話 2
今は故郷から遠く離れてしまったけれど、帰省する時は新幹線と決めている。 飛行機は早いけれど、飛行場から実家まではさらに2時間かかることを考えたら、駅から10分で済む方が早い。
走り抜ける景色を、車窓から1人眺める。 だんだんと景色が変わると、不思議と空の色や流れる風までが変わっていく。 懐かしい空気に深呼吸をして、終点の駅に降り立った。 私が今住んでいる所より、乗客はとても少なく、慌てて降りていく人もほとんど見かけない。 この、どこかのんびりとした時間の流れも故郷に帰ってきたことを知らせているみたいだ。
「おーい!渡辺!こっちこっち!」
改札を抜けたところで、Facebookで連絡をとった溝口君が待っていてくれた。
クルクルとした天然パーマは、あの頃と少しも変わらなくて、すぐにわかった。
「ホントに迎えに来てくれたんだ、ありがとう!」
「なんだかんだでここらも、変わったからなぁ。昔よく行った店も無くなってしまったよ。待ち合わせしようにも、どこがいいかわからなくてさ、結局ここまで来ちゃった」
「私はとても助かるけどね」
「とりあえず、話せるところに行こうか?少し走れば、喫茶店かファミレスならあるから」
「うん」
荷物持つよ、とさりげなくバッグを持ってくれた。
「ホントだね、駅の中も昔と全然違うよ」
「だろ?俺はまだ地元だからいいけどさ、たまにしか帰って来ないやつは、来るたびに驚いてるよ。人口は減っていってるのにね」
「そうか…廃校だもんね…」
溝口の車に乗り、国道を南へ向かった。 廃校になったとはいえ、校舎があった場所が近づくとなんとなく昔の面影が残る場所もあった。
_____誠とよく、この歩道橋を歩いたなぁ…
暮れかかった空は、あの頃とひとつも変わらないように見える。 私はこんなに変わってしまったのに。 そして、誠と浩美は、もういないというのに。
しばらく走って去年、新しくできたという喫茶店に入った。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
少し言葉に訛りのある店員が迎えてくれた。
「奥がいいかな?」
「そうだね」
一番奥の席に座る。 今走ってきた国道が見えて、その向こうに校舎があった傾斜地が見えた。
「ホットでいい?」
「うん」
「じゃ、ホット二つ」
「はい、かしこまりました」
店員が奥へ入って行った。
私は、バッグからあの封筒を取り出した。
「これが届いたんだけど。信じられなくてね。突然連絡してまったの」
「いや、連絡はうれしかったよ。こんなことでもなきゃ連絡もしないからさ」
「誰かに確認したかったんだけど、思いついたのが溝口君だった」
「そうだね、俺が一番、あの2人のことを知ってるかもしれない。でも、当人に確認したわけじゃないから、事実かどうかもわからないこともあるけどね」
「事実かどうかも、もう確認できないんだよね…」
運ばれてきたコーヒーを、そっと飲む。
_____誠はブラックが好きだったな
そんなことを思い出した。
「優子はどこまで聞いてる?誠たちのこと」
「どこまで…?記憶にあるのは、誠は私と別れてこっちに帰ってきて、運送屋さんで働いてたよね?旅費を貯めてブラジルに行くって言ってた。それが確か、24才くらいだったかな?」
忘れそうになっていた誠との記憶をたどる。 二十歳になった頃、私はまだ結婚したくないと誠に話した。 仕事も面白くなってきたし、何より色んな人と知り合ったことで、誠よりも魅力を感じる人がいたからだけど。 誠は、今の仕事が合わないし絵を描くことを諦めきれないと、退職してこっちの故郷に帰った。
浩美は、デザイナーの専門学校に行ってそのままデザイン関係の仕事に就いた。 けれど、人間関係がうまくいかず、心を病んでこっちに帰ってきた。
「おそらく…、2人が同じ頃に故郷に帰ってきて、そして付き合うようになった…かな?」
「あいつらが付き合ってたことは知ってたんだね」
「律儀に手紙で報告してきたもの、私には関係ないことだと思ったけどね。まぁ、あの二人らしいけども」
私は、高校生だった当時のことを思い出していた。
何に対しても真面目で誠実だったと思う、誠も浩美も。
「誠は、どうしても画家になりたいって言ってさ。ブラジルにいる日本人画家に弟子入りするって言ってた。夢を叶えるためにって仕事も人の倍はやってたな」
「そうなんだ、誠らしいね」
「そうだね、アイツは思い込むと一途なとこあるし。浩美が帰ってきたのは誠の少し後だったかな?」
「心を病んでしまったと、手紙には書いてあったよ」
「そうだった、あのきゃぴってた浩美がね、生気がなくて表情がなくなってた。その少しあとにクラス会があったんだよ、地元に残ってる人間だけの小さなやつね。その時に浩美と誠は再会したのかなぁ?そこはハッキリとはわからないけど。最初は浩美に寄り添うようにしてた、励ますというか見守るというか。兄と妹みたいだなって思ったよ」
「あ、私もそう思ったことある。あの2人にはそんな親密さがあったよね?昔から」
「昔?高校生の時から?」
「うん、仲良かったんだよ、でも男女としての感じじゃなくて、兄妹みたいな」
「そういえばそうだったかもな。とにかく、仕事がない時はずっと浩美の家に行って 浩美と過ごしていたみたいだよ」
浩美の家は、赤いとんがり屋根と白い壁、花壇にはいつも花が咲いていて、童話の世界みたいだと思った記憶がある。
_____そうか、あの家に誠は行ってたんだ
誠は、誠実だった。
誠は、優しかった。
誠は、正直だった。
誠は…。
でも、そんな誠のことを物足りないと感じたのは私。 私があっちで楽しくやってる頃、誠と浩美はどんなふうに過ごしていたのだろう?
誠と浩美が二人で過ごした時間を、知りたくなった。
何故、同じ日に亡くなったのか。
何故、幸せにはなれなかったのか?
「ね、溝口君、誠と浩美のお墓ってわかる?連れて行ってくれない?」
「あぁ、いいよ」
私は、今はもう会えない元彼と親友のもとへ行くことにした。
話 3
_____ここからは、浩美の視点からの回想になります。時間は、高校を卒業して誠と優子がそれぞれ就職、浩美は専門学校に進学してその後就職して1年ほどがたったころから始まります。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
好きなことを勉強して、好きな仕事に就いた…はずだった。 こんな筈じゃなかった…。
毎日毎日、デザインとは関係ない営業とコピーとりの雑用に追われて、あっというまに時間が過ぎる。 週末には接待という名の、セクハラいっぱいのお酒の席に呼び出される。 タバコの匂いとお酒と、どうでもいい会話。 上司からは、もっと愛想良く取引先と会話しろと言われるけれど、何も楽しくないし話したいこともない。
そんな毎日が続いて、だんだんと笑いたくても笑えなくなっていた。 今日が何日かもわからない、ご飯の味もわからない、寝てるつもりでも朝になるまでずっと時計の音を聞いていた。
『大丈夫?無理してるんじゃない?』
「…ひっ…く……」
ある日かかってきたお母さんからの電話に、我慢していた感情が溢れ出た。 言葉が出なくて、ひたすらに泣いた。
『……帰ってきなさい。待ってるからね』
誰の声も聞こえなくなっていた私の耳に、お母さんの声が染み込んだ。
_____私、泣きたかったんだ…
そして、ここから帰ってもいいと言って欲しかったんだと気づいた。 次の日には、退職を申し出た。 雑用ばかりだったけど、私なりには頑張っていたし引き留められるだろう、面倒くさいなと思っていた。 なのに。
「わかった。人事部に話しておく。手続きはそこで聞いて」
そんなものだった。 好きなデザインができると思って入社したのに、ほとんどデザインもせず退社することになった。
_____何やってたのかな?私
引っ越しには、お母さんが手伝いに来てくれた。
「ごめん…ね、お…母さ……ん…」
_____好きな会社と一人暮らしを許してくれたのに
泣きながら荷物を詰めていく私を、お母さんは黙って抱きしめてくれた。
久しぶりに帰る我が家。少しの坂道を上って、レンガの門にたどり着いた。 花壇には四季咲きの薔薇が小さな花を揺らしている。
_____帰ってきたんだ、私
新卒で内定をもらって、ワクワクしながら一人暮らしを始めてからまだ1年も経っていない。 もうずっと昔のことのような気がするのに。
「部屋はそのままにしてあるからね」
「…うん…ありが…と」
懐かしいリビングのソファに腰掛けた。 家族4人で、座る位置は決まっていて、私の席には犬柄のクッションがそのまま置いてあった。 とても落ち着く空間だ。 家にいた頃は、そんなふうに感じた事はなかったのに、いまはとても私を包んでくれて癒してくれる。 会社を辞めたことで、毎日のストレスからは解放された。 気持ちも軽くなった気がする、だけど。
「さぁ、今夜は何が食べたい?浩美の好きなもの作るから、なんでも言って」
「…ん…あ、と…」
「ん?なぁに?」
小さな子どもをあやすように、私を見つめるお母さん。 言いたいことがあるのに、言葉がうまく出てこないのだ。 スムーズに話すことができなくなってしまった。 伝えたいことはたくさんあるのに、それが脳から口へ降りるまでに言葉として降りてこない感じがする。
「はい、これ」
「?!」
「なんとなくね、浩美は疲れ過ぎてると思って。きっと言葉を話すのも疲れてしまうんじゃないかな?だから、書けるなら文字でもいいし。落書きでもいいし」
お母さんに手渡されたのは24色の色鉛筆と黄色と黒のスケッチブックだった。
「あ、うん…」
もう何日もスケッチブックも色鉛筆も持っていなかったと思い出した。 描くということがあんなに好きだったのに。 クリーム色とピンクと焦茶色と、グリーンと。 サラサラと描いたのは…。
「あ、わかった!グラタンね?それもサーモンの?」
「…ん!」
伝わった。 ホッとした。 ここ《家》にいれば、私は守られて暮らしていけると思って安心した。
「浩美、お帰り。ん?ちょっと痩せてしまったか?でも大丈夫だ、またお母さんのご飯を食べたらあっという間に元通りだからね」
仕事から帰ってきたお父さんは、椅子に座って絵を描いていた私の頭を優しく撫でた。 大工をしているお父さんの手は、ゴツくて大きくてそしてあったかい。
「あ…」
すんっと鼻を啜ってしまう。 泣きたいわけじゃないのに、ただいまって言いたいのに。 こんなに泣いてしまったら、きっとお父さんも心配する。
「そっか、そっか…今夜はサーモンのグラタンなんだな。しばらくはご馳走が続きそうだな」
私の絵を見て、さらに頭を撫でてくれた。
ご馳走…お父さんはお母さんが作るご飯は、全部がご馳走だと言っていた。 “大好きな人が心を込めて作ってくれるご飯は、ご馳走に決まってる” それがお父さんの口癖。 結婚して20年以上も経つのに、いまだにことあるごとに“大好き”を言い合う夫婦は、珍しいんだと一人暮らしを始めてから、知った事だった。 家にいる頃は、それが当たり前だったから。
「ただいま!あ、姉ちゃん、おかえり」
「あ、ん…」
ただいまが言えない、もどかしい。
「やったね!今日の晩飯はご馳走だ!グラタンに生ハムサラダにかぼちゃのスープだ!あ、俺はご飯大盛りだからね、母さん」
弟の太一は、高校3年生。 また背が伸びた気がするな。 家族が4人揃って、やっと私は帰ってきたと実感した。
_____誰も私を問い詰めたり、ひどく、いたわったりもしない
きっと今の私は家にいた頃の私とは違う。 それでも“そんなことはなんでもないよ”と言われてるようで、うれしかった。
_____こんなに幸せな家にいたんだなぁ、私
何を食べても味を感じなかったのに、その日のご飯はとても美味しかった。 やっぱり、お母さんのご飯はご馳走だと思ったら、また涙があふれてきた…。