男に救われることは、究極の敗北だった。
話 3
彼は彼女を自分のペントハウスに連れ戻した。ほんの数日前に彼女が逃げ出した、あのペントハウスだ。街の灯りが眼下に落ちた星の絨毯のように広がっていたが、今夜、それらは何の慰めも与えず、ただ目眩と喪失感をもたらすだけだった。
彼は運転中、一言も話さなかった。ただ彼女の隣に座り、その静かで陰鬱な存在が、車内を息苦しい緊張で満たしていた。到着すると、彼は彼女の荷物を自分で運んだ。その動きは効率的で、非人間的だった。彼はドアを開け、彼女に入るよう促した。
「マスターベッドルームを使え」
彼は平坦な声で言った。
それは、彼らが数え切れないほどの夜を過ごした部屋であり、彼らの秘密の情事の亡霊が宿る部屋だった。彼の裏切りの記憶が生々しい心で、あのベッドで一人で眠ることを考えると、耐えられなかった。
「ゲストルームにするわ」
彼女は意図した以上に冷たい声で言った。
「長くはいない。シアトルに行く手配ができるまでよ」
失望か、それとも苛立ちか、何かが彼の顔をよぎったが、すぐに仮面の下に隠された。
「好きにしろ」
彼女はゲストルームに閉じこもった。そこはホテルのような、小さく無機質な空間だった。彼女はベッドの端に座り、何もない壁を見つめながら、結婚式までの日数を数えた。あと十日。会ったこともない男のものになるまで、あと十日。それは死刑宣告のようでもあり、解放のようでもあった。
翌朝、キッチンで彼を見つけた。昨夜からの緊張が、まだ濃く、言葉にされずに空気中に漂っていた。
彼女はそれを破ることにした。
「あなたと華恋さん、ヨリを戻したの?」
彼女はコーヒーを注ぎながら、わざとさりげない声で尋ねた。
彼は彼女を見なかった。タブレットで経済ニュースを読み続けている。
「彼女が誰かは知っている」
その答えになっていない答えが、答えそのものだった。
「そうでしょうね」
詩音は苦々しい口調で言った。
「あなたにそんなに…恩義を感じている人がいるなんて、素敵でしょうね。いつもか弱くて、助けを必要としている、頼りになる人が」
彼はようやく顔を上げ、その目は冷たかった。
「華恋と俺には過去がある。複雑なんだ」
「あなたとのことは、何もかも複雑よ、怜さん」
彼はタブレットを置いた。
「彼女に近づくな、詩音。彼女はもう十分苦しんだ。お前に彼女を苦しませることはさせない」
その警告は明確だった。彼は華恋を守っていた。私から。
鋭く、もろい笑いが彼女の唇から漏れた。
「心配しないで。あなたの…複雑な過去の邪魔をするつもりはないわ。私には結婚式の計画があるんだから」
彼女はコーヒーを持ってゲストルームに戻った。その会話は、口の中に酸っぱい後味を残した。彼は華恋の周りに要塞を築き、詩音は完全にその外側にいた。
彼女は一日中部屋で過ごし、ペントハウスの静寂が彼女にのしかかってきた。その夜、彼女は眠れなかった。怜の癖を考え続けていた。彼がいつもベッドの左側で眠ること、彼の安定した呼吸音がかつては慰めだったこと。今、廊下の向こうの彼の部屋からの静寂は、彼がもはや彼女のものではないことを絶えず思い出させた。彼は彼女のことを考えていない。彼は彼女の様子を見に来ない。彼は義務感から彼女をここに連れてきたのであって、欲望からではなかった。
翌日、彼は招待状を持って彼女に近づいた。
「今夜、パーティーがある。俺の取引先の家でだ。お前にも来てほしい」
「どうして?」
彼女は疑わしげに尋ねた。
「お前がここで一人でふさぎ込んでいるのを見たくない」
この静かなアパートに閉じ込められてもう一晩過ごすことを考えると、息が詰まりそうだった。良心に反して、彼女は同意した。
「わかったわ」
パーティーは丘の上の豪華な邸宅で開かれ、街のエリートたちで埋め尽くされた華やかな催しだった。彼らが入っていくと、明るく歓迎的な笑顔の女性が近づいてきた。華恋だった。
「怜さん!来てくれたのね!」
彼女は叫び、彼の首に慣れ親しんだように腕を回した。彼女は身を引くと、その目が詩音に止まり、ほんの一瞬、笑顔が揺らいだ。
「あら。詩音さんも。来てたのね」
「こんにちは、華恋さん」
詩音は氷のような声で言った。
「二人とも来てくれて嬉しいわ」
華恋はすぐに立ち直って言った。
「ウェルカムホームパーティーなの。私のための」
詩音は床が足元から崩れ落ちるのを感じた。彼は彼女を、ライバルの帰還を祝うパーティーに連れてきたのだ。その屈辱は物理的な打撃となり、彼女の肺から空気を奪った。彼女は去ろうと振り返ったが、華恋の手が彼女の腕を掴んで止めた。
「お願い、行かないで」
華恋は偽りの心配を込めた声で言った。
「お父様に勘当されて、今、大変な思いをしているのは知っているわ。きっと途方に暮れているのよね」
彼女の言葉は、近くにいる人々に聞こえるくらいの大きさで話された。人々が振り返る。囁きが群衆の中に広がり始めた。
「私は大丈夫よ」
詩音は歯を食いしばって言った。
華恋の目に涙が浮かんだ。
「ああ、詩音さん、そんなに強がらなくてもいいのよ。私たち、色々あったけど、本当に助けになりたいと思っているの」
彼女は鼻をすすった。それは完璧で、繊細な音で、皆の同情を引いた。
「やめて」
詩音は我慢の限界に達し、吐き捨てた。
「私に怒らないで」
華恋はしくしく泣き、怜の方を向いて下唇を震わせた。
「怜さん、彼女、怖いの」
怜は前に進み出て、華恋の肩に慰めるように腕を回した。彼は詩音を見た。その目は失望で硬くなっていた。
「詩音。もうやめろ」
彼は泣きじゃくる華恋を連れて去り、詩音は裁くような視線の海の中に一人取り残された。彼女は彼が華恋に慰めの言葉を囁き、頭を彼女に近づけているのを見た。その光景は彼女の心に突き刺さる短剣だった。彼は一度も、あのような公の場での支持、あのような優しい保護を彼女に見せたことはなかった。世界にとって、そして彼にとって、彼女は悪役で、華恋は犠牲者だった。
彼女はついに理解した。彼が華恋を守っているのは、借金のためだけではなかった。彼は彼女を気にかけていた。おそらく、愛してさえいた。そして、彼女、詩音は、ただの気晴らしであり、彼がプライベートで手懐けるのを楽しむ「美しい破滅」であり、公の場で決して自分のものだと主張することのない存在だったのだ。
彼女がしがみついていた愛、暗闇の中で育んだ希望は、嘘だった。
彼女はバーに向かって歩き出した。その動きは硬く、ロボットのようだった。彼女には酒が必要だった。彼女をバラバラに引き裂こうとする痛みを麻痺させる必要があった。