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10年間付き合った婚約者の和也は, 「潔癖症だから」と言って, 私とのキスをいつも避けていた.

しかしある夜, 私は見てしまった. 彼が兄の元婚約者である幸世と, 公園の隅で情熱的なキスを交わしている姿を.

私が高熱で倒れた日, 彼は「会議中だ」と電話を切り, 幸世と旅行先で食事を楽しんでいた. それだけではない. 彼は私を無情にも解雇し, 私の秘書の席を幸世に与えたのだ.

「瑞実のことは大切にしたいから, ゆっくりと関係を深めていきたい」彼の優しい言葉はすべて嘘だった. 私はただ, 幸世の「代役」に過ぎなかったのだ.

10年間の献身と愛情が踏みにじられた絶望の底で, 私の心に冷たい復讐の炎が灯った.

結婚式当日, 私は姿を消した. そして, 披露宴のスクリーンに, あの夜のキス動画を流すよう手配した. 「和也, あなたの人生は, 今日で終わりよ」

第1章

瑞実 (みずみ) POV:

目の前で繰り広げられる光景に, 私の心臓が凍りついた.

10年間, 私のすべてだったはずの婚約者, 細井和也 (ほそいかずや) .

彼が, 兄の元婚約者である堀部幸世 (ほりべさちよ) と, 情熱的に唇を重ねていた.

公園の片隅, 街灯の下.

二人の姿は, まるで映画のワンシーンのように鮮明だった.

和也の腕が幸世の腰に巻きつき, 幸世は彼の首に腕を絡ませていた.

そのキスは, 私が和也と交わしたどんなキスよりも深く, 激しかった.

彼の口癖だった「潔癖症だから」という言葉が, 私の頭の中で木霊する.

私たちのキスはいつも, どこか遠慮がちで, 不器用だった.

まるでガラス細工に触れるかのように慎重で, 私がもっと求めても, 彼はいつも「これで十分」と微笑んだ.

それは, 純粋な愛の表現だと信じていた.

しかし, 今, 目の前の彼は, そんな繊細さとは無縁だった.

突然, 胃の奥から込み上げる不快感に, 私は口元を押さえた.

吐き気がする.

全身の血の気が引いていくのが分かった.

頭が真っ白になり, 足元がぐらつく.

持っていたスマートフォンが, 手のひらで滑りそうになった.

画面には, 知らないうちに起動していたカメラアプリが映っていた.

二人のキスシーンが, そのまま動画として記録され始めていた.

私の指は, まるで意志を持ったかのように, 停止ボタンを押さなかった.

ただ, その光景を, 無意識に, 貪欲に記録し続けていた.

「潔癖症だから, 深いキスは苦手なんだ」

数年前, 私が初めて和也に不満を漏らした時の彼の言葉が甦る.

「瑞実のことは大切にしたいから, ゆっくりと関係を深めていきたいんだ」

そう言って, 彼は私の頭を優しく撫でた.

その言葉を, 私は純粋に受け止めた.

彼が私を特別に扱ってくれているのだと, 彼の真面目さゆえの行動なのだと, 何の疑いもなく信じてきた.

私は馬鹿だった.

まるで絵に描いたような模範的な恋人.

それが, 私にとっての細井和也だった.

だが, そのすべてが嘘だった.

私はただの, 彼の亡き兄の元婚約者の「代役」だったのだ.

幸世が和也の肩越しに, こちらを一瞥した.

ほんの一瞬, 視線が合った気がした.

その目は, 私を認識したのか, それともただの偶然か.

しかし, その刹那の視線が, 私の背筋を凍らせた.

私は反射的に, 近くの木の陰に身を隠した.

心臓が警鐘のように鳴り響き, 息をするのも苦しい.

体中が震え, 全身から冷や汗が噴き出した.

幸世の視線が, 私を貫いたような気がした.

彼女はすべてを知っていたのかもしれない.

私が和也にとっての「代役」であることも, そして今, この場にいることも.

木の裏で膝を抱え, 身を縮める.

春先の夜風が, 薄着の私を容赦なく打ち付ける.

体の芯まで冷え切っていくようだった.

どれくらいの時間が経ったのか, 感覚が麻痺していた.

ただ, 二人が立ち去るのを, 震えながら待っていた.

公園の街灯が消え, 辺りは闇に包まれた.

ようやく, 足音が遠ざかるのが聞こえた.

私はゆっくりと立ち上がり, 重い足取りで二人の住むマンションへ向かった.

私たちの, 新しい生活が始まるはずだった新居.

もう, そこは私たちの家ではない.

マンションのエントランスに入ると, キッチンから漂う香辛料の匂いが鼻をついた.

和也が料理をしている.

珍しいことだった.

彼はほとんど料理をしない.

いつも私が彼の帰りを待ち, 食事を用意していた.

しかし, 今日の匂いは, 私が普段使うものとは違う.

それは, 幸世が好んで使うハーブとスパイスの香りだった.

和也は, 私が以前, 彼に「パクチーが苦手」だと伝えたことを忘れていたのだろうか.

彼は今, パクチーをふんだんに使った何かを作っている.

私が食べられないものを.

私が嫌いなものを.

「遅かったな. 何してたんだ? 」

和也の声が, キッチンから響いた.

普段なら優しいはずの声が, 今日の私には冷たく, 突き放すように聞こえる.

彼の顔には, 微かな焦りの色が見えた.

「ごめんなさい, ちょっと道が混んでて... 」

私は反射的に謝罪の言葉を口にした.

長年の習慣が, 私の口を動かす.

しかし, その言葉は, 口の中で砂を噛むようにざらついていた.

その時, 寝室のドアがゆっくりと開き, 幸世が姿を現した.

彼女は和也のTシャツをだらしなく着ていた.

肩から滑り落ちたTシャツの下から, ブラジャーの紐が覗く.

髪は乱れ, 顔は上気している.

まるで, 和也の家で一夜を過ごしたばかりのようだった.

いや, 文字通り, 一夜を過ごしたのだ.

私の知る, いつもの幸世ではない.

「あ, 瑞実さん... 」

幸世は気まずそうに, しかしどこか満足げに私を見た.

その目は, 朝帰りした友人に偶然出会ったかのような, 何の悪びれもない感情を宿していた.

「昨日は和也くんと, ちょっと話し込んでしまって. ごめんなさい」

彼女は弁明しようとしたが, 和也がそれを遮った.

「幸世は疲れているんだ. 今日はもう遅いから, うちで泊まってもらう」

和也の声には, 一切の反論を許さない響きがあった.

彼は私に背を向け, 幸世の肩に手を置いた.

まるで, 彼女を守るかのように.

私の喉の奥から, 言葉にならない声が込み上げてくる.

今夜, 私はどこで寝るの?

私たちの, 新婚の寝室は, もう幸世のものになってしまったのか.

和也は私の視線を避けるように, 再びキッチンに向き直る.

「瑞実はリビングのソファで寝てくれ. 幸世は疲れているんだ」

ソファ.

このマンションは, 和也と私, 二人の新生活のために選んだはずだった.

二人で家具を選び, 壁の色を決め, 未来を語り合った場所.

その未来は, 今, 幸世によって奪われようとしている.

私は呆然と立ち尽くした.

脳裏には, 和也と幸世のキスシーンが焼き付いている.

自分は今まで, 一体何を信じてきたのだろう.

10年間, 彼を愛し, 支えてきた日々は, 何だったのだろう.

ただの, 幸世の代役.

その言葉が, 耳の奥で, 何度も何度も反芻される.

その夜, 私はリビングの冷たいソファの上で, 一睡もできなかった.

寝室からは, 時折, 和也と幸世の笑い声が聞こえてくる.

その声が, 私の心臓をナイフでえぐるように痛めつけた.

涙は枯れ果て, ただ茫然と天井を見つめる.

この関係は, もう終わりだ.

そう何度心の中で呟いただろう.

しかし, 明日, 和也に何を言えばいい?

何と説明すれば, この10年間のすべてを終わらせることができるのだろう?

私たちがお互いにとって, 本当に終わりでいいのだろうか.

彼は, こんなにも簡単に, 私を捨て去ることができるのだろうか.

このまま別れて, 世間から「花嫁に逃げられた男」と嘲笑されるのは, 私の方ではないか.

私のプライドが, それを許さない.

私は, ただの代役として, 彼の人生から静かに消え去るわけにはいかない.

ソファの冷たい革が, 私の肌を凍えさせた.

この寒さも, この痛みも, すべて和也の裏切りの証拠だ.

彼への愛は, すでに憎しみに変わっていた.

私の心は, 冷たい氷の塊になっていた.

憎しみが, 私の内側で燃え盛る炎となり, 身体を内側から焼き尽くす.

私は, この炎を, 和也と幸世に返してやる.

彼らが, 私にしたように.

私は, 彼らを, 焼き尽くしてやる.

その決意は, 夜明け前の闇の中で, 静かに固まっていった.

2

瑞実 POV:

翌朝, 私は和也の前に立った.

心臓はどくどくと音を立て, 胃のあたりが締め付けられるように痛む.

しかし, 私の顔には, 昨夜の絶望を微塵も感じさせない, 平静な微笑みを貼り付けた.

「和也, 昨日のことなんだけど... 」

声が震えないよう, 細心の注意を払って言葉を選んだ.

私の期待は二つ.

一つは, 彼が昨日のことを心から悔い, 私に許しを請うこと.

もう一つは, 彼がはっきりと, 私との関係を終わらせようと告げること.

どちらにしても, この宙ぶらりんの状態を終わらせたかった.

和也はコーヒーカップを傾け, 私を一瞥した.

その目は冷たく, 何の感情も宿していないように見える.

「昨日のこと? 何かあったか? 」

彼はしらじらしく問い返した.

その言葉が, 私の心に冷たい水を浴びせる.

「幸世さんのことよ. 彼女がうちに泊まったこと」

私は努めて冷静に言った.

「ああ, それか. 幸世は兄さんの元婚約者だ. 家族みたいなもんだろ. お前も知ってるだろう? 」

和也は呆れたように肩をすくめた.

「何を今更, そんなことでヤキモチを焼いてるんだ? 」

彼の言葉は, 私の感情を幼稚なものだと切り捨てた.

ヤキモチ? 私が感じているのは, そんな生易しいものではない.

裏切り, 屈辱, 絶望, そして, 怒り.

「でも, キスしてたわ. 公園で」

私は, 喉の奥から絞り出すように言った.

和也の顔から, 一瞬にして血の気が引いた.

しかし, それも束の間.

彼はすぐに表情を取り繕い, 私を睨みつけた.

「まさか, そんなものを見てたのか? 盗撮でもしてたのか? 」

彼の声は怒りに震えている.

まるで私が悪者であるかのように.

私は反論しようと口を開いたが, 和也の言葉がそれを許さなかった.

「いい加減にしろ. お前は昔から, すぐに勝手な妄想をする癖がある. 俺が誰と会って, 何をしようが, お前には関係ないだろう」

彼の言葉は, まるで鋭いナイフのように私の心を突き刺した.

関係ない? 私は彼の婚約者だ.

関係ないはずがない.

私はただ, 呆然としていた.

自分だけが, 責められている.

すべて私が悪いかのように.

私の頭の中を, 過去の記憶が走馬灯のように駆け巡った.

和也はいつだって, 幸世を優先した.

私が風邪で寝込んだ日も, 彼は幸世の見舞いに行った.

私の誕生日も, 幸世の家族の用事を理由に, 彼はいつも遅れてやってきた.

そして, 彼は, 幸世をいつも「可哀想な人」と呼んだ.

亡くなった兄の影を背負い, 一生独身でいるつもりだ, と.

そんな幸世に, 彼はいつも同情し, 手を差し伸べた.

私は, 彼のその優しさを, 心の広い人間性だと信じていた.

しかし, 私のデスクの引き出しに隠されていた, 彼の古いアルバム.

そこに収められていた, 幸世との満面の笑みの写真の数々.

それは, 私が和也と出会う前の, 彼の学生時代のアルバムだった.

写真の中の和也は, 私が知っている彼よりもずっと, 生き生きとしていた.

そして, その横にはいつも幸世がいた.

私はその写真を見つけ, 和也に問い詰めたことがあった.

彼は言った. 「兄さんが幸世を愛していたから, 俺も幸世を家族として大切に思ってるだけだ. それ以上でも, それ以下でもない」

その言葉を, 私はあの時も信じていた.

だが, あの激しいキス.

あれは, 単なる家族愛ではなかった.

私は, 幸世の代役だったのだ.

兄の影に隠れ, 和也が本当は愛していた女性.

その影を追うために, 私が利用されていた.

10年間, 私は笑いものだった.

「ごめんなさい, 和也. 私が間違ってた. もう二度と, こんなことは言わないから」

気がつけば, 私は謝罪していた.

喉の奥から血の味がする.

私の心は, もう完全に打ち砕かれていた.

この関係を失うのが, ただ恐ろしかった.

私の人生は, 和也なしでは考えられなかった.

「分かればいいんだ」

和也は満足げに頷いた.

「幸世は, 兄さんの忘れ形見みたいなもんだからな. お前も, もう少し幸世に優しくしてやれ」

彼の言葉は, 私への赦しのように聞こえた.

そして, その夜, 和也は私をベッドに誘った.

私は彼の腕の中で, 自分を殺した.

体は繋がっているのに, 心は遠く離れていく.

私が彼にとって, ただの身体の相手でしかないことを, 私は痛いほど感じていた.

翌朝, 和也はまた出張だと言って, 幸世と連れ立って出かけた.

「幸世は, 俺の新しいプロジェクトの広報を手伝ってくれることになったんだ」

彼はそう言って, 私に微笑んだ.

その笑顔は, 偽りだらけだった.

私は, 彼が以前, 「お前の協力なしでは, このプロジェクトは成功しない」と言っていたことを思い出した.

彼の言葉は, 常に私を励まし, 私を支えにしていると語っていた.

しかし, 今, 私の代わりは幸世になった.

私の心は, 再び冷え切っていく.

幸世が, 和也の兄の元婚約者という立場を利用して, 和也の同情心を買っていることは明らかだった.

彼女は, 悲劇のヒロインを演じているだけだ.

そして, 和也はそれに乗せられている.

夜, 私はベッドの中で, 和也の背中に触れた.

彼はすぐに身を硬くした.

「疲れてるんだ」

そう言って, 彼は私から離れていった.

あの夜の情熱的なキスは, 私に向けられたものではなかった.

私はもう, 彼に必要とされていない.

その事実が, 鉛のように私の心にのしかかる.

私は一睡もできないまま, 夜が明けるのを待った.

そして, 夜が明けた時, 私の心は決まっていた.

この10年間の関係を, 終わらせる.

しかし, その決意は, 突然の高熱によって中断された.

体中が熱く, 頭がガンガンと痛む.

私はベッドの中で, 声を出すこともできずに震えていた.

和也に電話をかけた.

「もしもし, 和也... 私, 熱が... 」

「今, 大事な会議中だ. 後でかけ直す」

彼の声は冷たく, 電話はすぐに切られた.

彼は, 私の体調を心配するどころか, 不快感を露わにした.

私は, もう一度電話をかけた.

しかし, 今度は着信拒否された.

幸世のSNSを覗くと, 彼女は和也と出張先で楽しそうに食事をしている写真を投稿していた.

「和也くん, いつも気遣ってくれてありがとう. こんなに優しい人, 他にいないよね」

そのキャプションが, 私の心臓に止めを刺した.

私は, ベッドの中で, ただひたすら涙を流した.

もう, 和也には何も期待できない.

私の心は, 完全に死んだ.

終わりだ.

すべて, 終わりだ.

この関係を, 私自身の手で終わらせる.

だが, ただ終わらせるだけでは, 私の心が許さない.

私は, 彼がこれまで私にしたことの, 何倍もの報いを彼に与えるだろう.

復讐だ.

これが, 私の新しい人生の始まりだ.

和也, 覚悟しておきなさい.

3

瑞実 POV:

翌日, 熱は少し下がったものの, 体の倦怠感は残っていた.

しかし, 私の心は, かつてないほど冷静で研ぎ澄まされていた.

和也への愛情は, もはや一片も残っていない.

ただ, 心の中に燃え盛る, 冷たい怒りの炎だけがあった.

私は彼への献身的な愛を, 10年間も捧げてきた.

和也の「潔癖症」という嘘を信じ, 彼の言葉だけを真実として生きてきた.

しかし, そのすべてが, 彼にとって都合の良い「代役」でしかなかったのだ.

私は, もう二度と, 誰かの代わりになんてなるものか.

そして, 彼に, 私がどれほどの価値のある人間だったかを, 身をもって思い知らせてやる.

当初は, 彼との関係を穏便に終わらせるつもりだった.

しかし, 昨日, 彼が私にした仕打ちは, 私の計画を根底から覆した.

私を病気のまま放置し, 幸世と楽しそうに出張する姿.

それは, 私の最後の希望を打ち砕き, 私の中に眠っていた, 冷酷な復讐心を呼び覚ました.

結婚式の当日, 私は姿を消す.

花嫁が逃げるという形で, 彼は世間の嘲笑の的になるだろう.

それは, 彼への最初の復讐だ.

だが, それだけでは足りない.

彼のすべてを奪い, 彼をどん底に突き落としてやる.

私は震える手で, 救急車を呼んだ.

高熱は一時的に下がったが, 意識が朦朧としていた.

救急隊員が到着し, 私の状態を確認する.

「これはひどい. すぐに病院へ搬送します」

彼らの声が, 遠くで聞こえる.

私は救急車のサイレンの音を聞きながら, 意識を手放した.

朦朧とした意識の中で, 私は和也の声を聞いた気がした.

病院のベッドで, 点滴を受けながら, 私は再び目を覚ました.

担当の医師は, 心配そうな顔で私を見つめた.

「もう少し遅れていたら, 危険な状態でしたよ. ご家族の方には連絡しましたか? 」

私は首を横に振った.

「夫に連絡しましたが, 会議があると言って切られました. もう, 放っておいてください」

私の声は, ひどく掠れていた.

和也は, 私が以前, 彼が風邪をひいた時に, 徹夜で看病したことを忘れているのだろうか.

彼は, 私が体調を崩した時に, いつもそばにいてくれたことを忘れているのだろうか.

いや, 違う. 彼は最初から, 私を必要としていなかったのだ.

私を看病したのは, 彼が私を愛していたからではない.

私が彼の秘書であり, 彼の生活を支える存在だったからだ.

彼にとって, 私はただの機能だった.

私は, 彼が私を愛していると信じていた愚かな自分を, 心の中で罵った.

もう, 彼に情けをかける必要はない.

彼の人生から, 私の存在を抹消してやる.

退院後, 私はすぐに動き始めた.

まず, 和也の会社のライバル企業である奥平グループの桜井茂五郎社長に連絡を取った.

私は和也の会社の株を, 密かに買い集めていた.

それは, 私が和也の秘書として働き, 彼の会社の内部事情を誰よりも知っていたからだ.

「小田切です. 細井和也の会社の株, お売りします」

私の声は, 驚くほど冷静だった.

桜井社長は, 私の申し出に驚きを隠せないようだったが, すぐに興味を示した.

「まさか, 奥平社長に直接連絡するとは. 面白い女性だ」

電話口で, 彼の愉快そうな声が聞こえた.

数日後, 結婚式の打ち合わせのために, ウェディングプランナーから電話があった.

「瑞実さん, 和也さんと一緒に, そろそろウェディングドレスの最終フィッティングにお越しいただけますか? 」

「はい, 承知いたしました. 和也には私から伝えておきます」

私は平静を装って答えた.

和也に電話をかけたが, やはり出ない.

メッセージを送っても, 既読にもならない.

彼が私を避けていることは明らかだった.

私は和也の会社へ向かった.

彼のオフィスに着くと, 受付嬢が私を呼び止めた.

「小田切様, 細井社長は今, 面会中でして... 」

「そう. どなたと? 」

私は落ち着いた声で尋ねた.

「それが, 堀部幸世様と... 」

受付嬢は言葉を濁した.

堀部幸世.

やはりそうか.

私の予感は当たっていた.

私は受付嬢に礼を言い, 社長室へと向かった.

ドアの隙間から, 楽しそうな笑い声が聞こえてくる.

幸世の声だ.

私はドアをノックしようとしたが, その手は途中で止まった.

代わりに, 私は壁に貼られていた社内報に目を向けた.

そこには, 幸世の写真が大きく掲載されていた.

「堀部幸世, 特別顧問就任のお知らせ」

私の目は, その見出しに釘付けになった.

特別顧問?

いつの間に?

私が和也の看病をしていた間に, 彼は幸世を会社に招き入れていたのか.

しかも, 特別顧問という名目で.

私が不在の間に, 私の席は奪われたのだ.

私の心を支配していたのは, もはや怒りだけではなかった.

それは, 深い絶望感と, すべてを失ったかのような喪失感だった.

私は, 和也の会社のために, どれほどの時間と情熱を捧げてきたか.

秘書として, 彼の右腕として, 彼の成功のために尽力してきた.

しかし, そのすべてが, 彼にとっては取るに足らないものだったのだ.

私は, まるで透明人間のように, 彼の視界から消し去られていた.

その時, 社長室のドアが開き, 和也と幸世が楽しそうに出てきた.

二人はまるで恋人のように, 肩を寄せ合って歩いている.

幸世は, 私に気づくと, 一瞬顔色を変えたが, すぐに満面の笑みを浮かべた.

「あら, 瑞実さん. どうしたの? 」

その声は, 私を挑発しているかのようだった.

和也は, 私を見つけると, 顔をしかめた.

「瑞実, 何をしているんだ? こんな所で」

彼の声には, 明らかに不快感が滲んでいた.

「ウェディングドレスのフィッティングのことよ. 連絡がつかないから, 直接来たの」

私は努めて冷静に答えた.

和也は舌打ちをした.

「ああ, あのことか. 忘れてた. 幸世, 悪いがお前が瑞実のドレス選びに付き合ってやってくれ」

彼はそう言って, 幸世に私を押し付けた.

幸世はニヤリと笑った.

「ええ, 喜んで. 瑞実さん, 素敵なドレスを選びましょうね」

その言葉は, 私を嘲笑っているかのようだった.

私は, 自分の体が氷のように冷たくなっていくのを感じた.

「和也, 私の席は? 」

私は, 震える声で尋ねた.

和也は私を一瞥し, 冷たく言い放った.

「お前はもう, 秘書じゃない. 幸世が特別顧問になったから, 彼女が俺の秘書業務も兼任する. お前は, 結婚の準備に専念してくれ. 家でゆっくりしていればいい」

彼の言葉は, 私の心をズタズタに引き裂いた.

私は解雇されたのだ.

彼が私を, 何の相談もなく, 一方的に解雇したのだ.

10年間, 彼のために尽くしてきた私の努力は, 一瞬にして踏みにじられた.

「それとも, お前は, この会社に学歴がないとでも言いたいのか? 幸世は有名大学卒だ. お前とは違う」

和也の言葉は, 私の学歴を嘲笑うものだった.

私は, 彼が以前, 私の実務能力を高く評価し, 「学歴なんか関係ない, お前がいれば十分だ」と言っていたことを思い出した.

すべてが嘘だった.

彼は, 私をただの家政婦のように扱い, 幸世を「優秀な人材」として賛美した.

「分かったわ. 会社は辞める. でも, 給料はきちんと払ってくれるわよね? 」

私は, 自分の声が震えていないことに驚いた.

私の心は, すでに怒りで満ち溢れていた.

和也は, 私が素直に辞職を受け入れたことに, 安堵の表情を見せた.

「もちろん, 退職金は出す. お前はただ, 俺の妻として, 何不自由なく暮らしていればいいんだ. それでお前も幸せだろう」

彼の言葉は, 私を金で飼い慣らそうとするものだった.

私は, 彼の顔に, 心底から嫌悪感を抱いた.

「分かったわ. じゃあ, ウェディングドレスのフィッティング, 行かせていただくわ」

私は幸世に微笑みかけた.

その微笑みは, 私の心の奥底で燃え盛る, 冷たい復讐の炎を隠すためのものだった.

その足で, 私はウェディングプランナーに電話をかけた.

「私, 小田切瑞実です. 結婚式の件で, お話ししたいことがございます」

私の声は, 震えることなく, 冷静だった.

そして, 私は, 和也と幸世のキスシーンが記録された動画を, ウェディングプランナーのメールアドレスに送信した.

「この動画を, 結婚式の披露宴で流してください. もちろん, 音声付きで」

ウェディングプランナーは, 私の言葉に絶句していた.

私は, もう二度と, 彼らの思い通りにはならない.

私の復讐は, ここから始まるのだ.

私は, 彼らを, 地獄の底まで突き落としてやる.

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潔癖症の嘘、裏切りのキス

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