話 2
「ああ。」北条渉の返事は断固としていて、一片の迷いもなかった。
瀧ノ上清穂の胸がぎゅっと縮み、重い鉄槌で打ちつけられたような痛みが、じわじわと広がっていった。
北条は気のない様子で、心のこもっていない「悪かったな」と言い捨てて、そそくさとその場を去った。
清穂はその場に立ち尽くし、去っていく北条の背中を見つめながら、心がまるで千枚通しで刺されるように何度も何度も刺され、そのあまりの痛みに息が詰まりそうになった。
足元から這い上がるような冷気が、容赦なく四肢の隅々まで染みわたっていく。
あの年、北条が北条家の経営を引き継いだ頃、ちょうど資金繰りが絶たれ、破産寸前の危機に立たされていた。
「今は会社が不安定で、お前に安定した未来を与えられない。でも、経営が軌道に乗ったら必ず迎えに行く」——そう、彼は確かにそう言ったのだ。
清穂はその言葉を、ずっと胸に刻んできた。家族に北条を受け入れてもらうために、早く彼の妻になるために、自分の立場を利用して知恵を絞り、共に商戦を駆け抜け、無名だった彼を世の注目の的にまで押し上げた。
なのに、三年もの歳月を共に過ごしてきたというのに、彼にとっては――それがただの「取引」に過ぎなかったなんて。
結局この恋で、本気になっていたのは最初から最後まで、自分一人だけだった――!
あの“白月光”の前で三年間捧げてきた自分の想いなんて、滑稽なほど虚しい茶番だったのだ。
瀧ノ上清穂は唇を強く噛みしめ、こみ上げる涙を必死に堪えたが、それでも涙は糸の切れた真珠のように次々と頬を伝っていった。
胸の痛みが体中で暴れ狂うように叫び、彼女の身体をわななかせた。
そんな惨めな姿を見て、そばに立っていた北条理彩の唇には、あからさまな嘲笑が浮かぶ。「瀧ノ上清穂、あんたがしつこく食らいつかなきゃ、兄さんがあんな学歴も家柄もない田舎女と結婚なんてするわけないでしょ。空気読みなさいよ、さっさと北条家から出て行きなさい!」
北条理彩の図々しい言葉に、清穂の心はすっかり冷え切っていた。「忘れたの? 今の北条家があるのは、私がいたからよ!」
「よくもそんなデタラメを!」 理彩は清穂の鼻先に指を突きつけ、憤然と叫んだ。「自分のこと、どれだけ偉いと勘違いしてるのよ? あんたなんかいなくったって、北条家はこれからも風が吹き水が流れるように、何の支障もなくやっていくんだから!」
清穂は心臓がギュッと握りつぶされるほど痛んだ。――北条家の人たちは、結局私のことを、こんなふうにしか見ていなかったのか!
「もういいわ。今日のことは、これで終わりにしましょう。」 北条結衣はうんざりした表情で立ち上がり、清穂の前まで来ると、まるで目の前に汚物でもあるかのような嫌悪をその瞳に宿していた。「見なさいよ、自分がどれだけみっともないか。あんた一人が恥をかくのは勝手だけど、北条家まで巻き込まれるのは御免なの。」
そう言い放つと、結衣は何事もなかったかのように作り笑いを浮かべ、今日の来賓たちに愛想よく声をかけ始めた。
清穂はその場に立ち尽くし、三々五々と立ち去る客たちを茫然と見送っていた。――ずっと夢見てきたはずのこの結婚式が、どうしてこんな滑稽な茶番劇になってしまったのだろう。
どうして彼女のまっすぐな想いのすべてが、こんな形で踏みにじられなければならないのだろう?
それはただ、愛した相手が、自分を愛していなかったというだけの理由で?
瀧ノ上清穂はゆっくりと目を閉じ、またしても涙が頬を伝って零れ落ちた。まるで割れやすいガラスのように、脆くて、無力だった。
それから三十分後、清穂は宛てもなく静まり返った街をさまよっていた。帰る場所を失った魂のように。
気づけば空から雨が降り始め、やがて大粒の雨は土砂降りへと変わっていった。
周囲を見渡しても、雨宿りできそうな場所はバス停のあたりしかなかった。清穂は裸足のまま、そこへ向かって駆け出した。
泣きっ面に蜂とはこのことか――鋭い石が足の裏を裂き、激痛に眉をひそめながらも、清穂は歯を食いしばって足を引きずりながらバス停を目指して走り続けた。
ビーーー……
突然、耳をつんざくようなクラクションの音が、静まり返った通りに響き渡る。
猛スピードで迫ってくる車を目にして、清穂の瞳は見開かれ、恐怖で激しく震えた。
話 3
瀧ノ上清穂の脳裏は真っ白になり、両脚は鉛のように重く、その場から一歩も動けなかった。
目の前を走り抜けた車は、まるで黒い稲妻のように彼女のすぐ横を掠めていった。
その衝撃的な気流に煽られ、清穂の身体は勢いよく地面に投げ出された。
加害者の車はこのまま逃げ去ると思われた。周囲には何もなく、証拠を残さず逃げるにはうってつけの場所だったから。
だが、意外なことにその車は方向を変え、清穂の目の前でぴたりと停まった。
ドアが開くと、まず視界に飛び込んできたのは、黒のオーダーメイド革靴。そして、まっすぐに伸びた長い脚が、力強く確かな足取りで清穂へと近づいてくる。次の瞬間、黒い傘が静かに彼女に差し出され、無慈悲に降り注ぐ雨を遮った。
「大丈夫か?」藤原雅敏の低く澄んだ声が、雨音の隙間からゆっくりと清穂の耳に届いた。
清穂が顔を上げると、そこには鋭い輪郭と明瞭な顎のラインを持つ男が立っていた。整った顔立ち、そして――何よりも印象的だったのは、奥にかすかな光を宿したその深い黒い瞳だった。
この目……どこかで見たことがある気がする。
けれど、思い出そうとしても、記憶の糸口は掴めなかった。
瀧ノ上清穂は首を横に振り、かすれた声で静かに答えた。「大丈夫です……ありがとう……」
身体を支えながら必死に立ち上がろうとしたものの、脚の擦り傷と足裏の切り傷が痛みを呼び、膝が崩れ、そのまま再び倒れ込んでしまった。
だが、その瞬間――屈強な腕が彼女の腰を抱き寄せ、力強くその身を抱き上げた。
清穂は藤原雅敏の胸元に倒れ込み、瞬く間に男特有の冷ややかな気配に包み込まれた。
彼女の両手は本能的に彼の胸を押し返し、その掌は衣服越しにもはっきりと感じ取れるほどの鍛え抜かれた筋肉の上に置かれていた。
掌がじんわりと熱を帯び、反射的に藤原を押し返そうとしたが、逆に彼の腕にすくい上げられ、抱きかかえられてしまった。
思わず眉をひそめ、瞳の奥に険しさがにじむ。「何するつもり⁉︎ 降ろしてよ!」
北条渉と三年付き合っていた頃でさえ、せいぜい手をつなぐ程度だった。そんな彼女にとって、見知らぬ男の突然の接触は、どうしても警戒心を呼び起こした。
藤原は視線を落とし、穏やかなまなざしで清穂を見つめた。「怪我をしてる。今すぐ病院に行くべきだ」
「わ、私は……自分で歩けます」 この距離の近さがどうにも落ち着かない。男の冷たい気配が鼻をつき、四方八方から身体を包み込んでくるようで、内側のどこかが張り詰める感覚に襲われた。