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36時間ぶっ通しの治癒院でのシフトを終え、私は伴侶であるアルファ、神楽湊(かぐらみなと)の好物を持って帰路を急いでいた。二人きりの穏やかな時間を、心から楽しみにしていたのだ。

しかし、彼を見つけたのは、縄張りの外れにある隠れ家のような別邸だった。そこには、湊が知らない女、そして見たこともない小さな男の子と笑い合う姿があった。

闇に身を潜め、私は耳を疑う言葉を聞いてしまう。彼は私のことを「繋ぎのオメガ」と呼び、新しい条約が結ばれ次第、公に捨て去るための政治的な道具だと言い放った。私を育ててくれた養父母、現アルファとルナも、その計画に加担していた。私の人生そのものが、運命の絆さえもが、巧妙に仕組まれた嘘だったのだ。

その時、彼から精神感応(テレパシー)が届いた。

『会いたいよ、俺の可愛い人』

そのあまりに無造作な残酷さが、私の涙を焼き尽くした。残ったのは、ただ冷たく、硬い怒りの塊だけ。

彼らは盛大な晩餐会で、私に公衆の面前で恥をかかせるつもりらしい。だが、私も贈り物を準備した。彼の息子の誕生日パーティー、その晩餐会と全く同じ時刻に届くように。

中身は、彼らの秘密をすべて記録したデータクリスタルだ。

第1章

月詠(つくよみ)視点:

消毒液と乾燥ハーブの清潔な香りが、服に染み付いている。群れの治癒院での36時間連続シフトを終えた後には、すっかりお馴染みになった香りだ。国境警備隊の小競り合いで負傷した者たちの、引き裂かれた靭帯を繋ぎ、折れた骨を整復する。そのせいで筋肉は深く軋むように痛んだが、その痛みすら心地よかった。疲労など、取るに足らない代償だ。私の頭の中は、ただ一人のことでいっぱいだったから。

湊。私の伴侶。私のアルファ。

断熱容器の中には、彼の好物である分厚いレアステーキと天然キノコのソテーが、まだ温かいまま入っている。彼は今日一日、群れの次なる事業拡大計画を練るため、最高レベルの評議会に缶詰めだった。私がこれを差し入れた時、彼の厳しい顔に浮かぶであろう感謝の笑みを想像する。ささやかなサプライズ。二人だけの、安らぎのひととき。

評議会の間へと続く、壮麗な楢の扉の外では、衛兵たちが微動だにせず、無表情で佇んでいた。

「アルファ・湊に会いに来ました」

私は疲れてはいたが、希望に満ちた笑みを浮かべて言った。

衛兵の一人、拓也(たくや)という名の戦士が、私から目を逸らした。

「アルファは一時間ほど前に退席されました、月詠様」

「退席?」

手にした料理の温かさが、急に鉛のような重みに変わった。

「会議は深夜まで続く予定だったはずですが」

「急用ができた、と」

拓也は私の肩越しの一点を見つめたまま、ぶっきらぼうに呟いた。

胸騒ぎがして、胃がぎゅっと締め付けられる。急用?それなら私に連絡があるはずだ。彼はいつもそうしてきた。

私たちには精神感応(テレパシー)がある。月の女神から運命の番(つがい)に与えられた、神聖な繋がり。それは私たちだけの聖域であり、思考と感情の流れは、二人の間だけで交わされるはずのものだった。何年もの間、私は彼の愛を、自分自身の思考の底を流れる、絶え間ない安定した流れのように感じてきた。

私は目を閉じ、心の静寂に身を沈め、彼に意識を伸ばした。

*湊?大丈夫?*

沈黙。

ただの沈黙ではない。冷たく、意図的な壁。繋がりはそこにあるのに、まるで空っぽの洞窟に向かって叫んでいるかのようだ。冷たく鋭い悪寒が、背筋を駆け下りていく。これは、いつもと違う。もっと冷たい。何年もの間、私は彼の精神的な距離を、リーダーとしてのストレスのせいだと思い込んできた。でも、これは意図的に固く閉ざされた扉だった。

パニックが胸の内で泡立ち始める。私はそれを押し殺し、集中した。番の香りは、その魂の署名。唯一無二で、紛れもないものだ。私は深く息を吸い込み、周囲の森から漂う湿った土と松の匂いを濾過して、彼の香りを探した。

あった。微かだが、間違いない。嵐の後の杉の木に、冬の風のような鋭く澄んだ香りが混じっている。それが彼が私のものだと初めて告げた香りであり、私の内なる狼が「故郷」を感じて喉を鳴らす香りだった。

しかし、その香りは私たちの家に向かってはいなかった。それは遠く、銀月(ぎんげつ)の一族の縄張りの、まさに最果てへと続いていた。

心が追いつく前に、足が勝手に動いていた。その幽かな残り香を追って。道は、見慣れた群れの家々や訓練場から離れ、私が一度も足を踏み入れたことのない、森の奥深くへと続いていた。開けた土地にひっそりと佇んでいたのは、ガラスと黒い木材でできた、現代建築の傑作だった。富と秘密を雄弁に物語るその別邸は、群れのどの地図にも載っていなかった。

中からは煌々と光が溢れ、手入れの行き届いた芝生を照らし出している。心臓が肋骨を激しく打ち付け、恐怖のドラムを刻んでいた。私は古代の樫の木の深い影に身を隠し、そっと近づいた。

床から天井まである巨大な窓ガラス越しに、彼が見えた。

私の、湊が。

彼はアルファの正装ではなかった。柔らかくカジュアルなセーターを着て、笑っていた。ここ何年も聞いたことのない、心からの深い笑い声。彼の肩の上では、四、五歳くらいの小さな男の子が、歓声を上げていた。

そして、一人の女がフレームインしてきた。彼女の手は、ごく自然な親密さで湊の腕に置かれている。

莉央(りお)。

岩嶺(がんれい)の一族のアルファの娘。五年前に彼女の一族は、はぐれ者の襲撃で壊滅したとされていた。私たちは彼女が唯一の生存者で、重傷を負って中立地帯で療養していると聞かされていた。だが今の彼女は、傷ついているようには到底見えなかった。輝くように艶やかで、その瞳は所有欲に満ちた思慕の念で湊に注がれていた。

私自身の喉から、低く唸るような声が漏れた。内なる狼が胸の内側を掻きむしり、ガラスを突き破って目の前の光景をズタズタに引き裂きたがっている。

私は家の壁に沿って音もなく移動した。治癒師の柔らかい靴底は、何の音も立てない。テラスのドアが少し開いていて、涼しい夜の空気と共に、彼らの声が漏れ聞こえてきた。

「……もう少しだけだ、愛しい人」

湊は男の子を下ろしながら、低い声で囁いていた。

「岩嶺との合併条約が最終決定すれば、俺たちはやっと、本当の家族になれる」

「隠れるのはもううんざりよ、湊」

莉央の声は鋭く、焦れていた。

「あなたのルナになりたい。日なたの道を歩きたいの。あの繋ぎのオメガが私のものになるはずの称号を身に着けている間、この金ピカの籠に閉じ込められるのはごめんだわ」

*繋ぎ。*

その言葉は、物理的な打撃のように私を打ちのめし、肺から空気を奪い去った。

「月詠は役目を果たした」

湊は冷たく、現実的な口調で続けた。

「彼女との運命の絆は、俺の狼を落ち着かせるのに役立った。俺がアルファに移行する上で、政治的に必要だったんだ。だが、お前と玲央(れお)……お前たちこそが俺の未来。俺の血統だ」

玲央と呼ばれた男の子が、莉央に駆け寄った。

「ママ、今夜はパパに本を読んでもらってもいい?」

視界がぼやけた。彼らの息子。私を育ててくれた養父母――この群れのアルファとルナ――は、知っていたのだ。知っていたに違いない。こんな場所を維持する資金、この秘密……それは、トップからの承認がなければ不可能なことだ。

かつては安定した、愛に満ちた家だった私の世界が、砕け散った。私が持っていると思っていた愛も、大切にしていた家族も、崇拝していた伴侶も――そのすべてが嘘だった。私を従順で、役に立つ存在に保つための、巧妙に作られた檻だったのだ。

その時、温かく、聞き慣れた存在が私の心に触れた。精神感応(テレパシー)だ。

湊だった。

*会議が終わったところだ。疲れた。会いたいよ、俺の可愛い人。*

その嘘は、あまりに無造作で、あまりに残酷で、私の心臓に突き立てられた銀の短剣を、最後のひと押しでねじ込んだ。痛みはあまりに大きく、涙さえも焼き尽くし、後には冷たく、硬く、恐ろしいほどに澄み切った何かが残った。

粉々に砕け散った心の瓦礫の中から、復讐心が芽生え始めた。

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2

月詠視点:

翌朝、湊と共有している寝室に太陽の光が差し込み、宙を舞う埃の粒子を照らし出した。それはまるで、私の世界を飲み込んだ闇を嘲笑うかのように、あまりに明るすぎた。私は真夜中に、魂が空っぽの洞窟になったまま、私たちの住居に忍び帰っていた。

朝のランニングを終えた湊が部屋に入ってくると、杉と風の香りが部屋中に満ちた。昨日までなら、その香りは私を安心させてくれただろう。今日、それは吐き気を催させた。

「俺が帰った時、ぐっすり眠ってたな」

彼の声は、磨かれた石のように滑らかだった。彼は身をかがめて私にキスをしようとした。

彼の唇が私の頬に触れた時、私は身を引かないように必死で耐えた。その接触は、かつて私たちの触れ合いが引き起こした電気的な火花とは似ても似つかぬ、嫌悪の波を私に送ってきた。私の狼は、混乱し、裏切られ、小さく鳴いた。

「すごく疲れてて」

私は枕に顔をうずめながら囁いた。

「シフトが長かったから」

彼は何の疑いもなくその言い訳を受け入れた。当然だ。私は月詠。従順なオメガで、彼と群れに仕えるために生きる、疲れ知らずの治癒師なのだから。

彼はベッドの端に腰掛け、その重みでマットレスが沈んだ。

「考えていたんだが」

彼はさりげない口調で切り出した。

「莉央の……岩嶺の一族の悲劇から、もう五年が経つ。そろそろ、あの影を乗り越えたことを公式に祝うべき時だと思う。両親に盛大な晩餐会を開いてもらおう」

血の気が引いた。晩餐会。私の人生を破壊した嘘の土台となった出来事を祝う会。それはあまりに大胆で、あまりに残酷で、私は笑い出しそうになった。

代わりに、私は彼の方を向き、穏やかな同意の仮面を顔に貼り付けた。

「素晴らしい考えね、湊。群れにとって、新しい始まりになるわ」

彼の目に安堵の色が浮かんだ。彼は見たいものしか見ていない。彼の可愛くて、単純な伴侶を。

「その通りだ。お前なら分かってくれると思っていた」

彼は私の額にキスをして、軽く口笛を吹きながら出て行った。ドアがカチリと閉まった瞬間、仮面は崩れ落ちた。私は起き上がり、その動きは正確で、意図的だった。証拠が必要だ。彼らの完璧な世界を、彼らが私の世界を粉々にしたように、粉々にするための、硬く、否定しようのない証拠が。

彼の書斎は彼の聖域で、常に施錠されている。でも、私は彼の秘密を知っていた。あるいは、知っていると思っていた。私は滑らかな金属製のドアまで歩き、パネルにコードを入力した。月の女神が初めて私たちの運命の絆を認めた日。私の人生が始まったとされる日。その皮肉が、喉の奥で苦い酸となって広がる。

ドアが音を立てて開いた。

部屋は質素で、軍隊のように整然としていた。しかし、私が興味を持ったのは、彼の机の上にあるビジネスファイルではなかった。何年もの裏切りによって研ぎ澄まされ、今ようやく自覚した私の直感が、大きくて華麗な本棚へと私を引っぱった。革張りの法律書の列の後ろに、隠しコンパートメントの継ぎ目を指先が見つけた。

中にはクリスタルのフォトアルバムがあった。古風な紙のものではなく、ホログラムを投影するデータクリスタルだ。私はそれを起動した。

そこに彼らがいた。湊、莉央、そして小さな玲央が、ビーチで笑っている。三人で雪だるまを作り、お揃いのマフラーを巻いている。私の養父母、アルファ・宗一郎(そういちろう)とルナ・恵美子(えみこ)が、彼らの「孫」である玲央を抱きしめ、誇らしげに微笑んでいる。一つ一つのイメージが、新たな裏切りの一撃だった。

私は彼のプライベート端末に向かった。暗号化されていたが、彼は傲慢だった。誰もアクセスしないと信じているものには、単純なパスワードを使っていた。私は莉央の「R」を試した。アクセス拒否。次に「Reo」を試した。

フォルダが開いた。ラベルは「R」だった。

サブフォルダをクリックしていくと、手が震えた。玲央の公式な血統登録証明書があり、両親として神楽湊と莉央・岩嶺の名が記載されていた。「初変身」というタイトルのビデオファイルもあった。再生してみる。私は、伴侶が息子に初めての変身の苦痛を乗り越えさせようと指導する姿を見た。その声は、私には一度も見せたことのない誇りと優しさに満ちていた。

「財務」と記されたフォルダには、すべてがあった。銀月の一族の中核口座から、岩嶺の一族名義のペーパーカンパニーへと、毎月巨額の送金が行われていた。支払いの説明はいつも同じ。「R.R.生活資金」。

私は診療所から持ってきた空のデータクリスタルを取り出し、すべてをコピーし始めた。画面上のプログレスバーが、私の古い人生のカウントダウンタイマーのように感じられた。ファイルが転送されるたびに、私がかつてそうであった無邪気な少女の一部が、削り取られていった。

最後のファイルが転送されると、部屋にかすかなチャイムが響いた。端末からではない。机の上にある湊の個人用コミュニケーターからだった。画面にメッセージが光っている。

それは写真だった。セキュリティフィードからの静止画で、私がまさにこの机に座り、恐怖の発見に顔を歪めている姿が写っていた。

心臓が止まった。

写真の下に、二つ目のメッセージが現れた。

*探してたものは見つかった、小さなオメガ?*

莉央。彼女は彼のセキュリティにアクセスできる。当然だ。

別のメッセージが震えながら届いた。その言葉は毒に満ちていた。

*彼があなたを側に置いているのは、あなたの哀れなオメガの匂いが彼の狼を落ち着かせるからよ。あなたは生きた精神安定剤にすぎない。もうすぐ、それですらなくなるけど。*

何時間も私を窒息させていた悲しみは、突然、白熱した怒りによって焼き尽くされた。痛みは消えなかった。それは結晶化した。それは硬化し、武器となった。

彼女は私が哀れなオメガだと思っていた。彼らは皆、そうだった。

彼らがどれほど間違っているか、これから見せてやる。

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3

月詠視点:

ポケットの中のデータクリスタルは、重くもあり、些細なものにも感じられた。それは決定的な証拠ではあるが、デジタルだ。捏造されたものだと一蹴される可能性もある。もっと何かが必要だった。彼らの秘密の生活のまさに中心から集めた、生々しく、否定しようのない何か。

あの別邸に、もう一度忍び込まなければならない。

群れの治癒師という私の立場が、鍵だった。私は群れの高齢者の間で肺熱が発生する可能性があるという報告書を捏造し、それを口実にした。「旧神楽家の狩猟小屋の使用人の一人が、健康診断のリストに入っています」と、私は警備責任者に、その別邸の公式で忘れ去られた名称を使って言った。「彼女は高齢で、診療所まで来られないのです」

許可は、何の疑いもなく下りた。結局のところ、私はただの心優しいオメガの治癒師なのだ。

簡素な治癒師のチュニックを着て、私は無口な衛兵に付き添われて別邸に案内され、ドアの前で一人にされた。中では、神経質そうなオメガの召使いが私を迎えた。彼女の名前は真理子(まりこ)といった。

「エララさんの様子を見に来ました」

私は落ち着いた、プロフェッショナルな声で言った。

「彼女は部屋にいます」

真理子は手を揉みながら囁いた。

「でも…奥様と旦那様は若様と外出中です。見知らぬ方がここにいるのをお気に召さないかと」

「長くはかかりません」

私は彼女を安心させながら、豪華な玄関ホールに目を走らせた。

「群れの健康を守るのが、私の第一の務めですから」

高齢の狼女の診察を素早く偽装した後、私は行動に移した。「水を一杯いただけますか」と真理子に言い、彼女をメインのリビングエリアへと誘導した。「それと、左手をかばっているようにお見受けしました。この関節炎に効くかもしれません」私は希少な月光草(げっこうそう)の小さな袋を差し出した。

彼女の目が大きく見開かれた。月光草は非常に高価なものだ。彼女がそれを受け取ると、私は会話を誘導した。

「美しいお宅ですね。未来のアルファも、さぞ誇りに思われていることでしょう」

感謝の念と、同じオメガという立場が、彼女の口を軽くした。

「ええ」

彼女は声を潜めて打ち明けた。

「宗一郎様ご自身が、週に二度、玲央若様に戦闘術を教えにいらっしゃいます。そして恵美子様は…莉央様に、それは美しい月長石の宝飾品をお持ちになるのです。莉央様こそ、一族に名誉をもたらす、私がずっと望んでいたルナだとおっしゃっているのを聞きました」

一つ一つの言葉が、私がすでに知っていた真実を裏付けていたが、声に出して聞かされると、裏切りが生々しく、新鮮に感じられた。私の視線は、少しだけ開いている主寝室のドアへと向かった。

「お手洗いをお借りしてもよろしいですか?」

私は尋ねた。

真理子は、貴重な薬草に気を取られて頷いた。私は寝室に滑り込んだ。そこは彼らのための神殿だった。彼の香りが至る所に満ち、彼女の香り――薔薇と野心が混じり合った、むせ返るような香り――と混ざり合っていた。壁には、巨大なホログラフィックプロジェクターが作動しており、静止画を映し出していた。

それは湊と莉央だった。交配の儀式で使われる、輝く白い儀式用のローブを身に着けている。彼の腕は彼女の腰に、彼女の手は彼の胸に。彼らは微笑み、まるで真のアルファとルナのように見えた。彼らは自分たちだけの秘密の儀式を執り行っていたのだ。月の女神そのものを、鼻であしらっていた。

めまいに襲われ、そのあまりの大胆さに息を呑んだ。よろめきながら後ずさり、手でドアフレームを探して体を支えたちょうどその時、砂利道で車が軋む音が聞こえ、警報のように私を貫いた。

「早くお戻りになりました!」

廊下から真理子が、恐怖で青ざめた顔で囁いた。

私が反応する前に、彼女は私を一番近くの隠れ場所――キッチンの隣にある大きな暗い食料庫――に押し込み、玄関のドアが開くと同時にドアを閉めた。

息苦しい暗闇の中で、心臓が激しく鼓動した。隣のキッチンから、彼らの声がはっきりと聞こえてくる。玲央が今日一日の出来事をぺちゃくちゃと喋っている。そして、莉央が口を開いた。

「もううんざりよ、湊」

彼女は不満げに、鋭い声で言った。

「見せかけはもうたくさん。私に印を付けてほしい。群れの前で、あの哀れなオメガを正式に拒絶してほしいの」

食料庫の中の空気が薄くなり、呼吸が苦しくなった。

グラスが触れ合う音が聞こえ、次に湊の低く、なだめるような声がした。

「辛抱しろ、莉央。条約はもうすぐ調印される。力の移行で俺の狼が落ち着かないんだ。運命の絆の安定が、もう少しだけ必要なんだ」

彼は疲れた諦めの溜息をついた。

「次の満月の夜、調印が終わったら、実行する。皆の前で、彼女を拒絶する。そして、お前と俺は印を完成させ、お前は俺のルナとして、正当な地位に就くんだ」

そして、私の心臓を止める言葉が続いた。

「お前と玲央が俺の未来、俺の血統だ」

彼の声には、何の感情もこもっていなかった。

「月詠は…月の女神が仕掛けたただの冗談、権力への道を切り開くための道具だった。目的を達成するための、手段にすぎない」

道具。冗談。

残っているとは思わなかった涙が、静かな暗闇の中で顔を伝った。もう、十分聞いた。

彼らの足音がリビングルームに移動するまで待った。そして、息を殺して、食料庫から滑り出た。真理子が恐怖に満ちた視線を私に送り、私は小さく、安心させるように頷いてから、静かに裏口から滑り出た。

家の角を曲がった時、テラスに出てコミュニケーターを耳に当てていた莉央とすれ違った。彼女はシルクのローブを羽織り、その顔はデバイスの光に照らされていた。

彼女の目は細められ、私の簡素な治癒師のチュニックとフード付きのマントを値踏みするように見渡した。彼女は私だと気づかなかったが、その視線に疑いの光がちらつくのを見た。治癒師が、ここに、この時間に?それは異例だった。

彼女は何も言わなかったが、その計算高い視線は、私が木々の間に消えるまで私を追い続けた。

その時、私は冷たい確信と共に悟った。私の時間は、もう尽きかけていると。

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アルファの偽り、オメガの蜂起

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