1

「絵渡、長年うちで育ててきたのに……よくもこんな裏切りができたわね。もううちには置いておけない。出ていきなさい!」

目の前に立つ長谷川夫人は、品のある装いの裏にあからさまな嫌悪をにじませながら、絵渡を睨みつけていた。

「お母さん、違うの……私が階段から落ちたのは、自分の不注意のせいなの。お姉ちゃんは関係ないわ!」

ソファに座る少女が涙ぐみながら訴えた。膝には包帯が巻かれ、どこか儚げなその姿は、見る者の同情を誘う。

ほんの三十分前、長谷川家の本当の娘――恋夏は二階から階段を転げ落ちた。その場にいたのは絵渡ひとり。

誰もが彼女の仕業だと決めつけた。

一週間前、記者会見で「家族同然」と涙を見せていた長谷川家の人々は、今やまるで人が変わったように絵渡を責め立てている。

絵渡は俯いたまま、目の奥に嘲りの光を浮かべた。

――ついこのあいだまで、彼女は長谷川家の「たったひとりの娘」だった。 寵愛はされていなかったが、少なくとも衣食住に困ることはなかった。

だが、ある日、長谷川会長が倒れ、輸血が必要になったことで事態は一変する。家族全員が血液型の検査を受けた結果、絵渡は長谷川家の血を引いていないことが判明したのだ。 驚愕と混乱の中、長谷川会長はすぐにあらゆる人脈を使って真相を突き止め、本物の娘――恋夏を見つけ出した。

快川城でも名の知れた名家、長谷川家。だからこそ、あの騒動のことは瞬く間に広まった。もっとも、長谷川家は昔から世間体を気にする家だ。外にはこう言っていた――「これまで育ててきた娘ですから、すぐに手放すことなどできません。絵渡は、しばらくうちの娘として育てていきますよ」と。

だが実際のところは、世間の耳目が落ち着いた頃合いを見て、彼女をひっそりと元の家に戻すつもりだった。

本当の娘――恋夏が戻ってきてからは、長谷川家の空気は一変した。絵渡の存在こそが、恋夏をこれまで苦しめてきた元凶だと決めつけられたのだ。それ以来、絵渡はかつての自室を追われ、物置部屋に押し込まれた。

家事全般を一手に引き受けさせられ、掃除に洗濯、食事の支度まで。今では、使用人よりも扱いが悪い。

それでも恋夏は、絵渡の存在すら我慢ならなかった。

ここ数日、何度も罠を仕掛けては彼女を陥れようとした。

だが長谷川会長夫妻は、それを見て見ぬふり。どころか、絵渡に対する態度は日に日に冷たさを増していた。

絵渡は、この機に長谷川家の本性をはっきりと見極めた。もう黙って耐えるつもりはない。

顔を上げ、恋夏をまっすぐに見据える。「出ていくわ。でも、なにも知らないまま追い出されるなんてまっぴら。これまでずっと、あなたの代わりに汚名をかぶり続けてきたの。もう十分でしょ、恋夏!」

その鋭く冷ややかな眼差しに、恋夏の背筋がぞくりと震えた。

これがあの、いつも耐えてばかりいた絵渡……?

目の奥に、ねっとりとした陰が差す。

(この女……!)

真の長谷川家の娘は自分なのに、どうしてこいつが長谷川家の栄華を享受しているのか。

絶対にこの偽物を追い出してやるんだから。

恋夏は、何食わぬ顔でか細く訴えた。「お姉ちゃん、なに言ってるのか分からない……。 私、お姉ちゃんに嫌われてるのは知ってるよ。だって、私が戻ってきてから、パパとママの愛情を奪っちゃったみたいで……だから今までずっと我慢してきたの。でも、私の脚……。 ダンスが大好きなの、知ってたよね?どうしてそんなことを……。お姉ちゃんも踊るのが好きだったなら、無理に大会の枠を奪ったりしなかったのに……」

つまり、絵渡が自分を傷つけたのは、全国ダンス協会の大会出場枠を巡ってのことだ――そう言いたいのだった。

その言葉に、長谷川夫人の目にはますます嫌悪がにじむ。「恋夏、あなたには天から授かった才能があるのよ。あんな子とは比べものにならない。 大会の枠なんて、最初からあなたのものじゃないの!それに――絵渡、荷物をまとめて、今すぐ出ていきなさい!」

(絵渡って子は……まるで死人みたいな顔して、一体誰に見せてるのかしらね)

(やっぱり恋夏の方がずっといいわ。性格は素直で聞き分けもいいし、ダンスの才能だって申し分ない。これこそ私たちの娘よ)

黙って話を聞いていた長谷川会長が、深いため息をついた。そして静かに口を開く。「絵渡、元々は世間の目が落ち着いてから改めて送るつもりだったんだが……まさか恋夏にあんな悪意を向けるとは思わなかったよ。 今日、もう連れて行くことにした」

恋夏はその言葉を聞くと、目を輝かせて喜びをあらわにした。

だが絵渡は、表情ひとつ変えずにその場を離れ、荷物をまとめに向かった。

なかなか降りてこない彼女に、恋夏は不安を覗かせる。「まさか、全部持ってくつもりじゃないでしょうね……」

ここは長谷川家。すべて自分のものだ。偽物に好き勝手されてたまるものか。

そんなとき、ちょうど絵渡が階下に現れた。彼女の背には黒いバッグひとつ。それだけで、もともと透き通るように白い肌がさらに際立ち、視線を向けるだけで、くっきりとした黒と白の対比が目を射抜く。その眼差しに射すくめられ、長谷川会長はとっさに視線を逸らした。なぜか胸の奥がざわつく。

そんな様子をよそに、長谷川夫人は眉をひそめた。(……少なすぎじゃない?) 「何を持っていくつもりなのかしら、ちょっと見せてくれる?」

「もういいわ、持っていかせなさい」長谷川会長が制した。仮にカードを持って行っても、自分が渡したものは一枚だけ、それもせいぜい200万円程度だ。

だが絵渡は無言のまま、バッグをテーブルに置き、きっぱりと言い放った。「どうぞ、調べて」

「どうせ、何か高価な物でも……」長谷川夫人は鼻で笑いながらバッグを開けたが、目に入ったのは、ノート一冊、数粒の種、そして少しばかりの現金だけだった。 カードさえ一枚も持っていっていない。悔しさと恥ずかしさをごまかすように、背筋を正して言う。「……運転手に送らせるわ」

長谷川会長は面白くなさそうに目を細め、カードを一枚差し出した。「絵渡、家に戻ったらご両親の言うことをよく聞くんだ。あの人たちは田舎で農業をしているけど、素朴で誠実な人たちだ。しっかり支えてやりなさい」

絵渡は、整った眉目を微動だにさせず、そのカードをきっぱりと断った。「人にはそれぞれの運命があります。けれど私は、曖昧なまま去るつもりはありません。恋夏、あなたはどうやって階段を下りたのか――これが最後の機会。自分で説明しなさい」

恋夏が最も嫌っているのは、どんな時でも揺らがないこの女の態度だった。まるで、生まれつき自分より高みにいるとでも言わんばかりに。

偽の令嬢のくせに。

ただの農民の娘のくせに!

「お姉ちゃん、どういう意味よ?まさか自分で落ちたって言いたいわけ? これは、私の脚よ?一番大事にしてる脚なのよ?もし本当にケガでもしたら、これからどうやって踊るのよ!」恋夏は声を張り上げて泣き出し、「うっ」と母親の胸にすがりついた。

「ガシャン!」

突然、花瓶がひとつ、鋭く彼女のすぐそばに叩きつけられた。その音に驚いた恋夏は、反射的に立ち上がってしまう。

その瞬間――部屋の全員が固まった。長谷川夫人も、長谷川会長も、目を見開いて彼女を見ていた。

……ケガして立てないんじゃなかったのか?ついさっきまで、寝たきりだって言ってたのに。

2

恋夏がようやく我に返ると、背筋に冷たいものが走った。次の瞬間、ソファに崩れ落ちるように倒れ込み、「ああ、痛い……足が……!」と呻いた。

だが、長谷川会長の第一声は怒声ではなく、どこか後ろめたさを滲ませたものだった。「絵渡、お前の妹はまだ子どもなんだ。今回だけは大目に見てやってくれ...」

最近、こればかり聞かされていた。もううんざりだった。

「もちろん。犬に噛まれたからって、こっちも噛み返すほど野蛮じゃないわ。……まあ、犬を叩くにも飼い主の顔を伺うわよね?」

絵渡は鼻先で笑うと、鞄をきっちり閉じ、背を向けた。

あまりにも毅然としたその背中に、三人の顔色が一瞬で凍りついた

玄関にはすでに運転手が待機していたが、中の揉め事までは知らない。絵渡が無言で通り過ぎても、一礼すらしなかった。恋夏が戻ってきてからというもの、家の使用人たちも、彼女をただの「養女」としか見なくなったのだ。

絵渡は運転手に目もくれず、そのまま外へ出ていく。

慌てた様子で運転手が声をかける。「お嬢様、会長がお送りするようにと……!」

「結構。これからは長谷川家とは、一切関係ないから」

その言葉を冷たく言い放つと、彼女は長谷川会長から送られてきた住所を頼りに、自らタクシーを拾った。

これは、ひどく時代遅れな郊外の村だった。

絵渡は、ようやく辿り着いた“実の両親”の家の前に立っていた。

壁は崩れかけ、屋根は傾き、家の中からはかすかに泣き声が漏れてくる。

絵渡は一歩踏み出し、戸口をくぐった。中には、想像とはまるで違う光景が広がっていた。

質素な農村の空気にそぐわぬ、端正なスーツに身を包んだ男が立っていた。屈強なボディーガードを連れている。その男と、涙を流す農民夫婦との対比が、あまりにも鮮烈だった。

唖然とする絵渡の目の前で、そのスーツの男が彼女を見た途端、目を潤ませた。そして、次の瞬間、彼は力強く絵渡を抱きしめた。

「娘……本当に君なのか?本当に生きていてくれたんだな……!」大きくて威厳のある男の声には、抑えきれないほどの震えがあった。

絵渡は、混乱したまま立ち尽くした。

この見知らぬ男は、なぜ自分をそう呼ぶのだろう?

農夫の夫婦が顔を上げ、目を潤ませながら彼女を見つめている。堪えきれず、絵渡は問いかけた。「……お父さん、お母さん、どういうこと?」

「絵渡……お前は、私たちの子じゃないんだ」 農夫の男は、深いため息をついて口を開いた。「恋夏は確かに長谷川家の子だ。でも……お前は、私たちが産んだ子じゃなかった。 本当の子は……死産だったんだよ。 そして、この方が……お前の、本当のお父さんだ」

絵渡は、スーツ姿の男に視線を向けた。その眉の形や目元の雰囲気が、自分とどこか似ている。

男は一通の親子鑑定書を取り出した。「絵渡、病院で君を偶然見かけたとき、なぜだかすごく見覚えがあって。でもその時は、まさかと思って気に留めなかった。ところが後になって、長谷川家が“本物の令嬢”を見つけたって話を聞いてね……。もしかして君と僕の間に何かあるんじゃないかって思って、こっそり鑑定を取ったんだ。これを見てほしい。君は、僕たちの娘だったんだよ!」

絵渡はゆっくりと鑑定書を開いた。――まさか、本当だったのか!。

いや、鑑定などなくても、二人が並んで立っているだけで分かる。顔立ちの随所に、血のつながりがにじみ出ていた。

絵渡は、ただ沈黙していた。

この事実は、あまりにも突然だった。

ようやく本当の家族に出会えたと思った矢先に、さらに真実が覆るとは――。

「絵渡、君の気持ちは痛いほど分かる。けれど、これが現実なんだ。 当時、うちの夫婦が同じ病院で出産していて、看護師の不注意で三人の赤ん坊が入れ替わってしまった。 農村のご夫婦の赤ちゃんがうちに来て、君は長谷川家に。恋夏は、農村の家に引き取られていた」

「君が生まれてすぐに亡くなったと、私も母さんもそう信じていたんだ」男は静かに、けれどしっかりと語りかけてきた。「母さんがどれほど苦しんできたか、君には想像もつかないだろう。今、彼女はホテルで君を待ってるよ」

男の真摯で熱のこもった眼差しに、絵渡の心がふっと揺れた。小さくうなずき、農村の夫婦の方へ視線を向ける。

男が言った。「当時のことは本当に予想外だった。あの人たちもまた被害者だ。こちらから補償はさせてもらうつもりだよ」

「補償なんていらん。真実を知れただけで、十分だ」 だが、農民の男は首を横に振った。

今となっては、この二人が悪いとは思えなくなっていた。だが、それと同時にこの子には愛想を尽かしたよ。自分たちは貧しかったが、恋夏にはできる限りのことをしてきた。なのにあの子は、本当の親が見つかった途端、電話すら寄こさなくなった。

「もう帰りなさい。一家でやっと再会できたんだろ?こんなとこで時間つぶしてる場合じゃない」 そう言って、農民は彼らを門の外まで見送った。

絵渡は男とともに車に乗り込む。

ロールスロイス。

(……ふむ、親って案外お金持ちだったんだ)

横を見ると、男が柔らかく微笑んでいた。「絵渡。私は中島哲夫、君の父親だ。これからは、何かあったら遠慮なく父さんに頼っていい。わかったね?」

(中島グループの会長――快川城一の大富豪?)

ただの金持ちどころじゃない。

絵渡は静かにうなずいた。

……

四季ホテル。

快川城でも最高級とされる五つ星ホテルである。

恋夏はシャネルのワンピースに着替え、優雅な足取りで両親とともにホテルのロビーへと入っていった。

つい先ほど、長谷川夫人のもとに一本の電話がかかってきた。

全国ダンス協会の副会長・中島さんが快川城に到着したというのだ。今回の全国大会では彼女が審査員を務めるらしい。 もし弟子入りし、直接指導を受けることができれば、恋夏の優勝はますます確実なものになるだろう。

その一報を受けて、長谷川夫人はすぐに恋夏に着替えを命じ、慌ただしくホテルへと駆けつけた。だが、そこで思いがけず視界に飛び込んできたのは、見覚えのある人影だった。

シンプルなTシャツにジーンズ姿。けれど、纏う空気はどこか気品に満ちている。

隣にはスーツ姿の男性が寄り添っていた。洗練された雰囲気を漂わせているが、その顔ははっきり見えない。

「……絵渡。なんであの子がここに?」長谷川夫人の表情がわずかに曇った。

3

「中島さんがここに来たって話、もうどこかから漏れちゃったみたい。お姉ちゃんもきっと彼女に弟子入りしたくて来たんでしょ?」 長谷川恋夏は無垢な顔で、か弱そうな声を出した。「中島さんはまだ、お姉ちゃんが追い出されたって知らないんじゃないかな?そうしたら、これからは私もお姉ちゃんも彼女の生徒ってことだよね!」

長谷川夫人の顔は、これ以上ないほど険しくなった。

彼女は大股で前に出て、絵渡の行く手を阻もうとしたが、絵渡はそのまま四季ホテルの中でも最上級の個室――翡翠の間――に向かって歩いていった。

(翡翠の間に?一体何のつもり?)長谷川夫人の心に疑念が湧いた。あの部屋は、特別な来賓しか使えない空間なのだ。

「お姉ちゃん、あんな部屋に入るの!?」 長谷川恋夏もまた目を丸くした。「あそこって、普通の人が使える場所じゃないよ? やっぱりお姉ちゃんすごいなぁ。付き合ってる人もみんな一流なんだろうね」

「何が付き合ってる人よ!」長谷川夫人が怒鳴った。「このクソ娘……まさか貧乏暮らしに耐えられなくて、金ヅルの男でも釣ったんじゃないの?

それならもう……長谷川家の面汚しにもほどがあるわ!」

長谷川夫人は内心吐き気を催していたが、それどころではなかった。慌てて中島さんに電話をかける。

「申し訳ありません、急用ができまして」冷ややかな返事が返ってきたかと思うと、すぐに通話は切られた。

長谷川恋夏の心は奈落の底に突き落とされ、思わず顔を覆って泣き出してしまう。

長谷川会長はそんな彼女を慰めるように、「また次の機会がある」と声をかけるしかなかった。

一方その頃、電話を切った中島さんは、ソファに背筋を伸ばして座っていた。

彼女の兄――中島会長が突然家族を集めたのは、行方不明だった娘がようやく見つかったからだった。

「お姉ちゃん、外でずっと苦労してきたんでしょうね」

隣に座る少女が口を開く。整った顔立ちに上品なメイク、高級なドレスに身を包み、まさに名家の令嬢そのもの。しかし、その眉目にはかすかな憂いが宿っていた。

恭理の心がふっと和らぐ。「聞くところによると、育ての両親には大切にされていたらしいわ。そこまで苦労はなかったかもしれない」

玲暖は素直にうなずき、純粋な声で言う。「お姉ちゃんには、精一杯優しくしなくちゃいけませんね」

恭理は彼女の髪を優しく撫で、その目に慈愛と満足の色を浮かべた。

――さすがは自慢の弟子。 玲暖は中島家の養女だが、心が広くて純真無垢。実の娘が戻ってきても、自分の居場所が脅かされることなど微塵も気にしていない。

だが、艶やかなチャイナドレスに身を包んだ中島夫人だけは、どこか様子が違っていた。まるで何かに取り憑かれたように、玄関の方をじっと見つめて動かない。

その姿を見た玲暖の胸に、ふと奇妙な違和感が浮かび上がった。

ようやく扉が開いた――

運転手が入ってくる。

そのあとを、少女が歩み出た。辺鄙な田舎で育った娘ならば、地味でやつれていても不思議ではない。だが、彼女の肌はまるで光を宿したように透き通っており、白く輝いていた。冷ややかで整った顔立ちは、中島夫人と五分六分ほど似ている。

玲暖は胸の奥がわずかにざわついた。

「うちの子……!」

中島夫人は堪えきれず、駆け寄ってその細い体を抱きしめた。涙で声も出せない、胸の奥から込み上げてくる。

絵渡は一瞬戸惑い、過剰な熱情にたじろぎながらも、そっと彼女の背を軽く叩いた。

それでも――その温もりの奥に、血の繋がりが確かに感じられた。

これが……家族というものなのか。

「まずは絵渡に座ってもらおう」 哲夫が穏やかに言った。

中島夫人は絵渡の隣にぴたりと寄り添い、涙を堪えながらも、嗄れた声で言った。「絵渡……ごめんね。お母さん、今まであなたを見つけられなかった。外で、きっとたくさん辛い思いをしたでしょう」

「……別に、平気だったよ」 温かな涙が絵渡の手の甲にぽたりと落ちる。それを見て、むしろ彼女のほうが戸惑った。昔から、押されるよりも押し返されるほうが性に合っていた。まさか自分のことで、こんなふうに泣く人がいるなんて。「もう、泣かないで。お母さん。こうして、戻ってきたじゃない」

その一言の「お母さん」に、中島夫人はぱっと顔を輝かせた。「そうよ、帰ってきたのね。お母さん、これからは必ず、あなたに償うから!」

哲夫も、目を潤ませながら絵渡を見つめていた。その視線に押され、絵渡は口を開く。「……お父さん」

「うん!うちの絵渡は、なんて素直なんだ」 満面の笑みを浮かべた哲夫は、はしゃぐように言った。「さあ、家族を紹介しよう。こちらが君の叔母さんだよ」

恭理が彼女を一瞥し、静かにうなずいた。絵渡も軽く会釈する。

次に現れたのは、玲暖だった。

「お姉ちゃん、ずっとお会いできるのを楽しみにしてたの。 これからは私にも『お姉ちゃんがいるの』って、みんなに自慢できるわ!」

その愛らしい声に続き、中島夫人が少し困ったような表情で口を開く。 「玲暖はね、あなたのお父さんの古い友人の娘さんなの。まだ小さな頃にご両親を亡くしてね、私たちが引き取ったの。もし気に障るようなら……」

「大丈夫です」 絵渡は、相手の言いたいことをすぐに察し、淡々と答えた。

「それから、お兄さんが三人いるの。今日は出かけてるけど、そのうちきっと紹介するわね」 中島夫人が微笑みながら絵渡を見て頷く。胸の奥にじんわりとした温もりが広がる。

絵渡はそっと頷いた。

すると、哲夫がスマホを取り出して言った。「絵渡、この数年、本当によく頑張ってくれたな。父さんのLINE、追加してくれ」

中島夫人もすかさずスマホを差し出す。「私のも、お願いね」

仕方なく二人の連絡先を追加すると、ほぼ同時に通知音が鳴った。

【パパ】があなたに10,000,000円を送金しました。

【ママ】があなたに10,000,000円を送金しました。

「父さんからの小遣いだよ。足りなかったら、いつでも言ってくれ」 哲夫が穏やかに笑う。

「そうそう、ママはお洋服もたくさん買ったの。家に戻ったら、ゆっくり試着してね!」

あまりの歓迎ぶりに、絵渡はまだ慣れないながらも、胸が温かくなるのを感じていた。

だが、驚いていたのは彼女だけではない。玲暖もまた、その様子に言葉を失っていた。両親が一度に二千万円も――。自分が普段もらう月の小遣いはせいぜい数十万円。

(これが……実子と養子の差ってこと?)

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追放された令嬢、実は最強大富豪の娘でした

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